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禍福は糾える縄の如し

2月はいいことが続く。
今年度は「外国人(「外国籍」よりこちらの方がいいと思う。日本国籍の子もいますもんね)の子どもの高校進学」2人を引き受けているのですが、2人とも高校に合格しました。知らせを受け取ったときは、思わず目に水がにじみ出ました(照)。今年度これ以上はないってくらい嬉しかった。むろん僕(たち)がやっている「せめて何とか高校入学を!」ってぇのには批判もあることを承知している。「高校入ったあとの責任取れるの?」(高校中退率は確かにヒドい)・「日本語教師の仕事じゃないんじゃないの?」(でも、じゃぁ誰がやってくれるんだろう)・「入学のためにあなたがとってるストラテジーは間違っている」(だが何かに特化してやんなきゃ、受験突破は無理)・「母国に帰って高校出てから来日すればいいんじゃないの」(だが子を思う親の気持ちは愚かと言われようと強い)・「高いお金とってわずかの成果出たとして、それが何なの。いいボランティアに任せたら」(いいボランティアがいない)などがまぁまず上位に来る批判だろう。他にもあるだろう。そういう批判(非難)に真っ向から答える自信はボクには全くない。自分がやっていることが絶対正しいと声高に主張する気もない。これからも「外国人の子どもの高校進学」に取り組むとして、一番の悩みは「受験国語」。これ以外は何とかなる道筋がちょっぴり開けている。「受験国語」をどうやって突破するか-それが今一番の悩みで、他人の批判に耳を傾けているヒマはない。何かいいお知恵がある方にはぜひ耳を傾けようと思っています。
昨日2月15日、呉羽高校生F-site(稲林理事長・花田恵さんのNPO法人)のプロジェクトで3回目の取材のために富山国際学院を訪れてくれました。C組学生と教師では増山さん・徳橋さんと僕が応対。富山国際学院では教室を飛び出してのいろいろな課外活動に取り組んでいますが、こういうクラス訪問も嬉しい。こういうのができるのも(課外活動でもそうだが)、学院や僕にネットワークができているからである。花田さんとは前学院長の岸井みつよさんとのご縁がきっかけである。課外活動でも多くの方々にご協力いただいている。ネットがどれほど進化しようとも、生身の人間同士の触れ合いを大切にしていきたい。むろん失敗も必ず出てくる。大失敗もあるだろう。でも失敗を経験することも大事だと思う。教師の「上げ膳据え膳」はよくない。もしどうしようもない大失敗が発生したら、その時は学院長が頭を丸めて謝りにいけばいいのである。ビンボー日本語学校なんでお金で解決は無理っすが^^、そういう覚悟はあります。ま、ボクのスキンヘッドがどの程度効果があるかわかりませんが(激爆)。
それから、F-siteの取材が終わった頃にケータイメールが届いて、僕が2年間在籍した某大学の後輩「ハシゲン」が*都にあるK大学院合格の知らせ。K大学っちゅうてもKND女子大とかK女子大とかKTCBN女子大じゃあありませんよ。KG大でもKSa大でもKSe大でもKF大でもない。←じらしすぎ、っすね。彼(男っす)は皆さんが最もよくご存知の「月こそかかれ吉田山」の大学です(「こそ+已然形」=係り結びの法則っす^^)。彼には在学中2年間遊んでもろうとるんで、これで彼がワシのようなアホには手が届かん世界に行っちゃったんじゃろ~ねと思うと、ちょっぴり寂しさも。僕は40年くらいの時間差で2つの大学を経験している(珍しいかもしれないですね)。自ずと1番目の大学と2番目の大学を比較してしまうことがあるのですが、40年経って大学の質は落ちたんでしょうね。2番目の大学で習った20人くらいの教官中3人のダメ教官がいた。願わくば、超一流大学の京*大学大学院でハシゲン君が出会うであろう教官中に、そんなバカがいませんよ~に。ハシゲン君が4月の入学までに覚えれるよ~、「逍遥の歌 紅もゆる」を掲出したい。ハシゲン、おめっと~さんっす。下の歌詞、読めん漢字あったら、聞いておくれどすbyひげ奴(謎爆)。「紅」=べに、「早緑」=はやみどり、「嘯けば」=しゅくけば、じゃないっすよ(激爆)。
  紅もゆる岡の花/早緑匂ふ岸の色/都の花に嘯けば/月こそかかれ吉田山
それから、バレンタインチョコ-日曜日なんで今年はゼロかと思いきや、な・な~んとn(n≦10)個も。「そんなん買うんなら、ハイチにそのお金を寄付して」と喉元まででかかったんですが、やっぱ自分って欲深い男なんでしょうね(恥)、いただいちゃいました。ホワイトデー、1人1000円のお返しで済むんじゃろうか。「倍返し」「3倍返し」が相場なんじゃろか。チョコの金額に関わりなく(GODIVA以外、いくらかなんてワシわからんし^^)、何か本をあげようと思っています、ホワイトデーには。本、値段がわかっかちゃうけんど、ランジェリー贈ってセクハラじじいになるよりはよかバイ。
穂積雅子選手6位入賞」も福。ご本人は表彰台に上れなくって悔し涙を流されてたそうで、そういうところも「偉い!」と思う。菊池雄星君(花巻東)が選抜で優勝できなくって泣いてたってのを思い出した。穂積選手、同僚の増山さんのご主人の勤務先の所属です。その会社、オーナー社長だからできるって言われればそれまでですが、今回のオリンピックスケート2選手を支援している。大手企業がどんどんスポーツから手を引きつつある現在、富山の民間企業がこうしてスケートを応援しているのは富山県民として誇りです。

