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プティット メルヴィーユにて

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(9月17日夜・記)
9月15日、ハイランドロッヂ時代の仲間9人で多磨霊園に行き、林玄さまの墓参。
その後吉祥寺に出る。「プティット メルヴィーユ」に行くにはまだ時間が早すぎるので「吉祥菜館」に入り、中華料理数品・生ビール。ずいぶん人気があるお店のようで、お客さんも多く味も(概ねしつこい味でなく)おいしかった。
4時過ぎに「プティット メルヴィーユ」入店。吉祥寺駅から徒歩15分くらい、閑静な住宅街にあるフランス料理店。ここのオーナーシェフのポパイがハイランドロッヂ時代の僕たちの仲間。僕は、もう15年以上前になるか、「日本語教育能力検定試験」というのを青山学院大学で受験のため上京した折、帰りに立ち寄った。それ以来で2回目。
「ポパイ」というのはもちろんニックネーム。あの頃は互いにニックネームで呼び合うことが多かった。因みに僕の当時のニックネームは「センセイ」でした。今「先生」と呼ばれる生活が実現してるんで、何か奇妙な感じ(爆)。

ハイランドロッヂ時代の話で盛り上がる。ポパイが言うには僕に料理を教わったとのこと。とんと記憶がないのだけど、僕がイチオウ彼の先輩だったので、彼の言うとおりなのだろう。フライパンの振り方は確かに教えた記憶がある。今彼の立派な姿を見ると、少しは彼の役に立てたのかなぁと感無量。
ハイランドロッヂ時代は、いわば梁山泊時代。皆それぞれにエピソードや伝説の持ち主。今回話しててビックリしたのだけれど、僕の場合は「煮えたぎる油に平気で指をつっこんでいた」なんて伝説?があった。う~ん、そんなこと、自分してたんでしょうか。記憶の細いかすかな糸を辿ると、ランナーズハイならぬコック・ハイにでもなって(激爆)そんな真似しとったんかもしれんと思い出す。
パセリさんが中山ラビ(今は国分寺の「ほんやら洞」のオーナーでもある)のライブの話題をふって、友部正人(彼のライブをハイランドロッヂでやった)・山崎ハコ・リリぃ・カルメンマキ・浅川マキなどの話で盛り上がる。あの頃は「音楽」も生活の一部だった。みんな「青春」してたんでしょうね。今は一番若いポパイで50近い年齢。あの頃はポパイも希(まどか)もずいぶん年下に思えたものだけど、こうして皆「中年」になってみると、年齢差なんて縮んでるように錯覚する。僕が唯一の60代ってぇのは、ごまかしようのない厳粛な事実^^なのだけど。
写真、ケータイのカメラ機能が悪くて薄ボンヤリしてますが、上席で立っているのが僕、その右がポパイ、ポパイの奥様。この写真は居合わせたポパイの息子さんに撮っていただきました。

プティット メルヴィーユ」はホームページがないようなので、お店のネームカードから以下一部引用します。
Petite Meruveille
武蔵野市吉祥寺南町2-25-12
 春には はるの香りを
 夏には なつの彩りを
 秋には あきのよろこびを
 冬には ふゆのぬくもりを
そんなささやかな感動をおとどけします
こじんまりとした我家にお立寄り下さい

皆様、ぜひご訪問を。毎火曜日・第3月曜日はお休みです。
by tiaokumura | 2008-09-15 16:09 | このブログのこと | Comments(0)

林秀子さんを囲んで

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(9月17日夜・記)
今から35年以上前になるが、当時のボクは、荒んだ・その日暮しの・どちらかと言えば投げやりな日々を送っていた。時効を待っている案件も一切ないのだから(爆)、堂々と当時の生活をここで公開してもよさそうなものですが、今でもまだ生々しい記憶として僕の中で残存していることもあるので、いまだブログで書き記すのは憚られる。
で、そんな時に、言ってみれば「拾って」いただいたのが、林玄・コクテール堂社長(当時)である。従って、昨年9月23日に林社長が亡くなられた時には、何を措いてもご葬儀に参列申し上げなければならないところだったのですが、上京することができなかった。1年近くその時の慙愧の想いを引きずってきて、ようやく去る9月15日、故人のお墓を御参りすることができた。

