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鶴の舞

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と初めて会ったのは1965年4月。今は亡き(無き)東京教育大学国語学国文学専攻の新入生同士であった。彼は愛知県の名門明和高校出身。身長は僕がわずかながら優っていた^^けど、それ以外は全く彼に歯が立たなかった。彼の関心は僕の何倍も広く、彼の知識は僕の何倍も深かった。(古代から現代までの)日本文学や国語学の造詣といった専門領域は言うまでもなく、美術・クラシック音楽・謡・食・麻雀など趣味は数多(しかもそのどれもが当時の大学生の標準を遥かに超えている)、読書は質量とも半端じゃない。世の森羅万象全てに通じているのではないかと、僕には思わせる存在であった。国語国文クラスにあってはリーダー的存在、男女比4:6くらいだったと思うが男女ともに彼には一目も二目も置いていた。
あの当時は勉強会も盛んで、でも、僕にはそういうのが苦手だったのだが、彼に誘われて『平中物語』にちょっと顔を出した。『平中物語』(『平仲物語』とも。内容はもうほとんど忘れた)は『伊勢物語』ほど有名ではないが、在原業平をユーモア仕立てにした(平貞文と思われる)男が主人公の歌物語。今でもウロ覚えに覚えているのは、彼が恋焦がれる姫君のおまる^^を手に入れその匂いに悶絶する話。実はそのおまるには、姫君か侍女のいたずらだったと思うが香木か何かを入れてあった。手元に本がないので(確かあれは角川文庫だったか。角川源義の関係であの当時の角川文庫には日本古典文学がけっこう入ってた)確かめようがない。記憶間違いかもしれない。
勉強会・山中湖の合宿・彼の安城市の自宅に泊めてもらったこと・サークル「学生文化会」などが、彼との初期の思い出に位置づけられ、かれこれ40年余のお付き合いである。彼が東久留米市に住んでた頃に居候をさせてもらって、でも僕のぐうたらぶりにさすがの彼も堪忍袋の緒が切れて追い出されたことも、今となってはいい思い出(自爆)。

彼のことを書き出すとキリがない。
在学中、彼のような男こそ将来の国語学国文学を背負って立つ男だろうと思っていた。理想的な教授の資質を持っていた、彼は。僕ならずとも多くの教官・学生が彼の将来を嘱望していた。だが、よくは知らないのだけれど、あるいは彼はある種の「深淵」を覗いてしまったのかもしれない、大学をドロップアウト。彼の真似をして!僕も続いた(照)。
岩波書店の雑誌『文学』はかつては月刊だったが、今は季刊(か隔月刊?)。各大学の「国語学国文学」も縮小・廃止傾向にあるとか。彼一人でどうともなるものではないのはもちろんだが、アカデミズムは若き逸材を失ったと思う。
今、彼はそんな大昔のこと^^なんかどうでもいいこととして、ちぎり絵教室(「がんぴ舎」)主宰者として全国各地を飛び回っている。僕は門外漢なので間違ってるかもしれないが、彼は、最良の和紙を求め、ちぎり絵の創造性を追究し、ちぎり絵創作の喜び・楽しみを普及することに、日夜励んでいるのだろう。

40余年の期間、彼との友情の糸は太くなったり細くなったりだが、僕にとっての親友であることは一貫して続いていると(、片想い^^かもしれないが)僕は思っている。
僕が富山にUターンしてからまもなくだと思うが、彼は梨を(彼は米子在住)僕は富山米を相互に贈る習慣ができている。彼からの梨が届くと「あぁ、夏ももうそろそろ終わりかなぁ」などとも思う。

特選東郷二十世紀梨梨『鶴の舞』」、JA鳥取中央東郷梨選果場のものらしい。今回は(今まではそうではなかったような気がするが)夫婦連名。ちなみに、彼の「才長けて見目麗しく情ある」奥さまは、このブログのコメントでおなじみの「哲ちゃん」の妹さんなのである。

宮崎健二・純子ご夫妻!
梨、届きました。今年も感謝しつついただきます。

近日中に富山米(玄米)お送りします、乞うご期待!
by tiaokumura | 2007-08-28 18:28 | このブログのこと | Comments(0)


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