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あの夏 1958年 準々決勝 徳島商業vs魚津高校


この間、当ブログでご紹介した朝日新聞記事の後編です。1958年夏、僕は12歳。小学六年生だったか。どんな夏だったんだろう。
以下、回・見出し・主な登場人物(所属、打順・守備位置など)。

⑯今も浮かぶ ナイターの灯 村椿輝雄(魚津高校 3番・投) 富田美弘(徳島商業 2番・右) 檜皮谷壱保(徳 1・中)
⑰やんちゃ軍団 率いた主将 盛本栄光(魚 9・遊) 宮武英男(魚 監督)
⑱野手にも個性派ずらり 板沢貢(魚 2・右) 村椿 荒川祥一(徳 9・二) 玉置秀雄(徳 8・三)
⑲実は堅い守りの三塁手 板東英二(徳 4・投) 玉置
⑳「野手にリハーサルさせい」 玉置 須本憲一(徳 監督) 大坂雅彦(徳 7・遊) 広野翼(徳 3・左)
㉑再試合規定 発端のタフガイ 村椿 板東
㉒最終十八回 スクイズ外し 倉谷洋志(魚 2・打) 宮武
㉓本盗も阻止「体が自然に」 宮武 吉田義夫(魚 4・一) 平内政次(魚 5・二)
㉔大飛球に目をつぶった 荒川 広野
㉕好中継 三塁打を阻止 檜皮谷 荒川
㉖裕次郎も「両校とも負けるな」 板東 村椿 相田暢一(球審) 谷村友一(三塁塁審) 石原裕次郎 檜皮谷
㉗村椿先発せず 均衡破れる 森内正親(魚 7・打→再試合・先発) 村椿
㉘痛み耐え 奪三振新記録 板東 吉田
㉙魚津のヒーロー 帰郷に熱狂 村椿 荒川 村椿史子(輝雄の夫人)
㉚「頑張った練習 人生の財産」 大宮 板東 須本 檜皮谷

第26回はいつもと違って拡大版。石原裕次郎の弁を紹介。
両校とも負けさせたくなかった。どちらかに勝負が決まるであろう事実を見るにしのびなかった。にもかかわらず魚津高ナインのグラウンドマナーは絶賛するものがあったし、徳島商のタフガイ板東投手の好投に私は心から拍手を送りたい
第29回では、汽車が魚津に近づいた時の選手の
天皇陛下でも乗っとるがかや
を紹介。翻訳^^すると「(こんなに線路の脇で手を振る人が多いのは、この列車に)天皇陛下が乗っているからなのだろうか」、です。村椿夫人はこの時中学2年生。
連載第30回。板東と村椿は第90回記念大会記念イベントに参加。
「次は100回記念大会で会おう」と約束した。
そうです。
この連載、やがて本になるのかも。
by tiaokumura | 2017-02-18 16:32 | 富山 | Comments(0)


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