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嶋田和子先生と@昼食

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(8月12日午前・記)
平成24年度日本語学校教育研究大会@オリセン、1日目・8月10日(金)はカルチャー棟で。
午前10時開会。開会挨拶、大会趣旨説明の後、
基調講演 鈴木孝夫(慶應義塾大学名誉教授)「今こそ、日本語の出番だー日本お返し論―」
鈴木孝夫(すずき・たかお1926-。『閉ざされた言語・日本語の世界』『対論・言語学が輝いていた時代』『日本語教のすすめ』など)はビッグネームなのでご存知の方、多いでしょうね。鈴木節炸裂^^ってな印象の講演でした。日本人は日本語を奪われた経験がない、世界に6000とある言語の多様性、英語が唯一の共通語になることへの危惧、日本人の白人コンプレックス、「日本人離れしている」が褒め言葉である奇妙さ、文化は人間と生の自然との中間透明な緩衝装置である、日本語は感性が生きている言語であり日本は感性が残っている唯一の文明国である、など。鈴木先生は石川英輔(いしかわ・えいすけ1933-)を高く評価してらっしゃいました。
昼休み、光栄にも^^嶋田和子先生(アクラス日本語教育研究所)と昼食を摂る(アップした写真がそれ)。嶋田先生が「アクラス研究所」を立ち上げられた経緯・『できる日本語』のこと・介護のことなど、興味深い話がいくつも聞けた。先日のブログ記事に載せましたが、嶋田先生は、僕の大学時代のサークル「学生文化会」の仲間・郡場典子さんと都立西高校同期でお友だち。It’s a small world!です。食事を共にした同僚の粕谷謙治さんは今回発表する「シャッフル授業」について嶋田先生のご意見が聞けて有意義なランチタイムになった。
嶋田和子先生、ご多忙な中昼食にお付き合いいただきありがとうございました!
富山国際学院同僚の宮田妙子さんのブログ「『ダイバーシティとやま』な日々」に嶋田和子先生の詳細な紹介記事があります。こちらご参照。

昼食後、ポスター発表を見る。全6件のうち、
安達万里江(京都日本語学校)「上級『書く』授業におけるポートフォリオ評価の導入に関する実践報告」
本間恭子(長沼スクール東京日本語学校)「エッセイ教室の試み」
大水利之・香川泰(メロス言語学院)「留学生によるボランティア活動の取り組みに関する実践報告―複合的コミュニケーション能力養成を視点としてー」
井上正子・岩瀬理美・播岡恵(ラボ日本語教育研修所)「初級における『サバイバルタスク』の実践報告」
佐久間みのり・蛯子みな子・大橋ゆき子(石川学園横浜デザイン学院)「対人関係を意識したミニドラマ作成による会話練習」

の5件を見る(敬称略)。発表者に質問も少しできた。

今年が1回目になる「日本語留学生進学先評価アンケート結果発表、上位校表彰」。このアンケートには、同僚の徳橋陽子さん・粕谷謙治さんの意見を聞いてうちも答えておいた。大学(理工系)は東京電機大学、大学(文系)は明治大学、専門学校は工学院がそれぞれベスト1だった。全国に400以上ある日本語学校のうち首都圏が圧倒的に多いので、アンケート結果で選ばれる大学・専門学校が首都圏に集中するのは当たり前なんでしょうね。うちが投票した3校は全然選ばれませんでした^^。

14:20からパネルセッション。テーマは「人材育成と日本語学校教育」で、前半が
モデレーター黒崎誠(ラボ日本語教育研修所)
パネリスト生山浩(日本電子専門学校) 田口香織(ディスコ) 寺嶋健一(聖学院大学)
後半が
モデレーター黒崎誠(ラボ日本語教育研修所)
パネリスト奥田純子(コミュニカ学院) 西原純子(京都日本語学校) 平岡憲人(清風情報工科学院日本語科) 山本弘子(カイ日本語スクール)
だった(敬称略)。