9月15日早朝上京、午前10時過ぎ、皆と待ち合わせのカフェ・デ・カフェ(国分寺)に入る。同店は、林社長がご自身の理想を込められて造られたお店なのでしょう。「カフェの中のカフェ」。僕は今回で2回目の訪問。残念ながら9月15日で閉店しますが、おそらく後々まで語り継がれるカフェとなることでしょう。内装・調度類・カップ・コーヒー器具類など全て一流、もちろんコクテール堂のコーヒーなのでその味も最高級、店員教育も行き届いている。

写真林社長夫人秀子さまを囲んで撮ったものです。秀子夫人には、僕の在勤中(僕は「ハイランド観光」所属で、冬は「ハイランドロッヂ」、残りの季節は「パルム」で働いていた)天引預金をしていただいていて、そのとき貯めたお金のおかげで富山にUターン直後の生活を賄うことができました。秀子夫人に、お世話になったお礼、葬儀に参列できなかった非礼を申し述べた。
写真中央、林秀子さま。他は、ハイランドロッヂ(長野県八方)時代の仲間。秀子夫人の横がブチュ、後列左からアオちゃんの奥さん、コマ(ブチュの奥さん)、郁夫、アオちゃん、希(まどか)、僕、研次、パセリさん。
この後、皆で多磨霊園に。こうして打ち揃って墓参し、林玄さん
「おお、君たちよく来てくれたなぁ」
と喜んでいただけたか、あるいは
「君たちは、みんな僕の見込み違いだったよ」
と叱っておられたか
知る術もない。
いずれであれ、私自身は墓参できて、少しホッとしています。
by tiaokumura | 2008-09-15 10:50 | このブログのこと | Comments(0)

村川いづみさんからのメール

ボランティア精神」は「職業人」には大なり小なり必要な資質なんでしょうが、日本語教師にも「ボランティア精神」は重要な資質の一つ。忙しい日々(&「成果主義」の観点から見れば怠惰な日々^^)を過ごしていますが、ここ何年間か、2つのボランティア活動を継続しています。一つは「富山市民国際交流フェスティバル」のステージ係で、今年は10月11日(土)・12日(日)、富山駅前CiCビルで。
もう一つが「イタリア美術セミナー」の誘導係。「国際交流フェスティバル」も「イタリア美術セミナー」もボランティアには違いないのですが、僕自身が一番楽しんでいます。利害のない立場だし、いろんな方との出会いも含めて楽しめるイベント。間違ってるかもしれませんが、ボランティアが苦痛になったら、主催者側にとっても本人にとっても不幸なことですよね。

第8回イタリア美術セミナー」の案内が、主宰者の村川いづみさんから昨日メールで届きました。
村川さんのメールによれば、今年は
10月19日(日)、富山大学第三校舎141講義室
今回のテーマは
パトヴァという町のスクロベーニ礼拝堂内、ジョットが描いたフレスコの壁画
ということです。
一昨年は「サン・ヴィターレ聖堂のモザイク」、昨年は「ラヴェンナのモザイク」だった「イタリア美術セミナー」。今年も楽しみです。
講師のジュリアーノ・デルベーロさん村川さんシスター・ネリーナにお会いできるのもとっても楽しみ。村川さんがメールで書いていらっしゃるように
一年に一回、まるで七夕ですねえ。
です(激爆)。

