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かつてこの地に東京教育大学ありき(2)

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-22日午前・記-
ずいぶん便利な時代になったもので、ネット上でかつての東京教育大学が偲べる資料をいくつも読むことができる。以下、「教育大学新聞 東京教育大学・学部学科専攻紹介(1970年)」「文学部」から引用。

文学部は充実している点では日本でも有数といわれる。だが筑波問題の渦の一つの中心ともなって、教授会の全き分裂、学長による教授会の"教育の道具視"、権限縮小、無視はさらに、教育大廃校、新生文学部からの反対教官パージをも予想させる。教育研究への権限の露骨な介入である筑波、その過程での学内の中央集権に反対した教授会の今後の姿勢がその将来を決定する。と同時にそれは、全国学園闘争の中で投げかけられた「教育研究することの意味」が尖端的に問われたのであり、社会と、生きることの意味を常に問う文学部の学問内容の必然だったろう。文学部は少人数で密度の高い学習で君を鍛え、さらにその学問の意味をも君に問いかけるだろう。
同記事は「受験生特集号」で記事中の「君」は受験生を指す。筆者については知らないし、必ずしも「名文」ではないのだろうけれど、あの当時の雰囲気をよく伝えた記事だと思う。記事中のいくつかの「志」は、「現在の僕」にも微小ではあるがインプットされている。また、現在の大学が依然として克服しなければならない課題も提示しているのではないだろうか。

同記事によれば、当時の教育大(他大学と異なり、教養課程と専門課程に分けず1年から専門課程が学べた)文学部を構成する専攻は以下の通り。( )内数字は定員。
哲学(20)倫理学(15)史学方法論(5)日本史学(20)東洋史学(15)西洋史学(15)国語学国文学(30)漢文学(15)英語学英文学(20)アメリカ文学(5)独語学独文学(15)仏語学仏文学(5)言語学(5)社会学(10)法律政治学(15)経済学(15)
法律政治学・経済学が「文学部」内にあるのも、当時の国家権力につけこまれる一因になったのかもしれないが、専攻紹介記事を読んでも実に充実した学部であることがわかる。僕は当時「国語学国文学専攻」で、今は富山大学・言語学コース東京教育大学・言語学専攻は、あの当時は全くの関心外だったのだが、この記事に拠れば、わずか定員5名!(院は修士4名・博士2名)で、教官がなんと!5名。教授陣が、河野六郎教授、関根正雄教授、田中春美助教授、千野栄一助教授、青柳精三助教授(肩書はいずれも当時)だったってんですから、今言語学少し齧ってるボクにもすごいメンバーだったってことが実感できる。三省堂『言語学大辞典』の編著者は3人なのだが、うち二人は河野六郎・千野栄一(あと一人は亀井孝)と付け加えるだけで充分であろう。
国語学国文学の教授陣は、中田祝夫教授、馬淵和夫助教授、小松英雄教授(以上、国語学)、峯村文人教授、小西甚一教授、鈴木一雄助教授、尾形仂助教授、桑原博史助教授、分銅惇作助教授(以上、国文学)で、こちらも豪華絢爛^^。

