人気ブログランキング |

惣万佳代子「わが半生の記 越中人の系譜」(北日本新聞)

f0030155_18285015.jpg
もうかれこれ8年ほど前になるか。その頃僕は「サンフォルテ フェスティバル」の実行委員をボランティアでやっていた。このフェスティバルは男女共同参画社会実現がテーマのイベントで、実行委員は10人くらい。月1くらいのペースで集まり約1年間の活動。実行委員は「シンポジウム」も企画し、その人選・交渉などもした。シンポジウム当日、パネリストの惣万佳代子さん竹嶋身和子さん(韓国雑貨「チング」店主。先日、北日本新聞にご結婚報道記事が出てた)・相本芳彦さん(KNBの人気アナ)、コーディネーターの浅生幸子さん(当時は大学非常勤講師だったか。現在は富山市議)が集まって事前準備をなさってるのを見て、僕はずいぶん感動してじーんと来たのを今でもよく覚えている。シンポジウムメンバーの人選・交渉、僕はずいぶん力を入れてたんですね。僕にとっては、このメンバー、松坂・イチロー・松井秀喜・福留が集まったようなもんだったんです(←ようわからん比喩かもしれん^^)。
惣万佳代子さんのシンポジウムのご発言で今でもよく覚えていることが一つある。惣万さんの名や彼女の始められた「富山型デイサービス」が世間に知られ始めた頃、彼女はある社長から「惣万ちゃ、女にしとくがもったいない」と言われた。その社長にしてみれば、惣万さんの力量を高く買って「女にしておくのはもったいない人材だ。男だったらもっとすごいことができるだろう」くらいの意味で言ったのでしょうが、当のご本人にはカチンと来た。「わたし、別に男になりたいとちゃ思わんが。女であることで、とても幸せだちゃ」(これは正確な引用ではないが)と思ったそうな。そりゃそうですよネ。なお富山弁わからない方もおられるでしょうが、僕にとって「惣万さん=富山弁」なので引用も富山弁にしました。
北日本新聞(富山県内の有力紙)の「わが半生の記 越中人の系譜」シリーズ、5月23日からは惣万佳代子さん。かつて高野悦子さんも執筆された(このブログこちらでご紹介)シリーズです。全15回くらいの連載か。惣万さんの前は山下節子さんで、山下さんは僕がサンフォルテでボランティアをやってたときの館長。年度をまたいでいて山下さんは館長交代で途中で辞められましたが、何度かお会いして激励・感謝されました。このシリーズで山下さんの次が惣万さんっての、僕には不思議な感じがします。また、このブログの5月14日阪井由佳子さんを取り上げたとき惣万佳代子さんについても書いてるので、これもまた不思議な縁を感じる。なお、惣万さんの「このゆびとーまれ」、阪井さんの「にぎやか」、共に右の「リンク集」にリンクを貼ってあります。ご関心のある方はアクセスを。

さて、今回の「わが半生の記」、今日5月23日で連載5回目終了。
惣万佳代子さんは今や「全国区」でしょうが、ご存じない方のために連載第1回の執筆者紹介から以下引用。
そうまん・かよこ 昭和26年生地町(現黒部市)生まれ。富山赤十字高等看護学院卒。48年から富山赤十字病院に看護師として勤務。退職し、平成5年、看護師仲間と富山市富岡町で民営デイケアハウス「このゆびとーまれ」を開所、子ども、お年寄り、障害者が一つ屋根の下で過ごす「富山型デイサービス」を始める。11年県内初のNPO法人となる。富山ケアネットワーク会長、託老所・グループホーム全国ネットワーク代表世話人を務めている。
「このゆびとーまれ」で僕がずっと疑問に思ってることが一つ。当初はその表記が「このゆびと~まれ」だったように記憶してるんですが、いつの間にか「このゆびとーまれ」になっている。僕の記憶間違いかなぁ。どうでもいいことですが^^。
この連載、毎回惣万佳代子さんらしいエピソードが出てきます。全部終了したら、そのあたりも含めてもう一度このブログで取り上げます。
今日は滑川高校生時代の話だった。この後、日赤看護婦時代、「このゆびとーまれ」の立ち上げ、秋篠宮夫妻(皇太子夫妻だったか)の「このゆびとーまれ」訪問、全国各地での講演活動、「にぎやか」を初めとする「富山型デイサービス」の広がり・・・などと続くのではないでしょうか。続きを読むのがとても楽しみです。
# by tiaokumura | 2008-05-23 18:28 | NPO | Comments(0)

