(3月30日午後・記)
粕谷謙治さん・モンゴル出張壮行会@カエン、の後、
柳川友美さんと別れ粕谷さんと二人、
観音湯へ。
今から45年ほど前の約1年、当時CiCビルはまだない時代で
須田ビルだった。戦後闇市の名残りでしょうね、地下には雑多な店があった。そして僕は須田ビルに接する
コロムビア会館というパチンコ屋で働いていた。須田ビルには「日活」、今のマリエの角には「シロー」というパチンコ屋があった。「シロー」は「コロムビア会館」の姉妹店で、SというN車販売会社の社長が両店のオーナーだった。今、駅前にパチンコ店はゼロ。コロムビア会館のマネージャーの川崎さんは釘師でもあり、閉店後、サブマネ格の野口さんが横でその日の台の出具合を書いた帳簿を読み上げ、川崎さんがハンマーで台を調整していく。コンピュータ制御の現代からは想像もつかない光景でしょうね。そんな仕事の後、野口さんに連れられて通ったのが「
観音湯」。野口さんは先代松緑似の恰幅のいい美男子。
・・・
昭和の雰囲気を色濃く残す老舗の銭湯が今月末で幕を閉じる。JR富山駅前の繁華街で1930年に創業した「観音湯」。当初の建物は富山大空襲で焼け、宮大工の手で立て直された。ヒノキを使い、たたずまいに風格がある。地域の住民だけでなく、登山帰りの県外客にも愛された・・・(2014年3月21日付・北日本新聞「天地人」)
アップした
写真、居合わせた大阪からの観光客の方に撮っていただいた。屋根の先まで写っていればよかったのですが、残念。
番台で400円払って入る。脱衣籠、懐かしい。裸になって体重計に乗る。この体重計、貫(かん)・瓩(きろぐらむ)の表記。僕は15貫ちょっとあった。56kgくらいか。
観音湯のいわれになった「馬頭観音」。観音様の下の「龍」。「贈 職方一同」と書いた「柱時計」。浴室に置かれた「ケロリン」の黄色い洗面器。
昭和レトロ、ノスタルジー。取り壊される宿命なのだろうけど、観音様や龍、玄関の屋根など、どこかに移して保存してくれたらいいのですが・・・。
さようなら観音湯
僕の青春の1ページを彩ってくれた観音湯 ありがとう
粕谷さんは翌日、小松→仁川からウランバートルへ。