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2週目に入った

イメージとしては、コアの学院長職から発する数々のミッションが、
フラクタルのように伸び広がり、
あるいは
アメーバのようにモゾモゾと増殖する、
といったところでしょうか。
やっと2週目に入りました。
「1週目、実に長かった~」というのが率直な感想。
1週目、富山国際学院スタッフ14名と新年度の初顔合わせ終了、担任D組授業3回終了、2010年度4月生ポツリポツリと問い合わせなどなど。D組1回目の授業で全員の名前が覚えられた。エラいぞ、自分(嘘爆)。
09年度4月生でまだ来日していないのが4名。うち2名は現地で僕が試験してきた。早く富山に来なくちゃ、sakura散っちゃうよ^^。そんなボクも、今年の桜は、学院生のアパートの件で話し合いに行く途中、富山大学の横を車で通った時に見たのが一番長いサクラ観賞時間。
さくらばな ちりゆくきはに あひもせで
あはれことしの はるはいぬめり
あるいは
はざくらに こぞ人おもかげ うつしけり
かもしれませんね(大汗)。
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by tiaokumura | 2009-04-12 15:38 | 僕は学院長1年生 | Comments(0)

凹むな、わが友akira!

akiraと初めて会ったのは2006年4月、富山大学人文学部棟7Fの言語学コースの溜まり場?だった。59歳で(照)そのコースに編入学したボクにとって、その溜まり場は必ずしも居心地のいい場所ではなかった。二十歳前後の若者に囲まれてあれやこれや過ごす喜びと苦痛はたぶん同じ経験をした人にしかわからないでしょうね(激爆)。10人ほどいた同期生の一人であるakiraを何度か見ていて森田童子を思い浮かべた。
akiraは現在社会人2年生で、akiraのブログを訪問したらずいぶん落ち込んでいた。akiraの性格から言って、2年目も3年目も4年目も・・・何年目もakiraにはつらいような気がする。僕と同じくある意味では「生きるのが下手」なのかもしれない。でもそのような人生も与えられた人生だと開き直ればいい。「ここがロドス島だ、ここで跳べ」なのだ、akira。
森田童子(1952-)『ぼくたちの失敗』(1976)をakiraに捧ぐ。キミたちが生まれる10年ほど前の曲だ。この曲聞いて、キミはよけい落ち込むかもしれないけど、僕はakiraを信じている。それが「ともだち」ってもんじゃないのカナ。
byひげっち

春のこもれ陽の中で君のやさしさに
うもれていたぼくは弱虫だったんだヨネ

君と話し疲れていつか黙りこんだ
ストーブ代わりの電熱器赤く燃えていた

地下のジャズ喫茶変われないぼくたちがいた
悪い夢のように時がなぜてゆく

ぼくがひとりになった部屋に君の好きな
チャーリー・パーカー見つけたヨぼくを忘れたカナ

だめになったぼくを見て君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい昔の話ダネ

春のこもれ陽の中で君のやさしさに
うもれていたぼくは弱虫だったんだヨネ
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by tiaokumura | 2009-04-11 20:34 | 音楽 | Comments(2)

本当にあった話(真实的故事)-tubomimさんのブログ記事より転載-

tubomimさんのブログ「在日中国人女性の随筆」は私がほぼ毎日ご訪問させていただいているブログです。tubomimさんとはブログ上でのお付き合いをさせていただいております。
あれはもう3年ほど前になるでしょうか、NHKTVで愛新覚羅溥傑(1907-94)のドキュメンタリー番組が放映された。ご存じない方もあるかもしれませんが溥傑は「ラストエンペラー」溥儀の実弟で、我々庶民からは「数奇な運命を辿った」としか言いようのない方です。溥傑は、当時「政略結婚」と言われた嵯峨侯爵家令嬢・と再婚(溥傑の初婚は別離)。溥傑と浩は、運命に弄ばれながらも深い愛と信頼に満ちた幸せな夫婦生活を送った。2人の間の長女が慧生(1938-57)で、彼女は学習院女子高等科に在学中に周恩来首相にあてて「中国で獄中生活を送る父に、日本にいる私の母・私・妹はぜひ会いたいです」という趣旨の手紙を送り、それを読み感動した周恩来は父娘の文通を許可する。慧生は、これまた「数奇な運命を辿った」としか言いようがないのでしょうが、私が小学5年生の時に大久保武道と「天城山心中」(高木彬光『成吉思汗の秘密』にも出てくる)。浩と溥傑の二人はやがて中国で再会でき(「天城山心中」から4年後)、夫婦は長く日中友好の架け橋となった。浩は1987年に北京で逝去。
NHKTVのドキュメンタリー番組を見て、概ね上記のことに触れた記事を当ブログに掲載した。その記事に、おそらく検索エンジンを使ってなのでしょう、tubomimさんがアクセスしてこられてコメントをいただき、それからtubomimさんと私のブログ上でのお付き合いが始まったという次第です。
前置きが長くなりましたが、そんなtubomimさんの2009年4月7日の記事を以下に転載します。なお、転載についてはtubomimさんのご許可を得ています。
転載にあたりフォントなどが変わっていることをご了承ください。オリジナル記事こちらです。
文章中の「小象」はtubomimさんのご子息です。