5時半過ぎ、カルチャー棟2Fのレストランとき(昼食を摂ったところ)で交流会。旧知の戸田安信先生(習志野外語学院)・奥田純子先生(コミュニカ学院)や初対面の方々と交流。瓶ビール少々とフルーツ・ハム・ソーセージなど食べる。会費が3000円なので食べ物はイマイチだったかも(激爆)。
疲れもあって閉会を待たず7時過ぎに会場を後にする。

参宮橋から新宿へ出て、山手線で池袋。池袋西口から何回か迷いながら(照)、本日の宿泊先「ホテル・オーエド」にたどり着く。看板の「OHEDO」が見えた時はホッとした。でもこれって読みようによっては「オヘド」ですね^^。
入浴も(ロンドンオリンピックも)そこそこに眠りに就く。
by tiaokumura | 2012-08-10 13:42 | 日本語教育 | Comments(0)

井上@築地

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(8月12日午前・記)
平成24年度日本語学校教育研究大会に参加するために上京。末期癌発覚後初めての高速夜行バス利用で、いささか不安も。富山国際学院は夏休みに入っているのですが、先週は月曜日から木曜日まで出勤し、8月9日(木)午前には技能実習生の4回目の授業。午後4時前退勤。夜10時、自宅を車で出る。富山国際学院の駐車場に車を入れ、富山駅まで歩く。コンビニで地ビールの宇奈月(うなづき)ビールがあったので、それとおにぎり2コを購入。富山駅南口22:30発、夜行バス。富山駅は新幹線開業の準備中。北陸新幹線、自分、反対でした。わずかな時間が短縮できて何になるのか、後続世代に借金を残すだけである。だが、民主党政権下で開業に向けて進む。政権交代が無意味だったことの現れの一つでしょうね、整備新幹線事業。閑話休題^^、車中ビールの缶を開けて一口飲んだが、ダメだった。ビールが悪い(まずい)んじゃあなくって、僕の味覚のせい。癌のせいでしょうね、炭酸系、どうも合わない。車中、アイマスクをしてけっこう眠れた。トイレ休憩(3回ぐらいあったか)も1回利用しただけ。高速夜行バスと云うと先日の事故があり危惧される向きも多いでしょうが、僕の利用している地鉄(富山の私鉄)・西武の夜行バスは運転手2人体制で道中も安全安心運行。座席が一人がけなのもありがたい。見知らぬ若い女性と並んであらぬ疑いかけられるの嫌ですもんね。料金は往復で1万5千円くらいです。激安の夜行バスもありますが、事故が怖い。そういうところって無理な料金設定でどこかに歪みが生じてますもんね。

今回の旅の随伴本は、
千葉俊二・編『森鷗外随筆集』(岩波文庫)
アルフォンス・デーケン『心を癒す言葉の花束』(集英社新書)
の2冊。
「石見の人」森鷗外、今年が生誕150年なんですね。クリムトも生誕150年で、先日Googleのトップページ、「接吻」使ってました。デーケンは奥村学習塾をやってたころ、中学国語教科書で知った。「死生学」と云えばこの人ですよね。本書、「死そのものよりも、死に逝く過程のほうに人は、はるかに恐れを抱くものです」「ユーモアとは『にもかかわらず』笑うことである」など40のコトバを取り上げている。

