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『鶴亀』から『橋弁慶』へ

おととい7月18日(土)の午後は「観世流華川会 能楽サークル」の日。僕は4月18日が初受講で、今回は6月6日以来久々で4回目の受講になる。能楽サークルは標準月2回の講座で、僕は途中の5月16日・7月4日は仕事などで休ませていただいた。

お昼ごはんを食べて車で家を出る。早めに行ったのが良かったのか、会場のサンフォルテの前庭の駐車場に入れた。能楽サークルの教室はいつもは茶室なんですが、今回は「多目的スタジオ」。ふだんはエアロビやバレエで使ってるんでしょうか。2面がガラス張り。なんか・・・筑波山の蝦蟇になったような気分(激爆)。若くてカッコいい男女ならこういう場所でナルシストになれるんでしょうが、醜男ジジイは目のやり場に困る(汗)。
川田有紀子先生(観世流師範)は今回能面を2面ご持参。「つけてみてもよろしい」ということで、私も能面初体験。左右の手でひもの面側入り口あたりを持って黙礼。それから顔に当てがう。能面を動かしてみてほどよい位置になったら、川田先生に紐を結んでいただく。右目は視野がまあまあだが、左目は視界が不自由。ゆっくり立ち上がり、前面の鏡で己が姿を確認する。すり足で数歩。ゆっくり左折。更にコの字に移動。大袈裟に言えば能面をかぶることで異界に侵入したような心持ち。松下覚さん(富山松友会・会長)に「姿勢がよろしい」と褒められ照れくさかった。松下さんは有能なビジネスパーソンだった方で、定年後の今は悠々自適の生活。僕には松下さんのような生き方は不可能ですが、シニアのロールモデルたる方。松下さんに限らず謡や仕舞を嗜む方は、経済的・精神的に余裕があり上品な方が多い。ボクは場違いな存在っす^^。、
川田先生の『海士』(宝生では『海人』だそうです)の写真アルバムを拝見。後見に小西弘通師

川田有紀子師範によるお稽古開始。最初のお二人は『富士太鼓』、次に中川社長の『経正』で、僕は4番目で『鶴亀』。
『鶴亀』(『大成版 観世流初心謡本 上』)は、受講2回目にI.C.レコーダーに録音したのを自宅で寝る前に聞いたり、CDに落としたのを車中で聞いたりしてたのだけど、ここ3週間ほどは忙しさにかまけてほとんど練習していなかった(恥)。恐る恐る謡い始める。
それせいようのはるになればー  しきのせちえのことはじめー ふろおもんにて・・・
意外なことにメロディーラインを覚えているではないか。1丁裏の「おびたたーしー」や「いおえーのーにーしーきや るりのとぼそーー」も、おっかなびっくり不安げな謡だったが、なんとか通過。「君の恵みぞありがたき」のリフレイン、その後段は謡本に書き込んだ自分なりの節付けメモでこれまたなんとか通過。2丁表は語り部分に入り、その後の「亀は」「鶴も」「重ぬらん」が僕にとっての難所だが、ここも不思議なことに録音した音が思い出せ口でリピートできた。カラオケと一緒なんでしょうね、楽譜(節譜)が読めなくても歌える(謡える)。後半、僕の好きな^^三連符?で調子に乗り、エイトビートにノリノリ(爆)。なんか謡ってて爽快感も味わえた。入門者向けの『鶴亀』なので一本調子が多いんでしょうね、途中で何箇所かトチりながらも、最後の「君乃齢も長生殿に。君乃齢も長生殿に。還御なるこそ。めでたけれ」と終えられた。
終わって川田師範から、「君乃齢も長生殿に」の繰り返し箇所についてアドバイスをいただく。そして、師範が「奥村さん、『鶴亀』は今日で終わりにしましょう。次は『橋弁慶』です」とおっしゃる。松下覚会長に拍手されて、「嬉しい+照れくさい」だった。

『橋弁慶』-例の文部省唱歌「京の五条の橋の上/大の男の弁慶は/長い薙刀ふりあげて/牛若めがけて切りかかる」です。『鶴亀』と同じ5級レベルの曲。ただし、『鶴亀』が3丁に対して『橋弁慶』は8丁と倍以上の長さ。
『橋弁慶』は『船弁慶』ほどは人気がない曲でしょうが、弁慶と牛若丸をどのように謡い分けられるか、難しそうですが楽しみです。「弁慶vs牛若丸」って「武蔵丸vs柔ちゃん」みたいな対決でしょうね^^。

