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2010年 06月 03日 ( 1 )

齋藤正彦『日本語から記号論理へ』(日本評論社)

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齋藤正彦(1931-。東京大学名誉教授)
『日本語から記号論理へ』
2010年5月30日 第1版第1刷
日本評論社
1900円+税

先週、わが親友哲ちゃんから郵便物が届いた。彼の出版社の封筒入り。中に入っていた本がアップした写真の本です。哲ちゃんからの「謹呈」(照)。

齋藤正彦先生(当ブログは敬称略が原則ですので、以下敬称を略させていただきます)は初めて知るお名前。本書略歴・Wikipedia・哲ちゃん情報などで以下ご紹介。
1931年生まれ、齋藤樹の二男。齋藤邦彦は実弟、宮沢喜一は親戚筋。フランス留学。森有正・辻邦生・矢内原伊作・高野悦子らと相前後するのでしょうね、フランス。今だったらJALかエールフランスで成田→パリ一っ飛びでしょうが、当時は、横浜港を出港し、赤道を越えインド洋→紅海と進み、マルセイユ入港だったんでしょうね、たぶん。齋藤は、パリ大学・理学博士。主著に『線形代数入門』(東京大学出版会。1966)・『はじめての微積分(上下)』(朝倉書店。2002・2003)・『はじめての群論』(亀書房・日本評論社。2005)・『数のコスモロジー』(筑摩書房。2008)など。
本書は、「この本の内容ははじめ『数学セミナー』に連載されました(2009年4月号から2010年3月号まで)。それに加筆・訂正したものが本書です」(p172)ということです。

せっかく哲ちゃんから「謹呈」されちゃった本^^ですから、これは読まねばなりません。でも難しすぎ~(泣)。数式なんてほとんどがチンプンカンプン。まぁとりあえずはわかりそうなところを拾い読み中です。
川端康成(1899-1972)がノーベル賞をもらったときの受賞演説で「美しい日本の私」っての、ありましたよね。川端では「『美しい日本』の私」(美しいのは日本)だったのでしょうが、「美しい『日本の私』」(美しいのは私)とも意味がとれるという、ちょっとした揶揄もあったように記憶しています。「両義文」(としておきますが、二通りに解釈できる句・節・文)には他に「ポチが好きな太郎」、一休さんの「このハシ渡るべからず」「ふたえにまげてくびに・・・」、「警官は血まみれになって逃げる泥棒を追いかけた」なんてのもありますよね。
本書では日本語の両義文の例として「眠れる森の美女」が「第1章§1」に出てくる(pp2-5)。そういうところは僕でもなんとか食いついていけます、日本語教師だし地元の大学で2年間言語学を学んでますし。他に読める箇所としては、「大江山いくのの道・・」(p24)、「命題文と論理文」(pp26-)、堀口大学の訳詩(pp67-)、「風が吹けば桶屋がもうかる」(pp90-91)、「数学の日本語 または数学方言」(pp102-112)など。出てくる数式では「級数の和」「関数の連続性」あたりが少しわかるかなあ。
「あとがき」には、「記号論理」の参考文献として新井紀子『数学は言葉』が「叙述に工夫が凝らされていて、楽しく読める」と紹介。新井紀子、勝間和代がブログでも関わっているんですよね、確か。

本書をつまみ読みしても感じることなのですが、齋藤正彦先生のご年代の方々には、「教養」が息づいている。漢文の素養・外国語力・想いを過不足なく伝えられる文体・専門の深い知識の源泉としての人文学・世界全体を見通せる構想力・的確な射程距離の想像力・理系文系融合力など、ボクたち戦後生まれにはとうてい持ちようもない、(まぁひっくるめてこう言うのもなんですが)「人間力」がある。ルネサンス型人間・ヒューマニティの具現者としての最後の世代と言えるかもしれない。

大学生時代、片桐ユズルの「意味論」関係からソシュールや時枝などにも進みました(チョムスキーや三上はまだ読んでいなかった)。本書の「記号論理」って言葉から、そんな40年以上前のことも思い出しました。
ボクって情緒人間だから、「論理」って弱いなあ(恥)。

哲ちゃん、「謹呈」ありがとう!
TELでも話したようにようわからん箇所のほうが圧倒的に多い本ですが、「読める・わかる」部分を読む前より増やすつもりで読んでみます。美容とかダイエットとかじゃないけど、「ビフォー」と「アフター」ですね(激爆)。
by tiaokumura | 2010-06-03 20:45 | | Comments(6)