『地域の力』『数学にときめく』『日経1年生!』

f0030155_18383835.jpg
(写真左から)
大江正章(1957-。出版社コモンズ代表)
地域の力-食・農・まちづくり
岩波新書(岩波書店)
2008年4月24日 第3刷
(2008年2月20日 第1刷)
700円+税

新井紀子・ムギ畑
数学にときめく あの日の授業に戻れたら
ブルーバックス(講談社)
2007年12月3日 第3刷
(2002年6月20日 第1刷)
940円+税

長谷部瞳と「日経1年生」製作委員会
日経1年生 経済記事って、本当は身近で面白い
祥伝社黄金文庫(祥伝社)
平成20年5月5日 第2刷
(平成20年4月20日 初版第1刷)
571円+税

これら3冊の本、たまたま博文堂さんから一緒に配達されただけで、相互に関係はありません。念のため。
1冊目。「仕事を創り、いのちを守り、人が集う魅力を発信する各地の実践をルポ」。この本が出ることは岩波書店のPR誌『図書』1月号で知っていましたが、買わなかった。で、「富山」が取り上げられているというのを最近になって知って買いました。パトリオット奥村の面目躍如かも(激爆)。本書第7章「公共交通はやさしい」で富山市内のライトレール(ポートラム)・高岡市内の万葉線が登場し、その成功の要因・今後の課題、更には「路面電車の公共交通におけるメリット」がまとめられている。富山以外では、島根県雲南市・兵庫県相生市・徳島県上勝町・北海道標津町・高知県梼原町などが、酪農・商店街・福祉・地産地消・林業などのテーマの下に取り上げられている。
「地球規模で考え、地域で行動する(グローカル)」-意識する・しないの差はあるにせよ、ここで紹介されている各地の実践は「グローカル」ということになるでしょうね。また官主導ではなく、市民が参加から更に参画にまで進化している点も共通。「富山市だからできたんだ」「うちの地域には四万十川なんてないもん」と、本書に出てくる地域を特別な地域での成功例ととらえる見方もあるでしょうが、本来は豊かな「地域の力」が備わっている日本、どの地域も決してあきらめることはないのではないでしょうか。「若者・よそ者・馬鹿者」と言う言い方がありますが、これに「女性」を付け加えた人々が地域の活性化の核になっている-これも本書の地域の多くに共通する点だと言える。

2冊目。この本は新刊ではありません。「ムギ畑」は勝間和代の本を読んでいて知った。ワーキングマザー(及びその予備軍)のためのサイト。会員制ですが、非会員も読める部分もあり、ときどき覗いています。ボクって会員になるの無理ですもんね^^。その「ムギ畑」にこの本の広告が載っていました。新井紀子は初めて知った名前。一橋大学法学部卒→イリノイ大学数学科博士課程修了、といういささか変わった(ごめんなさい)経歴の方。ま、法学と数学ってその論理性を重視するところは共通するのかもしれませんが、どちらもボクにはようわからん学なんで、新井さんのようなキャリアの方は、なんか・・・僕とは別世界の方のように思われます。
本書は、ムギ畑の掲示板「算数教室:乙女の花園」の投稿がベース。出てくる問題は「中学校以上の数学的知識は仮定していません。国語がわかりさえすれば取り組めるような問題で、解法がひとつに定まらない、答えも場合によってはひとつに定まらないような問題ばかりです」(本書pp.7-8)。新井紀子先生の出題に対するお母さん方の力業の解答、エレガントな解答、ひらめきの解答、おどおどした解答、これでどうだ!的解答・・・いろんな解答があって楽しい。本当は僕も問題(これまでに見たり聞いたりしたことのある問題もある)にチャレンジすべきなんでしょうが、かなりチンプンカンプンで(中には問題の意味さえようわからんのもあった^^)、専らお母さんたちの「解答」や新井先生のコメントを読み耽るほうにエネルギーを使っています(照)。感動することの多い本で、(まだ全部読んでないのですが)とりわけ「第5章 2のπ乗を定義しよう」の「よっちゃん」さんの解答(pp.84-88)は新井先生も書いていらっしゃるように「あんまり感動してしまって、うっかり涙」モノです!

