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富山大学卒業(3)

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(3月22日午前・記)
送迎バスを降りて名鉄トヤマホテルに入ったら、ロビーにリリヤさん(ロシア人留学生)がいて祝福してもらった。4Fのなんとかの間で「人文学部学位記授与式」。受付で「祝」と書いた個人ごとの封筒もらうことになってたのに、僕のがない! 一瞬、「卒業」は夢だったんかと思った^^けど、だれか他の学生が間違えて僕のを持っていってた。ホッ。
コースごとに代表が学位記をもらう。先日呉人惠教授から言語学コースの代表でもらってって言われ、ボクなんかより4年間がんばった人のほうがいい、って申し上げた。でも、人文学部代表新保さん(女性)なんで、言語学コース代表は男のほうがいい、とのことなどでお引き受けすることに。ごめんねクラスメートのみんな、ボクなんかが「代表」しちゃって。人文学部長から学位記授与。
授与式のあと別室で祝賀会。やっぱ、僕らは知らない教官より直接教えていただいた先生から授与されたいんで、呉人惠教授から写真にあるように一人ずつ学位記を授与していただいた。

学位記
   奥村隆信
     昭和21年10月6日生
富山大学人文学部人文学科
所定の課程を修めて卒業した
ことを認め学士(文学)の学位を
授与する
  平成20年3月21日
 富山大学人文学部長 小川洋通
 富山大学長 西頭徳三
人第5001号

と書いてありました(原文縦書き・漢数字、大学・学部長・学長の朱印なども)。
う~ん、どうせなら5000のキリ番ゲットしたかったかも(嘘爆)。
by tiaokumura | 2008-03-21 14:09 | 僕は大学4年生 | Comments(4)

富山大学卒業(2)

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(3月22日午前・記)
式が終わり、外に出る。2173人に学位記授与ということで、ずいぶんな人数。サークル関係でしょうね、一升瓶をラッパ飲みする女子学生、胴上げされる卒業生・・・。会場前はめっちゃ盛り上がっている。ボクも胴上げされたかったけど、サークルやっとらんし、言語学コースの後輩は数人しか来ておらずしかも女子がほとんど。胴上げはしてもらえなかった(泣)。それでも、花束と記念品(写真立て)をしっかりもらった。あざ~っす。後輩の皆様、頼りがいのない「先輩」じゃったけど、ちゃんとこうして卒業できました。チミたちも今のうちにちゃんとガンバって、ワシみたいに60過ぎて学生生活なんてことにならんよ~にね(核爆)。
あちこちで記念撮影の輪。僕たちもこうして後輩たちも交えて記念写真
前列左から2番目が「なっちゃん」(2年)。秋のソフトボール大会で彼女とボク、言語学コース史上最高?の黄金バッテリーを組んだっす。前列右から2人目(新保さんの左)は「つっちー」(3年)。つまんない授業のとき共に爆睡した仲です(照)。

このあと、各学部ごとに「学位記授与式」ってことで、人文学部名鉄ホテル。ホテル行きのバスに向かう途中で、富山国際学院出身のダンさん(ベトナム)と会いました。彼、工学部卒業で院に進学。おめでとう、ダンさん!
by tiaokumura | 2008-03-21 12:39 | 僕は大学4年生 | Comments(2)

富山大学卒業(1)

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(3月22日午前・記)
平成19年度富山大学学位記授与式
平成20年3月21日 富山市総合体育館
式次第
奏楽 開式の辞 学位記授与 学長告辞 卒業生答辞 専攻科修了生答辞 修了生答辞 学生表彰 学歌斉唱 閉式の辞