禍福は糾える縄の如し」という。以上を「福」とすれば「禍」も同じ数くらいある。「禍」なんて言い方は無責任っぽく響きますが、まぁ「学院長」を引き受けた以上は避けられない大問題が今日現在で少なくとも3つはある。3つの禍、何より自分が無能力なるがゆゑに、「禍」を乗り越えるべきハードルがボクには高すぎる。真夜中にふと目覚めて考え込むことも、出社拒否^^の誘惑に駆られることも、酒や遊びに逃避したくなることも。まぁあれこれ考えてたってしょうがないんですけどねぇ。実行あるのみ。解決って遅くなればなるほど難しくなりますよね。

別の「福」。先週・今週と初体験のクラス授業2回、なんとか無事終了。これで今年度下半期8クラス全制覇^^です。ふだんご担当の先生方の努力の賜物なんでしょうね、どちらもすばらしいクラスでした。「僕、初めてのクラスってすごく緊張するタイプで、今日もうまくできるかどうか心配です」(「語彙コントロール」、このくらいは大丈夫な両クラス)って言ったらみんな「うっそ~」って感じで笑ってました。アイスブレークだと思ったんでしょうね。でも「真実」。でもある意味、自分ってトクなんでしょうね。僕が登場してまさか足がガクガクしてるなんて、学生のだ~れも思わないんでしょうね。もしこれが20代前半の日本語教師A子さんだったら、悪賢い学生は「ちょっとおちょくってやろう」と思うかもしれない。60代前半ボクと20代前半A子とで、じゃぁボクが有利かといえばそんなことはない。学生の前に二人立って「みなさん!どっちの先生に習いたいですか」と学生に問いかけたら、7:3くらいでA子さんを選ぶでしょうね。つまり、日本語教師は自分の有利不利を自覚しておくことが大切だということが言いたい。例えばボクは顔が悪くジジイでありユーモアがなくネクラでファッションセンスださく字が下手で発音が悪い。そんな僕は欠点を少しでも克服すべく努力する一方で別の要素で勝負する。A子さんは、最初はよくっても、数回の授業を経てる内にボイコットされないようにしなければならない。他の例。やったら元気な先生は「授業中自分はしゃべくりしすぎとらんか?」と自問すべきだし、人気があってちょんちょんになっている先生は「では、自分ははたして学生全員に人気があり慕われているのだろうか?」と内省すべきだろう。教師の日々の授業にも「禍福は糾える縄の如し」がある。また、「自分は無知であり馬鹿である」と己を客観視できない先生に教わること以上に学生にとっての不幸はないのである。
もう一つ「福」。ネットマージャンで1000勝達成。「あんた、ようそんなゲームやっとるヒマありまんなぁ」と言われちゃいそうですが(大汗)、まぁ息抜きってことでご勘弁を。戦績、「経験値132万0500EXP、マネー72万8143円、役満3回、勲章12個」です。

