東北エイド(川渕映子代表)の「
東日本大震災支援プロジェクト」の一つとして、
映画『大津波のあとに』『槌音』の上映会が、
2012年2月11日(土・祝日)に
フォルツァ総曲輪で行われます。時間等わかりましたら、こちらのブログに続報を流します。
ブログ「
東北エイド NGOアジア子どもの夢 東日本大震災支援プロジェクト」は
こちら。
映画『大津波のあとに』『槌音』の公式サイトは
こちら。以下、同サイトより引用。
『大津波のあとに』
監督・
森元修一(もりもと・しゅういち1970-)
2011年3月11日に発生した東日本大震災。その2週間後の仙台、東松島、石巻を撮影した記録。児童108人中74人が津波にのまれてしまった石巻市大川小学校を中心に描いた。
「私は無人のカメラフレームを見つめながら、津波で破壊されてしまったこの場所には人がいたのだ、そのことを忘れてはいけない、とくりかえし自分に言い聞かせていました。そうしなければ、誤解をまねく表現かもしれませんが、非日常の風景が持つ一種異様な迫力、それを撮影するという行為に淫してしまうかもしれなかったのです。
ここに人がいて、ありふれた日常の安息があった。それこそが真に尊ぶべきものであり、よって立つ大地が揺れ動くこの不安定な世界で実に得難いものだったのだ、震災に遭遇した人々がそんなことをかみしめているこの瞬間、撮影するべき対象はやはり人ではないのか、そう自分に語りかけていました。しかしそれは私の観念的な考えであり、すさまじいまでに日常が破壊された風景のなかにいる地元の方にカメラを向けることはその日もできませんでした。今日こそは試みなければ・・・」
(森元修一・「東日本東日本大震災を撮影して─『大津波のあとに』制作の経緯」より)
『槌音』
監督・
大久保愉伊(おおくぼ・ゆい1986-)
故郷の岩手県大槌町が被災、家族も被害に見舞われた監督が、津波に流されることを免れた震災前の貴重な映像を編み込んで綴った詩。
「私の故郷の岩手県大槌町は、東日本大震災の被災地の中でも甚大な被害を受けた町のひとつです。私は震災から2 週間後の3 月25日、大槌に帰省できました。町についた時、涙も出ませんでした。なぜなら自分の生まれ育った町とは違う土地を見ているかの様だったからです。目の前に広がる景色は、一面瓦礫で埋め尽くされ、海風の音と、重機の音、そしてカモメの鳴き声が響いていました。カメラを持ち込むことができなかった私は、ただただスマートフォンの動画機能で風景を記録し続けました。町民や家族に対しインタビューを撮ったり、カメラを向けることはできず、ひたすら町を歩き、風景だけを記録しました。
帰京してから1週間後、現実を受け入れることのできない私は、東京に持ち出していた大槌の映像と震災後の大槌の映像とで編集し、何か作ろうと思い立ちました。それは何のためでもなく、ただただ自分が現実と過去を受け入れる事のできない夢心地な気持ちをなんとかしようとしていたからです」
(大久保愉伊・ヒロシマ平和映画祭プログラム2011より)