本当にあった話(真实的故事)
「一博一品(2008)」30名の作者の一人として当時72歳の慢慢来は下記の文章を投稿した。日本語は当時13歳の小象が翻訳した。中国語はここ⇒《真实的故事》をご参照。
作为《一博一品(2008)》30名作者中的一员,当时72岁的慢慢来投了下面的这篇文章。日文由当时13岁的小象进行翻译,中文请参照这里⇒《真实的故事》。


実は慢慢来はこの文章を一度投稿したものの削除した。なぜかというと、小さい時に両親から聞いたこの話が「本当にあった話」というタイトルを裏切らないよう、山西省の太原市、交城県の親戚や知人を通じて調べていた。調べた結果、この話を知っている人は今でも多くおり、「そして日本人としての習慣はずっと保ち続けていて、常に山村のオンドルの上で正座をして人と話している。」という証言まで見つけた。そこで慢慢来は再投稿した。
其实慢慢来将这篇文章投稿后,自己又删掉了。为什么呢?为了让这个小时候听父母讲的故事,不辜负《真实的故事》这个题目,慢慢来通过山西省太原市、交城县的亲戚及朋友去进行调查了。调查的结果,至今还有不少人知道这件事,还有人证实“这位老太太一直保持着日本人的习惯,总是跪在炕头上与别人聊天。”于是,慢慢来再次投稿。

今年のはじめに「一博一品(2008)」は出版した。お祝いすると同時に慢慢来はこの話について詳しい情報を知っている人がいないかとネット上続けて募集している。なぜかと聞いたら「書いた以上、自分のできるかぎり最善を尽くし『本当にあった話』を記録したい」とパソコンに向かった慢慢来が見せてくれた父親の背中。
今年年初《一博一品(2008)」》出版了,在祝贺的同时,慢慢来又在网络上继续寻找有没有更了解这件事的人了。这是为什么呢 ? “我既然写了,就尽自己的努力记述一个《真实的故事》” 我静静地望着趴在电脑前慢慢来让我看到的这位父亲的背影。

   山西に咲いた花-梅子の恋物語

「交城山、交城川、交城県を潤わさず、分水県を潤す」。山西省交城県はこの一つの有名な民謡によって全国に名が知られている。だが、そこは一つの小さくて貧しい県で全体の80パーセントもの面積が山地である。ここには交通といえるものがない。曲がりくねった山道にはロバとリヤカーしか通れない。しかし、この山のある集落の中に一人のその地でとても尊敬されている日本人のおばあさんがいる。あの「抗日」の時代にあっても誰も彼女を責めることはなかった。このおばあさん、もしまだ生きているならば、およそ百歳になるだろう。私は彼女の本名を知らないので、ここでは「梅子夫人」と呼ぼう。

話によると、あのころ梅子は日本の貴族のお嬢様だった。彼女が中国の留学生の王さんと相思相愛になり、結婚した後、夫と共に中国にやってきた。まずは太原に、その後、この、まるで世の中から隔絶されたような王さんの実家に流れ着いた。
 
最もロマンチックなのはやはり彼(彼女)らが日本にいたときの恋物語だろう。当時日本にいた中国の留学生たちは、彼らの相思相愛は絶対に不可能で、王さんには分不相応だと皆思った。しかし後になって、これは覆された。そう、二人の恋は真実になってしまったのだ。

日本にいる間、王さんはとても貧しく、刺激の無い生活を送っていた。暇なときにはよく退屈しのぎに窓の外を見た。これが彼の一日のうちで最も自由な時間であった。しばらくして、決まった時間に必ず、ある日本人のお嬢様が自転車で窓の前を通り抜けていくのを彼は発見した。その内、時間になると一目見ようと体が勝手に動くようになった。見れば見るほどのめりこんでいく。このお嬢様は何を取ってもいいのである。

だが困ったことに彼女は一回も彼に興味を示したことが無い。王さんは一つの策略を練り、梅子が下校し帰宅する最中を狙って、一台のボロ自転車を借りて後から追いかけた。そして、彼の前輪が梅子の後輪に追いついた瞬間、いきなりハンドルを回した。梅子は道路の上にひどく転んでしまい、王さんまでもがビックリした。梅子がここまでひどく転ぶとは彼も思っていなかった。彼は梅子を抱えると一気に病院へと走っていった。治療と入院手続きの最中に、彼は電話で梅子の家族にこのことを知らせた。だが、梅子の両親が病院に駆けつけるより先に、彼は病院を離れていた。

