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小西甚一先生、ご逝去

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富山高校時代、国語は上杉重章先生神島達郎先生、大間知先生に習った。大間知先生は確か奈良女子大ご出身だったが、上杉先生は東京文理科大(後の東京教育大)、神島先生は東京教育大のご出身だった。上杉先生・神島先生のようになれたらいいなと思い、東京教育大に進学したようなところもある、ボクは(照)。結局ぜんぜん違う人生を送っているのだけれど(恥)。受験勉強では、旺文社が当時やっていた大学受験ラジオ講座鈴木一雄先生の古文講座を聞き、小西甚一先生の『古文研究法』という受験参考書を愛用した。やがて大学に進学し、お2人の授業も受けられるようになった。あの当時の教育大は専攻ごとの募集で、僕は国語学国文学専攻、1年から専門科目があった。今から思ってもずいぶんレベルが高い授業内容だった。教授・助教授の区別はよく覚えていないのだが、小西先生は教授、鈴木先生は助教授だったか。他にも中田祝夫先生・馬淵和夫先生・小松英雄先生・峯村文人先生・尾形仂先生・分銅惇作先生、東大と掛け持ちで吉田精一先生も。北原保雄さん(『問題な日本語』など)が確か助手だったから、すごい^^。
そんな豪華な先生方だったのに、ボクってやっぱアホだったんでしょうね、勉強せん&できん学生で(大恥)、どんな授業を受けたのかあまり記憶にない(大汗)。小西先生は、比較文学・能楽論だったような記憶があるのだけど。比較文学では当時のイギリスの最先端の文学批評などを習ったか。オグデン&リチャーズなども出てきたように思う。先生は後にスタンフォードやプリンストンでも教鞭をとられたくらいですから、英語や英米文学にも精通されてたに違いない。先生の授業態度は、一流の学者ならではの自信に満ちた静かな感じ。そんなに大柄な方ではなく、やや顔を上げ気味に話された。連歌を山田孝雄に、能を観世栄夫に師事され、ドナルド・キーンとも交流があった。
先生の代表ご著書は、何といっても『文鏡秘府論考』『日本文藝史』ということになるだろう。両書とも大部な著書で、前者は日中比較文学の成果、なんと35歳で学士院賞受賞。後者は古代から三島由紀夫までの日本文学通史、英訳もされている。
先生のような「学者」はもう出ないだろう。なぜなら先生は、大きなスケールの構想力を持ち、それは例えば通時的には古代から現代までの日本文学に精通していることである。更に中国文学・イギリス文学についても彼の地の学者並みの素養があり、その上に連歌・能などの実践者としてのバックボーンが備わっている。
先生の「業績」として『古文研究法』も見逃してはならない本だと思う。僕もそうだが多くの受験生がこの本のお世話になっているはずだ。現在も刊行されていて(僕は改訂前だったか)なんと100版というロングセラー。普通この手の本は助手か院生に書かせて教授が自分の名前で刊行するというのが「常識」なのだが、『古文研究法』はそうではない。大学人には教育・研究・社会貢献の義務があると思うが、先生は大学受験生のために、しかし、安易な妥協は潔しとせず、この受験参考書を書かれている。
先生についてもう一つ触れておきたいことがある。東京教育大学の筑波移転問題の渦中にも先生はあられた。そして、先生は文学部教官の多くが移転反対派であった中で(あの当時、文学部が反対、理学部が賛成のそれぞれ急先鋒だったと思う。他の教育・農・体育の3学部はどうだったか)、移転賛成派であった。僕自身は移転反対の立場(っても、あの当時の言い方で「日和ってる学生」だったんだけど^^)。小西先生は、従って、文学部の中では少数派だったような気がする。「右派」のレッテルを貼られていたかもしれない。しかし、自説を曲げることなく、教条主義的な主張を批判し、最終的に筑波移転の功労者に。筑波大学では副学長にも。ここで「功労者」とか「副学長」は皮肉の気持ちで言ってるのではありません。最後まで信念を貫き通された先生には尊敬と畏怖の念を抱いています。
繰り返しになるが、先生のような方は、少なくとも国文学(今は「日本文学」と言うようだ)の世界ではもう現れないだろうと思う。たぶんそれは、先生に限らず、先生たちの世代が持っていた教養や学識や見識が後代には全く欠けていることを意味する。一見華やかに見える現在の「知の世界」、実はメッキ世界なのかもしれない。今の大学生諸君が40年後、今の僕のように、かつて教わった先生方を覚えているなどということはあるのだろうか。