華川会」の次回は8月8日なのですが、この日は僕はあいにく幕張で日本語教師研修。その次の華川会は8月15日。お盆ですができれば受講したい。1回目は、弁慶の名乗りから弁慶が五條の橋上に到る(4丁表)までぐらいのお稽古になるでしょうか。1回目に時間があれば、川田有紀子師範にお願いして師範の模範素謡をI.C.レコーダーに録音しようと思う。

川田有紀子先生、先生のご指導のおかげで1曲目『鶴亀』が終わりました。
2曲目『橋弁慶』のお稽古もよろしくお願い申し上げます。

by tiaokumura | 2009-07-20 13:44 | 謡を習う | Comments(14)

Mr. Walter Cronkite passed away.

During my high school and university days-in middle and late 60s-, the United States of America had a brilliant anchorman. Though he was already a big name in America, I knew his name in 1963. On a late-fall day in Toyama, one of my best friends Yokoi shouted, “Kennedy was dead by an assassin’s bullet.” On just the same day-Friday, November 22, 1963 or the next day, I also knew that Mr. Cronkite delivered the tragedy with his tears on TV news.
Mr. Walter Leland Cronkite, Jr. was born on November 4, 1916(one year before birth of JFK). On the CBS news he spoke at a rate of 124 words per minutes, it’s very clear and easy-understanding speed. He reported and commented about JFK, Apollo, the Vietnam War, Watergate, President Election and so on. He was selected as “the most trusted man in America" many times. His influences got more and deeper than President. Through his activities, he got some awards and honors. They are, for instance, “for enduring contributions to journalism”, “Freedom of the Press”, “the Presidential Medal of Freedom", “NASA’s Ambassador of Exploration Award”.

From now on Mr. Cronkite ends his Evening News saying “And that’s the way it is.” on the Heaven. White or black, young or old, left or right, female or male, minority or majority, American or non-American, believers or non-believers listen to his opinions there.
Thank you very much, Mr. Cronkite. You are the greatest journalist ever and forever.
How and where can we find out a Cronkite in today of Japan?

You can hear Mr. Cronkite's voice ↓.

by tiaokumura | 2009-07-19 10:49 | 追悼 | Comments(2)

中文日记(三)

7月18号(星期六)
大家好吗?
在日中国人女性の随筆(tubomim)」是我的最喜欢的博客之一。某日,我在「在日中国人女性の随筆」读了以下的笑话。我非常笑了。大家,请大家也笑很多。再者,tubomim我准许了报道的转载。

昨天给喜爱中国象棋的mayiz先生留言里写了第一段,很多人说有意思,我就全搬上来,供大家周末一笑。
一女子网上搜索理想中的他,在电脑上输入两个关键词:
1,要帅
2,要有车
电脑检索结果~~~~~~~象棋。
女子不服,又输入两个关键词:
1,要有漂亮的房子
2,要有很多钱
电脑立刻显示~~~~~~~银行。
此女子这次锁定人物,输入两个关键词:
1,要长得酷
2,又要有安全感
电脑推荐首选~~~~~~~~奥特曼。
此女子一气之下,输入了所有关键词,我就不信找不到你!
1,要帅
2,要有车
3,要有漂亮的房子
4,要有很多钱
5,要长得酷
6,又要有安全感
电脑引擎飞转,最后转出~~~~~~~奥特曼在银行里下象棋。
出处这边「电脑的误区(转贴稍加改动)」。


(奥村注)
帅=かっこいい。车=車。帅・车=どちらも中国将棋(象棋)の駒の一つ。奥特曼=ウルトラマン。
by tiaokumura | 2009-07-18 10:10 | 中文日? | Comments(2)

NPO法人「F-site(エフサイト)」

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3年ほど前になるか、日本人女性(名刺交換したのですが、彼女の名刺を学院に置いていて自宅では調べられない。仮にAさんにさせていただく。ボク、めっちゃ記憶アホなんです^^)が富山国際学院を訪問され、岸井みつよ学院長(当時)が応対された。あとで岸井さんから聞いたところによると、Aさんは岸井さんのお知り合いの方のお嬢さんだとか。その1年後くらいだったか、Aさんがまたお見えになって、その時は同じNPO法人ってことで(AさんのところはNPO法人「F-site」)、僕が応対させていただいた。Aさんはリーフレットを持参されていて、高校生の映像制作活動に携わっていらっしゃるとのことだった。僕(たち)に何かお手伝いができればいいのだが、ボクはカメラ指導もできないし・高校生を鼓舞することもできないしで、「がんばってください」くらいしか言えなかった。今春だったか、Aさん稲林忠雄理事長がお見えになって、その後の活動や成果物についてお話をなさっていかれた。「このゆびとーまれ」や「にぎやか」もそうですが、こうして粘り強く活動を持続されているNPO法人があるということは、私たちNPO法人富山国際学院にも大いに刺激になり勇気づけられます。