朝5:20、池袋東口着。丸の内線で銀座に出て、銀座から日比谷線で築地に。土曜日の築地、相変わらず賑やか。今年2回目の築地。前回は大奮発して^^龍寿司でしたが、今回は井上のラーメン。東京時代の数年間、日本橋三越本店近くのスナック・パルムで働いていた。店名の「パルム」は確か『パルムの僧院』から来ている。林玄社長(故人)が知り合いのお嬢さんが同書を読んでるのを見て名付けたとか。パルム時代、合挽肉を買いに築地に、ピーナッツを買いにアメ横に、調理道具を買いに合羽橋に通っていた。築地は週1回くらいのペースの買出しだったか。築地に行くとたいがい食べてたのが井上のラーメン(井上はメニューは「ラーメン」1種しかない)。今から35年以上前の話です。井上は当時も今も行列ができる店。アップした写真、井上のラーメンです。世間のラーメンがつゆ・麺・トッピング・食べ方と「進化」し続ける中で、井上は昔ながらの東京ラーメン。650円。ただ、やっぱのせいでしょうね(あと夜行バスの疲れも)あまり食べられなかった。かなり残したまま、そっと場を離れる(恥)。
コンビニで新聞を買い、築地本願寺でしばし休む。吐き気・疲れがやや収まったところで、築地から銀座に出、銀座から丸の内線で新宿。新宿から小田急線で参宮橋。参宮橋から徒歩10分、平成24年度日本語学校教育研究大会の会場「国立オリンピック記念青少年総合センター」(略称「オリセン」)に7時半着。今回の大会で発表する同僚の粕谷謙治さんと合流。発表の予行演習に付き合う。
by tiaokumura | 2012-08-10 06:17 | 美味録12年 | Comments(0)

Henry Scott-Holland(Canon of St. Paul's Cathedral):Death is nothing at all

Death is nothing at all
I have only slipped away into the next room
I am I and you are you
Whatever we were to each other
That we are still
Call me by my old familiar name
Speak to me in the easy way you always used
Put no difference into your tone
Wear no forced air of solemnity or sorrow
Laugh as we always laughed
At the little jokes we always enjoyed together
Play, smile, think of me, pray for me
Let my name be ever the household word that it always was
Let it be spoken without effort
Without the ghost of a shadow in it
Life means all that it ever meant
It is the same as it ever was
There is absolute unbroken continuity
What is death but a negligible accident?
Why should I be out of mind
Because I am out of sight?
I am waiting for you for an interval
Somewhere very near
Just around the corner
All is well.
Nothing is past; nothing is lost
One brief moment and all will be as it was before
How we shall laugh at the trouble of parting when we meet again!

今朝(8月8日)の朝日新聞「死別の悲しみに 絵と言葉で勇気」ヘンリー・スコット・ホランド(Henry Scott-Holland1847-1918)の詩の記事が載っていました。『さよならのあとで』という題で夏葉社から出版(1300円+税)。
ホランドの原詩が読みたくてネットで検索したら、上掲がヒットしました。著作権、大丈夫だと思いますが、どうでしょう。なお同サイトにはより短い版(shortened version)も英語・フランス語で載っています。
by tiaokumura | 2012-08-08 07:02 | メメント・モリ | Comments(0)

夏休み、ではあるけれど・・・

富山国際学院の学生は8月3日(金)の五箇山遠足の後、夏休みに入った。授業再開は8月20日(月)で学生たちは2週間の夏休み。日本語学校は年間の授業時間の下限が決まっていて、うちのところはそれをかなり上回っている(はず)。冬に雪で休校もありうるので、休みは少なめに取ってあるんですね。夏休み・冬休み・春休みと長期の休みが3回あり、いずれも2週間ずつ。来年度は夏休み、3~4週間に増やそうかなと思っています。日本語学校のほとんどが夏休みは4週間以上取ってるみたい。

夏休み中の5日間、専任3人で1日当番2人ずつの出勤。学院長が4日、あとの2人は3日ずつにしました。僕は8月6日(月)~9日(木)の勤務にした。この時期、ちょうど技能実習生の日本語研修が入っていて、僕はそちらを担当(講師3人体制)。何歳になっても何回やっても授業初日って緊張するもんです。自分、気が弱いんでしょうね、いいトシこいて^^。でもまぁ、前にも書きましたが、そういう緊張感って教師として失くしてはならない資質だと思う。昨日8月6日(月)が技能実習生の初日でした。前日まで準備を怠らずシミレーションも何回かやってみていたのですが、やっぱ教室に入るとき緊張が最高潮に(照)。第1声を発するとちょっと落ち着き、予定をこなしながら学生の反応を確かめ、と進んでいくと更に落ち着いていく。予定通りに進むならこんな楽な仕事はないのですが、そこは生身の人間相手の仕事、いろんなハプニングが。それにどう対応できるかが教師の実力の発現になるんでしょうね。授業初日、大失敗はなく終了しました。
夏休み中、外部授業が3つ入っている。日本語学校氷河時代(語学留学生激減)にあって仕事依頼があるってことはありがたいことです。もう一つありがたいことは、僕が担当者を決めているのですが、どの方も嫌がらんと^^引き受けてくださること。この間の五箇山遠足も、強制はしないのに非常勤講師10名中8名もの方が参加(あとの2人はやむを得ない事情で不参加)。非常勤講師は担当授業以外はノータッチでもなんら構わないのが通常なんでしょうが、うちは、伝統なんでしょうね、どの方も積極的に学院と関わってくださっています。「家貧しゅうして孝子出づ」じゃありませんが「トップが頼りないといいスタッフが揃う」なんかも(激爆)。