三日後、王さんは花束を持って梅子の見舞いに来た。偶然梅子の母も病室にいた。梅子の母は彼の行為に再三感謝を示した。五日目にまた来ると、彼女の母の態度は急に180度変わった。危うく彼を病室からつまみ出すところだった。このとき、どうやら梅子の両親は何かに気が付いたらしく、再度梅子が彼と会うことを許さなかった。また、病院の看護士にもそう伝えた。

これには梅子もちんぷんかんぷんだった。だが、梅子は王さんが相変わらず彼女に会いに来ていて、窓の外であるときは手を振って、あるときは軽く頭を下げて、何か梅子のしぐさを見ると満足げに帰っていくのを見つけた。王さんが来る時間も決まっていて、時間になっても来ないと梅子は気を揉んだ。このあと、梅子の家は二度と静まらなかった。そして、その騒ぎは終わりを知らなかった。梅子の両親はいろいろな飴と鞭を使った。だが、それも実らず最終的には、無情にも「家族の縁を切る」という決着になった。梅子は後ろも振り向かず、後へも引かずに夫の王さんと中国にやってきた。

中国に帰ってくると、王さんは太原で給料のいい仕事を見つけた。二人の生活はとても満ち溢れた幸せなものであり、また家には相次いで二人のかわいい娘が生まれた。だが、神様に願いは届かなかったようだ。運命の悪魔は無情にも襲い掛かってきた。王さんは突然の病で帰らぬ人となり、あっという間にこの幸せな一家は苦境に陥った。かわいそうな梅子は藁にもすがる思いだった。そこで、梅子は頼れる知人も無く、土地勘も無い太原を去ることにした。そして、最終的には王さんの故郷でいまだ会ったことも無い王さんの親戚を頼ることに決めた。

こうして、夫を亡くした母子は交城県のこのとても貧しい山村にやってきた。村人は、好奇心と同情の気持ちを持って彼女たち3人を受け入れた。梅子が初めてやって来たときは、再度まったく見知らぬ世界に入ったようだった。彼女が知っていた僅かな中国語はここではまるで通じなかった。だが、梅子はここを唯一の家だと認めた。梅子のあきらめない性格と優しい心が彼女の人生に再度奇跡を起こした。彼女の境遇は孤独で誰にも助けてもらえない状態から仲良く互いに助け合うまでに至り、最終的には村人の心からの親しみと尊敬を受けるまでに至ったのである。彼女は交城の山村の方言も身に付け、誰も彼女を外国人だとは見抜けない。だが、日本人としての習慣はずっと保ち続けていて、常に山村のオンドルの上で正座をして人と話している。聞いた話によると、二人のきれいな娘さんは既に山から出て新たな世界を切り開いたという。だが、彼女たちは永遠に、尊敬する母である梅子を忘れることは無いだろう。

この物語は私の父親がまだ在世のころ何度となく話してくれた。父親はおろか母親までもが王さんと知り合いである。なぜなら父親は1920年(民国9年)に北京師範大学理工化学学部を卒業後、公費留学生として日本東京帝国大学に留学に行った際、日本にいた王さんと同年代で交城県出身の同郷であるからだ。
2006年 06月 12日

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by tiaokumura | 2009-04-10 20:18 | このブログのこと | Comments(2)

全国和紙ちぎり絵サークル 第14回全国展(金沢)

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全国和紙ちぎり絵サークル 第14回全国展(金沢)
会期:2009年5月21日(木)~5月25日(月) 午前10時~午後5時
会場:金沢歌劇座(旧金沢観光会館)
    金沢市下本多町6-27 TEL076-220-2501
入場料:無料

主催:全国和紙ちぎり絵サークル
共催:全国展金沢実行委員会
後援:金沢市教育委員会 NHK金沢放送局 テレビ金沢 北陸放送 (財)金沢コンベンションビューロー 北國新聞社(順不同)
協賛:いなば和紙協業組合 高知県手すき和紙共同組合
協力:(有)がんぴ舎


東京教育大学生時代以来の親友宮崎健二君(がんぴ舎)から今日、「全国和紙ちぎり絵サークル 第14回全国展(金沢)」の案内ハガキをいただいた。
宮崎君のことは既に当ブログでも何回か取り上げています。僕がこれまでに出会った人物の中でTOP5に入るすばらしい男です。どこが「すばらしい」か、今は省略します(爆)。
また折りに触れ彼のことを当ブログに書くことにして、今日はとりあえず展覧会のご案内を載せておきます。(写真の写りがどうもパッとしません。陳謝)
私はもちろん行きます。ただいつ行ったらいいのか、彼の都合も聞かなければならないので金沢行き日は未定です。できたら金沢で泊まることにして飲み明かしたい(激爆)。お互い還暦過ぎ(汗)なので朝まで飲むのは無理かも^^。
当ブログをご覧の皆様、ご興味ある方はぜひご鑑賞ください。

(有)がんぴ舎のホームページはこちら
会場の金沢歌劇座(パリのオペラ座みたいな位置づけなんでしょうか)のホームページはこちら
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by tiaokumura | 2009-04-08 19:39 | 美術 | Comments(0)

