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特定非営利活動法人 富山国際学院

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4月9日(月)の富山国際学院宛ての郵便物に、『富山県NPO活動紹介ガイドブック みんな支えあって生きている。』(2012年3月発行。富山県民ボランティア総合支援センター)。同書の「第3章 NPO法人紹介」には「福祉・保健・医療」「就学支援」「地域社会・教育・子ども」「文化・スポーツ」「環境」「国際・災害・その他」に分類された富山県内約70のNPOが登場し、「きっかけは?」「主な活動内容は?」「MEMO」「今後の目標は?」についてまとめられている。僕はすっかり忘れていましたが(恥)、昨年か一昨年か取材を受けていたのでしょうね、同書「国際・災害・その他」p92に富山国際学院が紹介されています。以下、一部引用。引用にあたって表現など変えたところもある(年号→西暦、読点など)。

NPO法人 富山国際学院
日本語を学びたい外国人に質の高い教育を提供

きっかけは?
北陸地区初の日本語学校として開校したのは1992年です。当初は中国東北3省からの学生など120人が在籍。その後、学生の減少等で廃校の危機に直面したこともありましたが、スタッフの情熱や協力者の理解と支援で活動を続け、質の高い日本語教育の提供・教師の資質向上と自己研鑽・日本語教育を通じた多文化共生社会の実現を目指して、2005年にNOP法人化しました。
主な活動内容は?
(略)現在は学習者が多様化して、アジア諸国をはじめ世界各国から日本語学習希望者を受け入れています。/定員は60名。教科書だけでなく、身のまわりにあるものを教材に、1クラス8~12名前後の少人数クラスで、一人ひとりの学生にきめ細かな指導を行っています。/資金は授業料だけで賄っているので大変厳しいですが、いろいろな国の人に出会えることが、いちばんの楽しみです。
MEMO
ポートラムに乗って港町岩瀬を散策したり、土人形の絵付けやガラス工芸体験、新聞社見学、立山・黒部への遠足などを行っているほか、茶の湯・着物着付け・民謡・書道など異文化を体験する課外学習を行っています。
今後の目標は?
外国籍の子どもの進学支援・外国人配偶者支援・県内組織とのネットワーク交流をしていきたいと思います。これからのNPOは、プロが知識や技術をボランティアで活かしていく時代になると思うので、若い人にも積極的に関わってほしいところです。
設立 2005年6月17日
法人認証日 2005年9月2日

「今後の目標は?」にある「プロが知識や技術を・・・」はプロボノを意識した発言なのかも、記憶が定かじゃないのですが(汗)。

本書の巻頭特集では「東日本大震災支援活動」。「東北AID」(川渕映子代表)の活動が紹介されています(p12写真、pp18-19)。
富山県内には300を超えるNPOがあるそうです(日本全体では44000)。本書には「デイサービスこのゆびとーまれ」(惣万佳代子理事長。1999年5月認証。富山県のNPO第1号)・「にぎやか」(阪井由佳子理事長。1999年11月認証。富山県のNPO第2号か?)は収録されていませんが、僕が少しつながりがあるところでは、「地域学習プラネットフォーム研究会」(代表者・柵富雄)・「F-site」(代表者・稲林忠雄)・「地球の夢」(代表者・福本誠)が紹介されています。