ジオット(ジョットとも。Giotto di Bondone1266?-1337)はご存知の方も多いことでしょう。ルネサンス以前のイタリア最大の画家であり、彫刻家・建築家でもある。例のヴァザーリ(1511-74。『美術家列伝』)によって「近代最初の画家」と位置づけられている。アッシジ(Assisi)にある「聖フランチェスコ伝」中の「小鳥への説教」はどなたもご覧になったことがあるのでは。
今回の「イタリア美術セミナー」の舞台は、イタリア北部ヴェネト州の町パドヴァ(パドバとも。Padova。英語表記はPadua)。パドヴァ大学ではかのガリレオ・ガリレイが教鞭をとり、あるいはまたシェークスピアの劇にも関係する町だそうです。
パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂(スクロベーニ礼拝堂とも。Cappella dei Scrovegni)。その壁面は、1305年に完成されたジオットのフレスコ画「最後の審判」「聖母マリアの生涯」「キリストの生涯」「ユダの接吻」で覆われている。全37シーンの内の一つ「哀悼」は、僕が重宝してる『西洋絵画史WHO’S WHO』(美術出版社。1996年)p.3に載ってました。オリジナルはフレスコ200×185cm。

ネットは実に便利なもので、今回の「イタリア美術セミナー」テーマ関連の情報も容易に大量に入手できます。ウィキペディアの「ジオット」日本語版は1ページですが、英語版は6ページ、イタリア語版は(当然と言えば当然ですが)なんと17ページもあります! また「パドヴァ」日本語版は3ページですが、「Padua」英語版は9ページ。「事前学習」っていうと抵抗がありますが、頭でっかちにならぬ程度に情報を仕入れておこうと思う。

ジュリアーノさんの「イタリア美術セミナー」はボクのようなキリスト教にも美術にも門外漢でも充分楽しめます。美の世界を堪能し、参加者同士で「絵解き」に励む。秋の優雅なひと時。
「イタリア美術セミナー」、詳しい案内が届いたらまたこちらのブログに投稿します。ご興味のある方は、10月19日(日)(たぶん午後)に富山大学においで下さい。

今回の村川いづみさんのメールには悲しい知らせも。僕と同じく「イタリア美術セミナー」のボランティアをなさっていた加藤育世さんの訃報を、村川さんが加藤さんの息子さんからいただかれたそうです。ボランティアは何人かおられ、どの方が加藤さんか私は存じ上げていないのですが、昨年は受付をなさっていたそうです。
ここに謹んで加藤育世さまのご冥福をお祈り申し上げます。
by tiaokumura | 2008-09-14 14:09 | 美術 | Comments(0)

モディリアーニ展、GRACIANIなど(後編)

9月6日(土)午後3時過ぎ、モディリアーニ展会場の国立国際美術館を後にする。梅田までぶらぶら歩いて30分くらいなのかもしれないが、ちょっと疲れ気味なので、美術館を出て、たぶん淀川なんでしょうか、肥後橋を渡り、地下鉄の肥後橋駅に。富山では中吊り広告のある電車に乗れる機会が少ない。目的地が都会の旅では、電車に乗って車内広告を見るのも楽しみの一つ。今回は、モディリアーニ展以外に、シャガール、コロー、佐伯祐三の展覧会の中吊り広告を目にした。もし3つの中でどれが観たいかと言われれば、僕の場合は佐伯祐三でしょうね。
今年はあと「フェルメール展」が観たい。10年以内に日本でまたフェルメール展があるかどうか疑問で、ひょっとして日本でこれだけまとまった作品が観られるのは最初で最後になるかもしれないと思う。日本の経済力や美術マーケットの地位は衰退する一方だろう。アジアでこれだけのフェルメールが次に観られるのは、ひょっとして北京か上海、デリーあたりになるのではなかろうか。中国人は今はフェルメールにはほとんど関心がないだろうけど、やがて成金趣味が増え、かつての日本がそうであったように札束にモノを言わせて欧米美術コレクションに走るかもしれない。フェルメールがオランダやその他現在の所有地から流出するなんてことも、ひょっとしたら30年・50年のスパンでありそうですよね。数多くの美術品が、戦火をくぐり、個人に秘蔵され、倉庫の片隅に埃をかぶって眠り、美術史上無視され続け、などといったそれぞれの運命を辿ってきたことでしょうね。さもあらばあれ、願わくば、私たち一般大衆のために広く公開されんことを。
美術鑑賞は僕の数少ない趣味の一つ。ただ残りの人生で、この美術館に行きたい・この企画展があったら行きたい、ってのはごく限られている。大原美術館は一昨年だったか行ったので、これからぜひ行きたい美術館は「岐阜県美術館」。ここはルドンのコレクションでは日本一。20代の一時期、ルドンが一番好きだった。最後にルドンを観たのは2000年にオルセー美術館でだったか。岐阜県美術館は、そのホームページによると油彩画・石板画・デッサンなど約250点収蔵だそうです。来年から年に2回以上は名古屋入管に行くので、その行き帰りに岐阜県美術館に立ち寄ってみたい。

