
(9月28日午後・記)
昨日9月27日(火)、3月・5月に次いで今年3回目、手術後は初になる
名古屋出張。
久しぶりの県外なのでキンチョーしとったんでしょうか^^、あるいは通常の体調の伴わない出張なので不安があったんでしょうか、6時前に目が覚めました。仏壇・朝食・朝日新聞・着替えなど。
朝日新聞、①「がんを知る」。腫瘍マーカーが話題。僕も血液検査でCEAなどの腫瘍マーカーをチェックしている。この記事、大岩ゆり記者。がん関連の記事、よくこの方書いてらっしゃいます。②「悟りの道へ茶を一杯」。栄西『喫茶養生記』。筆者は末木文美士(すえき・ふみひこ1949-)。富山大学生時代に中世仏教関連を受講してて(先生の名前、忘れた^^。40代?の女性)この人の著書も参考文献にあった。朝日新聞では「仏典に学ぶ 日本1000年の知恵」シリーズ、この方です。③「石巻 映画で支援」。富山大学3年生の馬場航さんらの「石巻とつながる会」が映画『エクレール・お菓子放浪記』を10月14~16日に富山大学黒田講堂で上映。この映画、去年の秋に石巻がロケ地で撮影、林隆三。いしだあゆみらが出演だそうです。
7時過ぎ、車で家を出る。
富山国際学院の駐車場に入れ、富山駅北口まで歩く。やっぱ歩くのきつい。かつては12分くらいで済んでたのが途中休憩しながらで20分近くもかかった。
富山8時発・高山線「
ワイドビューひだ6号」。指定席・自由席・グリーン車の三両仕立て。今回の名古屋往復は行きはひだ・帰りはしらさぎなので、切符は乗車券が「富山―富山」「岐阜―名古屋」「名古屋―岐阜」、特急券が「富山―名古屋」「名古屋―富山」で計5枚。「富山―富山」の乗車券、いつぞや名古屋駅の自動改札で吸収されてしまって往生したことがある^^。要注意。高山線、今から半世紀近い昔、大学の合格発表を見に上京した折、帰りに利用した記憶がある。周遊券だったのかなあ、富山→上野、東京→名古屋→富山、だったのかなあ。
車中、例によって讀賣・日経。
讀賣新聞。①医療ルネサンス「がん薬物療法専門医」。「いわゆる『余命』は、同条件の患者の半数が亡くなるまでの期間を示した『生存期間中央値』で表されることが多い。」。初耳です、そんなことも知らなんだ末期癌患者、えらいテキトー患者かも(激爆)。「抗がん剤は、2~3割の人にがんの縮小効果があるだけというのも珍しくなく、過信すれば裏切られる場合がある。」。近藤誠は正しいのでしょうね。②「ポン酢 はやりは ジュレ」。皆さんの中にもジュレファン、増えてるでしょうね。ジュレって「ゼリー」が原義でしょうから、僕なんかは「ジュレ」って聞くと「煮こごり」を連想します。子供の頃、あつあつ御飯に魚の煮こごり載っけて食べた。富山以外でもそんな体験ある方、多いのでは。③「富山のそば 福島で焼酎に」。八尾(やつお)のソバが福島県郡山市の「笹の川酒造」で「男舞」(おわら風の盆にちなんだ命名)という焼酎に。10月から富山市内で1本1480円で発売。
日本経済新聞。①「復興 現地発」は「高額消費 東北で顕著」。海外ブランド品や1台400万円~600万円のベンツがよく売れているそうです。②「経済教室」は恩蔵直人(早稲田大学教授)「閉塞打破 企業経営の条件・上」。「職能横断的な開発チームの組織変数」として「社会的凝集性(結束力)」「組織的志向性(突進力)」「集団的自立性(自治力)」の「3つの組織変数」をあげて考察。③「40代 惑いの10年」は「『がむしゃら』が当然だった」。均等法世代の五十嵐恵美子さん(第一勧業銀行)・野沢真理さん(安田火災海上保険)・藤森恵里さん(日本火災海上保険)・河野真矢子さん(キリンビール)の例。
ワイドビューひだ6号。富山―速星(はやほし)―越中八尾(えっちゅうやつお)―猪谷(いのたに)―飛騨古川(ひだふるかわ)―高山。高山で自由席1両、指定席2両を連結。
今回の旅のお供は2冊の「友情」本。いただきものの本です(照)。もらった順では1冊目は
亀井哲治郎君、2冊目は
宮崎健二君。二人は今から45年ほど昔^^入学した大学で出会い現在に続く畏友に。亀井君は理学部・数学、宮崎君は文学部・国語国文(同級生)で、サークル「
学生文化会」で一緒。僕の人生に大きな影響を与えている2人でもある。