さっき帰宅して北日本新聞を読んでいて、写真の記事を見つけた。リード部分引用。
映像づくりを通じて教育活動を行う富山市のNPO法人「F-site(エフサイト)」(稲林忠雄理事長)が今年春から、高校生が参加する学園ドラマの制作に取り組んでいる。このほど不二越工業高の美術部員による第1作が完成。8月にはケーブルテレビ富山で放送される。稲林理事長は「つくる喜びを知り、地域での交流を深める一助にしてほしい」と期待している。
同記事中の高校生の発言。
「完成した作品を見た時、いろんなことがあったなという思いがこみ上げ、努力したかいがあったとうれしくなった」
「恥ずかしいと思うこともあったけど、製作中はとても楽しかった」

同じく同記事から稲林理事長のご発言。
「高校生を中心に、地域の人々が広く参加することで地方色豊かな文化の創造にもつながってほしい」

「オレたちは不二越工科学園茶道部だぁ~!」の放送は
ケーブルテレビ富山で8月1日~7日の午前11時半、午後1時などに放送
だそうです。残念ながら、自室のTV、15年以上前の古い型の受像機なので「ケーブルテレビ富山」は見られません。受像可能な方は、ぜひご覧ください。

NPO法人エフサイトの今後ますますのご発展をご祈念申しあげます。
by tiaokumura | 2009-07-17 19:34 | 富山 | Comments(0)

反逆の時を生きて(朝日新聞)

あの時代の言い方でいけば、僕なんかはノンポリ・日和見で、まぁせいぜい高野悦子(1949年栃木県生まれ。1969年6月24日自死)の日記に出てくる「心情的全共闘派のインチキ学生」だったんでしょうね。クラスメートには民青も全共闘もいた(僕が1965年に東京教育大学に入学した頃は、学内では「民青」が強かったんじゃないだろうか)。東京大学・東京教育大学の「前代未聞」の入試中止のころは、ボクは確か東京を逃げて富山に引っ込み、富山駅近くの観音湯のそばにあった「コロムビア」というパチンコ店で約11か月働いていた。今「コロムビア」の跡地はCiCだろうか。須田ビルがまだ健在だった時代のことである。

朝日新聞「ニッポン 人・脈・記」の今シリーズは「反逆の時を生きて」だった。日本各地であるいは海外で、僕と同世代の中にはある種の懐かしさと悔いの想いで読んだ方々も多いことだろう。そういうのって「ノスタルジー」と断罪されればそれまでのこと。
「反逆の時を生きて」-文・白井敏男、写真・山谷勉。全15回のタイトルと主な登場人物を以下に列挙する。敬称略。
①わが娘の「二十歳の原点」(高野悦子、関川夏央、坪井義哉)
②勝ったと思った 風雲児(秋田明大、羽仁五郎、古田重二良、山本義隆)
③安田講堂 逃げたら悔いる(石川理夫、片桐一成、山崎博昭)
④ゴールデン街 そこに私も(佐々木美智子、渡辺眸、山本義隆)
⑤「いちご白書」は僕だった(松任谷由実、前田仁、立松和平、寺島実郎)
⑥造反教官 孤立してなお(折原浩、高橋和巳、最首悟)
⑦巡り来て「がんばらない」(鎌田實、今井澄、行木紘一)
⑧高校の闘い 偽らぬ自分(白石孝、高橋順一、池田実)
⑨党に寄り添い 党を離れ(宮崎学、川上徹)
⑩丁々発止 いま政界で(菅直人、町村信孝)
⑪世間ゆさぶる 反骨の芝居(流山児祥、唐十郎、猪瀬直樹)
⑫語り継ぐ バリケードの熱(中村克己、田村正敏、大場久昭、横路孝弘、西條秀雄)
⑬成田で耕し 根を下ろし(相原亮司、下山久信・政江)
⑭鏡の中に19歳の自分(加藤倫教、永田洋子、森恒夫、植垣康博)
⑮9条の危機 街頭へ再び(樺美智子、塩見孝也、山本義隆、秋田明大)