3冊目。新聞が部数減に悩む中で、唯一「日本経済新聞」が部数を伸ばしているというのを聞いたことがある。渡辺淳一『失楽園』も部数増に一役買ったかもしれませんが^^、何と言っても記者諸氏の新聞作りに懸ける情熱がいい結果をもたらしているように思う。週にせいぜい2回くらいしか日経を読んでない僕なので、断言はできないし、全紙面を読むのは不可能なんですが、企画の立て方・記事の書き方は今ある新聞各社の中でトップなのではないだろうか。それにひきかえ例えば朝日新聞。ここのところしばしば「四川」を1面に持って来てますが、お涙頂戴式の感動話や中国当局批判の暗示。地震災害それ自体は非難すべき材料ではないのですが、1面にこんなにしょっちゅう載せるのはいかがなものかと思う。現地の人の発言の引用も効果的に織り込んでいるつもりでしょうが・・・なんだか違和感を感じる。甲子園高校球児の取材と同じ目線でやってるんじゃないだろうか。高校野球の逸話も、多すぎるとウサン臭く感じるのは僕だけだろうか。
そうそう、本書の話だった(汗)。「長谷部瞳」って僕は全く初めて聞く名前ですが、ウィキペディアにも出てるので有名人気タレントなのかもしれない。「経済オンチ」な長谷川がポッドキャスト番組で日経の西川靖志からジャスダック、ファンド、中国経済、サブプライムローンなどについて教わる。他に、東証見学、日経の読み方なども所収。
就活中の大学生にお薦めの本かもしれませんね。この間、AERA5月19日号の「『ゆとり社員』で職場崩壊」「泡のように消え去るバブル新入社員」「たった1カ月で辞める新入社員」を読んだんですが、・・・う~ん、他人事ながらなんか心配になりました。
# by tiaokumura | 2008-05-22 18:38 | | Comments(0)

白山茶屋、再び

f0030155_20253118.jpg
(5月21日夜・記)
昨日5月20日は金沢日。仕事を終えて、先週に引き続き金沢駅東口すぐ近くの「都ホテル」地下にある「白山茶屋」に赴く。前回は都ホテル内で迷ったけど(恥)、今回は学習効果^^なんでしょうね、迷わずにお店に辿り着けました。
先週はカウンター椅子席2つくらいしか空いてなかったのだけど、今回はカウンターに5席くらい空いていた。着席。今回は、哲ちゃんこのブログの先週の「白山茶屋」記事のコメントに書いてくれてた「『』をやや熱めの燗」+「『おでん』が美味」というアドバイスに従う。「おでん」、メニューから「いとこん・じゃが芋・大根・竹の子・すりみ」を選ぶ。ここで驚いたことが一つ。先週と同じ女性がオーダー取りだったんですが、彼女、僕が一息に注文したおでんネタを復唱しない。「大丈夫なんかや?」と心配したのですが、運ばれてきたネタ、全く僕の注文通り。いやぁ、驚きました、彼女、すっごいプロです。「『』やや熱めの燗」の方は、最初一口目に口に含んだ熱さがもうちょっとあったほうがいいように思い、件の女性にそう言う。ボク日本酒の味ようわからんのに失礼な注文だったかもしれん。温めなおして運ばれてきたお燗、ちょうどに思った。先日亡くなられた標交紀さん(しめぎ ゆきとし。井の頭公園への下り坂にある「もか」の店主。2007年12月24日ご逝去。享年67歳)がコーヒーをたてる時の温度1℃にもこだわられたエピソードを、ふと思い出した。
「菊」は、「やや甘口。濃醇なる甘旨味で、酒の本来もつ色を、そのままにしている。(黄金色です)」とメニュー(居酒屋だから「お品書き」か)に書いてあった。後で隣り合わせた御仁に聞いたところ、「以前はもっと黄金色だった」とのことでした。
今回は先週とは違う肴に挑戦。「おでん」もそうですが、先週いただかなかった「焼魚」、「あじ・ししゃも・はたはた」を選ぶ。ところが「あじ」は売り切れで、「あじ→はちめ」にする。
今回座ったカウンター席から壁を眺めると、「店内のご利用は、2時間以内でお願い申し上げます」なる文が貼ってあった。これ、こないだ名古屋で丸山茂樹先生たちと行った石鍋裕プロデュースの焼鳥店にも掲示してあった。こういうの流行りなんでしょうか。
お酒2杯目、「」にする。「晩酌時におススメ。少し辛口の飲みあきしない、旨味のバランスあり」だそうです。冷酒ハーフ。でも、飲む順番、ボク失敗したみたい。あまり進まず、ハーフなんにその半分以上残してしまった。日本酒はようわからん男なんで間違ってるかもしれませんが、飲む順番、「姫」冷酒→「菊」やや熱燗、の方が、酒の味も酔い加減もベターだったんじゃないだろうか。
〆は「サケ茶漬」。
これだけ飲み食いして、お値段は3000円弱だったか。