西梅田からJR大阪。JR神戸線に乗って住吉下車。住吉から六甲ライナーに乗り、今回の宿泊ホテルへ。
ホテルプラザ神戸
僕はベストリザーブを利用することのほうが多いのですが、今回は楽天で予約。六甲ライナーでアイランドセンター下車。そこから歩いて5分くらいにあるホテル。フロントでチェックイン。
今回の旅の目的の一つは「モディリアーニ展」で、もう一つは「六甲ガーデンテラスの夜景」でした。先日の朝日新聞に載ってたのですが、「アスパラクラブ」会員にネットで「行きたい夜景スポット」アンケートを取った。断トツ1位が「函館山」(11308人)。そして、「東京タワー」(3603人)を押さえて2位が「六甲ガーデンテラス」(3660人)だったのです。ちなみに4位以下10位までは、「六本木ヒルズ・東京シティビュー」「レインボーブリッジ」「摩耶山・掬星台」「横浜ランドマークタワー」「小樽運河」「稲佐山」「神戸ポートタワー」。兵庫県、すごいですよね、ベスト10に3つも入っている! で、フロントで「六甲ガーデンテラスに行って夜景が見たい」って申し上げたら、あらら悲しいことに今からじゃぁ無理ってお返事。車があれば可能だったんでしょうが、あいにく電車利用旅ですもんね。
お部屋は17F。少し部屋で休んで夕食までの時間、ホテルもその一部である六甲アイランドを散策。20周年の宣伝広告あちこちに。1988年にここが出来た頃はきっと賑やかだったことでしょうね。でも今は往時の面影はなく、人通りまばら。シネコン併設みたく、『おくりびと』(滝田洋二郎監督)のポスターもありました。この映画の話題を新聞記事で初めて読んだ時、一瞬、青木新門さんの『納棺夫日記』が原作かと思いましたが、実際はそうではなかった。でも主演の本木雅弘の話では、彼はかなり以前に『納棺夫日記』を読んでおり、今回の映画の役作りのために青木さんにも教えを乞うたそうです。『おくりびと』、明日13日公開。観たい映画です。
今回のホテル宿泊は夕食・朝食つき。
夕食。18Fの「ボンボヤージュ」で鉄板焼きディナー。ソムリエールのお薦めで、グラスワイン白でスタートし、肉が出る頃にグラスワイン赤。シェフがカウンターをはさんで対面で焼いてくれる。背景の神戸の夜景。
1717室に戻る。部屋からの夜景をちょっとは期待してたのだけど、う~ん、ダメだった。2004年1月に泊まった「メリケンパークオリエンタルホテル」の夜景、あれはすばらしかった。港から四国に向けて出航する船、埠頭を散歩する人、遠くの灯台?、テラスの夜風、潮の香りなど。あのホテルはきっと☆☆☆☆☆。僕の人生で最高のホテルライフだった。あの頃の日常生活を考えると、ボクはきっとあの時「一点豪華主義者」だったんだろうな(爆)。今回のホテルは☆☆かなぁ。分不相応に高いホテルではあるのだけど、夜景まで期待するのは期待過剰ってもんでしょうね。
朝食は夕食とは違う「潮路」というレストランでバイキング。昨夜のソムリエールが僕のことを覚えていてくださって嬉しかった(照)。
10時過ぎチェックアウト後、六甲ライナーの駅へ。