禍福は糾える縄の如し-だから人生は生きがいがあるのでしょうね。
# by tiaokumura | 2010-02-16 20:59 | 言の葉つれづれ | Comments(2)

黒岩比佐子 読書計画

今週は今年初の「週4コマ」の授業担当(月・午前、火~木・午後)で、6時起きです。久しぶりに脳内目覚まし時計をセット。で、目が覚めたのが6:05で5分の誤差。ま、いいか、このくらいは。富山は小雨ですが気持ちのいい朝。立春はとうに過ぎましたが、「冬はつとめて」ってとこです。

黒岩比佐子は十二支で言うと僕より一回り下になります。
Amazonはその劣悪な労働環境に義憤を感じ(青臭いかも^^)3年前で注文をやめたんですが、でもあれこれ調べるのに便利なので今でも利用しています。Amazonで「黒岩比佐子」を検索すると、14冊ヒットする。『音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』が単行本&文庫で、なぜか岩波文庫の村井弦斎『食道楽』が入っていないので、現行流通の黒岩比佐子関連本は15冊ということになるのかなあ。Amazonを信じれば、黒岩の単著・共著・解説などが単行本・選書・新書・文庫の版型で刊行中です。黒岩比佐子のブログ「古書の森」には年内刊行予定の「堺利彦」本(今年は大逆事件処刑100年なんですよね)が出てくるので、近々16冊になるか。ネットのどこぞに「黒岩比佐子本リスト」とかあると便利ですね。探してみよう。

今年は黒岩本を何冊か読むことにしたのですが、1人の作家の本(や作品)を何冊(何作)も読む経験、これまでに20人以上になるかなあ。高校時代に漱石で、鷗外・透谷・荷風・宮沢賢治・梶井基次郎・中島敦らや山本周五郎・五木寛之・森有正・辻邦生・植草甚一らや吉本隆明・高橋和巳らに入ったのは東京時代。富山にUターンしてからはそういう出会いは減ったけど、それでも、南方熊楠・村上春樹・大村はま・野田尚史・須賀敦子・藤沢周平らは5冊以上読んでる。抜けがありそうだが思いつくままに記せばこんなところ。共通点がなさそうで(汗)、けっきょく僕は「文体」が好きなのかもしれない。
そして今年(「国民読書年」だそうですね)の黒岩比佐子。本ってのは、出会ったその時にはまだあまり意識化できないけど、自分の中で何かが熟して出会うものなのでしょうね、きっと。

黒岩比佐子本・読書計画
これまで(終了)
①解説・文庫 村井弦斎『食道楽(上)(下)』(岩波文庫)
②エッセイ・雑誌 「村井弦斎の英文小説とマーク・トウェン」(岩波書店「図書」09年7月号)
③講演・レジュメ 「日露戦争とジャーナリズム-もうひとつの『坂の上の雲』(2010年10月23日@関西学院会館)
④講演・レジュメ 「村井弦斎の”食育小説”に学ぶ-明治のベストセラー小説『食道楽』(2010年10月24日@キッピーモール)
⑤聞き手・新書 むのたけじ『戦争絶滅へ、人間復活へ-九三歳・ジャーナリストの発言』
2010年2月・3月(目下読んでいるところ)
⑥単著・選書 『明治のお嬢さま』
⑦解説・文庫 『春夏秋冬 料理王国』(中公文庫)
2010年4月・5月(未購入)
⑧単著・新書 『日露戦争-勝利のあとの誤算』(文春新書)
⑨単著・新書 『歴史のかげにグルメあり』(文春新書)
⑩単著・(単行本→)文庫 『音のない記憶 ろうあの写真家 井上孝治』(角川ソフィア文庫)
2010年6月・7月(未購入)
⑪単著・新書 『伝書鳩-もうひとつのIT』(文春新書)
⑫単著・選書 『編集者 国木田独歩の時代』(角川選書)

