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2012年 10月 21日 ( 1 )

信時潔作曲『海ゆかば』(朝日新聞「歌の旅人」)

僕は1946年10月生まれだから戦無派・完全戦後派。だが軍歌・戦時歌謡(国民歌謡)・戦前流行歌の「ここは御国を何百里」も「貴様と俺とは同期の櫻」も「若い血潮の予科練の」も「徐州徐州と人馬は進む」も「泪羅の淵に波騒ぎ巫山の雲は乱れ飛ぶ」も「俺も行くから君も行け狭い日本にゃ住み飽いた」も「あああの顔であの声で」も「さらばラバウルよまた来るまでは」も「昭和昭和昭和の子どもだ僕たちは」も「とんとんとんからりと隣組」も歌える。なぜなんでしょうね。歌うことを強制されたわけでもないし、家族や近所が歌っていたわけでもないし、神国日本や特攻や七生報国や昭和維新に憧れたわけでもない。「歌の力」というものは、想像以上に強く深く濃いのかもしれない。
2012年10月20日付朝日新聞「うたの旅人」信時潔作曲「海ゆかば」だった。朝日新聞はこの歌を「戦後長い間、タブーのように忌避されてきたが、最近、見直しが進んでいる」ということで取り上げたのだろうが、朝日と「海ゆかば」は僕には意外な組み合わせである。
記事中には信時潔(のぶとき・きよし1887-1965)の写真も載っているが、明治生まれの僕たちの祖父の典型的な顔のように思われる。彼の父は大阪北教会の牧師。「賛美歌がルーツともいえるこの荘重、静謐な歌が、なぜ軍国主義を後押しした音楽とみなされるようになったのだろうか。」。記事は述べる。
・・・この歌がにわかに「特別扱い」になったのは、潜航艇でハワイの真珠湾をめざした特別攻撃隊(9軍神)の戦死報道(42年3月)で放送されたあたりからだった。/さらに、山本五十六連合艦隊司令長官の戦死(43年4月)、アリューシャン列島玉砕(同年5月)などの悲劇的なニュースには、この歌がきまって流された。敗色が濃くなるにつれ、この歌はいっそう、鎮魂歌の意味合いが濃くなった。・・・
信時は戦後、公職につかず、ひっそりと暮らした。「海ゆかば」が、結果として若者を戦場にむかわせたことに、自責に似た思いがあった、といわれる。

「『海ゆかば』は、ラジオ放送用の曲として生まれた。・・・日本放送協会は国民精神総動員運動の一環として、万葉集から大伴家持の歌を選び、信時潔に作曲を依頼、1937年10月、放送された」(同記事より)。
万葉集巻十八・4094。聖武天皇の詔書に呼応する形で大伴家持(おおともの・やかもち718?-785)は高揚した気持ちを「陸奥国に金を出だす詔書を賀く歌」に詠う。その一節に父祖代々の「言立て」(誓い)として引用されているのが「海ゆかば~顧みはせじ」である。時に天平21年、越中守・大伴家持は31歳であった。死後、官位を剥奪されるなんて思ってもみなかったでしょうね。
海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大君乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みは せじ
うみゆかば みづくかばね やまゆかば くさむすかばね おほきみの へにこそしなめ かへりみはせじ
海を行くのなら水につかった屍、山を行くのなら草むした屍をさらしても、大君のそばで死のう。わが身を顧るようなことはしない
(原文・訓み下し文・現代語訳は、高岡万葉歴史館・編『越中万葉百科』草間書院 による)

朝日新聞「うたの旅人『海ゆかば』」は、文・牧村健一郎、写真・水野義則
10月21日は69年前、東京・神宮外苑で出陣学徒壮行会があった日だ。この壮行会でも歌われ、地の底から湧き出るような大合唱が、神宮の森を震わせた。」(同記事より)

by tiaokumura | 2012-10-21 06:56 | 音楽 | Comments(0)