あの頃はまだ今のように「大学生」がうじゃうじゃいる時代ではなかった。中卒で働かざるを得ない同年代のほうが多かった時にあって、大学進学者は鼻持ちならぬ「エリート」だった。男が女を性の捌け口やおさんどんに使っていた時代。2009年の今、親の収入が子の教育レベルを決定する時代になってしまったとはいえ、高校進学率も大学進学率も40年前と比べて飛躍的に高まっている。女性も、雨宮処凛(1975-)に代表されるように、堂々とアホな男と伍していける能力が発揮できるようになった。
あの頃は、「反逆」はしても結局のところ選択しようとさえ思えば就社や教職など「約束された未来」が選択できた。あの後も全体としては「右肩上がりの時代」だった。今、若者たちに政治も経済も「明るい未来」を保証できていない。彼ら・彼女らは、いつ自分にジェットコースターで下がる一方の人生が訪れるか、不安と恐怖で人生設計などできない。あの時代を生きて今日があるあなたや僕は、何もしなくていいのだろうか。

金も名誉も地位も得ぬまま、それでも今の僕は「何かができる」能力を得た。昨日7月14日はフランス革命記念日。僕の若き日の理想は「自由・平等・博愛」だったんだと、この年になって実感できる。僕は若き日の理想を少しでも実現するために、組織や運動体を創りあるいは求めて、死ぬまで活動しようと思う。
連帯を求めて孤立を恐れず
青臭いと笑われるだろうが、東大安田講堂の壁のこの落書きは、僕を含むあの時代を共有した人々の胸に刻印されているのではないだろうか。
by tiaokumura | 2009-07-15 20:33 | このブログのこと | Comments(0)

日本語ボランティア登録者研修会-続き-

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(7月13日夜・記)
-前記事の続き-
ワークショップ「理想の日本語教師とは?」
展示を見たら元の島にもどる。本当はシャッフルしてメンバーチェンジだったんですが、時間の余裕がない^^。
「自分がなりたい日本語教師」を選んで、そこに到るロードマップ作成。そうこうしているうちに終了予定の12時半になってしまった(大汗)。僕の時間配分の失敗です(恥)。「ご都合がある方はお帰りください」とアナウンス。最後は16人くらいになったかなぁ。全員が車座になって一人ずつ、「私は*****な日本語教師になります!」と発表。聞いてる残りの人は、「○○さんなら、なれる!」と拍手喝采。なんか・・・どこぞの洗脳集団みたいじゃけんど(大汗)、まぁ、皆さんに楽しんでもらえたようで、少しホッ。ボクってどっちかと言うと「真面目堅物人間」なんで、なかなか他人を楽しませることができない。
終わって後片付けなど。
還暦過ぎのジジイ^^が初めて経験する「研修会講師」「WSファシリテーター」、なんとか無事務めあげました。各受講生が、これからの「日本語教師」として一つでも二つでも「お持ち帰り」があったら、担当者としては嬉しい限りなんですが、どうなんでしょうね。「つまんなかった、時間のムダだった」「楽しかったけど、な~んにも役に立たなかった」って方もおられたでしょうね。

翌日の地元紙2紙に記事。幸い?ボクの写真は載ってなかった。近寄りがたい男に見えたんでしょうね、ボク^^。当日は僕への取材も写真撮影もなかった。
2紙のうち北日本新聞から一部引用。
NPO法人の日本語学校「富山国際学院」(同市下新町)の奥村隆信学院長が講師を務めた。奥村学院長は、日本語を学ぶ外国人の気持ちを理解し、信頼関係を築くことの大切さを強調。「自分の強みを生かし、長く活動を続けてほしい」と呼び掛けた。
もう一つの富山新聞から、これまた一部引用。
富山国際学院の奥村隆信院長が講師を務めた。思いやりや忍耐力など、教師に必要とされる資質について意見を交わし、実現への道筋を考えた。
(奥村注:「院長」ママ)

CiCを出て富山駅北口近くのお蕎麦屋さんに入る。生ビールがうまかったあ! ざる蕎麦も!

