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岡田芳郎『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男は・・・』(講談社)

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岡田芳郎(1934-)
世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか
2008年1月18日 第1刷
講談社
1700円+税

(4月12日夜・記)
富山弁に「みゃあらくもん」と言う言葉がある。共通語で「道楽者」ということにでもなるのだろうか。あるいは「道楽者-酒色」かもしれない。いや、酒道楽・色好みを否定してるんじゃありません(汗)。ジョン・レノンの「イマジン」に出てくる
You may say I’m a dreamer
dreamerが「みゃあらくもん」かなぁ。僕にはとうていなるのは無理ですが「みゃあらくもん」、いい響きです。
たぶん佐藤久一(1930-97)も「みゃあらくもん」。酒田では「みゃあらくもん」に当たる言葉は何でしょうか。
本書は、岡田芳郎(1934-。早大政経卒、56年電通入社、98年退職)が定年退職後鬱々としていたある日、姉の家で偶然佐藤久一の妹に久一についての話を聞いたことに端を発してなった書。佐藤久一は「忘れ去られた男」(僕の調べてみたところではウィキペディアに彼の項目はなかった)ということだが、その男を「発掘」した岡田と佐藤には、時空を越えた運命の結びつきを感じる。
前袖にある佐藤久一の略歴から抜粋する。

1930年1月、山形県酒田市生まれ。
50~64年、映画館「グリーン・ハウス」支配人。
64年4月、日生劇場勤務のため上京し、同劇場課、食堂課で働く。
67年8月、酒田に戻り、以後、「レストラン欅」、「ル・ポットフー(清水屋)」、「ル・ポットフー(東急イン)」の支配人を務める。

グリーン・ハウス」時代には今では当たり前の顧客サービスを次々と企画実行する。それが20代だったから正に脅威です。彼が上映した映画には
ローマの休日、風と共に去りぬ、エデンの東、死刑台のエレベーター、甘い生活、哀愁、雨に唄えば、天井桟敷の人々、黄色いリボン、禁じられた遊び
などがある(順不同)。勿論もっとあるんですが、僕好みで作品名を勝手に選ばせてもらいました。このラインナップのすごさ、きっと皆様にもご理解いただけるのでは。佐藤は目利きだったんですね。
日生劇場時代には『恋の帆影』が上演中だった三島由紀夫(1925-70)から
「やあ、ご苦労様です。この劇場はいつ来ても胸がときめきますな」
と声をかけられ
それ以来久一は、もし酒田に劇場をつくるときは、できることなら三島の協力を得たいと考えるようになった。(本書p.99・一部略)
1967年11月30日「レストラン欅」オープン。「どうしたら、酒田ならではのおいしいフランス料理ができるのか」を追求する佐藤は1969年4月、辻静雄(1933-93)を大阪に訪れる。辻調理師専門学校の辻の私室で二人は強い結びつきを感じる。佐藤は自店のコックを引き連れポール・ボキューズ(1926-)らの講習会にも参加する。ところがその時、久一は大失敗をするのですね。ボキューズに親しみを込めて「ポール」とファーストネームで呼んでしまったのです。で、それで終われば「大失敗」なのですが、頭を下げて丁寧にわびる佐藤に何か感じるところがあったのでしょう、ボキューズが
「何が聞きたいんだね」
と近寄ってくるではないか。久一が居住まいを正してポシェの程度について尋ねると、ボキューズは「そこがいちばん大事なところなんだ」と丁寧に教えはじめた。
(本書p.134)
もう1箇所、本書からご紹介。開高健(1930-89)が1974年10月に佐藤三郎(当時・本間美術館副館長)に連れられて「ル・ポットフー」にやってくる。当夜の彼の飲食を本書をたどりつつ紹介する(本書pp.150-151)と、アペリティフに「初孫」、前菜に「うずらの網焼き」の後、「トマト入り牛せんまいのグラタン」、プーイィ・フュイッセ白、「がさ海老のマリニエール」「真イソのポワレ」、ボルドー赤。メインデッシュは「アントレコート・マルシャン・ド・ヴァン」。デザートは「チョコレートのムース」、コーヒー。
ル・ポットフーを出て、暗くなった酒田の町を歩きながら、開高は佐藤に言った。
「今日は生れて初めての体験をしました」
(本書p.151。引用箇所の佐藤は佐藤三郎-奥村注)
開高は後日丸谷才一(1925-)に彼の体験を話す。やがて丸谷もル・ポットフーを訪れ絶賛することになる。丸谷が食べた料理はp.152に載っています。