夏休み中に東京1回、名古屋1回。
8月9日(木)富山駅南口22:50発の高速夜行バスで上京。末期癌発覚後初めての高速夜行バス、いささか不安も。8月10日(金)早朝5:20池袋東口着。山手線2周して時間をつぶす^^。体力があったら石川町まで行って横浜散策も。朝食、築地で。前回は龍寿司でしたが、今回は井上のラーメンにしようかと。
今回上京のお目当ては「平成24年度日本語学校教育研究大会」参加。同僚の粕谷謙治さんが発表します。8月10日は池袋のホテルで宿泊。8月11日(土)、粕谷さんの発表など。終ったら「ベルリン国立美術館展」に行きたい。「真珠の首飾りの少女」が観たい。「真珠の耳飾りの少女」のほう(「マウリッツハイス美術館展」)は神戸にも巡回するのでそちらで観られますが、「ベルリン」の方は関西・中京には巡回しない。8月11日のもう一つのお楽しみは岸井さん(前学院長)・増山さん(前同僚)との夕食。東京時代によく通った「鼎」(新宿末広亭の近く)を予約してます。同夜池袋東口23:00発の夜行バスで富山へ。8月12日(日)5:30、富山駅南口着。

名古屋は「日本語教育国際研究大会」。一昨年の台北以来2回目の「国際研究大会」参加です。今回は同僚の林宏美さんがポスター発表します。8月18日(土)富山発6:45の高速バス。名古屋10:32着。それから会場の名古屋大学へ。同夜は交流会もあり楽しみ。ホテルは名古屋駅近くに予約済み。8月19日(日)名古屋発18:20の高速バスで富山へ。富山22:03着。名古屋滞在中、時間があったら「ボストン美術館展・前期」(6月の名古屋出張時に観覧済み)と「大エルミタージュ展」を観ようかと。

体力・気力が相変わらずイマイチな日々ですが、暑さに負けず夏を乗り切りたい。
夏休み中、富山国際学院生に事故・事件などありませんように。
by tiaokumura | 2012-08-07 07:37 | 日本語教育 | Comments(0)

『高木仁三郎セレクション』(岩波現代文庫)

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高木仁三郎(たかぎ・じんざぶろう1938-2000)
佐高信(さたか・まこと1945-)中里英章(なかざと・ひであき1950-)編
高木仁三郎セレクション
2012年7月18日第1刷
岩波書店(岩波現代文庫)
1360円+税