研修会に参加された皆様、ありがとうございました!
セッティングしてくださった富山市民国際交流協会・ゆうゆうにも感謝を!
by tiaokumura | 2009-07-12 10:57 | 職業としての日本語教師 | Comments(6)

日本語ボランティア登録者研修会

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(7月13日夜・記)
1か月前は、「研修会1週間前には山﨑眞理子さん(ゆうゆう)にレジュメを渡して印刷してもらい、直前1週間で予行演習を済ませて・・・」とまあ、かように考えておりました。
じゃけんど、「時蝿は矢を好む(Time Flies Like an Arrow.)」で「レジュメ成り難し」「一寸の光陰じゃって、バカにしちゃいかんぜよ」だったんですね(激爆)。7月11日午後10時@自宅、レジュメがようやくアップ、誤変換などを確かめて即印刷。7月12日午前4時半起床、予行演習。昔っからいっつもこうなんですね、自分。自転車操業男(恥)。
10時頃、研修会場のJR富山駅向いCiC3Fに行く。山﨑さんと直前打ち合わせ。原和子先生(ゆうゆう)とご挨拶など。
受講者が5人くらいだったらどうしようと思ったんですが、幸い20人以上がご参加。
山﨑さんの講師紹介のあと本番。

この講師を引き受けた理由2つなどが前置き。
次いで、講師略歴・これまでの日本語教育現場経験・日本語教師としての信条を述べた後、本日メインの「どうして日本語教師になったの?」。レジュメでいけば
1.1.「日本語教師」を知るまで
1.2.トヤマヤポニカ時代
1.3.富山国際学院時代(日本語教師が自称できるまで)
1.4.富山国際学院での今
1.5.これからの夢
と語り進める。更に同じくレジュメの
2.「日本語教師」基礎データ
3.プロの日本語教師(富山国際学院を例として)
3.1.富山国際学院日本語教師へのアンケート
3.2.日本語教師A子さん(富山国際学院)のある日
3.3.「富山国際学院の待遇ってどうなの?」
をかいつまんで話してたら予定時間がオーバーしてしまって(大汗)、ここまでで11時。休憩10分。
再開して
受講生のご質問に答える~奥村はこうする・こう考える~
質問なかったらどうしようと不安だったんですが、幸い7人(質問用紙で6人+挙手で1人)の方から計11くらいの質問があって助かった。
で、それが終わって時計は12時! やばっ、ワークショップが! WS、50分予定してたのに30分しか、残り時間がない!
ワークショップ「理想の日本語教師とは?」
誕生月を聞いて、23人を6-6-6-5の計4島に分ける。1月生まれはゼロ、10月生まれが6人でした。けっこうばらけるもんなんですね、誕生月って。
各島で自己紹介。①「私は山元です」②「今日は山ちゃんと呼んでください」③「実は私はこう見えても毎週水曜日の午後ひとりカラオケしてるんです」の3文自己紹介。他の島民は、③に意外性がなくってもつまんなくっても、「わ~、山ちゃんってすっごい!」と拍手喝采する。アイスブレーキングでもあるんですね、この自己紹介。
各島で、一人ずつ順に「理想の日本語教師とは?」を付箋に書いて模造紙に貼っていく。マッピングし終わったら壁に貼る。
プレゼンやってもらう時間がないので、各自が展示された模造紙を見ることにする。
-続く-
by tiaokumura | 2009-07-10 18:29 | 職業としての日本語教師 | Comments(2)

祝8万アクセス到達\(^o^)/


(7月12日午後・記)
皆様のおかげで、7月7日に「日本語教師・奥村隆信 ひとり語り」のアクセスが8万に達しました。日本語ブログは何百万とあって、そんな中で「8万到達」なんてどうってことないでしょうが、ブロガーとしては素直に喜んでおります。
7月7日・日本時間午前2時頃のご訪問者がキリ番ゲットです。もうだいぶ日時が過ぎちゃいましたが、「ひょっとして自分かも?」って思われた方は申告してくださいませ。謝意以外何もあげられませんが(爆)。
2005年12月29日の開設から13か月半かかって1万到達だったのが、7万から8万は3か月弱で達成。ここのところはほぼ毎日100人超のご訪問者です。このペースで進めば来年1月には、開設当初は夢のまた夢だった10万も可能です。

更新ままならぬ日々もありますが、なんとかアクティブブログとしてこれからも発信してまいります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

