人気ブログランキング |

2009年 03月 01日 ( 1 )

隠し文学館 花ざかりの森

f0030155_1034371.jpg
今日、「隠し文学館 花ざかりの森」開館一周年記念イベントの一つ、杉田欣次館長による「記念講話」を聴きに行ってきた。

同館は自宅から車で約30分、地図を頼りに走らせる。地図ではGSを右折して入ったメインの道から右横道に入ることになるので、近づいた頃から右に目配りしていたら、案内の看板が目に入った。右折-道なり-左折して、畑の横の「隠し文学館 花ざかりの森」に到着する。2回目の訪問。しばし前庭にたたずむ。写真はその時に居合わせた和服の女性に撮っていただいたもの。
入館。杉田欣次さんがおられたので、「一周年おめでとうございます。今日はよろしくお願いします。運良く当選しました!」とご挨拶。そうなんです、先日講話拝聴希望の往復ハガキを出したが、定員20名に入れるか不安だった。以前、大村はま先生の講演希望ハガキを出してダメだったことがあり、クジ運どうかなと思ってたんですね。幸運にも「当選」だったので杉田館長にお礼を申し述べた次第。
1Fで展示を拝見するうちに記念講話の時間になり2F和室に上がる。50人くらいお見えでしょうか。希望者が多かったので定員20名のところを大幅に参加可にされたのでしょうね。ありがたいことです。男女比はやや男性多目、年代は60代・70代が中心でしょうか。女性の中には和服姿の方が10名近くおられた。

開館一周年記念講話「三島文学に魅せられて」
富山では道楽者のことを「みゃあらくもん」と言う、自分も「みゃあらくもん」だ。そんな枕で始まる。
昨年3月の開館展覧会、約3週間で947人入館だそうです。県外からの来館者もあったのでしょうが、三島ファン・杉田ファン・文学ファンが富山県内に多いということの証しでしょうね。同年4月8日、日経全国版に「三島の自決予期した私」掲載。
杉田さんと三島との出会いは大学入学後の『金閣寺』。それまで杉田さんは大江健三郎・吉行淳之介・立原正秋などを読んでいらっしゃたそうです。杉田さんは、言語に障害のある溝口(『金閣寺』の主人公)に自分を重ね合わせた。そして、吃音などとは無縁なはずの三島の文学的想像力に感嘆する。昭和43年に『ミランダ』観劇、同44年2月には紀伊國屋ホールで『わが友ヒットラー』観劇。『わが友~』では楯の会会員を引き連れた三島の舞台挨拶も見た。あるいは三島と夫人(杉山寧の娘。大学在学時に三島と結婚)が劇場ロビーで歓談するのを遠望したり・・・。
昭和44年3月大学卒業、富山に帰郷、市役所に勤務する。このブログで既に触れていますがあの「三島への手紙」は帰郷後に書いた。そしてその手紙を出さぬまま昭和45年11月25日を迎えた。「私は油断していた」というのがその時の杉田さんの想い。
次いで話題は杉田さんの創作活動へ。昭和60年、やがて市展が開催されることを知る。当時はカメラに凝ってらっしゃったそうですが写真では出品せず、絵は素人でありながら「近づくと見えない男 三島由紀夫」という点描画(というカテゴリーになるのでしょうか)を出品、みごと入選。トリエンナーレなんでしょうね、3年後今度は「三島のいた空間」で再入選。この作品、横尾忠則が評価したそうです。更に3年後、細江公英『薔薇刑』から模写した「薔薇の夢を見た男 三島」を出す。こちらは、杉田さんは笑いながらおっしゃってましたが、「うまくなりすぎて」落選の憂き目に。
杉田さんは写真のほうは招待作家クラスの腕前。更に同人誌「渤海」などで執筆活動、NHKのTV・ラジオドラマも創作。公務員をなさりつつ写真・絵・評論・小説・脚本などに取り組む杉田さん。「みゃあらくもん」には違いないのでしょうが、実に多芸多才、実に八面六臂のご活躍です。
三島は1月14日、杉田さんは1月13日が誕生日。「市ヶ谷」の時、三島は45歳だった。杉田さんはご自身が45歳を迎えるにあたって「節目を演じたい」と思われた。そこで企画されたのが中央通り「エルフ」での個展。上述の絵や台本などを展示。DMには「薔薇の夢を見た男 三島」を使われたそうです。
更に講話はこの文学館設立のことになる。平成18年1月に設計。平成19年3月杉田さん定年、退職金を館建設に充てる。平成20年3月、「よみがえる三島由紀夫 展」。
三島と言うとどうしても市ヶ谷のことが先に来がちですが、杉田さんはこの文学館はあくまでも「文学の立場」で運営されているということを強調された。三島のご遺族とは館立ち上げにあたって3つの約束をされたそうです。
1.三島氏の名誉を守る。2.著作権者の趣旨を守る。3.遺族の心情に配慮した展示。

講話のあと、展示を観賞。昭和26年の「批評家に小説がわかるか」の三島(当時26歳)vs亀井勝一郎(同じく44歳)論争時の三島の生原稿、興味深く観た。亀井が買った喧嘩になるのでしょうが、亀井が選考委員だった第1回新潮社文学賞(昭和29年)・読売1956年ベストスリー(同31年)で三島が栄誉に輝いたことを鑑みると、どうやらこの論争、三島の勝利に帰するのでしょうね。
帰りに再び杉田さんにご挨拶。「ブログをやっていますので、リンクさせていただけませんか」と恐る恐る申し出たところご快諾を得た。それどころか、当ブログ、杉田さんにご訪問いただいていたそうで、光栄+感激の極みでした。
隠し文学館 花ざかりの森」、右にリンクしてあります。

杉田欣次さま、本日はありがとうございました。
またお会いしお話を伺えるのを楽しみにしております。
季節柄ご自愛のほどを。


(注)上記記事は杉田さんの講話聞き書きメモなどを基に書いたもので、ご本人の語彙・用字用語・表現から逸脱している部分があるかもしれません。また、事実関係に誤解が生じているかもしれません。文責奥村ということでご諒解ください。
by tiaokumura | 2009-03-01 10:03 | 富山 | Comments(0)