このブログに新しいカテゴリーを設けました。題して「美味録08年」。ブリヤ=サヴァラン(J. A. Brillat-Savarin。1755-1826)に倣って「美味礼讃」(原題はめっちゃ長い)と思ったのですが、そんな美食家じゃないんで、「僕が食べたり飲んだりしたおいしいものの記録」ぐらいの意味で「美味録」と命名。ずっと以前に遡ってカテゴライズはせず、先週・今週の「白山茶屋」の記事を「美味録08年」の第1号・2号としました。

なお「菊姫」の公式サイトこちらで、そこでは「菊姫合資会社代表」による「加賀菊姫考」(『言継卿記(ときつぐきょうき。16世紀の日記)』が「加賀の菊酒」の初出文献だそうです)も読めます。

どうでもいい余談なんですが、この写真でしみじみ自分の顔を眺めると(照)、ボクって、鼻から上唇にかけて頂角が30度の細長い二等辺三角形くっきりなんですね(激爆)。
# by tiaokumura | 2008-05-20 20:25 | 美味録08年 | Comments(2)

雨宮処凛『雨宮処凛の闘争ダイアリー』(集英社)

f0030155_18331768.jpg
雨宮処凛(あまみや かりん。1975-)
雨宮処凛の闘争ダイアリー
集英社
2008年5月10日 第1刷
1400円+税

オルレアンの乙女が生れてから563年と23日の時を経て、日本国北海道に生まれたのが雨宮処凛である。ジャンヌ・ダルクは百年戦争という時代の渦中にあってイングランドと闘ったが、時空を超えて雨宮は「新自由主義」が席捲する「今」にあって国や企業に反撃ののろしを上げた-などと言うと扇情的すぎるか。
本書は『マガジン9条』web連載2007年3月21日~2008年2月27日の集大成。雨宮をご存じない方のために、本書の著者紹介を以下引用。
1975年北海道生まれ、21歳のとき、右翼団体に入会。愛国バンド「維新赤誠塾」でボーカルとして活動。
99年、右翼団体を脱会、同年、ドキュメンタリー映画『新しい神様』主演(土屋豊監督)。00年、自伝『生き地獄』(00年太田出版、07年ちくま文庫)でデビュー。
著書に『生きさせろ!難民化する若者たち』(太田出版)、『右翼と左翼はどう違う?』(河出書房新社)、『プレカリアート』(洋泉社)、小説に『暴力恋愛』『パンギャル ア ゴーゴー』(講談社)など。
現在は生活も職も心も不安定に晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。