亀井君からもらったのは
福岡伸一『フェルメール 光の王国』(2011年8月第1刷。木楽舎)。福岡伸一(ふくおか・しんいち1959-)とフェルメールって僕には意外な感じがしましたが、「科学と芸術のあいだを遊泳する著者の新境地! 生物学者・福岡伸一がおくる極上の美術ミステリー紀行。」(帯より)。元はANNの機内誌「翼の王国」掲載だそうです(p254)。ここが福岡らしいんでしょうね、彼はアントニ・ファン・レーウェンフックに注目する。レーウェンフックは「1632年10月24日、オランダのデルフトで生れた。ヨハネス・フェルメールも同じ年に生れた。2人の名は教会の洗礼名簿の同じページに記載されている。」(p13)。レーウェンフックとは何者か。有能な商人でありデルフト市の公務員にも。「かたわら彼は一生涯、アマチュアとして何台も顕微鏡を自作し、改良し、レンズを磨き、微細な視野に広がる驚くべき豊かな世界を記述しつづけたのである。」(pp13-15)。レーウェンフックはフェルメールに「絵を依頼したという推測だけでなく、フェルメールの死後、レーウェンフックはフェルメール家の遺産管財人に指名されその執行を行った公式記録が残っている。」(p18)。福岡はフェルメールの『地理学者』(1669年)はレーウェンフックではないかと推測する。福岡によれば、フェルメールとレーウェンフックとベネディクトゥス・デ・スピノザ(同年に同じオランダに生れている)は「方法は異なるものの、彼らは同じものを求めた。それは、フェルメール作品の細部に秩序ある調和として現れている『光のつぶだち』であった。」(p10)。「
つぶだち」って聞きなれない言葉ですね、「粒立つ」って動詞はありますが。福岡の造語でしょうか。今まで読んだところ(第一章と第三章の一部)では特別な定義付けは見当たりません。本書、エッシャーやガロアが出てくるところも福岡らしいんでしょうね。フェルメールでは
朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』(集英社文庫)がよかったですが、本書も根強いファンがありそうですね。あとちょー羨ましい^^のは、福岡だからなんでしょうね、各地の美術館での優遇ぶり。本書は写真も豊富。写真家・
小林廉宜(こばやし・やすのぶ1963-)による。
宮崎君からもらったのは
江國滋『神の御意 滋酔郎句集』(昭和61年6月印刷発行。永田書房)。宮崎君は当ブログに1回もコメントをくれないが(激爆)、当ブログ、読んでくれてるみたい。先般来江國滋(えくに・しげる1934-97)が登場しているのを読み、彼の蔵書から本書を僕にプレゼントしようと思い立った。江國の「
東京やなぎ句会」の発足が昭和44年1月。本書企画時点での彼の作句歴は17年で二千句を超える。「おずおずと自選した四百二十二句を季節別に収めた。」(あとがきp233)。「『神の御意』という標題は、稲妻も穂高も神の御意のまま、という収載句から」(p234)。「
秋」の部(pp109-162)を読む。以下、前書があるものは前書を省略し、何句か抄出する。
鰯腹や人の情と秋の風 稲妻も穂高も神の御意のまゝ 草も木もはつきりと見え秋彼岸 糸瓜忌や薄き岩波文庫買ふ 盃に夜が溶けゆく志ん生忌 ひぐらしやきりきりきりと五十肩 虫すだく田舎芸者は昼農婦 出棺を待てば音たて破れ芭蕉 万年青の実つくづく庭の狭きかな 鬼灯のわがきんたまの皺に似て
もし更に「この1句」に絞れと言われれば、ご婦人方には顰蹙を買うかもしれませんが^^「鬼灯のわがきんたまの皺に似て」になるでしょうね。「鬼灯」は「ほおずき」です、念のため。専門でないのでよくわからないが、江國の俳句って人事が歌枕になっている、そんな感じの句が多いんでしょうね。僕はこの間の癌・1回目入院のとき、「五七五」を何句か作った。高1の時だったかなあ、中学時代の同級の女の子あての年賀状に「清き香や若水を汲む日本髪」ってぇのを入れた記憶がある。さりげなく彼女の苗字が織り込んであるのですが(照)、今にして思うと季重なりかも(激爆)。10年ほど前になるか、