とまぁ、こんな「取らぬ狸の皮算用」計画で^^、⑫まで終わったら、いよいよ
⑬単著・単行本 『『食道楽』の人 村井弦斎』(岩波書店)
⑭共著・単行本 『津村重光の本-ある団塊世代半世紀の軌跡』
に進み、その内に
⑮現在執筆中の「堺利彦」

⑯他の黒岩新刊
が出ればそれを買って読もうと思う。
そうこうする内に季節は秋になって、
⑰黒岩比佐子講演@関西学院大学
に出かける。
会場では
⑱本にサインしてもらったり握手してもらったり(←オイオイ)。
できれば質問も考えておけたらいいのですが。

以上、民主党の「マニフェスト」じゃないんで、僕の計画がうまくいかんでも怒らんといてネ、皆様。
# by tiaokumura | 2010-02-15 07:13 | | Comments(4)

バレンタインデー

冠婚葬祭・食文化・トイレ事情などと並んで「バレンタインデー」って日本語授業の格好のトピックでしょうね。民族・宗教・国地域・世代などによってさまざまに異なる「プレゼント文化」。授業では「なぜ日本では女の子から男の子へチョコか」「『ホワイトデー』はどうしてできたか」「韓国には『ブラックデー』なんてのもあるそうだ」なんて話をします。そして学生たちの話を聞いてると、「へ~そうなんだぁ、日本語教師やっててよかったぁ」って思う。僕に「異文化理解」がどこまで可能か疑問ですが、僕って「教えられ上手」というか、未知の世界を知るのって好きです。

バレンタインデー音楽って言えば、極め付きはMy Funny Valentineでしょうね。スタンダードナンバーとしていろんなジャンルでカヴァーされていますが、ジャズが一番多いんじゃないでしょうか。いつもお世話になっているYouTubeから今回アップしたのは、マイルス・デイヴィス(Miles Dewey Davis Ⅲ1926-91)ヴァージョン。何年ころの演奏になるんでしょうか。マイルスのディスコグラフィーを丹念に辿れば、この演奏がいつごろで、ピアノはレッド・ガーランドかビル・エヴァンスかハービー・ハンコックかあるいは別の誰かなのか判明するでしょうが、ド素人なのでその辺わかりません。マイルス・デイヴィスは当ブログでも何度か取り上げていますが、もしお時間がおありでしたら2007年1月28日付ジャズる心(1)あたりをお読みください。
映像の最初にA TRIBUTE TO THE LATE GREAT MILES DAVISってクレジットが出ます。先日マイケル・ジャクソンが不幸な死に方をしましたが、マイルスが偉いのは「白人」なんかになろうとしなかったことかなぁと思う。

この曲、日本じゃまだValentine's Dayなんて人口に膾炙されない1937年初演のミュージカルコメディー"Babes in Arms"の中の曲なんですってね。Wikipediaで知りました。このミュージカルは、リチャード・ロジャース(Richard Rodgers1902-79)作曲、ロレンツ・ハート(Lorenz Hart1895-1943)作詞。リチャード・ロジャースはオスカー・ハマースタインⅡとの『南太平洋』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』などが有名ですが、そのコンビを組む数年前のミュージカルになるんでしょうか。ハートの死によって、ロジャースはハマースタインⅡとコンビを組むようになったのかもしれませんね。
"Babes in Arms"は、Wikipediaによると、’a teen-age boy who puts on a show with his friends to avoid being sent to a work farm’って話だそうです。主な登場人物(Characters)もWikipediaに出てるんですが、My Funny Valentine のSusieValentineは出てません。何かご存知の方がいらっしゃったらご教示を。SusieとValentineって「月とスッポン」みたいなんでしょうね。Susieが、funnyでsweet comicなValentineのために歌うこの曲、ボクのような不細工な男、勇気づけられます。顔は御笑い種(Your looks are laughable)、話下手(When you open it to speak, are you smart ?)、姿格好ときたらless than Greek。でもそんなValentine(=ボクでもある!)をSusieは、But don't change your hair for me/Not if you care for me/Stay little valentine, stay!と言ってくれる。そういうの言われたら、自信持てますよね。
"Babes in Arms"は人気があったんでしょうね。1939年にジュディ・ガーランド(Judy Garland1922-69。The Wizard of Ozなど。Liza Minneliのママ)主演で映画化もされています。

