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2010年 09月 30日 ( 1 )

名古屋出張(後編)

9月28日(火)名古屋出張、行きは高山線ひだ6号利用。
猪谷(いのたに)駅を出たあたりから、
芳地隆之『満州の情報基地 ハルビン学院』(2010年8月20日発行。新潮社。1500円+税)
を読む。

ブログをやってるといろいろな「想定外」ってあるんですね。今年2月だったか勤務先の富山国際学院に某全国紙系月刊誌の編集者からTELがあった。想定外のTELだったので「何だろう」とひとまずはお話を伺うことにする。お話を聞いててビックリ。その方、このブログをご覧になってて、「貴殿に書評をお願いしたい」ってな申し出なんですね。そりゃビックリしますよね。そんなん人生初ですもん。でも生来の好奇心もあって、まぁどんな注文なのかもう少し伺った。それがすごいんですね、内村剛介の本の書評をご希望。確か一昨年になるか大学以来の畏友で当ブログご常連の哲ちゃんと待ち合わせたジュンク堂池袋店で内村剛介の本(「著作集」)が1Fに平積みされてて、それを手に取りパラパラめくりながら、内村は20代に吉本隆明の関連でほんのちょっと読んだことがあるので「懐かしいなぁ」と思った。で、富山に帰ってから、そのことを当ブログに認めた。それをお読みになった宮明正紀さん(恵雅堂出版)からご丁寧なコメントをいただき、あるいは内村インタビュー本も読み、あるいはそうこうする内に「著作集」だった内村さんが亡くなられ、あるいは哲ちゃんがお父上の関係で宮明さんとメールを交わすようになり・・・ってな具合にいくつか「奇縁」が続いた。そんなあたり、当ブログに綴っているかも。で、編集氏はそこいらあたりのどこかをお読みになったんでしょうね、2000字書評のご依頼。でも無理ですよね、能力のない僕には。それに書評対象本は僕にはかなり高価な本で、そのあたりも編集氏に率直に申し上げたら、本はあちらさんで購入して贈呈するとのこと。そう言われると迷っちゃいますよね(照)。ただ大部な本なので読み終わるのに(「書評」ともなれば流し読みはできない)かなりの時間がかかる。受話器のこちらで迷い道を行ったり来たり^^。TELでそうこうする内に、僕、もっと適任者がいるとふと思いついて、「僕には無理ですが、書評ができそうな友人がいますから」ってことでいったん保留。その日の内にだったと思うが、友人の某君にTEL。で、結論から言うと、彼も諸般の事情で無理だってことなので、後日編集氏にお断わりしました。「オクムラくん、全国デビューの、人生最初で最後のチャンス」だったでしょうから、今にして思うと「残念」じゃったんかもしれん(嘘爆)。

芳地隆之『満州の情報基地 ハルビン学院』、芳地の関連前著『ハルビン学院と満州国』(新潮社)でたくさんページをさいてるからでしょうか(僕は未読)、内藤操(内村剛介。ハルビン学院21期生。以下「~期生」同じ)は本書後ろのほうp.p.230・231に少し登場します。

