たまった新聞、チェックし直してたら、
シャルル・アズナブール、来年2月からの「
ありがとう、さよなら、日本公演」があった。
大阪・福岡・東京・名古屋の順で、S席1万3千円、1万7千円、1万5千円、1万7千円(それぞれの会場順)だそうです^^。
Sylvie Vartan(バルタン星人とは関係ありません^^)が好きで、彼女が出る映画、新宿だったかに、学生だった頃見に行った。宝石を追跡する映画だったような気がする。で、
オランピア劇場だったかで、シャルル・アズナブールがリサイタルやってるシーンが映画の最後の方にあって、彼、ずいぶん
小男なんだけど、
存在感、すごかった。そして、彼にハマった。桜井陽子さんてDJ当時いて、彼女、さかんにアズナブール、宣伝してたように思う。
ジダンと似てる境遇、彼過ごしたんだと、今にして思う。第二次世界大戦後、
エディット・ピアフに見出された。「
メケ・メケ」(日本では
丸山明宏、後の美輪さん、が歌って大ヒット)、「
アイドルを探せ」も、確か、アズナブールが
作詞だったか。
ススワールジュセレラプリュベルプワレダンセー、とか昔、学生だった頃(大汗)、一生懸命覚えた記憶がある、まだ
カラオケなんてなかった時代だった。
そうこうする内に、バルタンは後に
ジョニー・アリディ(フランス語、h発音しない^^)と浮名?を流したり、未成年なんに^^エロティックな
ジェーン・バーキンのことなんかも知ったりした。『
太陽がいっぱい』の主演女優がボブ・ディランの「
風に吹かれて」歌ってて、彼女、やっぱ、
hの発音してなくって、
アウメネィローヅマスト、だったりした。あと
アダモや
ムスタキも良かったなぁ。いつかパリに行きたいと思った。「巴里に行きたしと思へど、巴里は遠し」ってようなこと、室生犀星だったか言ってるんだけど、当時のボク、きっと同じ「想い」だったんだろうなぁ。
もう遥か遠い昔のことなんだけど、
アズナブール、日本最後の公演って記事、こうして読んで、
自分にも「こんな時代」あったんだなぁ、などと思い出しました(照)。
PS 正しい「フランス語」は以下の通りです。↑のボクを信じて(自爆^^)、ボクの真似してカラオケなんてやんないでね>良い子のみなさん
Ce soir je serai la plus belle pour aller danser danser
で、原題はLa Plus Belle Aller Danserです。「
アイドルを探せ」って、当時の映画配給会社がつけたんでしょうが、時代の雰囲気にはピッタリだったんでしょねぇ、きっと、