バレンタインのチョコをもらえなかった男の子諸君! きっと広い世界のどこかに「君のSusie」っているよ。
バレンタインのチョコをもらえなかった男性諸君。今夜は、自分で買ってきたGODIVAチョコをおつまみに、マイルスのMy Funny Valentineを聞きながらバーボンを1本あけましょう。

(バレンタインデー^^夜・追記)
今日のかねごん先生のブログ「大験セミナーわくわく日記」(右にリンクしてあります)にはチェット・ベーカーMy Funny Valentineがアップされているのですが、そこにコメントを書いてマイルスの参加メンバーを問い合わせたところ、早速ご教示いただけました! ピアノ、ハービー・ハンコックでした。
以下、同ブログでのかねごん先生のお返事より抄出させていただきます。
マイルスのマイファニーバレンタインは、テナーサックスがジョージ・コールマンでピアノはハービー・ハンコックです。ちなみにベースはロン・カーターでドラムスはトニー・ウイリアムスです。
かねごん先生はこのレコードをお持ちだそうです。
かねごん先生、ありがとうございました!
# by tiaokumura | 2010-02-14 13:50 | 音楽 | Comments(2)

黒岩比佐子関連本2冊 『明治のお嬢さま』『春夏秋冬 料理天国』

黒岩比佐子関連本2冊 『明治のお嬢さま』『春夏秋冬 料理天国』_f0030155_143973.jpg
(写真上)
黒岩比佐子
『明治のお嬢さま』
角川書店(角川選書)
2009年11月10日四版(初版は2008年12月10日)
1500円+税
(写真下)
北大路魯山人 解説・黒岩比佐子
『春夏秋冬 料理天国』
中央公論新社(中公文庫)
2010年1月25日初版
648円+税

こうして生きてきてみると決して短くはないボクの六十余年の人生で、でも「生(なま)お嬢さま」なる人種にはたかだか5人しかお目にかかっていない。大学1年のお正月、クラスメートのA家に何人かでお呼ばれした。田舎出のビンボー学生、あのころは「学生服」なんてぇのがあったから、そういうのを着て訪問したんだろうなぁ。で、びっくり、そのご家庭ではお正月に「百人一首」を家族でなさっている! クラスメートのAさん、こりゃ「お嬢さま」だと思った。それから、別のクラスメートで某名門女子校ご出身のHさん。オードリー・ヘップバーン似で、立ち居振る舞いが「お嬢さま」。次は大学3年だったか家庭教師で行ったS家3人姉妹の長女(高校生)。今はどうか、あの頃の家庭教師は実入りもよかったし夕食がついてた。ナイフとフォークの使い方なんかようわからんボク、見よう見真似(恥)。食卓の話題もこれが「上流家庭だ!」って感じだった。休日にはY子お嬢さまのお供で銀ブラ。宝塚観劇や高級料理店での昼食。なんか・・・自分が書生かジュリヤン・ソレルにでもなった気分だった(激爆)。あとのお二方は勤務先のお客様。物好きなお嬢さまもいたもんでお一人にある日デイトに誘われた。デイトといえば昔も今も①歩く時は手を握る、②お金は男が払う、③3回目はキスをする、というビリーフ^^がボクにはあるので、己の信条に忠実に殉じた(自爆)。「お嬢さまって大胆なんじゃなぁ」って思いがけない発見もあった(謎爆)。
現代日本に「お嬢さま」ってどのくらいいるんでしょうね。「お嬢さん」だったら捨てるほどいるでしょうが、「お嬢さま」となるとねぇ(女性蔑視じゃありませんよ^^)。正田家や小和田家や川嶋家、あるいは徳川家とか松平家とかナントカ小路家あたりにいらっしゃるのかも。
本書『明治のお嬢さま』黒岩比佐子が明治時代の「主に華族の令嬢を対象に」(p258)考察している。参考文献に挙がっている書名・雑誌類を見ているだけでもワクワクするが、本書、挿入された写真(p.235「柳原白蓮」など)・図版(pp16・17「現代流行双六」、p127「旧岩崎邸平面図」など)・資料(p116「大名華族家の食費」など)は黒岩ならではのものばかりで、本書を一言で言うならば黒岩の好奇心と探究心が結実した傑作である。表紙カヴァー見返しに著者の写真が載っている。山口智子似の方で(あまりタレントとか知らないのでご勘弁を)、最近の著者の活躍を思うと、どこにそんなエネルギーがあるんじゃろうと、ふと思った。