GRACIANI
今回の旅で関西に入ってどこの本屋でだったか、買った雑誌が『Richer(リシェ)』創刊号(京阪神エルマガジン社。648円+税)で特集「私たちの好きな神戸」。地元の人が推奨するレストラン特集を見ていて「GRACIANI」に行きたくなった。
六甲ライナー「アイランドセンター」→住吉。JR住吉→三ノ宮。やっぱボクって方向音痴なんでしょうね、異人館通りで混乱してしまってお店にTEL。TELしたところからお店まで歩いて3分くらいでした(恥)。門を入ると右手に庭。階段を上って建物の中に入り右手の椅子席でしばし待つ。11:30オープン。ギャルソン(今の時代はムッシュか)のお顔が中国人に見えたので「中国の方ですか」って聞いたら正解だった。欧米人には日本人・中国人・韓国人の区別なんてとんとつかないだろうけど、僕は職業柄もあってか、中国人と韓国人、ネパール人とインド人、タイ人とベトナム人、ドイツ人とオランダ人etc.かなり高い確率で識別できるんです(「識別」って失礼なもの言いだったかも)。GRACIANIの彼は元留学生でこういう仕事に興味があったそうです。お店は1年前にオープン。築100年の洋館で、かつては貿易商グラシアニ一家の居宅だった。ランチはJeunesse、Saveurs、Vériteとありますが、もちろんボクは「ジュネス」っす(爆)。それでも、シャンパン、グラスワイン赤(V.Brouilly)を大奮発しましたが(激爆)。
ムニュー・ジュネス(Menu”Jeunesse”)
本日のお口取り→スズキのカルパッチョ 夏野菜のグレックとドライ醤油の香り→鱧、ムール貝、甘海老のブイヤベース仕立て 帆立のムースと供に→(メインは魚か肉か選択)ブルターニュ産・鶉のロティ レモン・コンフィと生生姜風味のジュ→アヴァンデセールとお皿盛りのデセール、おまかせで→カフェとプティフール
シェフは森永正宏さん(1967-)。「シェ・イノ」で井上旭さんの下で6年修業。93年フランスに渡り「ギー・サヴォワ」(パリ☆☆☆)などで働き97年帰国。京都時代を経て2003年より名古屋マリオット52階ミクニナゴヤ総料理長。07年ファイブワークス入社、グラシアニシェフ。とまあこういったご経歴の持ち主(同店パンフレットに拠る)。
僕がいただいたのは1Fダイニングで全部で20席。1Fバー・テラス、2F個室・ダイニングと全部合わせて97席のお店。
レジで支払い。おもてなししていただいた中国人スタッフに「再見」。店を出て異人館通りを歩く。ふと振り向くとお店の門のところでスタッフのお一人がお見送り。こういうのって「なんで俺みたいなモンに」って照れくさいですよね。通りをしばらく歩いてまた振り返るとまだ彼の姿。照れくさいこと限りなし^^で、生田神社に抜ける道(何通りになるんだろう)へと小走りで^^左折しました。

東急ハンズ
生田神社は藤原紀香が何とかという芸人と挙式した神社だそうです。その横を通って「東急ハンズ」へ。
僕は9月下旬に海外出張。そこで、現地でお世話になるであろう方々へのお土産を「東急ハンズ」で物色。日本的なるモノであまり重くなく相手に喜ばれる品-それが理想。なかなか「これは!」ってのが見つからない。結局、和紙・手ぬぐい・風呂敷など数点購入。

ジュンク堂
東急ハンズもそうだけどジュンク堂も富山にはない(、たぶん)。元町にジュンク堂があったので入店。ところで、富山大和ってデパートに「紀伊國屋書店」がテナントで入ってるんですが、先日富山国際学院の同僚に聞いた話では「撤退しそうだ」とのこと。う~ん、まだ1年にもならんのに。もしその噂が本当なら極めて残念なことです。
ジュンク堂ではビジネス関連のコーナーで物色し、3点購入。

