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寺本益英教授(関学大)を表敬訪問

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(1月30日夜・記)
1月26日(火)、初の神戸出張
日本語教育関係の国内出張・研修・授業って、多いほうから言うと、これまでで10回以上は名古屋・金沢になるでしょうか。次いで東京・白山・幕張・上越などが来て、新潟・京都・大阪各1回といったところでしょうか。記憶アホなんで正確じゃありません(汗)。こういうふうに行った先を並べると、関東・中部だけですね。昨年12月に沖縄へ行くチャンスがあったのですが、うちみたいなビンボー日本語学校、「沖縄までの交通費、出してぇ」とは言えなかった。かと言って全部自腹、無理っすもんね。いつか札幌・仙台・秋田・広島・高知・沖縄なんて行ってみたいですねぇ。
今回の神戸出張は、財団法人日本語教育振興協会(略称「日振協(にっしんきょう)」)の「平成21年度日本語教育機関事務研究協議会」に参加のため。
思いがけないことに、日振協からその協議会での事例報告者の一人になってくれないかという依頼があって、「そういうの自分にとっていい経験になるかも」と思い引き受けたはいいが、さぁ困った、準備が全然できない(泣)。安請け合いなんてせんもんですね(大汗)。報告時間は5~7分でとのこと。そんなに長い時間じゃない。原稿見ながらでもいい、ってのも助かる。1月25日(月)午後4時過ぎ@富山国際学院、原稿がやっと頭の部分だけでき、スタッフの高木けい子さんに聞いてもらう。「奥村さんらしくて、いいんじゃないですか」ってな彼女の評だった。
帰宅して入浴・夕食などの後、7時半ころからPCに向かいwordで原稿作成再開。A42枚がようやくできたのが9時過ぎ。その原稿、僕は目が悪いんでA4→A3に拡大コピーで2セット作成。それから急いで出張準備。時間がないんですね。財布や書類や洗面道具などをかばんに押し込んで、スーツ(今年2回目のスーツ着用^^です)を着る。時間がないので、ネクタイ1本とタイピン・カフスボタンをかばんのポケットに押し込む。
今回の出張、自宅から富山駅まではポートラム利用なんですが、城川原発9:41とかってぇのに乗らないと、大阪行きの高速夜行バスに間に合わないという計算だった。で、家から城川原まで早足、途中息切れしばし(恥)。必死の形相^^で城川原駅に着いてホームの時刻表を見たら、ポートラムの出発時間9:41じゃなかった。ボク、違う時刻を見とったんですね(大恥)。
JR富山駅前から11pm、大阪行き高速夜行バス発車。

大阪梅田6:40着。トイレで洗面。JR大阪で「元町」までの交通を教わる。
元町、7時半。神戸は2008年9月6日・7日以来。あの時は、まず大阪で昼食@吉兆(大丸梅田店)、モディリアーニ展@国立国際美術館。神戸ではホテルプラザ神戸に宿をとって夕食・朝食も。翌日は昼食@GRACIANI(異人館通り)-井上旭の弟子がシェフ-、生田神社(藤原紀香が挙式)、東急ハンズ、ジュンク堂など。
元町にある立ち食いの店で「天ぷらうどん(並)」。前回の神戸と大違いやんけ、自分(大汗)。でもおいしかったぁ。それから元町交番で「兵庫県私学会館」への道を聞き、下見。坂道にありました、同会館。それから三宮まで徒歩約15分。阪急に乗る。須賀敦子中井久夫を読んでると出てきます、阪急電車や阪神間のこと。ボクの勝手な想像ですが、阪急は西武池袋線、阪神は東武東上線のイメージ。阪急電鉄神戸線で西宮北口駅に出て、今津線乗り換え仁川(にがわ)駅下車。駅で待つことしばし、待ち合わせ相手の実弟からケータイに着信あり。
実弟とともに関西学院大学上ヶ原キャンパスまで歩く。散歩にはちょうどよいお天気。仁川沿いに歩き橋を渡る。このあたり、敷地面積は富山ほどではないでしょうが、お金持ちそうな住宅が立ち並ぶ。これもボクの勝手な意見ですが、日本苗字TOP20に入るような表札が散見される住宅群は高級住宅街ではないような気がする(失礼をご容赦されたし)。割と珍しい苗字が表札に書いてあって本当はお金がかけてあるのだけど一見そうは見えない門構えが隣接していると、そこはハイソサエティ社会。これは昔大学1年生の時に新宿のデパートの歳暮配達のバイトをやってた頃に初めて感じたこと。