奏楽、『君が代』だったらいやだなぁと思ってたら幸いエルガー『威風堂々』だった。でも、ボクだけの偏見なんかもしれんけど『威風堂々』ってイギリス王室のイメージあって、ブラームス『大学祝典序曲』あたりのほうがいいような気がした。あと、『かがやき』だったか男女混声合唱団の歌もあった。会場が広すぎるのかボクの耳が遠くなったのか、歌詞(きっと素晴らしいのだろうけど)、よう聞こえなんだ(恥)。
学長「告辞」って言うんですね。昔、東大総長・大河内一男の「太った豚となるよりも、痩せたソクラテスとなれ」もそうでしたが、こういうときの挨拶って印象に残るものもあった。富山大学学長って、なかなか「辣腕」と聞いてたので告辞期待してたけど、う~ん、でした。朝日新聞記事で
社会の動きを自分の目でしっかり確かめ、常にその社会現象の意味を考えて行動してほしい
と要約されているのだけど、例として出されたのが2つ、例のギョーザ事件とTVワドショーでのどこかの市長の「食料自給率」に対する無知発言。中国人留学生も参列してるのに、ギョーザ事件を取り上げるのもなんか「無神経」に思った。あと、これはうっかりミスなんだけど「平成」を「昭和」と間違えて「昭和20年3月21日」と。紅白の「美空」失言を思い出しちゃいました(爆)。
来年の富山国際学院の「式辞」の参考にもと思って学長告辞を聞いてたのですが、あんまし参考にならなかった。
もう一つ気になったこと。閉式の辞のあと、壇上に並んだお歴々の退場を卒業生が拍手で見送る。「え~っ、今日の主役、ワシらなんに~」と思った。
大学の卒業式ってだいたいこんなもんかもしれないけど、厳粛な中にも笑いあり涙ありの富山国際学院の卒業式のほうがよっぽど「卒業」の名に値すると思った。
文部科学省だったか、地方の国立大学法人、拠点校を中心に整理統合を図っているとか。富山大学、くれぐれも「金沢大学富山校」とかにならんようにね(爆)。

写真は、人文学部代表で学位記を学長から授与されるクラスメートの新保彩乃さん。ネットの北日本新聞こちらに記事と共に掲載されています。
by tiaokumura | 2008-03-21 10:27 | 僕は大学4年生 | Comments(6)

追いコン

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(3月20日夜・記)
追い出しコンパ-略して「追いコン」。この間クラスメートと行った「卒業旅行」もそうだけど、「追いコン」なんてのも昔はなかったような気がするけど、どうなんだろう。
富山大学言語学コースの「追いコン」が3月19日にあった。午後7時5分前頃に西町で市電を降りる。コンパの場所はそこから徒歩5分くらいの「CHAKA CHAKA」ってお店で貸切。チャカっても拳銃のことじゃありません(爆)。多国籍料理か無国籍料理か、まぁいろんな料理が出る、昔風に言えばスナック。写真、暗くてようわかりませんが(汗)、別にアングラバー^^じゃありません。
4年生はさやえんどうがいなくて寂しかったけど残りの9人結集、2年生・3年生が各5人くらい。言語学コースって教官5人なんだけど、お二人出席と聞いてて結局お一人も見えなんだ。ワシら、嫌われとるんじゃろうか(核爆)。5人のお一人安藤智子准教授は、僕は別の用件でメールのやり取りしてて、先生がやむを得ず欠席される理由がわかっていた。安藤先生はご都合により追いコンも卒業式もご欠席。残念です。先生にお会いして祝っていただきたかった。先生のやや長文のメールの末尾-
皆さんの晴れ姿を見られないのは残念ですが、他の先生方に見守られて立派に巣立って行かれると信じています。
最近めっきり老いてきた父と比べ、同い年の奥村さんが仕事と勉学を両立される姿には敬服しておりました。これからもお元気で御活躍ください。御卒業おめでとうございます。

私信をこのようなブログに載せるのもいかがなものかもしれませんが、安藤先生の心温まるお言葉にはじーんと来ました。先生は、僕の編入学試験の面接官お二人の一人(もうお一人は呉人恵教授)。先生は音声学がご専門で確か3科目取りました。苦手な分野なんで四苦八苦。わからないことが多くて(恥)授業中何度も質問したのですが、いつも丁寧にご説明していただいた。ロシア人留学生のリリヤさんにも何度も助けていただいて、何とか3つともでした。内容は難しかったけど、おもしろく楽しく実に有益な授業でした。でも、安藤先生のお父上が僕と「同い年」とは知りませんでした(激爆)。

7時開始のはずの追いコン、全員が集合したのが7時15分ころ。そこから2時間、飲み食べしゃべり、2時間後に解散。飲み放題食べ放題2時間、会費4千円のところ4年生は会費2000円。ラッキ~♪。
2次会あるかと思ったのですが、お誘いなかった(泣)。日本語学校でさえ3次会まであるのに(爆)。