今の日本には「秀才」はうじゃうじゃいるでしょうが「天才」ってどのくらいいるんでしょうね。スポーツ界・棋界・音楽界などに「天才」と称せられる方々がいますが、どうもピンと来ない。今は情報過多な時代で、僕たちが彼ら・彼女らの「努力(苦労話)」を知っているからでしょうね。そう、「天才」って「努力の跡がない」ってレベルで成り立つような気が僕にはする。近代日本には「秀才」はもちろん枚挙に暇なく、「天才」も数多くいた。更には「天才」を突き抜けた「巨人」(あるいは「怪物」)としか言いようのない人物も。僕が思う「巨人」を没年順に挙げれば、物集高見(1847-1928)・北一輝(1882-1937)・南方熊楠(1867-1941)・出口王仁三郎(1871-1948)・宮武外骨(1867-1955)・北大路魯山人(1883-1959)ら。もし可能なら、物集とはお茶を飲みながら講義を受けたいし、北には思いっきり洗脳されたいし、南方にはお風呂で彼の背中を流しながら外国語学習について聞きたいし、王仁三郎にはモンゴルでの血湧き肉踊る活劇を聞きたいし、外骨にはエロ話を伝授してもらいたい。だが、魯山人となるとどうだろう。「お近づきになりたくないNo1」かもしれませんね(激爆)。
本書『春夏秋冬 料理天国』の「フランス料理について」(pp208-211)も「すき焼きと鴨料理-洋食雑感-」(pp212-218)も、読んでいるとボクのような味覚オンチですら魯山人の鼻持ちならない態度にうんざりしてくるが、でも彼が最も言いたかったのは「自分の識見で物を観、自分の舌で味を知ることができる」(p211)ことなんでしょうね。「道は次第に狭し」に出てくる大根の「トリック」(p20)も、彼にしてみれば当たり前すぎることを言ってるだけなんでしょうが、世の多くの「自称グルマン」「半可通」には傲慢に響いたんでしょうね。ボクは味覚オンチだが、世の中には「おいしいもの」「おいしくないもの」「まずいもの」の3種しかないのだから、己の舌に忠実に生きていけばいいのでしょうね。
魯山人の村井弦斎「批判」は「弦斎の鮎」(pp127-129)に出てくる。それについては黒岩比佐子が解説「”料理王国”の孤高の帝王・魯山人」で触れている(同解説pp301-303)。いつもそうだが、黒岩の「解説」は単著とはまた趣の違った名文で綴られている。僕が黒岩の文章に初めて触れたのは、村井弦斎『食道楽』(岩波文庫)の解説です。
# by tiaokumura | 2010-02-13 14:39 | | Comments(0)