このブログで雨宮本を取り上げるのは2回目。こちらもご参照ください。
最近の朝日新聞では、5月18日に「それってサヨク?」として雨宮への聞き書きがまとめられている。そこで雨宮は
・・・私たちの運動は、右や左といった思想を出発点にしているわけではない。(略)貧困という生活の実感に根差した生存運動なのだ。(略)自ら動けば社会は変えられるのだと気づき、闘うことが楽しくなってきた。生存をかけた反撃が始まったのだ。
と語っている。
また同じく朝日新聞5月19日には、早野透(朝日新聞コラムニスト)が雨宮たちの5月8日の「自由と生存のメーデー」を枕に「『優しさの連帯』つくれるか」という記事を書いている。
早野にも出てきますが「蟹工」「ロス・ジェネ」といった言葉、今やすっかり定着してるんですね。

自らは「安全地帯」にいて雨宮を応援するのは言ってみれば「ずるい」のだが、雨宮たちの運動を支持したい

以下は雨宮とは関係ない話です。
このブログ、ここ数週間は1週間500人前後のご訪問。こんな地味なブログにそんなにもアクセスあるってことはオドロキなんですが、実は昨日・今日とタイヘンなことになっている。昨日はなんと299人。いっそのこともう1アクセスあってきりのいい300だったらよかったんにぃと思わんでもないのですが^^、これまで約2年半の歴史?があるこのブログ、これまでに1日200人超なんて3日もあったかどうか。それが一気に299人と新記録。で、更なるオドロキ^^、今日、午後8時現在で500人を超えてしまってる!
ひょっとして「2ちゃんねる」なんかで言う「」とか「炎上」も考えたのですが、幸い今のところコメントにもトラックバックにもそれらしい気配はない。つまり、これも2ちゃんねる風に言えば「祭り」状態なんでしょうね、ここ。で、それって「嬉しい」というよりは
いったい全体どうなってるんじゃ
ってのが実感で、正直ちと怖い。この状態、昨日・今日だけの「一過性」で過ぎてくれればいいのですが。
う~ん、本当にいったいどうなったんでしょうねぇ、1日500を超えるアクセスなんて。ご訪問いただくのはとても嬉しいのですが、ここまでの数になると・・・不思議&不安。
# by tiaokumura | 2008-05-19 18:33 | | Comments(0)

お知らせ

写真アップだけのままだった記事14本、昨日・今日で文章を貼りました。
お暇な折にでもお読みいただけたら幸甚です。
  奥村隆信(当ブログ主宰者)敬白
# by tiaokumura | 2008-05-18 20:05 | このブログのこと | Comments(0)

中国政府の対応に疑問を感じる

写真をアップしたままで未編集ばかりが続いているこのブログ、今週末を利用して記事もアップしようと思いますので、しばしご容赦を。

富山国際学院の給料は、月末締めで(たぶん)翌月10日に「ゆうちょ銀行」に振込み。以前は地銀に振込だったんですが、去年だったか郵便局になりました。
3月まで僕は身分は「非常勤講師」だったので、「授業時間数×時間給+職務手当+交通費」でしたが、この4月から「専任」になって「月給」制になりました。その初月給(照)、昨日14日に郵便局で振込確認。
僕は「月給○○万円」。で、給与明細を見ると「給与総額-健保-厚保及び基金掛金等-社保等計-所得税」といった計算の末、4月分は「手取り△▽万1246円」でした。
3月までの「塾+日本語教師」のWワーカー生活が、4月から日本語教師一本槍になったので、これからは富山国際学院での給与が僕の収入の全てなのかなぁ=この給料で生活していかなければならないのだなぁ、と思うと「ヤバイ、節約しなきゃ」(嘘爆)とも思いますが、決して豊かではない富山国際学院がボクなんかにここまでの給料を支払ってくれることに感謝、です。
この時期、日本各地で新入社員が「初月給」を手にしたことでしょうね。初月給から両親や恋人にプレゼントをしたり、あるいは自分へのご褒美や自己投資に使ったり・・・いろいろ思案し実行してることでしょう。「初月給」と言うにはいささか^^とうのたったボクも、せっかくの初月給どうしようか考えた。僕の場合、学習塾を始める前に勤めていた「(株)進研」でもらったのが最後の「月給」だったから、それから実に約30年近くぶりの「月給」になります。大型の辞書を買おうか、ビジネス小物を買おうか、家族に何かをプレゼントしようか・・・あれこれ考えているところにミャンマー、そして四川の災害発生。そこで、月給の約1割とささやかな額ですが、義捐金を送ることで「初月給記念」にしました。ミャンマーの場合、ちゃんと被災地に届くか心配ですが、被災地の復興に役立ってくれると嬉しい。