いま、よみがえる市民科学者・高木仁三郎の脱原発への「遺言」(帯より)
福島原発人災を機に、高木仁三郎の行動・言動が見直され著作・発言が読み直されている。今、まさに「よみがえる」ということだろうか。本書は「岩波書店発行の『世界』『科学』そして岩波講座に分担執筆した論文を中心にして構成」(中里英章「はじめに」pⅵ)されている。構成は、「序 私の生きてきた道」「Ⅰ 原発事故と安全神話」「Ⅱ プルトニウムと市民のはざまで」「Ⅲ 市民科学者として」「Ⅳ 科学と自然を考える」、巻末に「高木仁三郎 主要著作一覧」「高木仁三郎 略年譜」、それに「はじめに(中里英章)」「解説(佐高信)」。
「Ⅲ 市民科学者として」の「賢治と科学」。ここで高木は「賢治にとっての『われわれの科学』とは何だったのだろうか」と自問する。高木は『グスコブドリの伝記』を引き、「職業的教師であることを辞め、羅須地人協会という、誰にもその意図すら明確でない場に無謀にも身をおいて、賢治がやろうとしていることの意味が、私にとってははじめて明白になった」(p265)。「私にとっての『市民』は、賢治の場合『農民』であったに違いないが、私はこの一文によって、原子力の仕事を、原子力産業の中や象牙の塔の中だけのものから、いわば『濁らない(市民の)感覚』をたよりに、市民のど真ん中に持ち出す決心がついた。」(p266)。
「Ⅳ 科学と自然を考える」の「1 現代科学の超克をめざしてー新しく科学を学ぶ諸君へ」は『朝日ジャーナル』1970年4月26日号発表で、ひょっとしてオンタイムで読んでいたかもしれない。当時の雰囲気をよく伝える用語・文体であると同時に、論文中の「大学闘争で自然科学が現代社会に果たす役割」3つ(pp270-271)は今日的課題でもある。「私物化された満足だけに生きがいを見出し、科学する人間主体たることを不可能とされた科学者たちが、資本主義体制のなかに自己回転的に巨大化し、細分化していく科学を遂行しつづけていけば、日常的営為のなかからファシズム的物神崇拝の狂気が吹荒れる」(p275)とは約40年前の「予言」とも言える。本書の随所でそのような既視感を感じるのは私だけではないだろう。
「Ⅳ 科学と自然を考える」の「4 核の社会学」(1996年)「一 核の本質的特徴」で高木は「・・・エネルギーの取得の代償に自らの安心と将来世代の安全を売り渡してしまったような、ファウスト的契約の下での平和ということでしかない」(p354)と喝破する。同論文の「三 核と差別」では「しわ寄せは必ず、もっとも底辺的なあるいは辺境的な人々や社会に押しつけられてくる。これが、核の生み出す差別である」(p357)として、「先住民・少数民族への被害の集中」「先住民の居留区の環境破壊」「原発労働者の被曝量」「原発などの施設が、一番大きな電力の消費地帯である政治経済の中心地からはるかに遠い地域、それも辺境的な過疎地に建てられ、金の力によって地元の反対が封じこめられてきたこと」「核災害の被害」に「差別」を見出す(pp357-360)。

原発反対運動の現場で高木は「高木先生、あんたの言うことはいいことなんだろうけど、さっぱりわかんねぇ」と言われる(中里英章「はじめに」pⅶ)。私も本書を読みながら同じような感想を持つ。だが、「最新の知見と時代認識に裏付けられた文章には、市民の読者も専門家も『なるほど、その通りだ』と説得する筆力がある」(同)。
高木仁三郎は1998年7月に大腸癌が発覚、2000年10月8日、大腸癌で死去。享年63。
by tiaokumura | 2012-08-06 08:04 | | Comments(2)

被審人・奥村隆信

3週間ほど前、自宅に富山地方裁判所から封書が届いた。「裁判員」だったら辞退しよう(僕は裁判員制度に反対。僕の反対意見は当ブログ2009年6月7日付「これが最後の『裁判員制度』批判」ご参照)と思って封を開ける。

平成24年(ホ)第48号
決  定
住 所 富山市**********
被審人 奥村隆信
上記の者に対する特定非営利活動促進法違反事件について、当裁判所は、検察官の意見を聴いた上、次のとおり決定する。
主  文
被審人を過料金10,000円に処する。
本件手続費用は、被審人の負担とする。
理  由
被審人は、特定非営利活動法人富山国際学院の理事在任中、平成23年3月1日から2週間以内にすべき理事の重任登記を平成24年4月23日まで怠った。
適  条
特定非営利活動促進法7条1項、80条1号
非訟事件手続法162条、164条
平成24年7月17日
富山地方裁判所民事部
裁判官 ****