関西学院大学の正門を入る。まもなく、広場が見え正面に時計台(University Library Old Building。1929年建)。9時半過ぎ、「第2教授研究館(池内記念館)」3Fの寺本益英教授研究室のドアをノック2回。「第2教授研究館」って「『第2教授』を『研究する』『館』」じゃぁありませんよ(激爆)。
寺本益英教授(経済学部)とは2009年1月16日以来ですから約1年ぶりということになります。あの時(大阪出張だった)は、伊勢海老料理専門店「えび三郎」で夕食、「英國屋」(関学OBがオーナー)でコーヒー。
相変わらずお忙しい日々をお過ごしの寺本先生なのですが、貴重なお時間を2時間近くも歓談にお遣いいただいた。と言ってもボクは先生と弟の話を聞くのに専らでしたが。研究室の書棚には本がびっしり。図々しかったのですが、その内の何冊か手にとってみました。おいしいお茶とプリンをいただく。テーブルの足元には優に何百枚もあろうかという学生のレポートの紙袋2つ。
政治や経済のこと、最近の学生のこと、茶業(先生の最近のご研究テーマである)のこと、先生と関学との関わり、琳派・等伯(今年が没後400年ですよね。最近彼の作品が「発見」されたのも話題になりましたね)・若冲(この間の「日曜美術館」でもやっていた)のことなどなど、興味深い話題が先生から次々。中でも一番興味深かったのが、寺本先生と黒岩比佐子先生との「出会い」。人と人との出会いのすばらしさを象徴するエピソードです(後日そのことについて書こうと思います)。

アップした写真、寺本先生の研究室の前で弟に撮ってもらう。ボク、夜行バスのせいでしょうか、寝ぼけ眼っすね(照)。
# by tiaokumura | 2010-01-26 11:39 | このブログのこと | Comments(2)

米田哲雄先生「勉強お助け隊」でボランティア、神戸出張準備

今年に入ってからの土日は、ゆっくり目に起床。朝食などの後、9時半頃家を出る。車中、この間親友の粕谷さんからもらった夏木マリ「La Parole」を流す。タイトル通り「語り」が多いアルバム。5曲目だったかに浅川マキ『かもめ』がカヴァーされててビックリ。夏木は才能豊かな方で、最近はお芝居でもご活躍。カフェカナン@下北沢のご常連でもある。上京してカナンに立寄った際には、カナン店主研次から彼女のご様子などを聞くこともある。昔、僕や研次がハイランドロッヂ@長野県八方で働いていた頃、彼女の『絹の靴下』を営業エンディングテーマとしてよく聞いたのも懐かしい思い出。アルバム「La Parole」にはもう1曲、佐良直美(字、合ってますか? 上手な歌手でしたが、今どうしてらっしゃるんでしょう。なんかスキャンダルっぽいことがあって、ホサれたんでしたっけ?)の『いいじゃないの幸せならば』(作詞・岩谷時子、作曲・いずみたく)カヴァーも入っていた。

9:45頃、CiC裏手の駐車場に車を入れる。CiC入口で米田哲雄先生と出会い、新年のご挨拶。「本日『勉強お助け隊』のお手伝いさせてください」と申し上げる。
日本語教師は国内に3万余人とか。富山県内には200人くらいでしょうか。僕の見立てでは、富山県内日本語教師TOP3が、僕が出会った順で言うと、原和子先生・米田哲雄先生・折田真一先生。このお三方にあってボクにないのは、「深い知識教養+視野の広さ」。従ってお三方には、大胆さと柔軟性と状況把握の的確さが備わっている。お三方は「現場第一主義」である。ボクの場合は、しばしば冒険心が欠け視野狭窄に陥りやすい。ボク、「富山県内日本語教師ランキング」では現在50番前後でしょうね(恥)。今年中にはTOP20に入りたい(照)。

