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2010年 09月 05日 ( 1 )

「越中八尾おわら風の盆」から思い出したこと

僕がこれまでに完読した中で最長編小説は
中里介山『大菩薩峠』
です。もちろんリアルタイム(1913-14年に新聞連載)で読んだわけではありません。23歳ころでしょうか、東京教育大学桐花寮に居候^^中、M君の勧めで手に取った。角川文庫版だったでしょうね(20巻くらい?)。M君は関東北部出身で理学部数学科、某前衛党員だったでしょうね、理学部自治会トップも務めた。あの当時の民青、僕の専攻の国語国文科にも何人もいたし、所属したサークル「学生文化会」にも(数は多くなかったような気がするが)M君以外にもいたと思う。僕は「誤謬のない」某前衛党も「歌って踊って革命」の民青も大っ嫌いだったが、そのことでM君たちと互いの友情が破壊されることはなかった。ある意味、「素朴で純な時代」だったんでしょうね。M君が僕のことをどう思っていたのか、なぜ彼が僕に『大菩薩峠』を読むよう勧めたのか、今となってはわからず仕舞い。山本周五郎を勧めてくれたのもM君だった。M君、今頃はどこで何をしているのだろうか。
あの頃はヒマだけはたっぷりあった(照)。それに今の何百倍も本を読む体力があった。『大菩薩峠』は2、3週間で読み終わったでしょうか。机竜之助が主人公ではあるのでしょうが、10年代のアナーキー気分や左翼思想が反映してるのでしょうね、その内何がなんだかわからんような展開になる(激爆)。叶わぬ夢でしたが、宇津木兵馬になりたいなぁなどと一瞬思ったりした。
『大菩薩峠』で今でもウロ覚えに覚えているのが小説中に引かれていた「間(あい)の山節」。
夕べ朝(あした)の鐘の声 寂滅為楽(じゃくめついらく)と響けども 聞きて驚く人もなし 鳥は古巣(ふるす)に帰れども 行きて帰らぬ死出(しで)の旅
「驚く」はここでは「目が覚める=仏心に目覚める」といったような意味でしょうか。

越中八尾おわら風の盆を想うとき、なぜか「間の山節」を思い出します。自分なんかはもう何年かで死んで、死後は地獄の業火に身を捩りながら焼き尽くされる運命にあるのでしょうが、死ぬ瞬間まで生き抜きたいと、ごくたまに思うことがあります。
思ふこと言はでぞただに止みぬべき我と等しき人しなければ
-確かにそうなんでしょうが、生きてさえいればきっと何かいいことがあるのではないでしょうか。

PS
wikipediaに「間の山節」がありました。江戸時代の伊勢の民謡だそうで、
伊勢参道筋の間の山でお杉、お玉という2人の女性が三味線を弾き、伊勢参りの人々に歌を歌い、銭を乞い求めた。(wikipediaより引用)
とのこと。僕のウロ覚えだった歌詞は、正しくは
花は散りても春咲きて、鳥は古巣に帰れども、行きて帰らぬ死出の道。(相手)夕あしたの鐘の声、寂滅為楽と響けども、聞きて驚く人もなし」(wikipediaより引用)
でした。
by tiaokumura | 2010-09-05 19:16 | 言の葉つれづれ | Comments(2)