富山国際学院での16年目がスタートした

1994年4月から勤め始めた富山国際学院、今日が2009年度授業開始日でした。2週間の春休みを終えて戻ってきた学院生・今日から学院での日本語学習を始める新入生、やっぱ学校って学生あってのところなんでしょうね、一気に活気が漲りました。他に来客や問合せなどてんてこ舞いの初日。学院長として実質的な初日でもあった。
富山国際学院での僕の「身分」は、1994年度~2007年度が「非常勤講師」で多いときは1週間7コマなんて離れ業^^(これがどれほど大変かは想像つきにくいでしょうね)もやり、2008年度は専任待遇で岸井みつよ学院長について学院長見習い(修業^^)、そして新年度2009年度は学院長兼D組担当+アルファってことになります。

初日、ボク、やはり緊張してたのでしょうね、6:30にセットしておいた脳内目覚まし時計が狂ってて5:20に目覚める(爆)。セットし直して6時半に起き直し^^。なぜこんなに早く起きたかってぇと、担任Dクラスの準備でまだやってなかったことがあったから。洗面のあとPCに向ってD組準備。その後、朝食・朝日新聞など。初日なんで8時過ぎに家を出て学院には8:15頃入る(いつもは8時半過ぎです)。この時間帯、車があまり混んでないんですね、10分強で着きました。
セキュリティーがかかっているのでそれを解除。コクテール堂のブレンド風月を使ってコーヒーメーカーセット。そのうち同僚たちが到着し、8:50頃には学生たちが続々集合。
9時、D組教室に入る。今日は副担任の林宏美さんの授業日なんですが、1限目にガイダンスを組んで2人で担当。座席決め、教師・学生自己紹介、D組の方針・目標・年度予定、使用教科書と採択理由・進度、個人懇談会日程などなど。今回担当のD組は中国・ネパール・ロシアは複数人いますが、スリランカ・タジキスタン・バングラデシュが各1人ずついて6カ国の多国籍クラス。いろんな学生がいてずいぶん元気なクラスです。奥村と林さんの和のパワーを超えて奥村と林さんの積のパワーが全開したらすばらしいクラスになるでしょうね。
午前中はメール・TEL・来客などをこなす。同僚の粕谷さんと隣りのビルで昼食後、学院に戻りまたメール・TEL・来客などをこなす。とまぁこう書くと単調な仕事の連続に思われるかもしれませんが、あれやこれやいろんなケースがあってかなり忙しい。
午前3・午後4計7クラス、まずまず無事にスタート。共に働くスタッフ14人中11人とも新年度初顔合わせができた。笑われるかもしれませんが、ボク、この1年、パワハラ(学院長たって別にエラかないですもんね)・セクハラ(粕谷さん以外はみなさん女性)に気をつけたい。
富山国際学院15人の日本語教師の中で、最年長はボク(照)・最年少は20代。老壮青そろい充実したメンバーなので、この1年の成果が楽しみです。皆さんの教師力・授業力がフルに発揮できるよう縁の下の力持ち役に徹したい。

午後6時少し前、同僚2人が残って仕事をしているのを尻目に^^帰宅。「オイオイ、それでいいんかいな学院長さんよ」かもしれませんね(汗)。

今日の午後、前学院長の岸井みつよさんからTELが入る。ケータイを買ったとのご連絡。僕が尊敬する方の中には「ケータイ嫌い」って方が何人もおられ(例えば、かねごん先生@一関)岸井さんもそうだったのですが、新米学院長としては心細かったので無理を言って岸井さんにケータイを購入していただきました。岸井さんから富山の桜のことを訊かれて、「あ、そういえばこの春、まだサクラ見とらん(汗&恥)」って思い当たった。同僚によると富山市内中心部の松川べりの桜は7分咲きだとか。間に合わないかもしれないけど、この週末にどこぞで桜見物をしたいと思った。せめて桜を愛でるくらいの余裕は持ちたいものです。

明日はD組授業デビュー日。16年目になっても初授業ってキンチョーします。そういうのって「恥」って思う反面、そういう緊張感はいつまでも持ち続けたいとも思う。Stay Hungry. Stay Foolish. 現状に満足してたら進歩ってありませんもんね。
しまやファッションに身を固め(わかる人しかわからんフレーズかも^^)、学院長1年生は今日も明日も明後日も日々これ悪戦苦闘・刻苦勉励・一喜一憂です。

久しぶりの1週間連続投稿。明日からは投稿が途切れがちになりますが、なにとぞご容赦を。
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by tiaokumura | 2009-04-06 20:25 | 僕は学院長1年生 | Comments(0)