「ジュンク堂」を出てJR元町駅→大阪駅。大阪駅で1時間くらい過ごし、大阪17:42発サンダイバードに乗る。富山駅着20:54。

1泊2日で何箇所も回る旅でしたが、それでもいつもの出張から見ると割とゆったりできた旅でした。
神戸って、やっぱりいいなぁ。
by tiaokumura | 2008-09-12 22:05 | 美味録08年 | Comments(2)

山口富藏さんご出演のTV番組を見る

昨日火曜日は金沢日。朝、朝日新聞のTV番組欄を見てたら「あ、この番組、ぜひ見たい」ってのが紹介されてた。「でも、午後10時の放映に間に合うかな」とも思った。幸い、仕事の後の金沢での夕食がさっさと済ませられ、帰宅したのが9時半頃で放映に間に合った。
番組名はNHK-G午後10時~「プロフェッショナル」
茂木健一郎が司会(NHK女性アナウンサーも出ていた)で、「プロジェクトX」の後継番組なんでしょうか。人気がある番組みたいですが、僕は初めて見ました。その「プロフェッショナル」97回で取り上げられていたのが山口富藏さん。45分の番組で、こんなに熱心にTVを見たのは北京オリンピックの女子ソフトボール決勝戦後半以来で、今月では初めて。
山口富藏さんのお名前は寺本益英先生(関西学院大学経済学部教授)のブログで知りました。寺本先生とは、実弟(このブログでは「のぶ」)の取り持つ縁で2回お目にかかっております。寺本先生がコーディネートされた関学の授業「日本の食文化史」の講師のお一人が山口富藏先生(以下「山口さん」と書かせていただきます)なのです。

山口さんは京菓子「亀屋末富」の三代目。1937年のお生まれで御年71歳。関学経済学部をご卒業後銀座「松崎煎餅」で修業され、その後実家に戻られ父・竹次郎の下で修業、現在は菓子司(最高責任者)。