こんなにも魅力あふれる佐藤久一が「なぜ忘れ去られたのか」は本書をお読みいただいて各自確かめていただくことにして、それにしても、佐藤久一があの時代にあの土地にいたことは、ノスタルジーではなく尊敬に値する事実である。
by tiaokumura | 2008-04-09 18:45 | | Comments(6)

こんな授業・あんな授業(7)授業開き

ボクって根っからの小心者なんでしょうね。初授業、めっちゃ緊張するタイプです。明日4月7日は新年度B組の授業開始日。今晩ちゃんと眠れるんじゃろか(汗)。明日の朝、5時頃に眼が覚めちゃうんじゃないだろか(汗)。
今日6日、上海発富山着の学生Yさんを富山空港で出迎え。空港で5年ほど前の卒業生と偶然出会う。世間って狭いもんですネ。新入生のYさんのアパート関係済ませて3時頃帰宅。帰宅後、B組の準備に専念。シミュレーションを何度か繰り返しながら明日の準備。

4月7日(月)
始業前
 打ち合わせ・準備チェックなど。
1時間目
 warm-up。
 自己紹介(教師・学生)。
 プリントを使って、年間予定・B組目標などについて説明。B組で学ぶモチベーションをつける。
2時間目
 主教科書1回目。
 進度、予習・復習のしかた、テスト予定などについて説明。
 「この教科書が終わったら何ができるようになるか(can-do-statements)」について教師・学生
 が共通理解を持つようにする。
3時間目
 副教科書各種1回目。
 副教科書各種の使用目的・進度・予習復習・テストなどについて説明。
 「この教科書が終わったら何ができるようになるか(can-do-statements)」について教師・学生
 が共通理解を持つようにする。
4時間目
 アンジェラ・アキ『サクラ色』(楽譜・CD)。
 聴解。
 今日やったことの確認・連絡事項・宿題提示。

↑こんな感じかなぁ、明日は。
B組学生の中には教えたことがある学生が2人いますが、残りの学生は初めて教えます。教師にとって学生の一人一人はone of themになりがちですが、学生一人一人にとっては教師はallである。担当教師としては、早く名前と顔を覚え、個々の学生の性格や学習スタイルがわかって、「この先生ならついていきたい」と学生に思わせられるようにしなければならない-言葉の上では簡単ですが、ボクのような未熟な日本語教師にとってはこれは至難の業でもある。自分なりのB組目標をしっかり持って、この1年間を過ごそうと思う。

今日、旧B組(僕が担任)所属だった卒業生からTELがあった。東京に出発するとのこと。日本全国各地で、学校・会社などで数多くの「新しいスタート」があるんでしょうね、4月上旬は。
by tiaokumura | 2008-04-06 21:00 | 日本語教育 | Comments(0)

春ですね

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全キャン連」ってのあるんですってね、初めて知りました。僕は浮気もしたけど^^最後はランちゃん(伊藤蘭)ファンでした。1978年4月4日、解散コンサート@後楽園球場。あの時に野太い声で「スー」「ミキ」「ラン」と叫んだヤングも今や中年メタボ^^なんかもしれませんが、昨日30周年のイベントあったみたいです。後楽園球場は今はないんでどこで何をやったんでしょうか。わかりません。キャンディ-ズの「春一番」って、ビバルディの「四季」と並んで春到来の定番曲ですよね。
ところでアメリカでは、例えば1963年11月22日1969年7月20日1980年12月8日2001年9月11日-その日あなたはどこで何をしていたか、って設問のしかたがあるそうです。日本ではさしずめ1974年10月14日1978年4月4日1980年10月5日あたりが、ある世代には「その日あなたはどこで何をしていたか」って日になるかもしれませんね。長嶋引退の日、僕は東京のスナックで働いていたし、キャンディーズ解散の日は長野県八方でハイランドロッヂの後片付け、山口百恵のときは富山で塾講師してて妊娠中の妻と第1子を待ちわびていた、といったところかなぁ。