加藤彰先生(日本ファシリテーション協会副会長)『ファシグラを体験しよう』

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昨年11月29・30日に1泊2日で受講した「ファシリテーター入門講座」で初めてお会いした太田正博さんは、行政書士で「太田総合経営研究所」所長。先週のことですが、富山国際学院を訪ねて来られた中国人女性の方のご相談に、あまりに専門的すぎて僕では対応できず、太田さんの名刺が手元にあったのでTELして太田さんにご教示いただいた。その後日、太田さんからメールで「特定非営利活動法人 日本ファシリテーション協会 富山サロン」の定例会のご案内をいただき、おもしろそうなので事前申し込みを済ませ、今日参加してきました。これは1泊2日の定例会のようですが、学院のこともあるので僕は2日目だけの参加でした。

8:20頃家を出て学院に車を停め、そこから歩いて15分くらい、会場のKKR銀嶺に。富山でおいしいパン屋さんとして有名な「ボブ」の割と近くでした。
2F受付で1500円払う。自分ではメールで申し込んだつもりでしたが、名簿に名前が見当たらないということで焦った(汗)。太田さんはまだお見えじゃなく、そうなると知っている方は全くおらず不安がいっぱい。30代男性・20代女性が中心でしょうか、約20名の参加。みなオフタイム・カジュアルな服装なので職業の見当はつかないのですが、ビジネスパーソン・教員が主でしょうか。
9時、世話役のご挨拶に続き今回の講師の加藤彰先生。後で名刺交換して知ったのですが、加藤さんは日本総研の主任研究員。で、もう一つのお顔^^が「特定非営利活動法人 日本ファシリテーション協会 副会長」。私は初対面だったのですが、ずいぶん高名な方のようです。これも後で加藤さんからいただいたチラシで知ったのですが、最近のご共著に、『ファシリテーション・グラフィック』『チーム・ビルディング』『グラフィック・デザイン』(いずれも日本経済新聞出版社刊)がある。

今回の加藤先生は『ファシグラを体験しよう』。「フォアグラ」じゃありません(激爆)。ファシグラ=ファシリテーション・グラフィック(FG)で和製英語だそうです。レジュメp.3から引用すると、
議論の内容を、ホワイトボードや模造紙などに、文字や図形などを使って分かりやすく表現し、「議論を描く」ことをファシリテーション・グラフィックと呼びます。
とのことです。
話し合いを「見える」化する
ともある。
始めはオリエンテーションでFGの意義などをレクチャーされた。今回のメンバー、皆さん慣れているというか知り合いが多いみたくって(前夜は懇親会もあったみたい。飲み会かも^^)自己紹介もアイスブレーキングもなくって最初はとまどった。オリエンテーション・要約練習のあとFG演習。午前2番目の演習で僕、FGをやってみた。
昼食休憩時に、加藤先生にお願いしてブログ用写真撮影(照)。上の写真(右が加藤彰先生)、2人のバックの模造紙が僕のFG「フリーアクセスの是非 営業担当のデスク共有化」です。字が下手なのはしょうがない(恥)ですが、パニクってたんでしょうね、「是非」の「ヒ」や折衷案の「チュウ」が漢字で書けなかった(恥)。

昼食休憩でロビーのTV見てたら「飛翔体」のニュース。ミサイルか人工衛星かいずれとも分かぬため「飛翔体」になったんでしょうね。誰のネーミングか、おもしろい名付け方です。英語だとFlying Objectなんでしょうか。

午後も演習の1つでFG係体験。「仕事とプライベートを両立するにはどうすべきか」というテーマ。2人の話し合いをFG化する係。午前と違い、色使い・文配置・矢印など工夫してみた。午前の「フリーアクセス」の時より格段に進化しとったでしょうね、自分(爆)。

午後3時頃、それまでは島単位の活動だったんですが、互いの顔が見えるように車座になって「振り返り」。3時過ぎ終了。今回配られた資料に拠ると、5月23・24日、「東京国際交流館 プラザ平成」ってところで
ファシリテーションフォーラム2009
多様な 人・組織・ファシリテーション と出会い、響きあう。

があるそうです。初日には中野民夫さん・加藤彰さんたちで
ファシリテーター物語Part2飛翔編
がある。「飛翔」ってもあの怪しい飛行物体とは無関係っす^^。
また2日目には加藤彰さんの
ファシリテーション・グラフィック~議論を描く基本を学ぶ
もある。
参加したいイベントですが、う~ん、学院のことも考えると予定が立たない。

加藤彰先生
本日はありがとうございました。
私のようなド素人のアホな質問にも丁寧にお答えいただき、ワークショップ・ファシリテーターにますます興味が持てるようになりました。

太田正博さま
おかげで貴重な体験ができました。
これからもお付き合いのほど、よろしくお願いします。


(追記)
日本ファシリテーション協会のサイトはこちらです。
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by tiaokumura | 2009-04-05 12:23 | 富山 | Comments(0)