映画『赤と黒』(Le Rouge et Le Noir)・『地下鉄のザジ』(ZAZIE dans le métro)

昨日2月11日(木)午前10時15分、フォルツァ総曲輪(そうがわ)裏口。エレベーターで4F。チケット購入。「シニア料金」があるみたいだけど、あいにく年齢を証明するものを持ち合わせず、でもまぁボクはどっから見ても60歳以上だから(照)なんとかなるかと思い、窓口の男性(ここは確かスタッフはみなボランティアだったと思う。僕もいつかお手伝いしたい)に恐る恐る聞いたら、な・な~んと「木曜日」は大人は一律1000円とのこと。ちょーラッキーっすね^^。ここではこれまでに『殯の森』『死者の書』『花はどこへ行った』や「ノルシュテインのアニメ」などを観ています(確かここだった)。ここ、富山のミニシアターってとこでしょうね。

『赤と黒』(Le Rouge et Le Noir)
監督はクロード・オータン=ララ(Claude Autant-Lara1901-2000)。この監督、ずいぶん長命な方で、人生が「20世紀」とぴったり重なっています。京橋に近代フィルムセンターがあって(今もある?)、そこの「フランス映画特集」でオータン=ララ監督の『肉体の悪魔』(1947)や『青い麦』(1953)を観た記憶がある。本作は、オータン=ララ監督がジュリヤン・ソレル(ジュリアン・ソレルとも。Julien Sorél)役にはジェラール・フィリップ(Gérard Philipe1922-1959)しかいないと口説き落として実現した、1954年公開・192分の大作。レナール夫人(Mme de Rénal)にダニエル・ダリュー(Danielle Darrieux。『輪舞』やカトリーヌ・ドヌーヴとジョージ・チャキリスの『ロシュフォールの恋人たち』などに出演)、公爵令嬢マチルダ(Mathilde de la Mole)にアントネラ・ルアルディ(Antonella Luardi)、小間使いのエリザ(Elisa)にアンナ=マリア・サンドリ(Annna-Maria Sandri)など。
『赤と黒』は初めて観る映画です。ご存知の方が多いでしょうからあらすじは省略し、映画の流れをご説明。前編・後編から成り、シーン展開の合間合間に原作『赤と黒』のページが挿入される。冒頭シーンはジュリヤンの裁判。裁判官に「何か言うことはないか」と聞かれ-あの時代、こういうときには何も言わなかった/言えなかったんでしょうね、でも、-ジュリヤンはこの裁きの不当性を訴える。つまり、裁く側は上流階級、裁かれる者(しかもせいぜい殺人未遂の罪)は下層階級-これは「階級裁判」だってことでしょうね。そこから物語は時を遡って、知性と美貌の持ち主ジュリヤンがレナール町長の家に家庭教師として入る場面へ。ジュリヤンとレナール夫人との「恋愛」、そして小間使いエリザの匿名手紙で窮地に陥るジュリヤン。レナール夫妻の次子の病気で、ジュリヤンはレナール夫人に「この子が治ったら別れる」という誓いを立てさせられる。次子は快癒し、ジュリヤンは神学校に行くことになる。そこでピラール司教と出会う。後編、ジュリヤンはピラール司教に伴われラモール公爵邸に。才気煥発なジュリヤンはやがてラモール公爵に引き立てられていく。ジュリヤンと公爵令嬢マチルダの「恋愛」。そしてレナール夫人の告発の手紙がきっかけで、激情に駆られたジュリヤンは教会でレナール夫人に発砲する。裁判、死刑判決、収監。収監中のジュリヤンの許を訪れるレナール夫人。二人は「愛」を確かめ合う。映画の最後は、処刑台へと向うジュリヤン、そして処刑3日後のレナール夫人の死を告げる文章。
ジュリヤンについて考えていて、馬鹿な連想かもしれませんが、朝青龍を思いました。朝青龍についてはブログに書こうと思っているのですがまだ実現していません。いつか「多文化共生」をキーワードに朝青龍引退を考えてみたい。
ジェラール・フィリップ、『肉体の悪魔』『輪舞』を観、『モンパルナスの灯』(『男と女』のアヌーク・エーメ共演)も観ています。モディリアニの自伝的映画。モディリアニの死を知った画商が「これで彼の絵が高く売れる」とほくそえむシーンが印象に残る。今回初めて知ったのですが、ジェラール・フィリップはモディリアニと同年で亡くなっている。ジェームズ・ディーン赤木圭一郎ジェラール・フィリップも、夭折した男優としていつまでも人気があるのでしょうね。
ジェラール・フィリップでもう一つ。彼の朗読の『星の王子さま(Le Petit Prince)』のレコード、かつてありました。今はCDで出てるみたいです。