東京教育大学は5学部の総合大学。文・理・教育学部が大塚、農・体育学部はそれぞれ別の地にキャンパスがあった。

もう再び訪れることのない東京教育大学跡地
写真撮影後、右手に持ったブーメラン、飛ばしてみました(爆)。ブーメランはまた手元に戻ってきましたが、かつてこの地で過ごした僕の青春は・・・きっと遥か彼方の時空間に逝ったままなんでしょうね(照)。
by tiaokumura | 2007-08-19 15:44 | Comments(7)
Commented by 哲ちゃん at 2007-08-22 21:19 x
19日の午後は,僕は大塚の事務所にいたので,寄ってもらえばよかったなぁ。残念。(お盆のときは,ちょうど帰省中だったし。)
それにしても,茗荷谷駅と近辺の変貌ぶりには,ちょっとビックリしたでしょう? まぁ,37年余りも経っていれば当然と言うべきか。
春日通りから校門に向かう左側にあった古いアパートのビルも,たしか壊されたのかな。あのビルの真下で,いつも「ガクセイサ〜ン!」と,だみ声で呼びかけていた靴磨きのおじさんがいたのを思い出すね。
「金門飯店」という中華料理店は,近くに越して,縮小した店でまだ営業しているはず。「鶏のカレーぶっかけごはん」が美味しかった。
あと残っているのは,立ち食い蕎麦の「梅もと」と,うなぎのナントカいう店(名前が出てこない)ぐらいかな。
Commented by tiaokumura at 2007-08-22 21:46
哲ちゃん、激ぶりっす^^。長いことコメントなかったもんで心配してました(照)。
旅行前、連絡取ろうかどうしようか迷ってた。う~ん、東京にいたんだったら連絡して会えばよかった(泣)。
靴磨きのおじさん・金門飯店・梅もと・・・うん、うっすらとだけど記憶に残ってます。「梅もと」、寄ってみたかった。
猛暑、老人化進行中にはキツい(激爆)。お互い無理しないで日々を過ごしたいものですが、そんなわけにもいかない。
来年こそ「戸隠」実現したいネ。
Commented by 哲ちゃん at 2007-08-22 22:34 x
このところ妙に忙しくて余裕がなく,ついコメントを失礼していました。どうもご心配をおかけして,申し訳ない。元気は元気です。
「梅もと」の蕎麦,よく食べたね。東京駅の八重洲北口の地下街にもお店が出ていて,ときどき寄ります。いろんな駅や街角に,いろんな立ち食い蕎麦屋があるけれど,「梅もと」は好きなほうです。——立ち食い蕎麦のベスト・テンとか,ガイドブックを企画すると面白いかも。
うなぎの店の名前は「うな若」だったね。思い出した。
それにしても,東京教育大学が国策でつぶされたのは,かえすがえすも残念だった。
Commented by officemei at 2007-08-24 10:10
私は筑波の修士課程を中退しました。今は昔の物語です。

さて、私は日本語学校就学生の面接試験のために年に2度、中国の北から南まで巡業しています。
4級以上の能力あるかを筆記試験や口頭試問によって確認し、経費支弁者面接、場合によっては家庭訪問もします。
残念ながら、現況は優秀で求学心旺盛な学生はまずいません。国内の受験戦争に落ちこぼれた学生が殆どです。
ただ、その中でも極力誠実な子をとるようにしています。
問題は最後の決定が入管審査の結果によることです。
毎回交付率は変動します、これは予想もできません。
ひどいときには30%、良くても60%くらいでしょうか。
ときに虚しくなることもあります。
又その関連の現地情報が御必要でしたらおっしゃってください。
Commented by tiaokumura at 2007-08-24 22:29
officemeiさん、不思議なご縁です、筑波とは。Meiさんのクログを知ってからずいぶんになるのですが、筑波だとは存じませんでした。
日本語学校について、おっしゃる通りです。僕もこれで4回中国で試験をしてきましたが、「エリート」と呼べる学生は希少、いやゼロかもしれません。でも、せっかく日本留学を希望してるのなら、そしてその意欲が高ければ、学院に受け入れたいと思っています。これまたMeiさんのご指摘どおり、入管審査をパスする・しない、基準不明。我々から見て「恣意的」な決定だとすら思えます。こんなことをしていたら、中国の前途有為な若者たち、日本なんか行ってやるものかと考え、アメリカ・カナダ・オーストラリア・イギリス・韓国などに向かうことでしょう。
愚痴めいたこと書いて恐縮ですが^^、これからもofficemeiさんのブログ、拝読させていただきます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
Commented by 東京教育大学新聞会OB会 at 2019-03-14 10:43 x
当会のサイトの記事、ご紹介いただきありがとうございます。
ここで紹介されている「教育大学新聞 東京教育大学・学部学科専攻紹介(1970年)」「文学部」のアドレスは、2016年9月にJ:COMのWebスペース・サービスが終了したため、以下に変更されているので、そちらをご覧くださるようお願い致します。
http://tue.news.coocan.jp/gakubu.htm#bun
Commented by tiaokumura at 2019-03-23 15:27
東京教育大学新聞部OBさま。ご訪問並びに初コメント、ありがとうございます。
今年9月、教育大時代(僕は国語国文)のクラスメートと富山県宇奈月温泉で再会。中には半世紀ぶりもおるかも^^。
「そちら」のアクセス方法、わからんで。どう処理すりゃいいんだろう。自分、メカ音痴です。すみません。


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