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東北AIDの仲間たちと

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(7月17日夜・記)
7月14日(日)南三陸町2日目。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」(僕もハマってます^^)は「北三陸」ですが、あれは架空の地名で岩手県久慈市。「南三陸」は宮城県です。

アップした写真は「南三陸町さんさん商店街」で。バックにチリから贈られたというモアイ像。そんなに大きくない。今回のバスツアーは、女性16名・男性6名、バス運転手2名(男性)。写真にはその半分くらいのメンバーしか写ってません。自由行動になってたからでしょうね。
今回いろんな方と出会えた。前列右の川渕映子さん(東北AID代表)の隣は高校生男子。彼、中学2年で被災地にボランティアで入ったそうです。自分の彼の年齢の頃を考えると、実に頼もしい男子です。
写真には写っていませんが、長い間会いたいと思ってた方に、今回出会えました。越中家漫欽丹(えっちゅうや・まんきんたん)さん。富山弁の落語家で、富山でも被災地でも人気のある方です。ローカル・スター、でしょうか。本名は桶屋欽一郎さん。今回、バスの中でも落語(オチが「こたつ」のやつ)や小咄をご披露。ほかにもいろんな芸で皆を楽しませてくださいました。車中、桶屋さんのボランティアの原点についても語られた。1945年、桶屋さんが小学3年生の時、8月1日・2日の富山大空襲に遭遇。母、妹2人と、布団をかぶり神通川河畔に避難したそうです。夜が明け、周りは死体の山。その体験が桶屋さんのボランティア精神につながっている。今回少しお話もできましたが、御年77歳(長嶋茂雄と同年)、そのパワーとサービス精神たるや、ただただ感嘆するばかりです。ぜひまたお会いしたい方です。

「さんさん商店街」を出発し、「防災対策庁舎」跡に。
遠藤未希さんのことは、皆さんもきっとご存知でしょうね。当時24歳の彼女は防災放送の担当職員。2010年7月に婚姻届を出し、2011年9月には披露宴を予定していた。あの日、彼女はこの防災対策庁舎から必死に叫んだ、「6メートルの津波が来ます.避難してください」。その声は両親も聞き、多くの人々の命を救った。だが、庁舎に残った職員のうち助かったのは10人だけ。前途ある未希さんも無情にも津波に飲まれ帰らぬ人となった。
母親の美恵子さん「放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったんだろうね。実際は怖かったと思う。母親の私が守ってあげられなくて。申し訳なくて」
父親の清喜さん「『ご苦労さま。ありがとう』という言葉をかけてあげたい」

今回のツアーの途中、某所でセシウムを測った。基準値をはるかに超えた高い数値。除染もそうだが、被災地はいまだ復興ならずという印象である。高橋司さん(やまと物産)の「8メートルの防潮堤なんていらない。津波が来たら逃げられるよう、道路を整備してほしい」とはまさに「現場の声」である。そのような言葉に耳を貸さない行政や政治家の怠慢。私にできることなんてごく限られているだろうが、これからも被災者を想い、被災地の日常回復のために少しでも力を尽くしたい。
ボランティアとは、他人のためだけではない、何よりも自分のためでもある。

7月14日(日)23時ころ、岩瀬スポーツ公園着。公園に停めてあった車に乗り帰宅。
by tiaokumura | 2013-07-14 12:53 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)


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