10時過ぎから米田哲雄先生「勉強お助け隊@CiC3F」ぷちボラ。人間、ボランティアって大切ですよね。僕は例年、富山市民国際交流協会(TCA)の「国際交流フェスティバル」、村川いづみさん「イタリア美術セミナー」、富山型デイケアサービス「このゆびとーまれ」「にぎやか」、川渕映子さんの「地球の夢」などのボランティアをやるようにしているのですが、昨年は仕事も忙しく、ほとんどボランティア活動に参加できなかった(恥)。今年は年間目標「6ぷちボラ」ですが、どうなるでしょうか。
「勉強お助け隊」、僕はこれで3・4回目になるでしょうか。ここでの指導、一見さん相手と言うか、毎回が一期一会なので気が抜けない。教師としては、「どこまで分かっててどこから分かってないのか」を見極め、「どういう風な指導が向いていて、ここはタブーな指導だろう」と頭を回転させ、更には「日本語の許容範囲はどこまでにして、今日のここは許容範囲には入れない」と計算し・・・。まぁ緊張の連続です。ボランティアだろうがプロだろうが、習う側からすれば、そんなん関係ありませんもんね。約1時間半の指導、11時半頃終了。記録を書き、米田先生にご挨拶して教室を引き揚げる。僕の最初のネイティブ中国語老師の銭輝老師にご挨拶して駐車場へ。方向音痴なんで、駐車場で少し迷子になった(恥)。
富山の今日、三寒四温にはまだ早いのでしょうが、とても暖か。

帰宅後昼食。その後「神戸出張」の準備。
今週火曜日、初めての神戸出張。ボクはカントリーじじい^^ですが、都市好きジジイ。好きな都市TOP5は、①パリ②東京③横浜④神戸⑤上海です。ただし上海は空港乗り継ぎ以外は未体験。今年は「上海世博会」(上海万博)なので(あと100日を切りましたよね)、その真っ最中は避け、お金を貯めてその後か来年、上海に行きたい。
神戸出張は、財団法人・日本語教育振興協会(略称「日振協」)の「西日本・日本語教育機関事務研究協議会」参加のため。先日日振協から富山国際学院にTELがあり、当日の事例報告のスピーカーになるように言われた。先日の「全国日本語教師研修in金沢」でも2日目の「開会のことば」ってぇのをやり、どうも今年はスピーチの当たり年です(激爆)。協議会には100人くらい出席だそうで、そんな大勢の前でスピーチするのは12年ぶりくらいです。時間は5~7分で原稿も用意できるそうなので、人前で話すのがちょー苦手なボクも少しラクですが、壇上にあがって会場を見渡した途端、頭が真っ白になりそうです(爆)。ボクはお尻に火が点かないと取り組めないタイプで、まだスピーチの原稿できとらん(汗)。今夜・明日午後には作って、スタッフの高木さんにお願いして予行演習しとかねば(照)。
うちんとこ、ビンボー日本語学校なんで、今回の神戸出張は富山・大阪往復高速夜行バス利用。8500円で済むんですね。で、早朝に大阪到着なんで、西宮まで行って、寺本益英先生(関西学院大学経済学部教授)を表敬訪問しようと思う。お忙しい寺本先生のお邪魔にならないようにしたい。僕は昨年、関学のカレンダーを使ってました。そのカレンダーの写真を見てても、関学は興味深いキャンパス。キャンパスには、古いところでは’University Library Old Building’や'School of Theology’や’Junior High School’や’School of Business Administration’があり、新しいところでは’Elementary School’や’KOBE-SANDA Campus Lambuth Memorial Chapel’などがある。寺本先生の研究室に伺うまでの道すがら、眼福散歩ができそうです。関学グッズ、買えたら買いたい。関学の学食で昼食も摂りたい。
関学には実弟が同行してくれる予定で、彼と仁川駅で待ち合わせ。仁川、「にがわ」と読むそうです。韓国だったらハブ空港のある「인천」ですよね。
# by tiaokumura | 2010-01-24 20:35 | 日本語教育 | Comments(4)

「富山“観世塾”」(1月)