上杉重章先生の芭蕉だったかの市民向け講座を受講していた時、連歌や俳句も体験した。上杉先生は高校時代の恩師でもあり、僕が受験大学を選ぶときに先生のアドバイスもいただいたご縁。上杉先生は加藤楸邨(かとう・しゅうそん1905-93)に師事された。上杉先生の講座では「缶ビール分け飲む君は二児の母」「夏嵐有象無象が吹かれをり」の2句を作った記憶がある。
高山線、高山―下呂(げろ)―美濃太田(みのおおた)―岐阜。日本は森林被覆率が確か7割近いーそれが実感できる沿線風景。僕は大都会も嫌いじゃないですが、やはりこういう「いなか」が心洗われ安らいだ気持ちになれる。いわば日本の原風景。車窓が開けばもっといいのですが、今時の電車って開かないんですよね。残念ながら外気を肌で感じることは叶わない。沿線の稲刈り、9割くらいは済んでいる感じです。まだの田んぼには黄金の稲穂。ときどき、ご夫婦なんでしょうね、男性がコンバインに乗り女性が補助作業する光景を見受けた。この季節、川は緑色。
岐阜から東海道線に入り、進行方向が変わる。予定より何分か遅れて12:10頃、名古屋駅3番線に入線。
アップした
写真、ひだの入線ホームにある「
どえりゃぁ亭」。山菜きしめん300円+おでん2種(たまご・こんにゃく)各100円。哀しいというか残念というか、やはり抗癌剤の影響で僕の味覚が変わってしまったんでしょうね。あんなにおいしいと思っていた
どえりゃあ亭のきしめんがおいしく感じられない。それに、胃がないせいで食べてもうまく入っていかない。結局残してしまいました、きしめんもおでんも。帰り際に(お金は注文が届いたときに支払い済み)「胃の調子が悪くて残してしまい、申し訳ありません」と謝った。事実は「胃がない」なのだが、そこまではなんとなく言いづらかった。
ダンピング症候群なんでしょうね、名古屋駅で気分が悪くなり、外に出たところでしばし休息。
今回の出張目的の会議のある
大名古屋ビルヂングに入る。12Fで降りたら
丸山茂樹校長(I.C.NAGOYA)とバッタリ。丸山先生は僕の病気のことを既にご存知でTELもいただいた。「顔色、いいじゃない」と言われ、「今、ちょっと気持ち悪くて・・・」と答えトイレを教えてもらう。洋式トイレで少し吐いた。山菜もこんにゃくも今の僕には消化に悪いものだったんでしょうね。
1時から「
東海北陸地区維持会員 定例研修会」。東海北陸地区にある日本語学校から各1名ずつ出席。5時少し前に終了。
JRTakashimayaのデパ地下でこの日の夕食を物色。柿安ダイニングで、松坂牛すき焼きサラダ96g384円、黒毛和牛ビーフコロッケ1個180円。ジュノエスクで、Aセット(生ハムモッツァレラチーズサンド+野菜きのこスープ)572円、プレーンクリームチーズ130円。尾張さんわ屋で、もも銀杏串1本150円、なんこつ串1本180円(どちらも塩焼きです。僕はやきとりはタレではなく、素材の味がそのままわかる塩のほうが好きです)。
「
驛釜きしめん」できしめんを買おうと思ったのですが、確かここにあったはずという場所にお店がない! 生来の方向音痴なんで自分が悪いと思ってたらそうじゃなかった。今工事中で閉店してたんですね。いつもここのきしめんをお土産に買ってたので残念。「ういろう」の秋ヴァージョンをお土産に買った。
帰りの
しらさぎ13号、北陸地区にある4校の日本語学校各1名集まっての
しらさぎ宴会^^。ま、残念ながら僕はアルコールだめですが。僕、4か月くらいアルコール抜きです。タバコも同様なのですが、不思議なことに禁断症状、ほとんどない。癌の恐怖が欲望に勝ってるんでしょうね。
4人は、福井の佐藤さん、金沢の沓水(くつみず)さん、射水(いみず)の蒋さん(富山国際学院の2期生でもある)、それに富山の僕。このメンバーで帰路のしらさぎを共にするのは3回目か4回目になる。話し下手な僕は専ら聞き役になりますが、この4人での語らい、実に楽しい。
9時半過ぎ、富山駅到着。北口から富山国際学院までタクシー。歩くのがしんどくて、ついゼータクした(恥)。基本料金の690円。学院から車を運転し、10時頃自宅に帰る。
ちょっと不安もあった
名古屋出張だが、なんとかお役目は果たせた。次回の名古屋出張は12月16日の予定。入院・手術と重ならないようにしたいが・・・。
この日、NHK連続テレビ小説「おひさま」と澤村登板が見られなくって残念。