富山国際学院がNPO法人に組織替えして約6年半。本書で語った志、「初心忘るべからず」でしょうね。

(注)
本記事中の「初心忘るべからず」は現代通用の意味で使っています。本来はそうではなく、ご存知の方も多いと思いますが、世阿弥『花鏡』の「奥の段」で例えば以下の文脈で使われています。以下は、世阿弥 小西甚一・編訳『風姿花伝・花鏡』(2012年3月1日・第1刷。タチバナ教養文庫)による。
・・・若き人は、当時の芸曲の位をよくよく覚えて、「これは初心の分なり、なほなほ上がる重曲を知らんがために、今の初心を忘れじ」と拈弄(ねんろう)すべし。今の初心を忘るれば、上がる際(きわ)をも知らぬによて、能は上がらぬなり。さるほどに、若き人は、今の初心を忘るべからず。(同書p311)
引用箇所を小西甚一訳で示す。
・・・年若な役者たちは、現在の自分の芸位をよくよく自覚して、「自分の芸は現在もひとつの初心にすぎない。もうひとつ上の段階の芸を身につけるためには、現在のこの初心の境をけっして忘れまい」と肝に銘じなくてはならない。なんとなれば、現在もひとつの初心なのだという自覚を失ったならば、どれだけ自分の芸が上達したかという進歩の程度を知る尺度がなくなり、したがって、能は進歩しない。こういう次第だから、若い人たちは、現在の初心をけっして忘れてはならないのである。(同書p310)
by tiaokumura | 2012-04-10 08:45 | NPO | Comments(6)
Commented by jackiemai at 2012-04-13 04:52 x
本当に、学校を、最初の最初から、始められたのですね。
偉業達成、恐れ入ります。
日本語教師というだけでなく、学校創立という、そのパワー、素晴らしい~~
いつか、何か始めることができたら、奥村さんのその力と知恵、情熱にあやかりたいと思います!
故郷の富山に、こんな素敵な学校があったとは、驚きですよ!

今は幸い仕事を持つことができていますが、この先、日本語教師も視野に入れて生きたいと思ってるんですよね…
なにせ、今の仕事、合わないんじゃないかと思っていて。
いきなり、変な話ですいません。

逃げる人生では、何もうまくいかないと思いますが、自分にとってもっと面白いことをしたい。
もちろん、何事もそんな簡単なものでもはないというのはわかっています。簡単に言ってるように見えたらすいません。
「日本語教育能力検定試験」ですね。ご助言ありがとうございました。
ちょっと、調べてみます。

お体、大事になさってくださいね。
いつも、応援しています。

Commented by tiaokumura at 2012-04-16 07:02
jackiemaiさま、いつもコメントありがとうございます。
誤解を招く文章になってました。僕が「学校を、最初の最初から」始めたわけではありません。県内の有力経営者が集まってそれで富山国際学院を創立した。僕は1994年に「非常勤講師」で富山国際学院勤務開始です。
日本語教師はやりがいのある仕事ですが収入は厳しい。学院に主婦の方が多いのも裏返していえば男性が働きにくい経済環境にあるともいえます。それは日本語学校に限らず日本語教育の構造的な問題でもあるのですが。収入のことをあまり考えないで済むようなら、こんな魅力ある仕事はなかなかないかも。
Commented by アショーカ at 2012-04-23 02:26 x
前から気になっていたのですが、富山国際学院の前身って「ヤポニカとやま」でしょうか?ヤポニカとやまが正式名称だったかも記憶はあまり定かではないのですが、、、
Commented by tiaokumura at 2012-04-24 08:19
アショーカさま、富山国際学院とトヤマ・ヤポニカは無関係です。ただ、私自身の日本語教師としての出発はトヤマ・ヤポニカです。ヤポニカは1990年頃に小西光子先生が立ち上げられ、その時から2、3年、僕もメンバーでした。93年夏だったかなあ、退会しました。
全国的には富山国際学院よりトヤマ・ヤポニカのほうが知名度が高そうです。
Commented by アショーカ at 2012-04-27 23:18 x
回答ありがとうございます。別組織なのですね。27年前知人のアメリカ人が富山のボランティア教室のようなところで日本語を習ってたのですが、そのころはトヤマ・ヤポニカもまだ設立されてないですね。。。古い古い記憶を呼び起こし、大好きだった彼女にしばし思いを馳せています~。日本語教室が地方でも始動し始めた時代ですよね。。
Commented by tiaokumura at 2012-05-02 07:26
アショーカさま、ご理解いただけて幸甚です。
27年前ですか。僕はまだ日本語教師も日本語教育も未知だった頃ですね。ボランティア教室ってどこだったんでしょうね。今でも活動してるんでしょうかねぇ、そこは。彼女はAETかキリスト教関係の方だったんでしょうか。
拙いブログですが、これからもご贔屓に(照)。


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