富山国際学院08年4月新入生は国籍で言うと中国・ネパール・バングラデシュ・インド・スリランカ・インドネシア・パキスタン・フィリピン。他の日本語学校については知りませんが、地方都市にある日本語学校でこれだけ「多国籍」ってあまりないんじゃないんだろうか。ありがたく感じると共に身の引き締まる思いもします。
3月下旬から4月中旬にかけて新入生が次々と富山入りする。僕も4月から専任なので出迎え業務に参加。中国人学生の場合は大連/上海→富山空港、他は、成田/関空に着き、JR/高速バスで富山に来るパターンが多い。僕は今週木曜日、関空→JR富山駅利用のネパール人の女の子Nさんを迎えに行きました。彼女、高校出たてなんでしょうね、キラキラした感じの女の子。「ナマステ」「メロ ナーム おくむらホ」「カナ カヨゥ」「ダンネバード」しかネパール語わからんので(大汗)、出迎えの大役務まるか心配だったんですが、なんとかJR富山駅で迎えることができ、アパートまで送ることができました。
外国人のアパート入居、日本はいろいろ難しいことがありますが、富山国際学院の場合、幸いなことに富山市内に4箇所くらい即入居可能なアパートがあります。ここまでに辿り着くまでに苦労もありましたが、大家さん・不動産屋さんのご理解があればこそで、深く感謝しています。火事・交通事故・盗難・トラブルなどには、たとえ休日や真夜中でも対応する準備はしていますが、学院生たちが身近に接する大家さん・不動産屋さんのご協力は学院の運営にとって不可欠条件。Nさんが入居したアパートの大家さんのTさん(女性)は、70代でしょうか、学生たちに親切かつ厳しく接していただいている。かなり以前「今日から私は民間外交官」なんてアホなキャッチコピーが日本語教師養成講座の募集にありましたが、Tさんのような方こそ「真の民間外交官」「地球人」と言える。
人にはそれぞれ忘れられない日がある。ネパール人のNさんにとって、2008年4月3日ってきっとa date to remember。イケメンの若い日本語教師がお出迎えだったらもっとよかっただろうけど(激爆)。Nさんの2年間の富山での生活、実り豊かなものになってほしい。2年後に「日本/富山に来てよかった」「富山国際学院で日本語を勉強してよかった」とNさんに言ってもらえるよう、我々は全力を尽くさなければならない。

写真は富山市が発行している外国人向けのパンフレットと冊子(左は英語版、右は簡体字版)。あちこちの自治体で同種のものを出してると思いますが、富山市のものもとても役立つスグレモノです。パンフは「富山の遊び場(英語版タイトルToyama City Sightseeing Guide Map)」。合併後大きくなった富山市のほとんど全ての観光地を網羅してます。冊子は「生活情報ガイド(英語版タイトルDAILY LIVING GUIDE)」で、日常生活のあれこれについてきめ細かく説明してあります。
今日から富山市民国際交流協会@CiCの「中国語入門A」(湯老師)が始まって受講。その帰りに富山市民国際交流協会で写真のパンフレットと冊子をもらってきました。無料です。感謝。

富山は今日20℃だったとか。春本番。富山国際学院の新年度の授業はいよいよ4月7日にスタートします。
by tiaokumura | 2008-04-05 13:15 | 富山 | Comments(0)

島耕作氏、初芝・五洋ホールディングス初代社長に就任

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写真は朝日新聞08年4月2日付「島耕作氏、初代社長に」。昨日だったらエイプリルフールと誤解されるんで今日になったんかもしれん(嘘爆)。
長野県松本市近郊で年下の友人希(マドカ)が土壌菌を使った有機農業・酪農を営んでいる。12年ほど前になるかある年の夏、彼のところで息子2人と何日か泊めてもらった。弘兼憲史『課長島耕作』(講談社)が揃いで置いてあって、一晩か二晩で完読した。その後の『島耕作』は読んだり読まなかったりです。
若い人はどうか知りませんが中高年サラリーマン愛読者多いでしょうね。島耕作は早稲田大学を卒業して70年「初芝電産株式会社」に入社、課長→部長→取締役→常務→専務と昇進し、08年遂に「初芝・五洋ホールディングス初代社長」に就任します。辞令はまもなくだそうです。
島耕作(1947年9月9日生れ。作者の生年月日でもある。僕より約11ヶ月年下です)、実に魅力あふれる人物。もちろんビジネス世界ですから駆け引き・ずるさもありますが、彼はクールでピュアでニュートラルでタフ。それに大きい声では言えませんが^^、渡辺淳一『失楽園』同様、濃厚なセックスシーンもこのシリーズ人気の秘密でしょうね。「ハンサムで、カネがあって、話上手で、SEXがうまい・強い」ときたら、モテて当然でしょうね。ボクなんか「醜男(ぶおとこ)、カネなし、話ベタ、SEX弱いかつ下手」っすもんネ(恥)。嘘でもいいから1回くらいモテてみたいっす(激爆)。「島の野郎」と思ってるサラリーマン諸氏きっと多数(核爆)。でも柴門ふみ、いくら漫画だとは言え実生活も反映してるでしょうから、ヤキモチやいたりしないんかしら。夫婦仲良さそうだから相互信頼厚いんでしょうね、きっと。
脇役もこのシリーズの魅力。中沢喜一、好きです、理想の上司でしょうね。大町久美子、きっと手こずるだろうけど^^一度お相手していただきたいタイプ(照)。今野輝常、上司にしたくないタイプでいやな奴だけど、人間として弱くかわいそうなところもあって、俺もこうなんだろうなとか思う。
日本が近代国家を歩み始めた頃は「末は博士か大臣か」、戦前は「連合艦隊総司令官・プロ野球監督・交響楽団指揮者」(←僕の記憶間違いかもしれないが)といった「男の夢」。現代は「社長(あるいはCEO)」(オーナー社長であれ雇われ社長であれ)が、多くの現役サラリーマンの密かな夢でしょうね。作者の弘兼憲史(1947-)が朝日新聞に語るところによると、島耕作には
「団塊世代の代表選手として、もうひと頑張りして、日本の経済界の発展に寄与してほしい」
とのことです。
「ビジネス&経済学習漫画」とも言えるこのシリーズ、巻が進むにつれ「ミクロ経済→マクロ経済」と拡張され、それぞれの時代のいわば時事ネタも織り込まれ、ビジネス社会の理解にずいぶん参考になることが多い。サブプライム問題・食の危機・M&A・TOB・業界再編・日本やアメリカの没落・中国やインドの台頭などなどup-to-date満載の『社長 島耕作』になることでしょう。還暦過ぎた島のあっちの方(汗)がどうなるのかも野次馬としては興味津々(爆)。
by tiaokumura | 2008-04-02 19:06 | | Comments(0)

