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竹熊健太郎『箆棒な人々 戦後サブカルチャー偉人伝』(河出文庫)

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竹熊健太郎(1960-。編集家、漫画原作者、ライター。多摩美術大学非常勤講師。桑沢デザイン研究所非常勤講師)
箆棒な人々 戦後サブカルチャー偉人伝
河出書房新社(河出文庫)
2007年12月20日 初版発行
850円+税

(3月8日夜・記)
本書は竹熊健太郎による原芳夫・石原豪人・川内康範・糸井貫二に対するインタビュー集である。ただし、糸井についてはインタビューにこぎつけるまで紆余曲折があり、その経緯についても書かれている。

原芳夫(1937-)
本書を読む前に、原芳夫は神彰の弟子でアリvs猪木のプロモーターという程度の知識を持っていた。いわゆる「呼び屋」。本書を通じて、「オリバー君」・「ノアの箱舟探索プロジェクト」・『家畜人ヤプー』の出版にも関わっていることを知った。
父は中国人、母は日本人。自称「虚業家」。写真(撮影・曽根陽一)も載っているが、中国服なのだろうか、スタンドカラーのワンピース状の服を着た原は、容貌は東洋人で新興宗教家然とした雰囲気。竹熊によるインタビューに答える原の発言の中には、彼と大なり小なり交流があった人物として、僕が知っているだけでも以下のような人物が登場する。
安部譲二、唐牛健太郎、江副浩正、石原慎太郎、岡本太郎、武満徹、谷川俊太郎、ソニー・ロリンズ、篠原勝之、横尾忠則、三島由紀夫、マイルス・デイビス、大山倍達、赤塚不二夫、アミン大統領、澁澤龍彦,嵐山光三郎、萩原朔美、遠藤周作、石坂浩二、中島貞夫、三浦和義、大島渚、唐十郎(以上1991年初頭のインタビューより)
柄谷行人、福田和也、中沢新一、麻原彰晃、立花隆(以上1998年春のインタビューより)
人物名を見ているだけでボクなんかはクラクラしますが^^、まさに原芳夫は「箆棒な人」なんでしょうね。

川内康範(1920-)
言わずと知れた「月光仮面」の原作者。「♪ど~このだ~れだかし~らな~いけれど だ~れもがみ~んなしっている」、ボク、ちゃんと主題歌歌えます(照)。他に川内康範は作詞家でもある。『月光仮面は誰でしょう』以外にも、ボクがカラオケで歌える『誰よりも君を愛す』(歌、松尾和子+和田弘とマヒナスターズ。以下同じ)『恍惚のブルース』(青江三奈)『骨まで愛して』(城卓矢)『君こそわが命』(水原弘)『伊勢佐木町ブルース』(青江三奈)『花と蝶』(森進一)『逢わずに愛して』(内山田洋とクール・ファイブ)『おふくろさん』(森進一)などを作詞。更なる川内像は国士としてのそれ。今風に言うとマルチ人間。本書でも川内がいかに多芸多才であるかが随所に見受けられる。原芳夫と共通するところとして日本人の朝鮮人蔑視への憤りが挙げられる。
骨まで愛して』誕生について本書で初めて知った。1966年2月4日の全日空機墜落。
・・・3、4日して見つかった仏さまは腐乱状態なんですよ。それでも遺族は遺体に抱きついて泣いているんだ。この人たちは単に見てくれや形だけを愛しているんじゃない。肉親を自分で拾って、火葬にして骨を葬るんだ。骨まで愛する!
これだと思ったよ。(中略)『女性自身』から連載小説を頼まれた時に、「愛は情死である」というテーマで『骨まで愛して』を書いたわけだ。
そのエッセンスを詞にして城卓矢が歌った。奇をてらって『骨まで愛して』なんてつけたわけじゃないんだよ。僕の中にはちゃんとわけがあるんだ。僕は遺骨引揚げ運動をやってきたからこそ、戦争をやっちゃいけないと思うんだよ。
(pp.250-252)
川内が偏狭な「国粋主義者」でないことは次のような発言から窺える。
日本ではタイ米を買って、まずいからといって捨てている馬鹿がいる。あんなことが許されるなんて、タイの人に対する侮辱以外の何ものでもないよ。米というのは、神の恵みとお百姓さんの流した汗の結晶です。それを「コシヒカリのほうがうまい」とかいって捨てる態度は、外交的にも問題になりますよ。日本がタイ米を買うもんだから、タイじゃ米が足りないんです。将来食糧難の時代に突入すれば、日本がいくら金を持っていたって売ってくれなくなりますよ。(中略)なんでも金の世の中、すなわち物質主義でしょ。日本には金しかないんですよ、困ったことに。金だけ抱いて生きているんだよ。(pp.242-244)