四川で大地震が発生し、中国に対して世界各国から人的支援の申し出があったにも関わらず、中国政府はその申し出を断っている。僕はそのような中国政府の対応に疑問を呈したい。
僕自身は戦争も災害も経験ないのだが、その悲惨さについてはある程度わかっているつもりでいる。地震の場合、初期段階での対応が非常に重要である。大地震発生1時間、6時間、半日、1日後、2日後と、時間が経てば経つほど、救われる可能性があった人命が失われていく。単純化して言えば時間経過と救命率は反比例の関係にある。
なぜ中国政府は世界各国からの人的支援を断ったのか。
ミャンマーのような軍事政権下の閉ざされた国家であれば、外国人が入ることで国家「秩序」が紊乱されることへの危惧があると、それはそれなりに彼の国の「論理」だと解釈できる。だが中国はミャンマーとは違うはずだ。「人権」「チベット」が、各国の人道支援によって中国側にとって更に困難な問題化することも考えたのかもしれない。だがそのような「政治的思惑」は不要である。素直に人道支援を受け入れればいいのである。冷戦下の時代であったら「敵国」の窮状につけこんでこっそりスパイや不穏分子を送り込むこともあったが、今はそんな「マンガ」みたいなこと、どこの国もしないだろう。
あるいは、いい意味でも悪い意味でも「面子」を重んじる国=中国。外国人によって中国人民が助けられるのを潔しとしないのかもしれない。だが「面子」も時と場合によりけりである。むしろ、外国人の救援を受け入れなかったために人民の命や財産が失われたと考えた中国人民の怨嗟の声が沸きあがることを恐れるべきである。一般人民にとって、自分たちを救ってくれたのが自国政府であれ外国人であれ、大した問題ではないのではないだろうか。それとも中国政府はかつての日本軍が沖縄でやったような振る舞いをしてもいいと思っているのだろうか。いや、決してそんな愚かな中国政府ではあるまい。

中国政府は今回の国際社会からの人的支援を速やかに受け入れるべきであった。中国も唐山を契機に地震対策も行われて来ているのだろうが、それでも欧米や日本ができることはたくさんある。欧米や日本には自然災害に対するノウハウが中国よりももっと蓄積されている。
今回の中国政府は、例えば以下のようにすればよかったと僕は思う。
世界各地からの支援の声を可能な限り受け入れる→人民解放軍の最精鋭部隊を最も救援が困難な地域に派遣し、以下、解放軍の能力に応じて2番目・3番目・・・に救援が必要な地域に派遣する。→世界各地から派遣されてきた人々や犬を必要に応じて人民解放軍に付き添わせる。→外国人に任せられそうな地域は地元警察や働ける人民と一緒に活動させる。
細かい救援作戦は素人なので分からないが、上のようなプランでいけば、中国の「面子」も立つのではないだろうか。もちろん、「面子」なんかより、人民の命・生活のほうが大切である。人民なくして国家なし、である。

一刻も争う危機においては一瞬の判断がその後の結果を大きく左右する。今回の中国政府の対応が後世に大きな禍根として残らないことを願う。
中国の「中」は「中くらい」と言う意味ではなく「中華=世界の中心」の「中」。大国中国には「大人(たいじん)」という言葉もある。大国・大人は、今回の人的支援を遠慮なく受け入れることによって、一層の大国・大人と認められることになる。偏狭なナショナリズムなのである。日本語には「困った時はお互い様」という言い方がある。正にその通りなのである。今回は遠慮なく助けてもらって、またいつか中国が他国を助ければいいのである。
こんな僕の考えは甘っちょろい?