裁判所からの手紙は、僕が裁判員に選任されたんじゃなく、要は過料金=罰金払えってことでした。これって想定外のことじゃなく、先日理事重任の登記手続きをした時以前からわかっていたことです。
富山国際学院は2005年にNPO法人に組織替えし、僕が理事長に。設立趣旨書は僕が作りましたが、それ以外のことは行政書士の方にお任せした。それが悪かったんでしょうね。3年前だかに今回と同じ手続ミスで過料金3万円を払った。お任せしてたのが裏目に出た。行政書士には(それが世間相場なんでしょうが)学院としてはけっこうな謝礼も払ってたんですが、2年前だったか縁を切った。
当ブログ記事にもしましたが、先日重任登記を済ませてきました。でもそれは本来は昨年済ませておくべきことだったんですね。
これからのこととしては、来年3月上旬に理事長の重任登記をし、その後は2年ごとにすればいいのだと理解しています。

手続費用は、同封のはがき「納付書」を利用。80円の収入印紙を貼ればいい。ところが郵便局に80円の収入印紙なんて売ってないんですね。100円が最低額。裁判所はそのこと、知った上なんでしょうね。はがきに「超貼分20円の返還は放棄します」と書いて押印しなければならない。たかが20円、なんでしょうが、ちょっと違和感も。
「期限までに納付のない場合、納付意思のないものと判断し、強制執行手続(罰金及び科料の場合は労役留置手続)を執ります」ってぇことで、納付リミットの「平成24年8月7日」前に郵便局で検察庁あてに納付してきました。

連日暑い日が続いています。
暑中お見舞い申し上げます。
暑さ対策を怠りなく、御身御大切に。

by tiaokumura | 2012-08-05 09:25 | NPO | Comments(2)

遠足@五箇山

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(8月4日朝・記)
富山国際学院夏休み前の行事が遠足。数年前から行き先は、奇数年は立山、偶数年は立山以外にしていて、今年は立山以外の年。アイディアウーマンの柳川さんから高山・五箇山の2案が提示され、教員間の投票の結果、今年の遠足の行き先は五箇山に決定。小京都・高山も魅力ありなんですが、ビンボー日本語学校なんで^^1泊は無理で日帰り旅行しかできないんで、そんなところも五箇山が支持された理由かも。
8月3日(金)9時、富山国際学院を出発。昔は出発時間に遅れる剛の者もけっこういたが、最近の学生はおとなしいと云うか時間を守る傾向がある。ってぇも授業には遅刻しても「楽しいこと」には遅れないだけのことかもしれない^^。

10時、井波着。井波は瑞泉寺の門前町として発展した町。瑞泉寺は1390年建立の浄土真宗の古刹。蕉門の浪化上人(1671-1703)は瑞泉寺住職だった。
馬おりやいざ先(ま)ず花に旅衣 浪化
雪雲の引きのき際(ぎわ)をあられかな 浪化
瑞泉寺山門(富山県重要文化財)を見る。龍の木彫が見事。瑞泉寺の関係もあって井波は「木彫りの里」でもある。瑞泉寺への石畳の通り沿いに彫刻工房がいくつも。

11時、道の駅たいら到着。紙すき体験。五箇山和紙ではがきを3枚作った。枠ではがき3枚分の原料を漉き上げる→押し葉を1枚ずつ入れる→乾燥、の工程。レストランで昼食。体調から考えてそばは無理そうなので、岩魚塩焼き+そば茶プリンの食券を買う。ところが岩魚塩焼きは30分もかかると言われ、唐揚に変更。とうふ刺身も食べたかったが、食が細いのであきらめる。五箇山とうふは有名で、この間TVでもやってましたが、縄で縛っても崩れない堅さのとうふです。