LAHMAR ABDELAZIZさん(モロッコ)と

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風呂敷残業ほったらかしで^^;土曜日外出~♪でした。

8:40頃自宅を車で出発、9時前に富山国際学院に。今日は業者さんに頼んで教室などのそうじをしていただく日。明後日の新年度授業開始に備えてです。年に2回業者さんに入っていただいて掃除をしてもらおうと思っています。次回は夏休み終了頃で、「ハクリ」もやってもらう予定。予算は2回分で〆てン万円、学院にとっては決して安い額ではないのですが、まぁ、そのくらいのサービス(きれいな学習環境)は学院生にすべきでしょうね。
僕が9時前に学院に入ったのは、そうじに備えカギを開けるため。カギ閉めは午後2時過ぎで、こちらは同僚の高木さんにお願いしてて、僕はカギを開け業者さんと打ち合わせした後、学院から徒歩で富山駅前CiC3Fへ。

今日は「中国語入門A」の開始日。月1回・年間10回の講座。僕、もう何年も「入門A」受け続けで(恥)、ご担当の湯老師、あきれ返っておられるかも^^。仕事が入ったりしてなかなか通いきれないんですね、僕。ま、もともと語学センスがないってぇのもあるけんど(激爆)。3年前だったか中国語検定(中検)準4級(英検の5級レベルか)、ぎりぎりでパスしました。来春は4級受検したい。11月の中国出張では入出国・レストラン・おみやげ買いくらいは中国語を使ってみたい。憧れの上海でオールドファッションなジャズバンドの演奏が聴きたいとも思ってるんですが、中国語でAs Time Goes Byって何て言うんでしょうね、覚えておいてリクエストしたいっす(照)。

昼食・買い物をCiC内で済ませて、1:30頃再び3Fに。
富山市民国際交流協会国際教養委員会主催の講座「多国言語文化交流クラス」が毎月第1土曜日の午後にあります。「世界各地事情+その地の言語」がセットになった講座。僕は時間がある限り参加するようにしています。地方都市富山にいながらにして得られる貴重な体験です、こういうのは。今回は第77回になるそうで、
モロッコ & アラビア語
講師はLAHMAR ABDELAZIZ先生。先生は2009年度、1年間のご予定で富山大学人間発達科学部で日本教育事情を研究されるそうです。
モロッコって言えば、映画『カサブランカ』それからクスコス(couscous)ですよね。&カルーセル麻紀って方もおられるかも(謎爆)。
先生のレクチャーは英語(ボクは英語アホですが、なんとか8割くらいは理解できました。わかりやすい簡単な英語で説明されたんでしょうね、きっと)。なんでも質問OKってことなんで、僕も質問しました。質問一つ目(映画『カサブランカ』について)の冒頭、モロッコなんでBonjour. Je m’apelle OKUMURA. Merci beaucoup pour…で始めました(激爆)。
ハリウッド映画『カサブランカ』(Casablanca。1942年)、決め台詞満載ですよね。今だったら「クサい」かも^^。
Here’s looking at you, kid.なんて一生言う機会ないでしょうね、自分。「君の瞳に乾杯」、ちょー名訳なんでしょうね。
Maybe not today, maybe not tomorrow, but soon and for the rest of your life.も、自分、一生無縁^^。
Play it, Sam. Play ‘As Time Goes By.'を上海で言ったら受けるかなぁ。
妻が生きとったら彼女の誕生日にWe’ll always have Paris.くらいは言えたかもしれん。
女性に、Where were you last night? って言われたら、記憶アホな自分、懸命に夕べの記憶をたどるでしょうね(爆)。That's so long ago. I don't remember.って受け、ボギー、カッコよすぎるゼ。Will I see you tonight?って言われたら万障繰り合わせてデートのほうをとるでしょうね、自分(爆2)。I never make plans that for ahead.なんてボギーだから断言できるんだよね。
Humphrey Bogard(Rick Blanie役)もIngrid Bergman(Ilsa Lund役)も、もうあんな素晴らしい男優・女優、現れないでしょうね。
ABDELAZIZ先生には映画『カサブランカ』以外に「ゼロ」や「民族」などについても質問しました。

3時過ぎ終了。先生に当ブログに載せるご了解をいただいて写真撮影。写す前に先生にWBに「私はリンゴを食べました」をアラビア語で書いていただきました。当ブログ初登場のアラビア文字!です。ご存知かと思いますが、右から左へと読みます。最初の単語(2単語目は「リンゴ」)にご注目。主格と動詞が一つになっているのです!(1本目のアンダーライン部分=1文字が主格、2本目のアンダーライン部分が動詞です) こういうの言語学では・・・忘れましたが(大汗)、なんとかと言います。アラビア文字ってきれいですよね。先生はカリグラフィーも示してくださいました。

ABDELAZIZ先生、本日はありがとうございました!
Thank you for your lecture&presentation, Mr. ABDELAZIZ.
Hoping your search in Toyama Univ. brings you rich fruits.
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by tiaokumura | 2009-04-04 15:16 | 富山 | Comments(0)

新米学院長に春休みなんてしゃらくさいものはなかった(^^;