(7月13日・追記)
朝日新聞2009年7月11日付によると、日本国内のブロガー2695万人だそうです。1人で複数のブログ開設もあるでしょうが、すごい人数です。
僕はやってませんが、「アフィリエイト広告」「口コミ広告」は合わせて約136億円の市場。時代の流れなんでしょうが、なんかそういうの・・・好きじゃありません。カネはほしいけんど^^。
by tiaokumura | 2009-07-07 18:38 | このブログのこと | Comments(0)

ネパール大使ご夫妻を囲んで

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(7月12日夜・記)
富山国際学院での今年度の授業担当はD組週3コマでスタートしたのだが、都合により6月後半から別クラス・2コマに異動。7月6日(月)午前、D組のネパール人学生2人に教員室に来てもらって、インスタント・ネパール語を習う(照)。6日夕方、利賀ネパール大使に謁見?できるので、ネパール語でご挨拶をしたいと思ったんですね。皆さんもご経験あると思うのですが、外国人に母語で話しかけられるって嬉しいもんなんですよね。僕は3年ほど前だったか富山大生のとき、卒論で「アスペクト」ってぇのに取り組もうと思い、必要に迫られてネパール語に挑戦した。日本語・英語のネパール語教科書類を何冊か購入しましたが・・・皆様の予想通りの惨めな結果でした。本は今頃書棚で埃をかぶっておやすみになってらっしゃるでしょうね(恥)。付属のCDもはたして何分聴いたことか(恥×2)。「ナマステ!」は前から知っていましたが、それ以外はアホなままです(恥×3)。
D組学生に僕が大使に言いたいことを説明しネパール語に翻訳してもらい、カンニングペーパーを作る。
①ナマステ!
②とやま マ スワガッチャ
③マ おくむら
④マ ガネッシュ・ヨンサン・タマン ガレスバード ジ ライ ベッテェ ラ クシラーユ
⑤マ にほんご サーラ
⑥マ ネパーリライ にほんご バサ シカウチュ
⑦ネパーリ ビダティ ランブローツァ
デヴァーナガリ文字で書いてもらってももちろんチンプンカンプンだから^^、カタカナネパール語です。

7月6日3時頃に瞑想の郷に入る。「瞑想の館」で2つの曼荼羅と2枚の仏画、「瞑想美の館」で両界曼荼羅(胎蔵曼荼羅・金剛界曼荼羅)を観る。
5時過ぎから「ネパール国ツクチェ村と利賀村友好交流20周年記念行事」。
ツクチェは世界のそば原産地の一つだそうです。スライドで真っ赤なそばの花が咲き誇る画像が紹介されていました。利賀はいわゆる「村おこし」を蕎麦でやろうと思いそれがきっかけでツクチェと友好交流へ。利賀は蕎麦以外にも鈴木忠志(当時は早稲田小劇場。白石加代子もいた)も来て「村おこし」に成功したかのように思われたが、悲しいかな、結局今は「限界集落」状態かもしれない。僕なんかがとやかく言う筋合はないのだが、今は南砺市利賀になった。富山市八尾と並んで僕には「それってないよ!」です。でも地域住民の方々が合併をお選びになったのだから、「安全地帯」にいる僕なんかには批判できませんよね。八尾や利賀をこのような地位に貶めた、僕も含めた日本人の文化度の低さは恥ずかしい+嘆かわしい。
6時半頃から「レセプション」。
ネパール料理がたくさん並べられ、なごやかな楽しい雰囲気で展開。進行の様子を見計らってから、思い切って大使ご夫妻にネパール語(っても即席じゃけんど^^)で話しかける。あと、暗くなってしまったらせっかくのカンペ、見えんよ^になってまいますもんね(爆)。お~~~~、通じたみたいだあ!
更に厚かましくも大使ご夫妻にお願いして、テント脇の篝火の前で記念撮影。一緒に写ってる中には富山国際学院の卒業生・在校生も数人。全く知らなかったんですねボク、彼ら・彼女らがこの日利賀入りするなんて。ビックリしました。午前中に学院で翻訳してくれた2人もレセプションに同席。民族性なのか・僕を驚かせたかったのか、二人も学院ではこのレセプション出席について、な~んも言っとらんだ。

瞑水の館」で宿泊。仕事もたくさんあるので翌朝早朝出立の旨を告げ、7時朝食をお願いしておいた。
朝食、席は別々でしたが、大使ご夫妻と食堂でご一緒でした。「英会話入門 第1課」を必死で思い出しながら^^会話を交わす。大使は利賀は初めてだそうです。大使からmany times?と返されたので、SCOTのことなどを話しました。僕が先発になるのでお別れのご挨拶。「大使」って英語が出てこんもんで(大汗)、
I would like to see Sir&Madam again. Have a nice trip!
と最後に申し述べる。これでよかったんじゃろうか・・・。レディーファーストでMadam&Sirだったんじゃろうか。