12:30、道の駅たいら出発。1時過ぎ、唄の館到着。民謡体験。係員から説明&こきりこ実演。
「こきりこ(筑子)」は、越中五箇山・上梨の山里を中心に伝承された全国的に有名な古代民謡である。・・・大化改新(約1400年前)の頃から田楽として歌い継がれてきたという語り伝えも・・・(パンフレット「無形文化財 古代民謡 筑子(こきりこ)」より)
確か音楽の教科書に載ってますから、富山以外の方もご存知な民謡でしょうね。
筑子の竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ
(筑子の竹は七寸五分だ それ以上に長いと袖にひっかかって邪魔になる)
想いと恋と笹舟にのせりゃ 想いは沈む恋は浮く
民謡「こきりこ」で用いられる楽器は、筑子、棒ざさら・摺りざさら、板ざさら・びんざさら、鍬金、笛、鼓、太鼓。その内、筑子板ざさらを体験。なかなか難しいものです。板ざさらは108枚の檜板からできている。108=煩悩です。

2時半頃、相倉合掌造り集落。アップした写真、相倉で。ここは、1995年12月、岐阜県の白川郷などと共にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録。
屋根の勾配は急で六十度。断面は正三角形に近く、つまり、雪が滑り落ちやすい形なのです。この大きな屋根を支えるのは、根元の曲がったチョンナと呼ばれる太い梁。斜面に生育した自然に曲がったナラを用いています。また、合掌の組み立てには釘は一切打たず、縄とネソと呼ばれるマンサクの木を使っています。(パンフレット「ようこそ相倉合掌造りへ」より)
合掌造りの民宿「勇助」の中に入り見学しました。

4時半、富山国際学院着。月曜日からの授業の準備、1時間くらい。

今回の遠足(昨年は入院中で休んだ)、病弱(恥)なのでみんなについていけるか心配でしたが、なんとか無事に全行程ほぼ歩けました。
学生にはCool Japan体験ってことになりますか。和を充分味わってくれたみたい。
by tiaokumura | 2012-08-03 14:21 | 日本語教育 | Comments(4)

ハイチュウ(Hai Trieu)さん

ハイチュウさんとはこれまでに富山で2回会っている。僕は「アジアの夢コンサート」で「ばみり」(出演者の立ち位置とかマイクや楽器の位置をステージ上にテープで貼る)のボランティアをしてて、ハイチュウさんは出演者。
そのハイチュウさんが、スリーエーネットワーク(日本語教材の大手出版社)の「季刊ジャネット」No.62(2012年7月25日発行)の「学習者の目View from the Other Side」で紹介されている。記事タイトルは「音楽を通して日本とベトナムの架け橋に ベトナムと日本の両国で歌手として活躍中のハイチュウさんに聞きました」。
ハイチュウさんの略歴を記事から引用。「ベトナム社会主義共和国、フエ出身 南学日本語クラスで日本語を学習後、来日。日本語学校から東京経済大学に進学。現在、ベトナムと日本の両国で音楽活動。」。日本語教師としてはハイチュウさんの日本語学習が気になる。いささか長くなるが記事中から引用。
フエに南学日本語クラスができたので、早速受験して入学しました。この学校は日本語の集中クラスで、2年間日本語を勉強します。日本語が大好きなので、今考えると不思議なくらい1日10何時間も勉強しました。4年分を2年で勉強した気がします。休みの日もずっと勉強していました。あいうえおが読めるようになってからは、授業以外に、歌を通して自分で日本語の勉強をしました。当時のベトナムには入っていなかった日本の歌手の曲を先生からもらって、曲を聴いて文字にしたり、その意味を調べたりしながら勉強しました。五輪真弓やDreams Dome True、テレサテン、八代亜紀などいろいろな歌手の歌で勉強しました。(p3左)

2010年の「地球の夢コンサート」でハイチュウさんは「美しい昔」「島んちゅぬ宝」「ハナミズキ」「晴れる日が来るから」「見上げてごらん夜の星を」を歌いました。
下はYouTubeから。「Hai Trieu」で検索すると何曲もヒットします。
ハイチュウさんのブログこちら
今年8月10日、ハイチュウさんも参加される「ベトナム ダイオキシンデー 第2回ニッポン2012」(枯葉剤被害者サポートコンサート)が文京シビックホールで開催されます。

by tiaokumura | 2012-08-02 07:45 | 音楽 | Comments(0)