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2009年 01月 31日 ( 1 )

内村剛介さん、ご逝去

評論家の内村剛介さん死去=抑留体験基に旧ソ連批判
 「生き急ぐ」「ソルジェニツィン・ノート」など旧ソ連の強制収容所の実態を暴く評論活動を行った評論家でロシア文学者の内村剛介(うちむら・ごうすけ、本名内藤操=ないとう・みさお)さんが30日午前2時41分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。88歳だった。栃木県那須烏山市出身。葬儀は2月6日午前10時から品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は長女冨永まなみ(とみなが・まなみ)さん。
 1934年、満州(現中国東北部)に渡った。哈爾濱学院卒業後、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留された。11年間、監獄や強制収容所で過ごし、56年に帰国。商社勤務の傍ら精力的にスターリニズム批判など文筆活動を展開し、旧ソ連研究などに大きな影響を与えた。北海道大、上智大教授を歴任。著書に「呪縛の構造」「ロシア無頼」、訳書に「エセーニン詩集」など。昨年出版された陶山幾朗編著「内村剛介ロングインタビュー」が話題を呼び、全7巻の著作集の刊行も始まったばかりだった。
時事通信より引用。ただし、元記事の「ハルピン」を「哈爾濱」に変えた-奥村)


ここのところ寝る前に陶山幾朗/編集・構成『内村剛介ロングインタビュー』(恵雅堂出版)を読むのが日課になっている。同書は1月8日に入手し、今年の「読書」の1冊目にした。僕の部屋は暖房はこたつだけで、こたつで過ごした後は布団にもぐりこむ。そして行儀が悪いことこの上ないのだが、敷き布団に腹ばいになり毛布2枚・掛け布団2枚重ねを首とパジャマとの間くらいまで引っ張り上げ、ときどき腰が痛くなると(僕は腰痛持ち)左右の脇腹を横にして、あるいは手がかじかんでくると布団の中に手をしばし収め・・・まぁそんな具合で一晩20ページくらいのペースで読み進め、ようやく「§11 君も、われも、やがて身と魂が分かれよう・・・・・・」に至った。
この本、僕には難しすぎなんですね。ソ連もロシア語もロシア人もロシア文学・思想も僕にはほとんど知識がない。でも、こうしてなんとか読み進んでくると、確かに知識の欠如は致命的なのだろうけれど、それでも今では眼前で内村さんと陶山さんのセッションを見ているような錯覚に陥るくらいになりました(僕のような素人にそうさせるのは、内容はもちろん、この本の編集・構成がすばらしいということです)。同書から1箇所だけ引用。
『生き急ぐ』は、僕の収集した幾編かのラーゲリ・フォークロアを、プーシキン、ブロッキー、吉本隆明、香月泰男らが取り囲んだ形で成り立っています。(p.378)

今日は3週連続の金沢通い。ビジネスバッグには『ロングインタビュー』。帰りの車中で読もうと思った。行きの電車では例によって讀賣・日経。讀賣の訃報記事で内村さんが亡くなられたことを知る。5時過ぎ帰宅、夕食後このブログをチェックしたら、宮明正紀さん(恵雅堂出版)のコメントがあり時事通信の訃報記事が紹介されていました。時事通信のネットサイトから取り上に掲げておきました。
僕は内村さんの本とは20代で『生き急ぐ-スターリン獄の日本人』(1967年9月刊。三省堂)と出会いその「すごさ」には触れ、しかしその後は全く読まず、昨年亀井哲治郎君(東京教育大学以来の友人)との待ち合わせ場所の池袋のジュンク堂で『内村剛介著作集』(恵雅堂出版)を目にし、その後彼から『ロングインタビュー』を読むように勧められ、購入し読書中。約40年ぶり・2度目の内村体験。そんな全く熱心でなかった僕ではあるが内村さんの「すごさ」は実感できているように思う。内村さんの「遅いデビュー」はたぶん須賀敦子さん(1929-98)のデビューと似ていたのではないだろうか。突然彗星のように現れたちまちのうちに支持者・愛読者・ファンを獲得する。「存在」してしまうと、もうずーっと前から存在していたかのような輝きを放つ「あること」の独自性。狭い範囲だけではなくいろんな方面に重く深い影響力があったのも、内村さんと須賀さんは似ている。須賀さんも内村さんも今は故人。

内村さんの「すごさ」を伝えることのできない駄文になってしまいましたが
ここに謹んで内村剛介さんのご冥福をお祈り申し上げます
by tiaokumura | 2009-01-31 20:02 | 追悼 | Comments(14)