本日、「富山“観世塾”」受講。

富山“観世塾”」の前に用事があって、11時頃家を出る。富山市中心街に行くのはいつ以来だろう、実に久しぶり。富山別院の駐車場に車を入れる。それからまず、今日の「富山“観世塾”」4曲中2曲の本を持たないので総曲輪通りの清明堂書店に入って探す。昔と同じく裏口あたりに謡本コーナーがあった。ただ残念ながら宝生流ばかり。富山は、高岡も(金沢・福井も)そうですが、観世流より宝生流が盛んなんでしょうね。江戸より京都に近いからでしょうか。清明堂書店の後、ラーメン祭り?をやっている総曲輪フェリオを通りぬけ、西町交差点から南へ少し行ったお店で富山銘菓「月世界」を購入。それからフェリオに取って返し、紀伊國屋書店。謡本、あるにはあったのですが、こちらも宝生流。でもせっかく久しぶりに紀伊國屋書店来たのに何も買わないのも癪なので、店内物色。都留泰作『nacunN』4・5(講談社アフターヌーンKC)と『ポケット数独 上級編5』を買う。都留泰作先生は当ブログでも数回ご登場いただいていますが、富山大学人文学部准教授。僕は還暦の日、都留先生の文化人類学の授業を受けてました(照)。「数独」、「上級編」はまだLevel7が3割、Level8が1割くらいでしょうか、解けるのは。解き方のステップアップが求められている段階。つまり、いささか壁にぶちあたっている、ってとこです。7Fの紀伊國屋の後、6Fの末弘軒でワンタンメン+黒とろろ昆布おにぎり1個の昼食。

12:45頃、富山能楽堂。ロビーの受付で「富山“観世塾”」について聞いている女性がいらっしゃったので、ご一緒する。ところが、いつもの部屋ではなくて右往左往(恥)。「受付」の紙が貼ってある部屋があったのでそこを開ける。いつもより1部屋分広い感じの会場。小西弘通先生に緊張しながら^^新年のご挨拶。川田有紀子先生・松下覚会長にもご挨拶&受付。
一番後ろの席に富崎茂樹先輩のお顔が見えたので、その横に着席。
本日1曲目は『鶴亀』。川田先生に習った、僕が唯一謡える(っても、めっちゃ下手ですが)曲です。1回目、小西先生が何回かに分けて謡われ、その後我々が繰り返す。2回目は最初から通して。『鶴亀』は謡った経験がある曲なんですが、なんか自分だけ違う。シャドーイングみたいにしてたんですが、声質が他の皆さんと違うんですね。何て言うか・・・皆さんのは「謡」の声でボクのは「下手なカラオケ」の声(泣)。呼吸法とか発声法とかリズムの取りかたとかが根本的に違っているんでしょうね。まぁ、そういうのが自覚できただけでも、新年第1曲、よしとせねば。
二曲目『吉野天人』。『鶴亀』『吉野天人』は『大成版 観世流初心謡本 上』の1曲目・3曲目に所収。『鶴亀』とほぼ同じ練習方法。謡、久しぶりだったからでしょうね、この曲の間、足が痛くなってずいぶんお行儀が悪かった(恥)。
三曲目『』。巴は木曽義仲の愛妾・巴御前。彼女は、才色兼備ならぬ武色兼備、アマゾネスです(そんな言い方、顰蹙を買うかも^^)。彼女は義仲と最期をともにしようとしたのですが、義仲の命で生きながらえざるを得なかった。愛する男とその死をともにできなかった執念を、折りしも粟津の原を訪れた木曽の僧に晴らしてほしいと訴える。女がシテの珍しい修羅物。巴が三様に描かれそれに伴って曲調の変化がある。増田正造「お薦め能の名曲」には入っていませんが、名曲だと思う。
四曲目『弱法師(よろぼし)』。僕は昨年2月28日に初めて「富山“観世塾”」を受講したのですが、その時の二曲目が『弱法師』でした。世阿弥の長男・観世元雅が作者。『隅田川』も彼です。『弱法師』は、増田正造「お薦め能の名曲」から引用すると、「家を追われ、盲目となり乞食となりながらも、梅の香のような詩心を失わぬ少年。父との再会。」(『観世流 能のすすめ』p.35)
『巴』『弱法師』、本がなかったので、富崎さんの大成版をお借りした。富崎さん、ありがとうございました。

今日の「富山“観世塾”」、3時半頃北日本新聞(地元紙)の取材があり、小西弘通先生がインタビューを受けていらっしゃった。記事を読むのが楽しみです。取材が入ったこともあって、いつもより20分くらい遅く終了。後片付けのお手伝いを少しして、雪の中(来た時はいいお天気だったのに)を帰宅の途に。
# by tiaokumura | 2010-01-23 20:57 | 謡を習う | Comments(0)

