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2007年 10月 07日 ( 1 )

『中華若木詩抄』のこと

編入学なので順当なら^^2年で終わる大学生活の最後の学期が始まった。結局4科目受講することになり、金曜日4時限は樋野幸男准教授の「言語学特殊講義」。月・木は12:30に富山国際学院B組の授業を済ませて時速**キロで吹っ飛ばして^^富山大学1時開始の講義に向かい、水曜日は12時まで富山大学の言語学演習を受けて大急ぎで富山国際学院での1時開始のH組の授業に向かう。そんな忙しい曜日に比べると、金曜日は余裕がある。12:30にB組の授業を終わって、樋野先生の講義(人文棟1F)は2:45開始。
樋野先生のシラバス、9月末に発表になり、講義概要が判明した。シラバス中に見慣れない作品名が2つ。その内の1書が『中華若木詩抄』。中世国語資料と言えば『伊曾保物語』やロドリゲスといったところが有名ですが、同書、ボクの全く知らなかった作品(恥)。で、岩波の「新 日本古典文学大系」シリーズに入ってるのではないかと大学の附属図書館に行って書棚をチェックしたら、ありました!こういうのそつない僕です(照)。この努力だけでも「優」に値するかも(嘘爆)。
大塚光信・尾崎雄二郎・朝倉尚 校注『中華若木詩抄 湯山聯句鈔』(新 日本古典文学大系53 岩波書店 1995年)
ちゅうかじゃくぼくししょう」と読みます。底本は亀井孝所蔵本なんですが、この本が刊行される前に、校閲ご担当予定だった亀井孝先生は急逝。亀井孝先生は数々のご偉業のある国語学者です。『言語学大辞典』(三省堂)の3人の編者のお一人でもある。あとのお二人は、河野六郎先生・千野栄一先生。

『中華~』、どんな本かと言うと講義録と言えばおわかりいただけるでしょうか。この当時盛んだった「抄物」の1書。中国(白居易も登場)や日本(今では埋もれてしまった人がほとんど)の詩を採り上げ、その詩の解説を付する。駿台や代ゼミの人気講師の本みたいなもの、と言うと叱られるか^^。講義ノートと言うとソシュールもそうなんですよね。
この本で初めて知った村菴(そんあん。希世霊彦きせいれいげん)という禅僧、なかなか興味深い人物。1488年86歳で没した彼の53歳の時の作品は「明皇貴妃並笛図」。いささか艶めかしい^^詩。玄宗皇帝が笛を指で押さえ、その笛を楊貴妃が吹く。結句が「落尽梅花也不知」(p.149)。「梅の花が散ってもボクちゃん関係ないもんね。楊貴妃ちゃんとこうして二人っきりの世界過ごせるのってサイコー♪」と、奥村意訳ではこうなる(激爆)。21世紀のラブホのカップルみたい(嘘爆)。「玄宗はん、そんなことしとったから安録山の大乱に対応できなかったんだ~」、ってのは後世のさかしら(爆)。村菴25歳の時の「秋夜聴雨」(p.6)、才気が走りすぎ(理屈っぽい)かもしれませんが、日本人が漢詩をここまで自家薬籠にした見事な詩。若くしてこういう詩が作れるってぇのは現代から見ると驚きですが、あの頃の禅寺はサロンとは言わないまでもアカデミーだったのは確か。彼のレベルの「詩人」「学僧」はざらにいたんでしょうね、きっと。
村菴は23編採り上げられていてNo.1です。彼の生涯も興味深い。彼、出世も可能だったんですが「侍者」の地位で生涯を終わっている。政争に巻き込まれるのを良しとしなかったのか、あるいは細川氏がパトロンだったので悠々自適の生活が可能だったのか。あるいは、時代の大きな流れに惰性で流されただけなのか。「賀故人栄遷」では自らの生き方の表明でもあるのでしょう、こう結んでいます(p.180)。
我向江湖拝散人(我は江湖に向かって散人に拝せられん)
「人は人、我は我。これでいいのだ、僕の人生!」(奥村意訳^^)といったところでしょうか。

(注)上記投稿記事中の「意訳」はほとんどテキトーっす(汗)。樋野先生の講義を受講予定の皆様、ボクを信じて失敗せんよーにネ(爆)。
by tiaokumura | 2007-10-07 20:35 | 僕は大学4年生 | Comments(0)