復刻版岩波写真文庫から2冊

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*写真左
写真・熊谷元一
編集・岩波書店編集部
    岩波映画製作所
一年生-ある小学教師の記録
岩波書店 復刻版岩波写真文庫
       赤瀬川原平セレクション
2007年9月27日 第1刷
700円+税

*写真右
監修・柳宗玄
写真・浅野信二郎 安堂信也 飯島一次 遠藤元繁 柳宗玄
編集・岩波書店編集部
    岩波映画製作所
パリの素顔
岩波書店 復刻版岩波写真文庫
       田中長徳セレクション
2008年3月5日 第1刷
700円+税

小学1年か2年のとき、「舌切り雀」だったと思うが学芸会でお爺さん役をした。だが実母は重い病でそれを見ることができなかった。どなたかが撮ってくださった写真を母が見て涙を流していた、というのを後に聞いた。母はその後まもなく亡くなったので、僕の唯一の母親孝行になったのかもしれない。あの当時(1950年代)の「写真」は、デジカメ時代の今からは想像もできない「重い価値」があったと思う。
一年生-ある小学教師の記録』は長野県の小学校の先生だった熊谷元一(1909-)が1年間にわたって子供たちの生活を撮ったもの。僕は富山県の小学生でこの写真集の子供たちより1~2学年上になりそうなのだけれど、写真集にはあの当時の僕たち、級友たち、先生方や母親たちが写っていると言っていいだろう。父親たちの姿がほとんどないのは、仕事のためかあるいはアジア太平洋戦争のためかもしれない。木造校舎をバックにした記念撮影・原っぱでの子供たちの集合写真を見ていると、思わず自分や友達を探したくなる。おかっぱ頭の女子・いがぐり頭の男子って絶対自分たちである。貧しい時代であったことは間違いないが、貴重な精神に満ち満ちた時代であった。
お恥ずかしい限りで僕は知らなかったのだが、熊谷元一は、小学校教師としても写真家としてもすばらしい方。名取洋之助(1910-62)が絶賛している。多くの方、とりわけ55歳以上の方に手にとっていただきたい写真集である。

岩波写真文庫は1950年代に計286冊刊行されている。その中から「赤瀬川原平セレクション」として復刻された1冊が『一年生-ある小学教師の記録』、「田中長徳セレクション」として復刻された1冊が『パリの素顔』である。パリは今は日本から飛行機で約半日だが、この当時は日本から船で片道約40日。
パリは2000年夏、妻と二人で1週間過ごした。この写真集のパリはそれより50年ほど前なので、ルーヴル美術館についてだけでも、ピラミッドがないとか「モナリザ」の展示が異なるといった点はあるが、それでもやはり「パリはパリ」、パリ旅行を思い起こすよすがは随所に見られる。日本経済はその後フランスに追いつき追い越したのかもしれないけど、この写真集を見ていると、精神というか文化というか、日本は永久にフランスをパリを凌駕しえないのだろうと思う。
文章は柳宗玄(1917-)なのだろうか。パリに通暁した人の名文である。

追記
熊谷元一写真童画館のHPはこちら
by tiaokumura | 2008-04-01 18:33 | | Comments(0)