『地下鉄のザジ』(ZAZIE dans le métro)
監督・脚本はルイ・マル(Louis Malle1932-95)。こちらは初めてじゃなく、観るのは2回目か3回目です。上述の「フランス映画特集」かあるいは渋谷・池袋・新宿・銀座などの「名画座」系で観た記憶がある。今はすっかり記憶アホになったボクですが、若い日の記憶ってけっこう残ってるもんですね。今回観ながら、『地下鉄のザジ』のいろんなシーン、覚えてました。
1960年公開作品・93分。田舎からママとパリにやってきたザジ。ママは恋人との逢瀬を楽しむってことで、おじさんのもとに預けられる。パリで「地下鉄(métro)」に乗るのが一番の希望のザジだが、あいにく地下鉄はスト決行中。不満一杯のザジが繰り広げるドタバタ劇。まわりの大人も存在感のある濃すぎる人物ばかり。この映画、パリ・リヨン駅を皮切りに、サン・ヴァンサン・ドゥ・ポール教会、のみの市@クリニャンクール、パッサージ・ドゥ・グラン・セール、ビル・アケム橋@セーヌ川、モンマルトル、エッフェル塔と、パリ市中見物もできます。原作はレーモン・クノー(1903-76) 『地下鉄のザジ』で(中公文庫に原作が入っているそうです)、フランス語がわかる人にはそのふんだんなことば遊びも映画で楽しめるでしょうね(字幕は寺尾次郎の新訳)。
ザジ役にカトリーヌ・ドモンジョ(1948-)、彼女、僕より二歳年下。彼女はゴダールの『女は女である』(1961)にも「ザジ」で出演してたそうですが、覚えていない。おじさん役がフィリップ・ノワレ(1930-2006)、『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)の映写技師、彼です。
『赤と黒』が正統派映画(文芸超大作)であるのに対して、『地下鉄のザジ』ヌーヴェル・ヴァーグを代表する作。それまでの映画文法やカメラワークを破壊する作品。空撮もCGもデジタル処理もない時代によくこれだけの映像が可能だったもんだと驚く。高所恐怖症のボクなんぞ、エッフェル塔(Tour Eiffel)の長いシーン、ず~っと足を震わせながら観てました。いい映画ですが、最後のレストランでのハチャメチャは長すぎた気がするけど、どうなんだろう。
ルイ・マル監督は『地下鉄のザジ』もいいですが、1作を挙げるなら『死刑台のエレベーター』(Ascenseur pour I'Echafaud)でしょうね。彼のデビュー作です。不倫関係の男女を、モーリス・ロネとジャンヌ・モロー。マイルス・デイヴィスの音楽もcool! 同じパリを舞台にサスペンスの『死刑台のエレベーター』とスラップスティックの『地下鉄のザジ』を作るんですから、ルイ・マル監督は(他のヌーヴェル・ヴァーグの監督たちもそうですが)才気あふれる監督ですよね。

今回の『赤と黒』は「ジェラール・フィリップ没後50年」「デジタルリマスター版」。同映画の公式サイト(日本語)はこちら
今回の『地下鉄のザジ』は「作品生誕50年」「完全修復ニュープリント版」。同映画の公式サイト(日本語)はこちら
# by tiaokumura | 2010-02-12 20:59 | 映画 | Comments(0)