PS
tubomimさんのブログに、次の記事がありました。

为死难者祈祷

中国在住のxiaohouziさんが書いた詩を転載いたします。(他在中国进不了エキサイト)

蓦然恶耗传,山崩地且裂。
岷江水倒流,蜀道从此绝。
广厦千万间,顷刻化为烟。
眼底淋淋血,身受骨肉残。
呼儿母顿足,周公泪潸潸。
八方赴汶川,汶川雨犹寒。
呜呼!
恨我无双翅,空望巴山阙。
恨我老无力,惭对扬子泣。

xiaohouzi

# by tiaokumura | 2008-05-15 20:35 | このブログのこと | Comments(2)

「人間ドキュメント 阪井由佳子さん」(『週刊女性』より)

f0030155_1961733.jpg
高齢者、障がい者、幼児を受け入れる「富山型デイサービス」を始めて12年
阪井由佳子さん(39)
NPO法人「デイケアハウス にぎやか」理事長

-「週刊女性」より-

(5月18日午後・記)
5月10日は富山県民会館で「アジアの夢コンサート」のボランティア。舞台上手袖に待機してマイクのセッティングが主な仕事。で、ちょっと時間があいたので、ロビーに出てみたら、阪井由佳子さんとバッタリ出会った。思わず、ハグしちゃい合いました(爆)。阪井さんとはまだ数回しか会っていませんが、二人のあいさつは「ハグ」なんですね(照)。やがていつか「チュー」になるかも(嘘)。彼女のお人柄、なんでしょうね、人見知り激しいボクですが、そういう挨拶が抵抗なくできる方です、阪井さんは。
で、「週刊女性」のこと話してて(事情がわからない方は、このブログのこちらご参照)、あの時彼女は「週刊女性」に予定通り載ったとのことでした。読みそこなって残念がる僕のために、阪井さん、後日その記事のコピー送ってくれるとお約束。そして届いたコピーが写真。
阪井さんのことはこのブログでも何回か書いている。今回の記事では、ある日の「にぎやか」の描写から始まり、彼女の少女時代・理学療法士時代と続く。結婚・出産・離婚、理学療法士としての限界。やがて、今日の阪井さんの活動に直接つながる惣万佳代子さん(「このゆびと~まれ」)との出会い。そして、97年3月、「デイケアハウス にぎやか」を立ち上げる。
阪井由佳子さんとは4年ほど前に初めてお会いしたかなぁ。富山国際学院の学生にボランティア体験をさせたくて、まだ面識もないのに「にぎやか」にTELしてボランティアをお願いした。ただし、彼女の名前を知ったのはもっとずっと前、2000年頃。その頃僕は「サンフォルテフェスティバル」という男女共同参画関係のフェスティバルに実行委員(ボランティア)として関わっていた。そのとき実行委員によるシンポジウムを企画し、パネリストに惣万さん・竹嶋さん・相本さん、コーディネーターに浅生さんを人選し(今にして思うと図々しい男で、ほとんど僕好みの人選であった^^)交渉にもあたった。阪井由佳子さん(当時は30なりたてということになる)のお名前は、そのときの実行委員の一人から聞いた。で結局、パネリストは惣万佳代子さんになったが、阪井さんの名は僕の記憶に残っていた。
ま、そんな昔話はどうでもいいことで(汗)、今回の「週刊女性」の記者氏、プロだから当たり前なんでしょうが、阪井由佳子の半生や彼女の魅力をみごとに伝える文章。同記事の見出しだけ以下引用。
「どんなにボケとっても、/障がいがあっても/いつでも待っとるよ」
理学療法士として働いていたが/施設のシステムに限界を感じて
預けるほうも預けられるほうも/遠慮しなくてもいい所だから・・・
"看取り"を体験してわかった/『死』を受け入れるということ


週刊誌の性質上、どこかの図書館で見られるってのないでしょうね。阪井さんにコピー送ってもらってラッキー(照)でした。

阪井由佳子さん、記事コピーありがとうございました。
阪井さん、「にぎやか」「かっぱ庵」のスタッフの皆様、
学院生連れてまたボランティアに伺いますので
その節はいやがらんと^^
受け入れてくだいね♪

# by tiaokumura | 2008-05-14 19:06 | 富山 | Comments(0)