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2007年 01月 28日 ( 1 )

ジャズる心(1)

小和田雅子さんキース・ジャレットが好きだと言うことを何かで知って、「へ~」と思ったり「こういう女性、皇室に入ったら苦労するだろうなぁ」などと思った。皇室がどのように国民に支持されるか・女性天皇が実現するかなど、ボクのようなワーキングプア^^には関係のないことだが、同じ人間として雅子さんが幸せであってほしいとは思う。「結婚せんほうが良かったのにぃ」と思うのは僕一人ではないんじゃないかなぁ。
で、1975年1月24日だったんですねぇ、キース・ジャレットケルン・コンサート朝日新聞の「今日のうんちく」って欄に先日載ってました。その記事によると、彼、前日は車による移動で24時間眠ってなかった。日本初の完全試合をやった藤本英雄(当時、巨人)も確かそんな状況下だったような気がする。神懸り、みたいなことって、そんな時に起こるもんなのかもしれない。トランス状態。「ケルン・コンサート」のテープは、確か研次(現在、下北沢「カフェ・カナン」店主)にもらった。毎年晩秋になるとなんとなく聴いているのだけど(演奏もケルンも、僕には「晩秋+玲瓏」のイメージ)、コンサート公演が1月下旬だったとは知らなかった(恥)。ま、それでどうってことはないんだけど。

10代の頃までにサッチモスウィングジャズは聞いてたのだろうけど、「ジャズ」はブチュとの出会いが大きかった。彼とはハイランドロッッヂ時代に出会った。帝京出身で、帝京は、その当時の僕には、赤羽線で某民族系学校との対立抗争^^のイメージが強かったのだけど(今は、とんねるずの出身校、野球・サッカー、ですよね)、ブチュは、そんな僕の帝京のイメージにはそぐわない男だった。酒もマージャンも僕より弱く(ってことはかなり弱いってことです^^)、僕もそうだが、人付き合いが苦手で生きるのが下手なタイプ。10歳ほど彼は年下になるかなぁ、一時期よく彼と遊び歩いた。彼には音楽・ファッション・ヒッピー・マンガなどについて教えてもらった。音楽では浅川マキ(石川県出身)・りりィ・中山らび・山崎ハコなど。ファッションではインド系、レイバン、JUN&ROPE、帽子など。ヒッピーでは国分寺の部族など。マンガは永島慎二・つげ義春・真崎守・ガロ系など。ブチュはジョン・レノンに似てた、今ではオッサンかもしれないが(爆)。ブチュは渋谷公園通りが似合い、僕は渋谷円山町が似合ってた(謎爆)。
今はジャズ喫茶ってどうなってるか知らないが、あの頃は新宿にビットインとかDIGとか有名な店があった。でも、ブチュとよく行ったのはそこではなく、西武池袋線沿線にあった「まりも」ってお店。(たぶん)30代の知的かつ美人ママがやってた。どこもそうだったと思うが名曲喫茶と同じでリクエストができて、たまたま知ったブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」をよくリクエストした。名前からもおわかりのように、彼女はフランス人。原題、COMME A LA RADIOです。フランスとジャズなんてミスマッチと思われるかもしれませんが、例えばヌーヴェル・バーグとジャズって相性いい。ゴダールのコラージュ技法や映画文法は、ジャズの即興性やセッションに通じるところがある。←って、ボクだけの妄説かも(自爆)。ま、それはともかく、ああいうジャズ喫茶でリクエストするには、他のお客さんの迷惑だった曲でしょうね。ダンモ(モダン・ジャズ)だクールだなんて場にはふさわしくない、ゼッタイ(核爆)。ジャズ喫茶って禅寺の修行の場みたいな雰囲気だった。今にして思うとアホっぽい気もしますが、ま、それなりにみんな「ピュア」だったんでしょうねぇ。「ラジオのように」のレコードジャケットのフォンテーヌがかぶってる帽子、似たのをブチュが持ってて、かっぱらったかもらったか忘れたのですが(爆)、今は僕所有です。こないだの上山田温泉旅行で、実に約30年ぶりにかぶって行きました。勢いで言語学実験室にもかぶって行ったら^^、魔法使いのおじいさん、とか言われたけど(自爆)。

今はもう「ジャズ」なんて昔の勢いないんだろうけど(でも、カールさんのお別れ会の居酒屋、ジャズが流れてた!)、単なるミーハーな僕のお気に入りを以下に少しご紹介。
ビリー・ホリディ[ヴォーカル] 代表作は「奇妙な果実」、白人による黒人のリンチが題材の曲。奇妙な果実=リンチで木につるされた黒人、です。彼女の自伝『奇妙な果実』、今は絶版かもしれませんが、油井正一(あの当時、油井正一・植草甚一・平岡正明など錚々たるジャズ評論家・論客がいた)の訳で晶文社から出てて、僕も持ってます。
チャーリー・パーカー[アルトサックス] 愛称「バード」。「モダンジャズの父」。ドラッグとアルコールの言わば破滅型天才。活動期間も比較的短く、音源も悪いことが多いみたいですが、必聴。
マイルス・デイヴィス[トランペット] 50年代以降のほとんどのジャズシーンに登場。ボブ・ディランが商業主義に堕したと非難されたことがあったように、マイルスも何度かの「変貌」がファン離れを呼んだこともあるが、結局彼は何をやっても「天才」だったんでしょうね、どの時期にも熱狂的なファンを獲得。彼がパーカーとの出会いでデビューしたと同様に、多くの才能を発掘・育成の功績も大。彼のバンドに参加した主なメンバーだけでも、コルトレーン、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、チック・コリア、キース・ジャレットなど。残念ながら日本人はなかったみたいだけど。映画『死刑台のエレベーター』(1957年。ルイ・マル監督。ジャンヌ・モロー、モーリス・ロネ他)は彼の曲。
ジョン・コルトレーン[サックス] 僕のイメージでは、マイルスの動・コルトレーンの静。「至上の愛」は、ブチュにもらったか研次にもらったか忘れたが、なんだかバッハでも聴くような感じの曲。
ブリジット・フォンテーヌ[ヴォーカル] 今回調べてみたら、「ラジオのように」は1970年作。僕はこれしか知らなかったのだが、95年に「ふたたび、ラジオのように」を発表してたそうだ。
チック・コリア[ピアノ、キーボード] 彼の「リターン・トゥ・フォーエヴァー」はよく聴いた。僕の勘違いかもしれないが、僕の中ではクロスオーバーとかフユージョンとか言われ出した頃と重なる。そしてその後あまりジャズを聴かなくなった。彼は今でもときどき来日しコンサートをやってるみたい。
キース・ジャレット[ピアノなど] 雅子さんの例でもわかるように、ジャズだけでなく、多くのファンを持つ。彼自身もバッハやモーツアルトも演奏。

今週、試験8科目・演習発表1つ。ぜんぜん勉強がはかどらない(泣&恥)。

(注)この投稿は、ウィキペディアも参考にしました。
by tiaokumura | 2007-01-28 14:56 | 音楽 | Comments(7)