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2007年 04月 22日 ( 1 )

パチンコ屋さんで働いていた頃

10年以上前の日本語教科書を開くと、「日本株式会社」なんてぇ記述があって、「終身雇用・年功序列・企業内組合」なんてのが特色だと書いてある。確かに日本の高度成長の「三種の神器」みたいなもんだったんでしょうね、この3つ、今じゃ「夢・幻」の類だろうけど。そして2007年の今、世に言う「2007年問題」。僕もほぼそれに属する同世代の「戦争を知らない子どもたち」は、なんで自分たちが今「問題」なんかにならなきゃならないんだ、とか、残間里江子(山口百恵『蒼い時』のプロデュースなど)の「蕎麦うち男になんてなるな」なんて挑発にとまどいつつ、現在(いま)を生きていることでしょうね。
そうなんですよね、ボクなんか例外になる(恥)のですが、日本では「団塊の世代」、アメリカでは「ベビーブーマー」、悩んだり傷ついたり後退したりしながらここまで生きてきた。だって「人生」って、いつの時代もどこの場所でもそういうもんなんだろうから。で、「アリとキリギリス」で行けばそうやってがんばってきたおじさん・おばさんは「アリ」で、ボクは「キリギリス」ってことになります、きっと。定職だけでもかれこれ4つ^^、他に経験したアルバイトも入れれば15くらいの職種経験してる。時々「全然がんばらんだボクなんかが幸せになったらバチが当たる」などという「自責の念」に駆られることもある今日この頃です(激爆)。

↑ってのが枕部分です。長すぎ~~(自爆)。
富山駅南口向かいにCiCというビルがあり、中国語の勉強などで月に1回以上は訪問している。昨日は親友に送るためにホタルイカとシロエビを買いに行った。地下1Fにいいお店あるんですね。そのお店で80歳くらいのおかみさんと話してて、35年以上前のことを思い出した。
CiCの前身は「須田ビル」で、そこの地下には戦後の「闇市」がそのまま残ったような(「アメ横」をもっと雑然とさせた感じ、と言えば、今の若い方にもわかっていただけるかもしれない)お店の一群があり、更にほぼ須田ビルの1Fの一角には「コロムビア会館」というパチンコ屋があった。そこで東京教育大生だった僕は、わけあって離京して、20代の多感な^^ある時期の約11ヶ月、アルバイトしてたんですね。
マネージャーは川崎さんで、オーナーは白倉社長(吉田茂みたいな感じの人だった)。僕、お店で一番若い男ってことで、皆さんにずいぶん可愛がってもらった。野口さん(先代の尾上松緑みたいにでっぷり太って貫禄のある方だった)には近くの観音湯(これは今でもある。門構え、一見の価値あり)に連れて行ってもらったり、夕飯をご馳走になったり、「女の歓ばせ方」を教わったり(文字通りの意味です^^。もっともまるっきし女にもてんボクなんで、野口さんの秘伝を実践することはないんだけど^^)した。パチンコ玉磨きの名人の谷川老を見てて「自分もこういうお爺さんになれたらいいなぁ」などと思った。山口組が全国制覇に乗り出す(たぶん)前で、富山のような田舎は山口組にはおいしいところじゃなかったろうから進出してなかったのかもしれないが、富山にはM組があってその組員と思しきKさん(刺青を見せたくなかったからなんでしょうね、どんなに暑い時も手首と顔以外の肌は出さなかった)という方もいた。裏社会のことなんかもKさんからそれと意識せず伺ったが、Kさんの話で一番覚えているのはある昼食時に聞いた話。飯場では食事の膳にたくあんを3切れ出すととんでもない修羅場になる、なぜなら「みきれ=身を切る」だから、って話だった。パチンコ台のトラブルで僕は地回りに絡まれたことがあるんですが、その時Kさんに助けてもらいました。他には、川崎マネの弟さん(富山弁で「おっじゃ」。兄は「あんま」)や主婦の方々が従業員だった。景品係の主婦の方におねだりして^^藤圭子の曲(あの当時は有線なんかないだろうから、レコードだったんかも。今やその「レコード」も古き良き時代!)を店内流してもらったこともあった。
開店前、今のマリエがあるあたりが「白倉ビル」で、そこに景品倉庫があって、そこからコロムビア会館まで景品をリヤカー!に載せて運ぶ。市電通りの交差点をリヤカーで突っ切るんですから、今思い出すとのどかと言うかなんと言うか(爆)。
営業時間内に近所のパチンコ屋さんを廻る。計数カウンターを持って各店のお客さんの人数を調べる。あの当時、「シロー」「日活」「日の丸」なんてパチンコ屋さんがあったと思う。「日活」には若いヤーさんも働いていて、僕と年齢が似ててウマが合ったのも懐かしい思い出。僕ら従業員は富山駅前ではパチンコをしてはならない、って仁義のようなものもありました。
蛍の光」が流れ閉店。それから店内掃除など。そして、今ではコンピュータで管理してるのだろうけど、あの頃は「釘師」がその日の玉の出具合に合わせて釘を調節する。川崎マネがコロムビア会館の釘師で、金魚のうんこ(核爆)よろしく川崎さんの跡をついてまわったもんです、ボクは(自爆)。おかげで(「天を狙え」があの当時の僕のパチンコ必勝法)その後パチンコで負けるってことはありませんでした。でも、コンピュータ制御になって「ギャンブル」と化してしまったパチンコには興味がなくなっている現在です。
あの頃、鬱屈した気分にやりきれず掟破り(謎爆)みたいなこともしたのでしょうが、パチンコ屋さんでのバイト、今となっては「青春の一コマ」です。
by tiaokumura | 2007-04-22 20:14 | このブログのこと | Comments(3)