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南三陸町歌津からの年賀状

南三陸町歌津からの年賀状_f0030155_14432774.jpg僕が高橋司さんに初めてお会いしたのは2013年7月だと思う。東北AID(川渕映子代表)のバスで被災地訪問をしたとき。
2011年3月11日。あの日あの時、皆さんはどこで何をなさっていたでしょうか。日常が・いつもが・ふつうが、突然、失われた人々。あの日は僕は富山国際学院で仕事で、まさかあのような被害が起きていたとは思わなかった。岩手県下関市の親戚との通話ができなかった。翌日、卒業式に備えて行った床屋のテレビに映し出されるこの世のものとも思われぬ光景。その後、4月9日、アジア子どもの夢(川渕映子代表)のボランティアバスで石巻に行った。あの時の経験、当ブログに書いています。その後やがて「東北AID(川渕映子代表)」が仕立てたバスで何度も現地に入ろうと思ったが、6月に末期癌発覚。現地入りは沙汰やみになった。2013年7月、東北AIDの「南三陸町サポーターズ・バスツアー」に参加させてもらって、南三陸町に入る。高橋司さんのご案内で被災地を回らせていただいた。あの時、高橋さんから防潮堤の意味を伺って、自分たちの思い上がりに気づかせられた。あれが高橋さんご夫妻との初対面だったと思う。
昨年、体調もいいので、「南三陸町サポーターズ・バスツアー」に再び参加できた。高橋さんご夫妻や自治会長の畠山さん、平成の森団地の元気なおばあちゃんたちとの再会。ボランティアって何より自分の生きる喜びなんだって、エラソーな言い草だけど、思った。
高橋司さんは被災時「魚竜館」館長。「魚竜」ってあの地で発見された恐竜なんでしょうね。僕とほぼ同じ世代かなあと思う。ふつうの幸せな生活をあの地震が奪った。
高橋さんとは2度お会いし、お中元やお歳暮をお願いし、そして何よりも「南三陸町サポーターズ」として年2回ご当地のおいしいものを送っていただいている。年賀状のやり取りも継続してる。今年の年賀状で嬉しいご連絡。

震災から4年目、おかげさまでこのたび仮設住宅より引越しすることになりました(中略)今年2月初旬に引越しますのでお近くにいらした際はぜひお立ち寄りください。

そうなんですね、「仮設」から引越される。仮設から移ったからといってかつての普通の生活が取り戻せるとも言えないのかもしれないが、少しは安心な日々になったのだと喜びたい。それにしても「震災から4年目」である。あまりにも長い年月である。あの時、民主党政権なるが故の遅れが糾弾されたが、安倍さん、アベノミクスを東北の地に実らせていただきたい。
今年、勤務先の富山国際学院は厳しい年だが、「南三陸町サポーターズバスツアー」に便乗させていただいて、高橋さんたちと再会したい。引っ越し祝い兼富山のお土産、何がいいかなあ。
高橋司さん・ます子さん、お会いできるのを楽しみにしております。
寒さ厳しい日々ですが、ご自愛を


箱根駅伝5区・中央学院大の及川佑太君、宮城県石巻出身でした。高校は利府。彼、走り切ったとき、感無量だったでしょうね。
by tiaokumura | 2015-01-03 14:43 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)


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