明日3月21日午前10時より「学位記授与式」。そのあと1時から謝恩会
先週金曜日は富山国際学院の卒業式で式辞を述べて、その1週間後に今度は自分の卒業式。なんだか・・・奇妙な気分です(爆)。
富山大学編入学では東京教育大学時代の単位も専門科目22単位認められている。東京教育大と富山大は僕の場合「連続」しているとも言える。そう考えると、1965年4月に東京教育大学に入学したのですから、大学卒業までに実に43年かかったことになります(照)。
学院の卒業式では式辞のときに「うるうる」も来ましたが(照)、明日の自分の卒業式、たぶん泣かないでしょうね。
61歳5か月16日-今回の卒業式で最高齢かどうか知りませんが(汗)、晴れて?「還暦過ぎの学士様」が明日誕生します(激爆)。
by tiaokumura | 2008-03-19 21:12 | 僕は大学4年生 | Comments(0)

最後の合格発表

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(3月18日夜・記)
右の写真、実に威風堂々と言うか威圧感のある建物です。富山県庁です。最近建った都道府県庁は「民主的」な建造物かもしれませんが、築70年以上のそれらは、富山県庁と似たような感じか。富山県庁、築後建て増し部分もありますが、本体は1935年竣工。当時は今より遥かに周りを圧する建物だったことでしょうね。
「非民主的」な県庁に見えるかもしれませんが、この県庁が建てられるまでには先人たちの苦闘の歴史があるのです。いずれこのブログで連載しようと思っていますが、ここでは、「富山県」ができるまでの米沢紋三郎(1857-1929)らの分県運動、富山県となってからの県内河川の治水工事の2つについてごくごく簡単に触れておきます。

廃藩置県で富山藩は富山県(現在の富山県の3分の1くらいか)となりました。その時、礪波郡と新川郡は石川県。富山県のことがよくお分かりにならない方のためにご説明すると、現在の石川県と東に隣接する形で礪波郡があり、そこから富山県(当時)があり、その東に石川県新川郡(当時)という地図になるのです。米沢は新川郡の豪農の次男。24歳で石川県議会議員になる。当時の石川県議会で米沢らは当然少数派。米沢は郷土がたびたびの河川氾濫に悩まされていることから、治水工事が緊急課題であることを議会で訴えた。だが多数派は道路整備が必要であると主張する。少数派の米沢の主張はいつも斥けられる。米沢は考えた。
「これは議員が悪いのではない。利害の相反する地方が一つになって政治を行おうとしていることが矛盾しているのだ。」
「やはり越中は、石川県から独立しなければならない。」

-富山県社会科教育研究会編『富山県を築いた人びと』(1985年 旺文社)より引用-
ボクみたいな了見の狭い人間は「石川県のばかやろう」と酒色に溺れてしまうところですが(恥)、弱冠25歳の米沢、すごい人物です。
米沢らの分県運動には非常な困難があったのですが、それはまた別の機会に述べるとして、結果だけ申し上げると、1883年7月1日、晴れて現在の富山県が誕生し、富山城跡に県庁が置かれたのです。

では今の県庁はどうしてできたか。ここからはウロ覚えなんですが、神通川のことになります。神通川は県内の他の河川同様「暴れ川」。で、これも先人の構想力の素晴らしさ、今の政治家にはできない発想ですが、神通川の蛇行する流れを変えなければ永久に「暴れ川」のままである、と考えたのですね。そこで川の流れを変える(大変なことですよね)しかないと決断し、その考えの下に神通川の流れを導く運河を造ったのです。その運河を造るために浚渫した土を神通川に埋める。大工事だったでしょうね。やがて構想は実現した。そして1935年、かつて神通川だったところに新しい富山県庁を竣工。それが今に続く県庁(写真)なのです。ちょっと自信がないのですが、確かこういう経緯で現在の富山県庁ができた。

