人気ブログランキング |

2011年 03月 06日 ( 1 )

隠し文学館 花ざかりの森

f0030155_1013619.jpg
(3月6日午後・記)
啓蟄の日曜日午前、「隠し文学館 花ざかりの森」を訪う。この日の「館長講話」、今年も当選したんですね。
午前10時前、館前庭の駐車場に車を入れる。自宅から約20分といったところでしょうか。庭に杉田欣次館長のお姿。館とも館長とも1年ぶりの再会です。館長と少し会話。今年はもう梅が終わったとか。このブログのことも話されたので照れくさかった。館長のご許可を得て、石碑撮影。アップした写真がそれです。

館内に入り玄関で靴からスリッパに履き替える。受付で記帳。僕は字がめちゃ下手なのでこういうのは避けてるのですが、まぁ杉田さんなら悪筆も許してくださるでしょう。この間知ったことなのですが、杉田さんは僕の中学以来の親友・山澤修一君と高校同期です。つまり杉田さんは僕と同年(高校は別)です。不思議なご縁かも。
館内展示を拝見する。エントランスホールの壁に掲げられた、昭和35年の三島の活動を紹介するパネルがひときわ目を引く。三島研究者・愛読者の何人たりとも為し得なかった力作でしょうね。ほとんど日録に近い精細な記録。
展示室、何点くらいになるのでしょうか、杉田さんの数多くの収集から、本・映画ポスター・生原稿などが展示。
10時半から約1時間、2階で記念講話「館長、35歳の三島を語る」。以下、記念講話の際の奥村メモを基に書いてあります。事実誤認・舌足らずもあると思います。文責・奥村ということでお読みいただければ幸いです。

記念講話「館長、35歳の三島を語る」、30人くらい出席でしょうか。初めての方もおられて(僕は4回皆勤です^^)、初めに館創立の経緯を話される。大学時代の杉田さんの三島由紀夫『金閣寺』との出会い。杉田さんも子どもの頃は吃音で、そんなこともあって主人公溝口のぎこちなさ・現実とのうまくいかない関わり方に魅かれる。池袋下宿時代の古本屋通いの思い出・『豊饒の海』のことなども。「隠し文学館 花ざかりの森」設立にあたっては中村稔(1927-。日本近代文学館名誉館長、詩人、弁護士)に貴重なアドバイスを受けたそうです。杉田さんの努力の甲斐があって三島の遺族(娘さん・息子さんが第1継承者のようです)の了解も得られ、2008年、退職金を基に「隠し文学館 花ざかりの森」を設立。「三島由紀夫 展」の1年目は「三島の生涯の展望」、2年目は「亀井勝一郎との論争」、3年目は「『潮騒』の成立を巡って」が展示の主テーマで、各年の館長講話(毎回拝聴)もそれに沿ったものでした。

「三島はどうしても『11月25日』を中心に語られ評価されがちだが、そこには誇大・誤解もあるのではないだろうか」というのが杉田さんの想い。僕も同感です。今回の講話では、昭和35(1960)年の三島由紀夫の「誠実・丁寧な」文学活動がトレースされる。
この年、三島は長編では『宴のあと』(月刊誌「中央公論」)・『お嬢さん』(月刊誌「若い女性」)の2作を連載する。前者が原稿用紙約400枚、後者(三島没後40年を機に角川文庫に入っているそうです)が同約450枚。戯曲が『熱帯樹』・『弱法師』で、前者は三幕物、後者(『近代能楽集』の一)が一幕物。短篇が『憂国』(1966年、三島の監督・主演・美術他で映画化。たぶん新宿アートシアターか草月会館ででしょうね、僕はオンタイムで観ています)など3本。さらに映画『からっ風野郎』(三島の東大法学部の後輩・増村保造が監督)に主演。評論活動では雑誌「婦人公論」巻頭言、雑誌「婦人倶楽部」社会料理三島亭、讀賣新聞コラムなど。11月1日から翌年1月20日まで瑤子夫人(杉山寧の長女。1958年に結婚)と世界旅行もしている。他にも座談・対談、友人の出版への解説・序文など。そして、日光浴とボディビルによる肉体改造(「太陽と鉄」)も。更には『文壇』が機能していた当時のことだから、銀座のバーなどでの先輩・同世代との交流もあったことでしょうね。
35歳の三島は、「文壇の寵児」として実に華々しい活動ぶり。ただそこには杉田さんがおっしゃるような「三島の誠実さ・丁寧さ」も同居してたんでしょうね。
終わりのほうで杉田さん朗読による三島評論の紹介。「青春の敵」(「婦人公論」巻頭言。三島の直筆草稿が今回展示)-三島は吉田健一を引用しつつ、大人が「青春に対する正当な敵」たるべきことを説く。現在に通じる警世の卓言でしょうね。「連載小説是非」「歴史小説と現代小説」(「讀賣新聞夕刊」発射塔)-『豊饒の海』への助走が感じられるコラム。
僕の記憶になかったのですが、深澤七郎『風流夢譚』の中央公論掲載は三島の推薦があったからという噂があの当時あったそうです(後に三島はそのことをきっぱり否定)。翌年の右翼の嶋中邸事件後、三島には身辺警護も。昭和35年は安保、浅沼暗殺の年でもある。
講話の最後に『豊饒の海』のこと。昭和44年2月26日付毎日新聞の三島「『豊饒の海』について」によると、三島は昭和35年に「長い長い小説を、いよいよ書きはじめなければならぬと思つてゐた。」。三島が『春の雪』を書き始めるのは昭和40(1965)年6月のことである。

これまでの流れからいけば、来年の館長講話は「昭和40年」になるのでしょうか。来年の「隠し文学館 花ざかりの森」、もちろん展示の数々も興味深いですが、杉田欣次さんの講話が楽しみです。講話は往復はがきで申し込み抽選なんですが、来年も当選しますように。

新資料でよみがえる 三島由紀夫 展Ⅳ」は3月21日までです。右にもリンクしてありますが、「隠し文学館 花ざかりの森」の公式サイトこちらです。
by tiaokumura | 2011-03-06 10:01 | 富山 | Comments(0)