石原豪人(1923-98)
石原豪人は知らなかった名前。でも、子供の頃きっと見ているなぁと、本書中に掲載されている石原の絵を見て思った。山川惣二小松崎茂と同じ頃に活躍していたのだろう。更に僕の青年期に『さぶ』やSM雑誌にも彼の絵があったことを、同じく本書中の石原の絵を見て懐かしく思い出した。
石原は島根県出雲生まれ。「イラスト」なんて言葉がない頃から活躍し、その守備範囲は
映画看板・紙芝居・カストリ雑誌・少年少女雑誌・芸能雑誌・新聞小説・劇画・広告・SM雑誌・ホモ雑誌にいたるまで向かうところ敵なし。(p.108)
本人の写真を見ると、ドリフのいかりや長介みたいな顔。竹熊のインタビュー中に石原のいろんな「伝説」が出てくる。少年時代に聞いた「割れ目が潮吹く音」や夜這いならぬ「朝這い」の話、モンゴル包頭や中国上海での武勇談、恋文横丁・ロックウェルの思い出、『平凡』『明星』『平凡パンチ』『少女フレンド』などでの活躍などを読んでいると、竹熊の文才によるのだろう、まるで眼前に石原豪人がいて彼から直接話を聞いているかのような臨場感がある。
林月光=石原豪人、だったとは知らなかったなぁ。p.181に、美女が責めさいなまれている光景を美少年が窓から見ている絵があるのだけれど、画面構成も美女の伏目・乳房も美少年の眼もまさに「名作」である。
言語学」が1回だけ出てきます^^。『平凡パンチ』創刊号から石原はフィールド・ストーン名義でアメ・コミを描いてたそうです。で、『MAD』みたいな感じにしたかった石原は、英訳に苦労する。
五十嵐さんという早大の言語学の教授がいまして、息子さんがウチに出入りしてたもので、五十嵐さんに英訳について聞いてみたんです。そうしたら「マンガの吹き出しなんて言語学では扱わないヨ!」っていうんです(笑)。結局、山下愉一という人に頼んだんですがね。ドスンとかゲロゲロみたいな擬音でしょう。学者でもわからない。(p.156)
僕は昨年度の言語学演習で『NANA』を扱った。僕はともかく、言語学者がマンガを扱っているのは今や珍しくない。そのことを石原豪人(故人)が知ったら、驚いたり喜んだりするだろうか。

糸井貫二(1920-)
糸井貫二は全く初めて知った名前。本書には、『美術手帖』1970年2月号掲載の糸井の写真が載っているのだが(p.269)、ふんどし一丁で膝を立てているひげもじゃ姿はさほど異様ではないが、なんと、額には男根がにょっきり!
竹熊が『ダダカン』こと糸井貫二を知ったのは、『少年サンデー』1971年3月21日号。そこには、「殺すな」というメッセージを下げた糸井の写真と次のキャプションが載っていた。
ハダカこそすべて
 このダダ・カンと呼ばれる男、人と触れあうには、ハダカが本当だ。と、いつもスッ裸で狂気の行為を続ける裸体行動芸術家の教祖的人物。
 万博太陽の塔の下をハダカで走ってつかまったり、精神病院に強制収用されたりしたのでーす。

僕は大阪万博に興味がなかったので、そんなことがあったのは知らなかった。
少年期にダダカンを知った竹熊はなんとかダダカンにインタビューしたいと試みる。そんな竹熊の努力も虚しく、糸井とのインタビューは実現の運びに至らないまま時間だけが過ぎてゆく。だが、遂に1996年2月某日、仙台市の外れのダダカンの自宅で,竹熊は彼と対面できたのである。
他の3人と違って「糸井貫二」編は、インタビューそのものは15ページほどしかない。だがそのインタビューにこぎつけるまでの竹熊の奮闘記はスリリングな読み物だし、インタビューそのものも貴重である。竹熊が次のように書くのを読んで読者は、竹熊の労苦をねぎらい、竹熊の体験を共有する。
とてつもない人に会ったという実感である。こういう人が、現代のこの国に生きているのだ。その片鱗だけでも拙い筆で伝えられたことを、今、嬉しく思う。(p.334)

竹熊健太郎の本は、かなり前になるが相原コージとの共著『サルでも描けるまんが教室』を買っている。日本語教師には絵心が必須だがボクはからっきしそういうのがなくて(恥)、同書が出たとき、ひょっとして自分も絵が描けるようになるのではないかと淡い期待を抱いて^^購入した。あの頃は本のタイトルに『サルでも・・・』を冠するのがはやってたような気がする。おサルさんが聞いたら怒りそうですけどね。『サルでも描けるまんが教室』は今もボクの本棚で眠ったまま(恥)。
by tiaokumura | 2008-03-06 19:32 | | Comments(0)


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