富山弁切手

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A:まいどはや。まめけ?
B:おいね、まめやちゃ。
A:あんにゃ、「富山弁」の切手出たが知っとっけ?
B:な~ん、知らんちゃ。そんなもん出たがけ?
A:おいね、写真、見られま。
B:ありゃま、おら、いきそったちゃ!
A:あんにゃのために、おら、一つ買ったげたさかい、あげっちゃ。
B:ありゃまぁ、きのどくな。か、いくらだったがけ、高かったがやろ?
A:な~ん、つかえんちゃ。こないだ、あんにゃのおっじゃ、嫁はんもろたときに、鯛のかまぼこもろとるけに、こんくらい、いいが。
B:そいがけ。ほたら、もろとくちゃ。
A:そん代わり言うたら、なんながやけど、こんど桜木町行ったら、飲み代だいてくたはれま。
B:おっとろしいこと言われんなま。富山駅前の居酒屋なら、だいてあげられっけど。
A:そやね、そっでいいちゃ。あんにゃとこのおっかに見つからんよ~にして、明日行かんまんけ。
B:うちのおっかならじゃまないちゃ。CiCのロビーで会わんまいけ。
A:わかったちゃ。そっでいいちゃ。
B:おら、桜木町ならんで、あっか~りしたわ。
A:おらっちゃちゃ、遊んでばっかおって、だらやねぇ。
B:そいがそいが。だらぼちやちゃ。みゃあらくもんやったら、まだいいがにねぇ。
# by tiaokumura | 2010-01-22 18:28 | 富山 | Comments(4)

渡辺睦子 解説・増田正造『新装版 まんが 能百番』(平凡社)

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渡辺睦子 解説・増田正造
新装版 まんが 能百番
2009年11月10日 初版第1刷
平凡社
952円+税

との出会いは不思議なもんです。昨日の記事で取り上げた、川田有紀子先生(観世流華川会)からいただいた『観世流 能のすすめ』。著者の増田正造という方は僕は初めてなのですが、今日、先週博文堂さんから届いて忙しさにかまけてそのままにしていた本を整理してたら、アップした写真の本に「増田正造」名を発見しました。増田正造は、ボクが知らなかっただけで(恥)ずいぶん高名な方のようです。著書も多数あり、横道万里雄や戸井田道三や馬場あき子との共著もある(Wikipediaより)。コロナ・ブックス(値段がそれほど高くないので何冊か持っています)に増田正造『能百十番』があるので今月博文堂さんに注文しようと思っています。
との出会いは偶然だと第一義的には思う。川田先生からいただいた本と最近購入した本とに同じ方の名前があった-偶然、でしょうね。でも、「風が吹けば桶屋が儲かる」「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」というふうに、全てに因果関係があるわけだから、ここは、僕の能への希求精神が2つの本を僕に引き寄せたと言えばいいのかもしれませんね。「偶然は全て必然的に起こる」あるいは「奇跡は奇跡的には起こらない」(金大中でしたっけ?)。ま、そんな理屈っぽいことはどうでもいいことですが(激爆)。

本書、能百番(50音順配列)について、登場人物紹介略画・あらすじ・独特の語り口での5~6行文(例えば『卒塔婆小町』の場合は「絶世の美女といわれた小野小町も、/寄る年波には勝てんかった。/今じゃ、百歳のしわくちゃばあさんじゃ。/おまけに、どこをどうさまよったのやら、/ボロボロのみすぼらしい乞食になっておった。」)、そしてこれがこの本の最もすごいところなのですが、能百番全てを見開き2ページの「12コマまんが」にしている!
「新装版」の元本は昭和61年刊のようです。本書の巻頭に当時の日付の増田正造「推薦のことば」があり、巻末に2009年9月付の渡辺睦子「二三年後のあとがき」があります。
著者の渡辺は武庫川女子大時代のクラブ活動が能楽部で観世流(「著者略歴」による)。その当時、能会のパンフレットで『草子洗小町』について書かなければならなくなった。「・・・文章を書くのを苦手とする私は困りましたが・・・ダメもとでまんがを描いて持っていったら・・・好評で受け入れていただき・・・」(「二三年後のあとがき」)、それから百番まで到達した。「絵に関してもお能に関しても素人の私」(同)とのことですが、このようなアイディアを思いつかれたこと・それが百番もの大作になったことは尊敬に値します。また、このような形で後世に能が伝わっていくこともあるという、能の持つ魅力の広さも、本書を手にして感じます。

初めて能を観る人に 心強くて楽しい入門書」(帯より)。折りに触れ、本書で楽しく勉強できそうです。生きる楽しみが増えました。
# by tiaokumura | 2010-01-21 20:07 | 謡を習う | Comments(2)