帰り、谷側を走るんで怖かったあ! 山側だと、いざと言うときには山に車をぶつければいいですもんね。谷側だと谷底までゴンゴロゴン。ゾ~。
帰りは下りだから普通なら「往き」より時間短縮なはずなんですが、運転アホ+方向オンチで7時半過ぎ「瞑想の郷」出発で10時過ぎにようやく富山国際学院に着いた。行くときより30分もオーバー(恥)。
by tiaokumura | 2009-07-06 19:23 | 日本語教育 | Comments(0)

瞑想の郷@利賀

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(7月12日午後・記)
6月26日朝、名古屋出張のため自宅を車で出ようとしたらケータイに着信。着信表示は登録してない番号。いぶかしい気持ちでケータイに出てみると、ネパール人男性だった。「7月6日にネパール大使利賀にいらっしゃる。ついてはそのレセプションとパーティにあなたを招待したいのだが、いかがなものか」といった内容でした。急なお話なもんで、「あとでお返事します」といったん電話を切って富山駅から名古屋に向う。あれこれ迷ったが、大使に招待されるなんて人生で最初で最後でしょうから^^、名古屋駅に着いてから朝方のケータイの番号にTELして「光栄に存じます。招待状を出してください」と伝える。

後日、富山国際学院に招待状が届く。利賀(とが)は昨夏鈴木忠志の演劇2本を観に行ったのが初回で、今度が2回目。足の便がないので自家用車で行くことにしたのですが、学院のスタッフに道が大変だと脅される。ボクは運転が下手で苦手で嫌いなので、長距離運転なんてほとんど経験がない。スタッフの一人によると切り立った崖道を走るのだとか。そんなこと言われちゃったら、ビビっちゃいますよね^^。招待状をいただいておいて欠席は外交マナーに違反するから(ボクの欠席が国際問題に発展するってぇなことはないけんど^^)、ええ~い、しょうがない、車で行くっきゃない。パーティではアルコールが入るだろうから、会場に宿泊施設があるというのでB&Bを予約。

7月6日、学院スタッフの励ましと不安げな顔を後に^^1時頃学院を出る。「往きて帰らぬ××の旅」にならんにゃいいけんど(激爆)。
「頼成(らんじょう)の森」「砺波(となみ)チューリップ公園」ってとこまでは何度か来てるんですが、そこから先は人生未知ゾーン(爆)。やっぱダメですね、砺波市内で道に迷った。ボクはビンボー人なんで、ナビなんでしゃれたもん装備しとらん、紙媒体の地図しかありません。GSに入って教えてもらう。
やがてトンネルを抜けてすぐに道が二股になり、その左方向に進路をとる。こっからがいよいよ「運転チョー怖い道」です。くねくね曲がり道、対向車も後から来る車もわからんくらい、曲がり道多し。1回だけ対向車と「あわや!」がありました。途中激しい雨に見舞われたり、道に迷ったり、看板「落石注意」「クマ出没注意」にドキッもありましたが、午後3時頃なんとか無事に目的地に到着。学院から3時間を見てたのですが、2時間弱で到着でした。約70km走行。運転慣れた方なら1時間半でしょうね。

瞑想の郷(さと)」は(財)利賀ふるさと財団が運営。本道471号線を左折して山道を登った先にある。途中、「えっ、こんなところにまで人家?」と思う。
写真、瞑想の郷の中央あたりに位置する公園。曼荼羅を意識した設計なんでしょうね。瞑想の郷は他に空想の館やチベット仏教絵画の展示館や瞑水の館などで構成。写真左の建物が「瞑水の館」で僕はここの2Fに泊まった。部屋の名は「○施の間」で統一されていて、僕は「言施(ごんぜ)の間」「顔施(がんぜ)の間」の各8畳の続き部屋。他に宿泊客があまりいなかったからなんでしょうが、ゼータクすぎますよね、2部屋を一人で利用。宿泊費はB&B5000円で、半額を富山国際学院で補助してもらった。ラッキー♪
by tiaokumura | 2009-07-06 15:37 | 日本語教育 | Comments(0)