富山国際学院、3月13日が卒業式、在学生の授業は3月19日まであり、その後2週間の春休み。学年暦では全くその通りなんですが・・・。
3月23日(月)午後1時から教員会議で08年度の総括&09年度のクラス担当打ち合わせなど、夜は富山駅前のお店で岸井みつよさん送別会(スタッフ全員が参集し、送られる者・送る者、双方の心のこもったいい送別会でした!)、その後午前1時過ぎまで同僚4人とカラオケ三昧(爆)。『サクラ色』『いちご白書をもう一度』から『銀座の恋の物語』『唐獅子牡丹』まで(どんな選曲じゃ^^)15曲くらい歌いました。我ながらよう歌ったもんです(核爆)。
そして翌24日から岸井みつよさんのいない富山国際学院が始まった。

新米学院長には春休みなんて望むべくもないんですね。この2週間(10日間)、延べ50人以上の人と会い、100件以上のTELを受け、メールチェック&送返信+FAX受送信の数々、新入生の入国・アパート手配、更には外部授業の依頼数件etc.。仕事に追われっ放しで、前任者の岸井さんの偉大さがつくづく実感できた2週間でした。面談・TEL・メールなどを通じてわかったのですが、幸い富山国際学院は評判がいい日本語学校みたい。これも岸井さんの功績でしょうね。放蕩息子が岸井さんの遺産を食い潰さんようにしなきゃあね。「いい評判」は素直に嬉しいけど、「いい評判」1つには「悪い評判」10がついているくらいの気持ちで、気を引き締めておかねばならない。世の中、学習塾(昨春まで僕、学習塾やってました)もそうですが、「お宅、評判いいですよ」と言ってくれる他人はいても、「お宅、評判悪いよ」とわざわざ言ってきてくださるありがたい方なんてほとんどいませんもんね。
僕は電話恐怖症だったんですが、この2週間まずまずこなせた。対人恐怖症もさまざまな人と話し少し克服できた。でもやはりトップとしての一瞬の判断って難しい。僕の手元1ミリの判断ミスが先々1メートル以上に拡大されて挽回不能事態を生じるかもしれませんもんね。

卒業生や在学生も春休み中に来ましたが、4月6日が新年度授業スタート。学生がいてこその学校、来週からまたいつもの賑わい取り戻します。新年度、事件・事故・トラブル、あまり起きませんように^^。外国人登録している外国人は定額給付金がもらえるそうで、ありがたい。4Fの掲示板に「給付金のもらい方」書いて貼っておきました。生活が苦しい中で1万2千円は本当にありがたいことです。また、これまで「就学」(日本語学校)「留学」(大学など)2本立てのビザだったのが、「留学」への一本化もどうやら実現しそう。日本語学校の諸先輩たちのご苦労が実り、願いがまもなく叶います。諸先輩たち、感無量でしょうね。

僕は新年度はD組担当。非漢字圏出身者の漢字指導が大きな課題。これも幸いこの1・2年、非漢字圏向けのいい漢字教材がいくつも出て来ている(紙媒体・web上とも)ので、それらを参考に有効な漢字指導を実行したい。
「いい授業がしたい」「いい教師になりたい」ってぇのは、全ての「教師」の願望でしょうね。でも「いい授業」も「いい教師」も結局は相手が決めること。僕は09年度は週3コマのD組担当なので1日45分×4・年間120日くらい授業があります。D組学生から「今日はいい授業でしたよ」「先生はいい先生です」と言ってもらえるよう、あれやこれや工夫していきたい。
でも「教師」って最終的には棺を覆うたときにようやく評価が定まるんかもしれませんね。僕が死んだ時、果たして何人の学生が「いい先生だった」と言ってくれるのだろう・・・。葬式に誰も来なんだら・・・棺桶の中のボク、ショックでしょうね^^。
あるいはまた、日本語教師というものはその教え子が彼/彼女の人生でどこまで日本語能力が伸びたかで評価されるだろうから、僕の死後数十年経ってようやく僕の教師としての評価が決まるんかもしれん。50年後、何人の教え子が僕のことをいい印象で覚えていてくれるだろう。

春休みなんてないままに新年度突入ですが、まぁ今のところ^^なんとか学院長職をこなしていますので、皆様におかれましてはどうぞご安心を(爆)。
必要とあらばボク、サービス残業・風呂敷残業・土日祝日出勤も厭いませんが、できることなら、そういうのが日常(無標)にならない学院長生活が送りたい。ワガママかな(汗)。
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by tiaokumura | 2009-04-03 20:47 | 僕は学院長1年生 | Comments(0)

泣くな菊池雄星君、夏があるぞ!