当夜の走り書きのメモを基に以下に番組を再構成しますが、間違いもあるかと思います。その辺はご容赦下さい。
①朝6時、象の柄のネクタイをして1Fの仕事場(厨房)に出る山口さん。「富藏」→ぞう→象、だそうです(爆)。こういう「遊び心」が匠・山口さんのバックボーンになっているのですね。菓子は規格が揃ったものでなく「羅漢のように不揃い」がいいそうです。
唐招提寺での茶会向けに、東山魁夷(1908-99)の襖絵をヒントにゆり根を使った菓子を考案。
女性の囲碁の会の40周年を記念した会の主菓子の注文を受ける。彼女らは山口さんにとって一見の客なのだが、そういう客にも懸命になる山口さん。客の要望を聞きどんなお菓子がいいか、岩波古典文学大系なども引っ張り出して研究を重ねる。「一期一会」の精神。
④父竹次郎の下での修業時、効率重視の菓子作りを考える山口さんに父は「自分でやったら、わかるさかいに」とだけ言う。父の死後、大きな仕事の注文が来る。生菓子1000個の発注。「効率」を考えた山口さんは、提供する時間を逆算して作られたんでしょうね、前の晩のうちに作り終える。朝、さて配達をと思った山口さん、愕然とする。菓子の表面が乾いてしまっているではないか。これじゃ「生」菓子じゃありませんよね。「その時は臍を噛む思いだった」と述懐する山口さん。若き日の大失敗。
⑤父の後をついで数年、父と同じように作ったつもりでも、客からは「お父さんのときとは、えらい違うな」と批判される。苦しい暗中模索時代が続く中、上述④の大失敗の時の家元夫人の「一期一会」という言葉が天啓のように脳裏を走る。「一人ひとりの客と正面から向かい合う」ことの大切さを知る。なじみ客も一見も、お菓子を食べていただく上では「一期一会」。歴史・芸術を猛勉強しながら菓子作りに励む山口さん。父の後を継いで10年経って、父と比較されなくなる。その10年の間、かつての客が「末富」離れしなかった(他に店へは逃げなかった)のは「すごい」と思った。つまり、客たちにも「なんとか富藏を竹次郎と同じ、いやそれ以上の腕にまで育ててやりたい」という希望・心意気があったんでしょうね。すばらしいことです。「文化」が育つ土壌、京都の文化の底力を感じました。その期待に負けなかった山口さんももちろんすばらしい。
⑥「伝統と革新」、菓子作りで大切なポイントだそうです。芭蕉の「不易流行」を連想しました。そして、前述の「遊び心」も大切なポイントとのこと。
⑦今回の番組のクライマックスになるのでしょうね。7月26日に茶会の仕事が入る。山口さんのお店に現れた依頼者が言う。「納涼茶会がある。今年は源氏物語千年紀。そこで『夕顔』の巻の『六条あたりの御忍びあるきのころ。内よりまかで給ふ中宿りに、大弐のめのといたくわずらひて・・・』にちなんだ菓子を用意してくれないか」。山口さんの苦闘が始まる。アイディアとしては、生菓子と干菓子で物語を紡ぐことに。
⑧「白き扇」から干菓子のモチーフが決まり、表面を飾るお香をどうするかと「源氏香の図」の「夕顔」も調べ、7月31日見本が完成する。ご本人曰く「会心の出来」。そして、そこからが山口さんのますます偉いところ・すごいところで、その「会心の出来」で決まりとするのではなく、お客さんに選択肢を提供するためにもう一品作り、あくまでもお客様に選んでもらうのだという。普通だったら「会心の出来」を客に提示し「これでどうだ!」とエバるところでしょうが、山口さんはあくまでも「お客様重視」なんですね。
⑨8月2日、依頼者来店。くずの生菓子、それに⑧の干菓子(扇の菓子と、これも「夕顔」の垣根にちなんだ檜菓子の2品)。ところが組み合わせてみて「緑―緑」で色のコントラストが悪い。この場面、僕も見ていてハラハラドキドキしてました。だがそんな危機も匠の日頃の蓄積がものを言って、難なく切り抜ける。
⑩8月8日納品。茶会とは襖を隔てた裏で菓子を用意する山口さん。茶会が終わって、源氏香の扇子を持った中年女性が山口さんに話しかける、「至福の時でした。本当にありがとうございました」と。匠にとって最高の褒め言葉でしょうね。
⑪司会者から「プロとは」と尋ねられた山口さんのお答え。「楽しめなければいけない。自分なりの嬉しさを持つ。プロを楽しんでやる」。
⑫順番が前後しますが、京菓子と和菓子の違いを尋ねられた山口さんのお答え。「公家文化を踏まえている。もてなしの食べ物である。京都の季節を織り込んでいる」。
⑬茂木が「モーツァルト交響曲40番」が好きだということで、山口さん、茂木のために創作した京菓子をスタジオでご披露。司会者冥利でしょうね^^。

私は日本語教師を生業としているので「プロの日本語教師」ということにはなる。だが、プロとしての深さは山口さんにはるかに及ばない。我が日本語教師人生で、学生(お客)と正面で向かい合っていると言えるのだろうか、授業(京菓子)にどれだけの想いを込め努力しているだろうか。残りせいぜい10年程度の日本語教師人生だが、「日本語教育司」に少しでも近づきたい、と、そういうことも思わせられた番組でした。

当夜見逃された皆様、再放送があったらぜひお見逃しなく!
こういう番組があると、TV受像機、なかなか捨てられませんね(照)。

いつか、山口富藏さんの京菓子が食べたい!
by tiaokumura | 2008-09-10 20:58 | 美味録08年 | Comments(4)

モディリアーニ展、GRACIANIなど(前編)

9月6日(土)・7日(日)と1泊2日の大阪・神戸旅行。
6日、サンダーバード18号大阪着12:37。大阪でおいしいうどんを食べようとうろうろ探してたら「吉兆」発見。