奥村学習塾を始める前にいた(株)進研時代からですから、優に4半世紀は超える、県立高校合格発表日の富山県庁通い。今日が最後でした。市電通り沿いに車を停める。県庁の庭を通り、受付に行く。方向音痴なもんでほぼ毎回、受付で発表場所を確認するのです(大恥)。
階段、これもいつものように心臓バクバクドキドキ言わせて上る。今回は「学校教育課」。例年混雑して名簿の奪い合いみたいな修羅場^^になるので、課員の方々もうんざりだったんでしょうね。部屋の中に閲覧会場を設け学区ごとに分けてあり、一人ずつ順番に見る形。僕は「富山地区」で、10番目くらいでしょうか、しばし待機。自分の番になって、この時はもう開き直ってて^^心臓の鼓動も収まっている。手帳に書いた受験番号を確認しながら受験校の合格名簿をチェックしていく。何度も何度も確認し、ダメ押しに^^ケータイで写真を撮っていく。
閲覧室を出て、県庁内の人影がないところでおもむろにケータイを取り出す・・・。

有終の美が飾れ、ホッ。
もちろん僕が喜びに包まれている今日、富山県では1000人を超える受験生が泣いたこと、いろいろな事情で高校受験そのものを断念しなければならなかった中学卒業生がいることは忘れてはいけない。

(付記)
今回の記事では
富山県社会科教育研究会編『富山県を築いた人びと』(1985年 旺文社 団体購入定価1500円)
を参考にしました。
by tiaokumura | 2008-03-18 12:44 | このブログのこと | Comments(2)

3次会

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(3月16日夜・記)
今にして思うと不思議なんだけど、食事→ボウリング→カラオケ、と14人の誰1人途中で帰らなかった。そのコースが当然のようになってたのは、不思議。日銀総裁が政争の具になってますが、うちの旧B組は、こういうのは一致団結しとったんでしょうね(爆)。ただ、どこのカラオケに行くかってので、五福がいいって声多くって、僕としては五福まで行くと帰りが心配で、それで、富山駅前CiC裏にあるカラオケに行くことにした。ここは何度か利用してるのですが、金曜夜ってことで、15分くらい待たされた。部屋に入ってビックリ。広い! こないだ言語学コース4年生で入ったカラオケルームも広かったけど、それ以上。いつだったか朝日新聞のランキングで、富山はカラオケBOXの対人口比,全国最低(かそれに近い)っての読んだけど、本当かなぁ、富山、けっこうカラオケあるような気がするけど。
その広いカラオケルームに入ったとたん、みんなぐた~とソファに倒れこむ。せっかく来たのに、みんな歌えば、と言っても、歌うのは数人。やっぱ0次会から始まってるんで、そろそろお疲れなんかも(爆)。その内、「料金が高い」とか「飲み放題でもっといい店があったのにぃ」とか「英語のプログラムがない」とか言い出す輩も(爆)。「先生、なんか歌って」って盛んに言うので「よし、ここは一番、学生に『さっすが~、先生』と言わせてやろう」と思った。で、森山の「さくら」にするかアンジェラ・アキの「サクラ色」にするか迷って、森山のほうにする。ところが、イントロが流れて歌詞が出て・・・歌えない(泣)。忘れてしまってるし、歌、自分(大恥)。一昨年だったか、卒業式の後のパーティで熱唱して拍手喝采じゃったんにぃ(嘘爆)。アホじゃった、自分。アンジェラ・アキのほうにしとけば良かったかも。で、その後、名誉挽回に^^今井美樹の「PRIDE」歌って。これはもう何十回と歌ってるんで、みごとな歌いっぷりでした(嘘爆)。歌わなかった学生もいたし、あんまし上手じゃない学生もおったけど(核爆)、学生たち、カラオケ、まあまあ満足したかなぁ。カラオケ途中で、ある学生の恋人も登場。
カラオケ店の前で解散。最後にキザな台詞で決めて「さっすが~先生」と思い出にしてもらいたかったのだけど^^、事務的な連絡いくつかで終わってもうた(汗&恥)。柳川さんから預かっていた卒業式の写真も渡すの忘れとるし(大汗)。
CiCの前で須加さん・学生1名と別れる。学生たちの何人かはカラオケの後きっとクラブ行ってるでしょうね。
B組最終日、かくして平穏に終了。
富山駅北口からタクシー。家に着いたら翌日でした(汗)。年を考えたら、カゲキな冒険の一夜じゃったかも。来年は1次会だけかせいぜい2次会までにしとこうかしらん。
by tiaokumura | 2008-03-14 22:13 | 日本語教育 | Comments(2)