小西甚一・筑波大学名誉教授、2007年5月26日ご逝去。享年91歳。
先生のご冥福をお祈り申し上げます。

by tiaokumura | 2007-05-31 22:05 | 追悼 | Comments(7)
Commented by 哲ちゃん at 2007-06-01 12:22 x
小西甚一さんが逝去されたことを新聞で知り,僕も受験生時代に『古文研究法』でお世話になったことを思い出した。単に「受験参考書」の域を超えて,なんというか,紙背に学問というものの香りを,少しばかり感じさせてくれたような気がする。それは「大学受験ラジオ講座」も同じだった。地方に住む高校生にとっては,学問とか大学への,ささやかな扉だったんだなぁ・・・・。
代表作の『日本文藝史』は,まだ1ページも繙いたことがない。近くの図書館で眺めてみよう。
Commented by のぶ at 2007-06-01 21:39 x
 先程、午後7時半過ぎに電話が、関学総合政策学部の事務の方からありました。いよいよ関学(三田キャンパス)も麻疹の影響から、2日~15日まで閉鎖されるとのことです。寺本先生の西宮キャンパスが心配です。学校へのインターネットが、接続できなくなっています。
 今日の読売新聞「編集手帳」に、故小西甚一筑波大名誉教授について書かれていました。講談社学術文庫に収められた「俳句の世界」は、全編、流れるような筆の運びで、読む人に制約の窮屈さ(旧から新へのかなづかいの変更から生じた制約です…のぶ)を少しも感じさせない。中国文学者、高島俊男さんの評言を借りれば、「奇跡の名文」である。と紹介し、最後に「碩学の名文」と讃えて、締めくくられていました。
Commented by tiaokumura at 2007-06-02 00:39
哲ちゃん、小西先生、政治的なことは抜きにして^^、すごい先生だったんだと思う。長生きするのも才能なんだよね、きっと。
教育大の1970年の専攻・大学教官のHP?見つけました。「東京教育大学学部学科専攻紹介(1970年)」ってタイトルです。教育大の新聞の転載みたい。理学部もあるんじゃないかなぁ。
このブログ、1日のご訪問者、200人超えてしまった。これって何か怖い気がする。そろそろ撤退なんかなぁと思う。
小西先生、松岡正剛も彼のweb上の「千夜千冊」(ってタイトル、たぶん)で取上げてます。ご逝去前のことです。アクセスするといいと思います。『日本文藝史』、ちょームズ(核爆)。もっと読みやすい本から入っても、小西先生には失礼にあたらないと思います。
Commented by tiaokumura at 2007-06-02 00:46
のぶさん、そうですか、関学もはしか。富山大もまもなくなんだろうか。
読売の「編集手帳」、僕も読みました。『俳句の世界』、僕は読んでないのですが、確かにその通りのようです。あなたも僕も、旧仮名遣いは全く分からずじまいの世代なんですが、小西先生には(たぶん)あまり難しくない作業だったのかもしれない。先生は、それよりも、その文体で盛り込む内容(イマドキの言葉で言えばコンテンツ^^)に苦慮されたのかもしれません。
はしかに罹るご心配はないとは思いますが(核爆)、御身ご大切に。
このブログ、1日のご訪問者200人を突破しました。なんでやねん、ってのと、web世界は怖い、ってのが正直な感想です。
Commented by のぶ at 2007-06-02 08:23 x
 植木等さん、安藤百福さん、そして岡仁詩さん(読売22日夕刊追悼抄に掲載)、それから小西甚一さんがそうですが、亡くなられた方のお人柄や業績を紹介する記事が、新聞紙面で紹介されています。私の不徳の致すところですが、私が知らなかったそういった素敵な人達が亡くなられていきます。
 私の出来ることは、精々自分を磨くことに励むというぐらいでしょうか。
Commented by 哲ちゃん at 2007-06-02 08:51 x
筑波山麓への「移転」の問題は,僕らが知っていたこと,知らなかったこと,さまざまな要因がうごめいていたのだろうけれど,振り返ってソーカツすると,山麓地帯に新型大学をつくりたいという国策があり,どこでもいいからその母胎となる大学が必要だった,それにうかうかと(いそいそと?)乗っかっていったのが東京教育大学だった——と考えています。「新型国策大学」のその後はご承知の通りで,立派な研究者も大勢おられますが……。
残念なのは,東京教育大学という「小さな総合大学」をつぶしたことでした。あれは残すべきだった。学問をするには,大きくなることなど全く必要のないことでした。
昨今の国立大学の「惨状」を見聞きするにつけ,東京文理科大学の歴史も含めて,大学のあり方を考え直してみるべきでしょうね。
Commented by 平名 at 2007-06-03 18:38 x
 私が大学生の時、移転問題が有り討論したんだけど反対はいませんでした?!、、 だって大気汚染が最大の問題に成っていてか、 「大阪外大」では移転反対運動が盛んでしたが、、二三回クラスで討論したんですが皆賛成だったと記憶しています。 単に反対意見が出なかったのですが、、 病院は、まだ中之島じゃない福島区に建設中でしたが、、、


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