春休みなどない職業柄^^、選抜の決勝をTVで見ることもなく、仕事の合間にネットで戦況をチェックするのが精一杯だった。僕は野球通でもないし高校野球にさほど興味もないのだが、今選抜は花巻東の進撃ぶりを追っかけていた。そのきっかけはかねごん先生のブログの記事(「25年ぶりの勝利」)でした。

おそらく「岩手勢か、楽勝やな」「花巻東、聞いたことないな」「ラッキー、次の次の対戦相手のデータ取りしとこうぜ」とか対戦相手に思われていたことでしょうね。僕が住む富山県の高校もだいたい似たようなもんです。
ところがどっこい、花巻東高等学校は冬はグラウンドが使えない・野球後進地というハンディを乗り越え、1回戦5-0鵡川、2回戦4-0明豊、準々決勝5-3南陽工と勝ち進み、準決勝の東北対決(選抜史上初でしょうね)、5-2で利府を下す。
そして利府ナインの気持ちも引き継いで臨んだ対清峰決勝戦。無情にも野球の神様が花巻東に舞い降りることはなかった。
ネットニュースでは「菊池、号泣」の見出し。「あの1球が・・・」「なんで9番に打たれたんだ」「優勝したかった」「今日がこれまでの人生で一番試合に勝ちたかった」-僕は野球部経験がないのだが、菊池君の思いはそんなとこだったのではないだろうか。

菊池雄星君、この時間もう君は泣き止んでるかな。東北魂に満ちた不敵な面構えは戻っているかな。準優勝に終わったけど、君たちの偉業は長く後世に伝えられる。近い将来「白河の関」を初めて優勝旗が越えることも予感させる君たちの躍動だった。
君以外に君を責める者はいない。佐々木監督も川村主将も千葉捕手も、猿倉君・柏葉君・猿川君・山田君・佐藤(涼)君・佐藤(隆)君・佐々木君も、野球部みんな、野球部員のご家族、花巻東高校生・教職員、花巻市民、岩手県民・・・みんな君の熱投に「ありがとう」と言っているだろう。僕も久しぶりに高校野球に熱くならせていただいて、君と君の仲間たちに感謝申し上げたい。今どきの高校野球では珍しい「全員が県内出身」だそうだね、チームワークもすばらしい。
決勝戦後の佐々木監督・川村主将の弁もすばらしい。準優勝で満足なんかしていない。その意気軒高たるや、よし。

恥ずかしながら僕は花巻と言えば宮沢賢治しか知らなかった。賢治の「春と修羅」の一節を引用したい。
・・・雲はちぎれてそらをとぶ/ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ・・・(ちくま文庫版『宮沢賢治全集Ⅰ』p30)
今の君が「修羅」かどうかはわからないが、ネットで君が泣いたことを読んで「春と修羅」を連想した。今回の君たちの活躍を僕は「イーハトーヴォ旋風」と名付けたい。君たちは「風の又三郎」たちだったかも。

君はもう明日から練習開始だろうね。授業も始まることだろうね。やがて始まる岩手県予選を勝ち抜いて、君や君の仲間たちが夏の甲子園に登場することを、ここ北陸の地で願っています。
泣くな菊池雄星君、夏があるぞ!
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by tiaokumura | 2009-04-02 20:10 | このブログのこと | Comments(2)

アンジェラ・アキ2曲(YouTube)

皆さんのところははいかがでしょうか。当地は週末あたりが見ごろのようです。平年より1週間くらい早いでしょうか。坂口安吾や梶井基次郎のような捉え方もありますが、私たち一般庶民は桜の華やかさ・盛りの短さに単純に素直に惹かれるのでしょうね。それと桜の季節が入学・入社と結びつくことも。
4月6日(月)、富山国際学院新年度授業スタート。新年度、僕はD組を3コマ担当します。学院長が3コマも担当することには是非もありますが、7クラスの担任7名がどうも揃えられなかったという事情もあり、担任をすることに。なかなか難しいクラスですが、副担任の林宏美さんと協力していい結果を出したい。林さんとは08年度に続きこれで3回目のペアになります。
D組ではまた「今月の歌」を入れようと思う。昨年度B組と同じく4月に選んだ歌がアンジェラ・アキ『サクラ色』。YouTubeのこの映像、たぶんプロモ-ション・ヴィデオだと思います。いつだったかアンジェラ・アキの武道館ライヴのドキュメンタリー番組がNHKで放映され、その中でPV作りもありました。
アンジェラ・アキってずいぶん苦労してるんですよね、アメリカで日本で。インディーズ系で這い上がってきたという感じ。僕の好きな歌手の一人です。


アンジェラ・アキの2008年9月リリースの8番目のシングルが
手紙 ~拝啓 十五の君へ~
です。今年の卒業式やお別れ会でずいぶん歌われたことでしょうね。このYouTubeでは、中学3年生たちなんでしょうね、聴衆の表情がたまらない。僕にもこんな頃があったんだなぁとしみじみ。
15歳のみんな、この歌聴いてガンバってね。ガンバってもどうにもならないこともあるけど、それでもまた前を向いて歩いてね。ボクなんかは一生懸命歩いてないとたちまち後退してしまう人生だけど(恥)、15歳の君は、立ち止まっているようでも/ずるずる後退してるようでも、前に進んでいるんだよ。それが君たちの特権でもある。ボクのような60過ぎには羨ましい限り。

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by tiaokumura | 2009-04-01 06:35 | 音楽 | Comments(0)