2次会

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(3月16日夜・記)
食事のあと、カラオケ行くにはまだ早いってことで、ボウリングに。「ボウリング場どこにあるか知ってるの?」って学生に聞いたらちゃんと知ってた。西町から市電に乗る。本当は「中央郵便局」で降りなければならないのに、おしゃべりしてたら、誰も降りるボタン押さず通過(汗)。富山駅まで行ってしまう。富山駅から14人の集団(っても三々五々のグループ。一列縦隊で歩く、なんてできない^^)がボウリング場まで歩く。っても市電で1駅くらいなんで大した距離じゃない。
ボウリング場到着。ボクはなんもせん内に、学生があれよあれよと言う間に申し込み&準備。手慣れたもんです。「さては、しょっちゅう来てるのでは?」と思って聞いたら、案の定、何人かは常連さんに近いリピーター(核爆)。ボクなんて2、3年ぶりだっちゅうのに、ボウリングなんて。「1年半か2年の富山生活でそんなにしょっちゅう来るなよ、学費だってちゃんと払えんだんにぃ」と心中思ったけど、ま、彼ら・彼女らの息抜きでもあったんでしょうね。でも教師としてはちと複雑な気持ちにもなる。「スイーツは別腹」って言葉ありますが、たぶん「遊ぶお金は別ポケット」なんかもしれん(爆)。
14人で5つのレーンを借りる。僕はフンさん、ナレンダラさんと一緒。でもボードの自分の名前「オカムラ」になっとるし(大汗)。おいおい、1年間の付き合いなんに、ワシの名前、ちゃんと覚えとらんだんかいな(涙)。申し込みしたのどの学生かわからないけど、担任の名前くらいちゃんと発音できておいてほしかったっす(怒)。ま、そういうとこがカワイイとも言えるけど(照)。
3ゲームやって、ストライク1回・ガーター6回(恥)。「テニスひじ」気になったてのもあるけど、ま、実力がその程度なんでしょうね。2ゲーム目が一番良くて、でもやっと95。これならエイジシュートならぬエイジスコアでも狙えば良かった(爆)。でも僕より悪い学生もおって、ちょっと安心(←悪いセンコー^^)。
清算済ませて、外に出る。夜風が気持ちいい。
by tiaokumura | 2008-03-14 20:24 | 日本語教育 | Comments(0)

1次会

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(3月16日夜・記)
卒業式の夜。
6時に西町交差点(前はスクランブルだったのが去年だったか普通の交差点になった)集合。僕は富山駅前から市電に乗って待ち合わせ場所まで向かおうとした。ところが、駅前で市電に乗ったら車内になんだか怪しげな面々。「え~っ、ボクのクラスだった学生じゃん」でした(激爆)。さっきの卒業式のあと、8人くらいだったか五福にあるフンさんのアパートで0次会^^、やっとったそうな。いやはや、タフな連中です。ボクなんか、卒業式のあと学院であれやこれや済ませて、増山さんに車で自宅まで送ってもらって、家でしばし体を休めてたと言うのに。電車内でお行儀悪くはしてなかった連中ですが、1次会の前にもうけっこうアルコール入っとる人も若干名。
西町交差点で須加さんたちと落ち合う。そこから「先生、歩いて30秒ですよ」って学生の事前の弁通りで(ときどき学生の言うこと、ぜんぜん違ってることもある^^)、全くすぐ近く。でも幹事役の学生に「6時で14名、予算は3万5千円くらいにして予約しといてね」って言っとったのに、6時ちょっと前に着いたのにお店カギかかっとるし(爆)。幹事の学生、ケータイで何やらネパール語で言ってる内に中からカギが開く。中に入る。ちょっとゴチャゴチャした感じの店内で、雰囲気はたぶん「ネパール風」(ネパールって、お恥ずかしいのですが、よう知らない)。予約してあったので14人分のセッティングがしてあった。
ビールで乾杯、と思ったら、ジュース飲む人も。そうそう、うちんクラス、イスラム教の人もいたのですね。彼ら2人とと女子学生2人はソフトドリンクでした。
食べたもの
パパド、西町カレー、ほうれん草のチキンカレー、プレーンナン、チーズナン、ガーリックナン、タンドリーチキン、シシカバブ
飲んだもの(僕の場合)
地ビール(富山県黒部産)、青島ビール(中国の有名ビール)
ネパールのビールを飲みたかったのですが置いてなかった。「ネパールのビール」って言う、日本語の教科書に出てくる有名な感動話があります)
お店の名前は「ちゃとりかとり」。ネパール人シェフのお名前がチャトリさん。他に中年の日本人男女が働いていらっしゃいました。「かとり」は日本人の名前なんだろうか。聞きそびれました。
料理は思ったほど辛くなくどれもおいしかったのですが、僕は特にタンドリーチキンシシカバブがおいしかったかなぁ。僕たちがお店に入った時は僕たちだけでしたが、その内来客が続き満席になりました(全部で25人くらい入れそうなお店)。
「ちゃとりかとり」様、大勢で押しかけ、十二分に楽しませていただき、ありがとうございました!
by tiaokumura | 2008-03-14 18:15 | 日本語教育 | Comments(0)

