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田中冬二

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(12月20日午後・記)
1965年春、東京オリンピックの翌年、僕は大学進学のために上京した。4月、茗荷谷・茗溪会館であった「国語学国文学専攻新入生歓迎会」。人前で話すことが苦手な自分、なんとか自己紹介をし終えたが、場違いも感じた。大学1年生生活始まる。「1965年の三四郎」には見る人・知るモノ・出会うこと、どれも「廣田先生」以上だったでしょうね。僕は高校は進学校で(富山大学が滑り止めだった^^)、それなりに部活(陸上とハンドボールだった)や受験勉強や交友や読書や恋愛や文化受容もしとったんでしょうが、「花の都」はお上りさんにはあまりにも刺激的でコンプレックス全開の源だった(結局、大学は8年で除籍。村上春樹の7年卒業に勝っとるかも^^)。大学で出会った宮崎健二君も、「世の中にはこんなスゴい奴がおるんかいな」というショック対象だった。でも、そんな自分だったが、彼とは今日に至るまで友人付き合いをさせていただいている。自分が死んだら彼に弔辞を読んでほしいが、そんな場が設定できるかどうか、葬式、疑問。
1週間ほど前、彼からケータイメールで「田中冬二全集を送る」という案内が来たのにはビックリした。彼からはずいぶんさまざまな分野について教えてもらったが(彼こそ真の教養人でしょうね)、彼が田中冬二もカヴァーしてるなんて知らなんだ。で、最近の僕はいわゆる「終活」でしょうか、蔵書を処分したり人にあげたりで、かつての本の9割近くを「断捨離」してる。理想は、死ぬ時に10冊の本。本なんか残しても後の人には「メーワク」そのものでしょうね(と思う)。でも宮崎君の追伸では、彼も僕と似たようなことをしてると思われた(いや、違うかもしれない)。ここは彼のご厚意を素直に受け取ることにした。いただいた全集は後日、誰か(山下君がいいかも)にあげようと思う。

今、高志の国文学館で次の企画展をやっている。
企画展
山の湯の詩情(ポエジー)-田中冬二(ふゆじ)への誘い
明日12月21日で終了
公式サイトはこちら
この企画展の関連イベントに文学講座があり、12月19日(土)午後、行ってきました。
西田谷洋氏(富山大学教授)「田中冬二における詩のセンチメンタル・モダニズム」
アップした写真、講座のレジュメと宮崎健二君からいただいた『田中冬二全集 第一巻 詩Ⅰ』です。
講座開始前、レジュメ、パラパラめくってて「来なきゃよかった」と思った。自分には難しすぎ(大汗)。講師登壇。富山大人間発達科学部教授。レジュメ最後の「まとめ」から入った。
田中冬二のモダニスム詩と抒情詩と戦争詩とは、こちら側とあちら側を主観的なフレームである⇒で変換・接続する点で共通の構造を持つ。(レジュメp12)
あとの講義は「まとめ」へ向かうための傍証の展開。学者っちゅう人も大変なんじゃなあ、自分みたいな聴衆を相手のこういう講義、せんならん。
でもこういう2項による分析って汎用性ありすぎるんじゃないだろうか。宮沢賢治だって吉本隆明だって村上春樹だって、もっと言えば三島由紀夫や川端康成だって、そんな視点で説明可能だ。
冬二に「戦争詩」があるのは知らなかった。へぇ~です。でも、あの時代、そういうのを引き受けるのは必然だったんでしょうね。藤田嗣治(ふじた・つぐはる1886-1968)の『アッツ島玉砕』を思った。冬二はFOUJITAより8歳年下。

宮崎健二君からいただいた『田中冬二全集』は以下の通りです。筑摩書房からの3巻本。梶井も筑摩で3冊だったかも。透谷は岩波でこれも3冊。
第一巻 詩Ⅰ(昭和五十九年十二月十五日初版第一刷)
青い夜道 海の見える石段 山鴨 花冷え 故園の歌 橡の黄葉 菽麦集 山の祭 春愁 山国詩抄
解説 編注 書誌
第二巻 詩Ⅱ(昭和六十年四月十日初版第一刷)
晩春の日に 牡丹の寺 葡萄の女 失われた簪 サングラスの蕪村 織女 八十八夜 詩篇拾遺
解説 編注 書誌(詩篇索引 拾遺詩篇索引)
第三巻 俳句・随想(昭和六十年六月二十五日初版第一刷)
〈俳句〉行人 麦ほこり 青葉雨 冬霞 俳句拾遺
〈随想〉三国峠の大蝋燭を偸まうとする 高原と峠をゆく 麦科の家 奈良田のほととぎす 随想拾遺
解説 書誌 年譜
by tiaokumura | 2015-12-19 13:51 | 富山 | Comments(0)


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