2009年 04月 24日 ( 1 )

『コミュニケーションのための教育文法に基づく 日本語教材作成のための基礎的研究』

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(4月25日夜・記)
名古屋出張の翌朝、勤務先の富山国際学院で前日の郵便物を整理していたら、厚手の封筒に入った分厚い郵便物があった。差出人を見ると、小林ミナ先生(早稲田大学大学院日本語教育研究科・教授)。中を開けると
『コミュニケーションのための教育文法に基づく
   日本語教材作成のための基礎的研究』

が入っていた。「平成17年度~平成20年度 科学研究費補助金 研究成果報告書」である。
なぜこのような貴重な成果が私のような者に送られてきたのか。


話は約18年前に遡る。私が日本語教師人生を選ぶきっかけになった本がある。
野田尚史『はじめての人の日本語文法』(1991年。くろしお出版)
である。同書には新沼謙一・徳川康子・武田亜矢といったユニークな名前のキャラに混じって「野田尚史」が「先生」で登場。
33才 石川県金沢市生まれ 筑波大学講師(同書「はじめに」p.2)
野田先生のこともこの本のことも既にこのブログで何度か書いていますが、簡単に言うと、その本を通じて「『国語教育』と『日本語教育』の違い」を知り(蒙を啓かれた)「自分のような者でも『日本語教師』になりたい」と思った(勇気づけられた)。先生の本はその後、何冊も読んでいる。ただし先生の著書・論文は多岐膨大なので、野田ワールドのまだ1%も理解できていません。ボク、自称「野田ファン」です。これは間違いない。
その野田尚史先生が、2005年8月8日に日本語教育振興協会(「日振協」)の日本語教員研究協議会で講演をなさるという案内が富山国際学院に来た。行きました、もちろん。初めて見る生(なま)野田先生(爆)。先生は始めに「自分は生まれは金沢だが関西が長い。こういう講演も関西人のノリでやりたい。それと一方的な講演じゃつまらないので会場の皆さんとの双方向な場にしたい。ボケやツッコミも大歓迎です」。なにせ今から3年半以上前のことなので正確な記憶ではありませんが、まぁそういった趣旨の内容でした。実際先生は壇上を降りられて会場のあちこちを移動されながら、時には挑発的に時にはヒントを出しながら「双方向な講演」を展開。内気なボク(照)も何度か発言できました。時間が経つのを忘れる中身の濃い・楽しい・スリリングな講演。
その夜の懇親会にも出席。野田先生におねだりして^^記念撮影もしちゃいました(激爆)。当時はまだブログやってなかったのですが、もしブログをやってたら載せてたでしょうね、きっと。憧れの先生と親しく話していただいている中で、先生から「まもなく取り組む予定のプロジェクトに参加しないか」とお誘いを受けた。内容にはすぐ興味が持てたが、自分にはとうてい無理そうなので、その場ではお返事しなかった。後日、先生からメールが入り「先日話した件、いよいよ始まる。参加しないか?」とのことでした。大先生からメールをいただいた感激で、即参加表明^^。既に立ち上がっていたメーリングリスト(ML)に「ごあいさつ」。MLには連日学ぶことが満載。その間、僕は富山大学編入学試験を受け合格。合格はよかったのだが、「学部3年生が文部科学省の科学研究費(科研費)を使ったプロジェクトに参加していいものだろうか」と思い野田先生に問い合わせたところ、「既に奥村さんは日本語教師なのだから別に構わない」とのお返事でした。10月15日、僕が所属する「読む」グループの研究打ち合わせが新大阪ホテルであった。鱒ずしを持参して皆さんに喜ばれたこと、昼休みに野田先生や松崎寛先生(広島大学)とたこ焼きを買いに行ったこと、試作した読む教材を野田先生に徹底的に批判されたこと、夜のイタリアンレストランでの会食など、今は貴重な思い出。
せっかくプロジェクトに参加させていただいたのですが、やがて、富山国際学院・奥村学習塾・富山大学などとの兼ね合いがつかず、そして何より自分の能力不足のせいで、プロジェクトから脱落させていただくことにした。恥ずかしい思い出になってしまったかもしれないが、このプロジェクトに参加でき多くを学ばせていただいたことは、日本語教師として貴重な財産になっている。

写真の報告書、平成17(2005)年度と平成18(2006)年度の「研究協力者」に自分の名前を見出し、「何も役に立てなかったのに」と申し訳ない気持ち。
守秘義務・著作権もあるので同報告書を僕がどのように活用できるかわかりませんが、日本語教材の新しい夜明けを感じさせる同報告書です。
年齢に関係なく「青春」という言葉を使えるなら、この報告書は「僕のほろ苦い青春の思い出」でもあります。
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by tiaokumura | 2009-04-24 19:58 | 日本語教育 | Comments(0)