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50年前の十五の心(後編)

前記事で紹介した冊子には「我がホームを語る」というページがある。3年の各クラス(僕たちの時は7クラスだった)の紹介と担任のコメントがつく。僕は3年5組で担任は前田英雄先生でした。前田先生とは今でも年賀状のやり取りが続いています。本記事では僕が書いた「我がホームを語る 三年五組」を引用します。原文縦書きなのを横書きにした以外はほぼ原文のママです(文章中のイニシャルも原文のまま)。
すっかり忘れていた50年前の文章ですが今回読んでみて、僕はユーモアに乏しい男であるが、中学生の頃はけっこうおもしろいことを書いてたんだなあ、と思った。
恩師前田先生の文章中の「孔子」は、「子の曰わく、吾れ嘗て終日食らわず、終夜寝ねず、以て思う。益なし。学ぶに如かざるなり。」(『論語』巻第八。書き下し文は岩波文庫版の金谷治p318に拠る)です。

我がホームを語る 三年五組
 第二反抗期を向かえた、四十八人を抱えた我がクラスを紹介します。我がクラスはまことに爆弾のようなものである。五〇メガトンではないが、四八メガトンが、休けい時間に一度に爆発した時の騒がしいこと。現代ハヤリの奇声を発して歌を歌うもの、昨日のテレビのおもしろかったところを実演つきで教えるもの等々。修学旅行に行った上野動物園以上である。ところが、近頃は就職、進学試験を迎えて、心配になったのか、ここかしこで勉強するものがちらほらと見えてきた。
 このやっかいな四十八人の担任となって、日夜苦労していらっしゃるのが前田先生。先生は人も知る学問好きで、現在「大山町の歴史」を研究なさっている。また、大の読書好きで、ひまをみては、我々に、いろいろと教えてくださる。ところが、トルストイの考えよりも、長嶋選手のことの方に興味をもつ秀才諸君は、先生の心を知ってか知らいでか、なかなか進歩しない。まことに楽なものである。
 ところで、我々も生徒である以上授業を受ける。この授業中が、またひどい。数学のI先生の授業。先日も、数学の問題を十五名位指名して、前に出させて解答させたまではよかった。ところが、全員席についてI先生が解答しようと思って、チョークをとろうとしたら、あるはずのチョークが一本もない。頭の回転の早いI先生、とっさに「チョークをもっていったもん、もってこんかい。」と、おっしゃると、S君やT君がニヤニヤと笑いながらチョークを出したのには教室中大爆笑。ところが全員苦手とする国語の時間。下を向いてジーッとしている。夏に、セミが木につながって鳴いているときを想像してください。たまりかねたY先生が冗談をおっしゃると、たちまち「ワッハッハッ。」と大爆笑。これが過ぎると、また、机に頭をくっつけんばかりにして、ジーッとしている。我々のクラスに近視の多い原因であろう。
 これほどオッチョコチョイで、二重人格的な我々のクラスにも、自慢することが多々ある。まず、校内陸上競技大会での優勝。新聞コンクールでの入賞。県民体育大会での活躍。そして、奉仕部の重要ポストである美化、風紀、放送、購買の各部の部長をやっているということである。ただ、欠点は一つしかない。頭が弱いということ。いつも平均点は、学年の尻尾のほうにぶら下がっている。特に英語。日頃、大きい顔をしているものが、あのスマートな、英語のS先生におこごとを頂だいしている姿を想像してください。
 我々は中学生活最後の三ヶ月間を以上述べたように、楽しく、元気に、騒がしく過ごし、私達の悲願である全員が希望通りになること、前田先生の研究が一日も早く完成することの二つを達成したいと思っています。

力行不惑  前田英雄
 孔子が次のような言葉を述べている。
 “私はかつて、一日じゅう飯も食わず、一晩じゅう床にもつかず、考え続けたが、なんの得るところもなかった。そんなことをするより、勉強したほうがずっとましである。”
 君らもこの意味がわかるであろう。人生ではいくたびか、ためらいまどった時にこの言葉を思い出したまえ。
by tiaokumura | 2012-05-16 07:58 | このブログのこと | Comments(0)


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