卒業式(3)卒業写真(B組)

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(3月15日夜・記)
卒業式が終わった後、まず全員で卒業写真。で、今回は全員がボクのケータイに収まりきらなかったので、全体の卒業写真はアップできませんでした(恥)。「富山国際学院の写真館」のほうをご覧ください。
全体の後は各組ごとに卒業写真。で、これまたボクのケータイ調子が悪く、B組の卒業写真、めっちゃピンボケになっちゃいました(汗)。よ~く目を凝らしてご覧いただくと、15人写っているはず^^です。
前列左から、ダルさん、ナレンダラさん、学院長の岸井さん、B組担任の僕、B組副担任の須加さん、フンさん
後列左から、陳さん、チュンさん、万さん、ナビンさん、劉さん、キムラルさん、エバードさん、リズワンさん
です。あれっ、1人足らん(大汗)。パルカスさんがおらん。う~んどこ行ったんだろう・・・。
本当は1年目を担当していただいた先生にも入ってもらうべきでしょうね。あるいは先生全員。来年からそうしようかなぁ。

記念写真の後はパーティ。卒業式が厳粛だった分、パーティはハチャメチャ大騒ぎ。
ところで、卒業式のクライマックスは何と言っても「卒業生謝辞」ってのはどこの卒業式も同じでしょうね。うちもそこは同じなんですが、実は卒業式後のパーティにも「クライマックス」が待っている。
パーティが1時間ほど続いて、それから全員が教室の壁を背に椅子に座る。「椅子取りゲーム」が始まるのではもちろんなく(爆)、全員(もちろん教師も)が順番に一言ずつ述べていくのです。それが「もう一つのクライマックス」。笑いあり涙あり、受け狙ってのズッコケあり、短すぎるのあり・・・いろいろですが個性が出る。僕が「日本語教師やってて良かったなあ」と思う時間でもある。
今年は僕、やむを得ない用事があって中座せざるを得なくなって、半分くらいしか聞けなくって残念。でも、この最後の全員スピーチ、いつも感動します。今年一番感動したのはAさんのスピーチ。Aさんは、スキンヘッドになったり、学校で悪ふざけしたりダンスしたり歌ったり、出席率が一時悪かったり、勉強になかなかついていけなかったり、でもいつも明るく、女性にもてそうなセクシーで強面な感じで長身。僕は直接教えたことはなく、たまに冗談を言い合う程度。そんな彼、スピーチをいつものような調子で始めた。で、話してるうちに、感極まって泣き出したのです。彼が泣く、ってのは全く意外でした。いろんないきさつがあっての「涙」だったのでしょうが、彼の涙に僕は強く深く感動しました。今回の卒業式、いろいろ僕に残るでしょうが、Aさんの涙も忘れられないシーンだろうな、きっと。
by tiaokumura | 2008-03-14 10:54 | 日本語教育 | Comments(0)

卒業式(2)理事長式辞

33名の皆さん、本日はおめでとうございます。
富山国際学院の13名の教員を代表して、一言、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