本書で芳地は「東京慰霊堂」(関東大震災・東京大空襲の犠牲者を追悼する施設)から筆を起こす。本のタイトルから行くと意外な書き出しでしょうね。読者を「おやっ」と思わせる。なぜ「東京慰霊堂」か、それは島津朝美へ続くための導入なんですね。島津は慰霊堂の近くに住む。そして島津は東京大空襲を経験し、府立7中の卒業式で「海ゆかば」を斉唱して卒業し、東京―博多―釜山を経て昭和20年4月「ハルビン学院」に入学する(入試は金沢であった)。若き島津の胸には「将来は外交官になるぞ。」という希望が秘められていた(p.16)。
以上が「序章 震災と空襲」。次の「第一章 開校前夜」に登場するのが後藤新平。僕は後藤はもっともっと評価されてしかるべき人物だと思っているので、本書で多くのページを後藤にさいているのは嬉しい。というか、「ハルビン学院」は後藤なくしては生まれなかったし、「ハルビン学院」の歴史は後藤の学院発足(ただし最初は「日露協会学校」名。1933年に改称)に込めた思い(「文装的武備論」)が歴史に翻弄された歴史でもある。「第二章 抱え込んだ矛盾」で日露協会学校(ハルビン学院の前身)のスタート。「第三章 想像のロシア 現実のロシア」で再び島津(26期生)。この本に難点をつけるとしたら、時系列で話が展開しない点でしょうか。それは芳地が過去の歴史を再構成し読者にわかりやすくするためにとったテクニックだったのかもしれませんが、僕のように頭が悪くハルビン学院の知識が乏しいものにはいささか読みづらい。まだ最後まで読んでいないので、最後まで読み終われば内容が肺腑にストンと落ちるのかもしれませんが、今のところ、ページを前後したりメモを取ったり付箋を貼ったりしながら読んでます。
これも前著との関係なんでしょうね、どちらかと言うとハルビン学院後期生が中心な(あるいは比重が重い)感じです。たぶん聞き書きや現存資料の関係でそうなったんでしょうね。岸谷隆一郎(1期生)・杉原千畝(1期生)・成田精雄(6期生)や加藤幸四郎(10期生。妻は淑子、娘は登紀子)・杉目昇(15期生)・内藤操(21期生。内村剛介)も出てきますが、全体としては久保久和(25期生)・島津朝美(26期生)・太田古雄(26期生)・黒羽栄司(26期生)・堀内彰(26期生)らが中心。
初代学院長の井田孝平は長谷川辰之助(二葉亭四迷)の教え子。井田も魅力ある人物です。
以前このブログでご紹介している『松花の流れ』は、本書では7番の歌詞(「古琴の友よ いざ往かむ」)が紹介されています(p.p.50-51)。
昭和20年8月21日渋谷三郎学院長が、数日後白井長助学監が自決(p.p.163・164)。
本書の「主な参考文献」には安彦良和『虹色のトロツキー』も。僕、この間全8巻読んだばかりです。
「あとがき」には
本書のために貴重な写真を提供してくださったのは24期生で、恵雅堂出版の社長を務める麻田平蔵氏である。ハルビン学院同窓生たちの窓口的な役割を担っておられる同社の宮明正紀氏にも大変お世話になった。この場を借りて、御礼申し上げたい。
とある。
戦後の私たちは日本海の対岸に目を向けることを避け、もっぱら米国に明るい表情をつくってきた。その結果、いまだロシアや中国といったユーラシア大陸の大国を等身大で見ることができないでいる。(「あとがき」p.248)
芳地隆之は僕より16歳年下。尖閣や中ロ首脳外交やロシア大統領の「北方領土」訪問表明などといった最近の状況も考えると、僕も芳地と全く同じ認識である。日本にはこの後「核武装論」「和製ヒットラー待望」「臥薪嘗胆」「対中戦争も辞さず」「在日華人排斥」「北方領土死守」などの幼児化現象も出てくるだろう。そのような状況にあって、「武器はロシア語とインテリジェンス」(帯より)というハルビン学院の歴史に学ぶところは大きいのではないだろうか。

ひだ6号、富山県内1時間・岐阜県2時間半・愛知県30分といった感じでしょうか。高山・下呂・岐阜などを経てやがて名古屋に到着。高山線入線ホームにある「どぇりゃあ亭」できしめん。ここ、うまいです。
改札を出ようとして悲劇発生! 自動改札口で「富山→富山」の乗車券が出てこないではないか。駅員とあれこれ話すも埒が明かず、会議時間も迫っているので、会議後また改札口に来るってことでいったん収拾。5時過ぎに同改札口に来たら、ありました「富山→富山」の乗車券(駅員さんが一生懸命探してくださったのでしょうね)。乗車券には「自改誤回収」と赤の手書きで書いてあった。

今回の会議は1時~5時。ボクは会議も大勢の前で発言もちょー苦手(恥)なんですが、そうも言っておられないので何回か発言。

帰りはしらさぎ。北陸3県には4つの日本語学校があるのですが、ちょうど各校1人ずつ揃った。車中ボックス席にして4人で宴会情報交換。ビールを飲みながら好き勝手なことを放言日本語教育の将来について熱く語り合った。

9時過ぎ富山駅。ポートラムで帰宅。
by tiaokumura | 2010-09-30 21:06 | | Comments(6)