吉兆(大丸梅田店)
あんなことがあって「吉兆」はずいぶんイメージダウンしてしまいましたが、僕なんかには吉兆は吉兆、憧れ。湯木貞一(1901-97)は、北大路魯山人(1883-1959)、辻静雄(1933-93)、村上信夫(1921-2005)と並んで「四天王」と勝手に思ってます。どの方も今は故人ですが、生前1回でもこの方たちの関係するお料理を味わってみたかったものです。松花堂弁当なら食べたことあるけど^^。
湯木貞一は、僕の20代の頃になるでしょうか、花森安治の『暮しの手帖』での連載「吉兆つれづればなし」(花森による聞き書きスタイル)で知りました。あれから40年近い歳月が流れ、自分があの頃の湯木翁に近い年齢になってやっと「吉兆」で食事ができる(ってもランチですが^^)というのは、いささか感慨深いものがあります。
テーブル席と個室、合わせて50席くらいのお店でしょうか。「季節点心」と生ビール。
食事してても、ボクって根がいやしいんでしょうね、意地悪く味を吟味したりサービスをチェックしたりしてしまいますが、そういう下司な振る舞いを凛として拒絶するおいしさ・器・おもてなしでした。さすが吉兆ですね。レジで支払いをしてたら、「船場吉兆とは無関係だ」というような意味の掲示がありました。そうなんですよね、ここも「被害者」と言えるんですよね。「吉兆・大丸梅田店」は本吉兆(長男)の系列のようです。
「吉兆で食事してきた」って言っても誰も信じないかもしれないんで、「KITCHO」の紙袋入りのつまようじを2本もらってきました(激爆)。

モディリアーニ展
「吉兆」を出て西梅田から地下鉄四つ葉線に乗り一つ目の「肥後橋」で下車。炎天下(暑かった)、歩くこと約10分。やがて前方に「大阪市立科学館」が見え、その右に「国立国際美術館」。「モディリアーニ展」の会場。
今回の旅の目的の一つがこれ。岩波書店のPR誌『図書』9月号の裏表紙(丸善やバーバリーの宣伝がよく載ってるページ)にもこの展覧会の広告、載ってました。
20代で初めて観て、モディリアーニ展はこれで3回目かなぁ。人気のある画家なんで5年に1回くらいは日本国内で展覧会やっていそうな感じ。
4章構成の展示。Ⅰ章「プリミティヴィスムの発見」、Ⅱ章「実験的段階への移行」、Ⅲ章「過渡期の時代」、Ⅳ章「仮面からトーテム風の肖像画へ」。
今回の展覧会は、モディリアーニとプリミティブ美術との出会い及びその影響下の作品群(「カリアティッド」)が目玉なんでしょうね。確かに僕たちが知っている「モディリアーニ」になるまでに、彼は「カリアティッド」時代(1910-14年頃。今回の展示ではⅡ章)を経ているというのが、今回の展覧会を観てよくわかる。ピカソだって「ピカソ」になるまでに膨大な量のデッサンをこなしている。モディリアーニやピカソなどの画家におけるそういうプロセスは、我々が母胎にあって「生命史」をたどるのと似ているのかもしれない。それにしても、あのまま「カリアティッド」からフォーヴィスムやキュビスムに走ってもよかっただろうに、モディリアーニがそうならずに「モディリアーニ」になったのは何故なんでしょうね。そのあたり(既に解明されてるのでしょうが)考えてみる価値があるかもしれません。
カタログ、ポストカード数葉(「ピエール=エドゥアール・バラノフスキ」がいい)、トートバッグ(黒地にモディリアーニの文・サイン入り)を買う。ジェラール・フィリップ(1922-59)の『モンパルナスの灯』(ジャック・ベッケル監督。1958年)も期間中上演されてたようです。昔観たのでウロ覚えですが、モディリアーニの死を知った画商が「これで彼の絵が高く売れる」とほくそえむシーンが印象に残っている。ゴッホもそうだけど、没後になってようやく評価が高まった多くの画家たちのことを思うと、村上隆や奈良美智、悪いとは言わないけど^^、時代もずいぶん変わったもんだなぁと思う。「運も実力のうち」なんだろうけど。
by tiaokumura | 2008-09-08 21:55 | 美術 | Comments(4)