皆さんが富山で過ごした1年、1年半、あるいは2年はどうだったでしょうか。
昨日の夜、皆さんの卒業試験の作文を読ませていただきました。皆さんの作文の中には、「家族」や「友達」という言葉もよく出てきますが、一番よく出てきた言葉は「日本語」です。では、2番目は何でしょう。「料理」、です。では3番目は? 「お金」、です。
「日本語」「料理」「お金」の3つのキーワードから浮かび上がる皆さんの富山での生活、それは「自立」、つまり、何もかも自分でしなければならない、ということです。
母国にいた時の皆さんはどうだったでしょうか。
家族や友達と母語で話し、親が作ってくれた料理を食べ、親が働いたお金で学校に通い、親が用意した服を着て、ときどき家族旅行にも行って・・・
皆さんの多くがそういう毎日を送っておられたことでしょう。
それが日本ではどうでしょう。
聞こえてくるのは日本語ばかり。いくら憧れて来た日本だったとはいえ、何もかも自分でしなければならない富山での毎日。
しょっちゅう変わる天気、雪が降り寒い冬、蒸し暑い夏。
やっと見つけたバイトなのに、日本語がわからないために文句ばっか言われる。
バイトが終わって自分の部屋にもどっても、迎える人はなく灯りもない。
時給750円で週20時間働いて1万5千円。でもその1万5千円では家賃のやっと半分にしかならない。
いろんな国の出身なのに日本ではみ~んなまとめて「外国人」と呼ばれる。
日本人は私の国の文化も歴史も全然知らないし、興味も持たない。
私は「日本語」を勉強しに来たのであって、「日本人」になりに来たんじゃない。
たまに母国のことがテレビのニュースに出てきても、それはほとんど悪いニュース。

私には皆さんのような留学生活の経験がないのですが、1年あるいは1年半そして2年と、大変なご苦労があったことと思います。
でも今こうして皆さんは、私の話がわかるまでに「日本語」が上達し、「料理」もまあまあ作れるようになり、お金の大切さもお金の怖さも知りました。
母国で想像していたのとは段違いな厳しい現実を乗り越え、今こうして喜びに包まれた顔で卒業式に臨んでおられるのです。
ここまで辿り着くまでに、皆さんのご家族や友人の支えがあったことを忘れないでください。アルバイトやアパートでお世話になった方々、課外活動や国際交流イベントで出会った人々にも感謝してください。私たち富山国際学院の教師も少しは皆さんの成長に役立てたかと思います。
でも、一番がんばったのは皆さんご自身です。自分自身の強い意志と努力の結果なのです。そのことを大いに誇りに思ってください。
これから先、もっともっと厳しい現実が待っています。夢や希望は、誰でも抱くことはできますが、それを実現するには今以上に強い意志と努力が必要です。

「人それぞれに花あり」
という言葉があります。「あり」というのは「ある」の古い日本語の辞書形です。
「人それぞれに花あり」
人はだれでもそれぞれに素晴らしいところを持っている、という意味です。
漢字がなかなか覚えられなかった人
頭の中には難しい文法が入っていても、会話が上手ではなかった人
交通事故に遭って勉強がうまくいかなかった人
学費がなかなか払えなかった人
恋人と別れなければならなかった人
出席率が悪かった人
バイト先で差別を受け悔しい思いをした人
希望する大学に合格できなくて悔し涙を流した人
この1年・1年半あるいは2年はいいこと・楽しいことばかりではなかったことでしょう。
でも、どんな人にも「花」があります。今はまだつぼみのままかもしれませんが必ず「花」があります。その花を咲かせられるのは、自分自身の強い意志と努力です。

私たち13人の教員は、
皆さんにここ富山国際学院で出会うことができたこと、皆さんの教師だったことを誇りに思い、
皆さんに心から「ありがとう」と言いたい。
皆さんは今日この学校を巣立ち、次の人生に向かう。
33名の学生と13名の教員がこうして同じ場所ににいられるのはあと2時間くらい。
もうすぐ皆さんと別れなければならない。
これからの人生でつらいこと・嫌なこと・苦しいことがあったときは、日本の富山というところに、皆さんが大きな「花」を咲かせるのを心待ちにしている私たちがいることを思い出してください。

皆さん、おめでとう、ありがとう、そして、さようなら。

   2008年3月14日
   特定非営利活動法人・富山国際学院 理事長  奥村隆信
by tiaokumura | 2008-03-14 10:35 | 日本語教育 | Comments(0)