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かつて松村謙三という政治家がいた

今年は松村謙三没後40年の年である。8月21日が松村の祥月命日。
昨日8月28日(日)、地元TV局のKNBが「けんそはん 松村謙三 没後40年の残光」を放映していた。気づくのが遅く番組後半3分の1くらいしか観られなかったのが残念。
この番組、「KNBふるさとスペシャル」シリーズで毎月最終日曜16:00~16:55の放送。去る5月29日には「にぎやか~白衣を脱いだ天使たちの闘い~」というタイトルで阪井由佳子さん(にぎやか)が取り上げれていた。阪井由佳子さんが番組中で「病院で死んだら裏口から出ていかんならんがよ。でもうちらんとこでは、みんなでこうして看取っていけるから幸せだちゃ」といった趣旨の発言をしていた。阪井さんところでは「かっぱ庵」で看取ることも起きるのですね。実ににぎやかな通夜で感心した。

『大辞林 第三版』に「しょうりき-まつたろう」はあるが「まつむら-けんぞう」はないので、『広辞苑 第六版』より「まつむら-けんぞう」を引用する(p2653・最下段)。
政治家。富山県生れ。早大卒。1928年の第1回普通選挙から64年の引退まで、公職追放中の4年間を除いて衆議院議員に連続当選。民政党・改進党・民主党・自民党に属し、厚相・文相・農相を歴任。第2次大戦後日中友好に尽力。(1883-1971)
念のために申しておきますが、記述中の「民主党」は保守合同前の政党「日本民主党」で今の民主党とは関係ありません。また広辞苑が間違っているわけではありませんが、松村の大臣歴は厚生大臣→農林大臣→文部大臣の順です。

松村の業績はいろいろあるが、本記事では3つに絞って紹介したい。
農地改革(農地解放)
松村は、アジア・太平洋戦争の敗戦処理内閣・東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣で厚生大臣、次の幣原(しではら)内閣で農林大臣。GHQの後押しもむろんあったのでしょうが、農相在任中に困難な農地改革に取り組んだ。わが家も当時は「地主」だったが、松村も福光(ふくみつ)の大地主。早稲田大学の卒業論文で農業の理想像を描いた松村、裕福な地主の松村なればこそ成し遂げえた戦後の民主化であった。そんな松村だったが、1946年に公職追放に遭う。
自民党総裁選出馬
第2次岸信介内閣は、1958年末に岸のタカ派姿勢に反発して池田勇人・三木武夫・灘尾弘吉の反主流派3閣僚が辞表を提出。しかし金と数で圧倒的に優る岸は、1959年の総裁選は楽勝と思われていた。そこに対抗馬として押されたのが清廉潔白の党人派・松村謙三。1月14日選挙、岸320票・松村166票。ダブルスコアではあったが、事前の予想を覆す大善戦であった。前回1957年は岸471票に対して松村はわずか2票だったのだから、岸の肝胆を大いに寒からしめた。
日中友好
当時の自民党政府は冷戦下の選択として中華民国(台湾)を中国として認めていた。従って1949年10月1日に成立した中華人民共和国とは国交がなかった。そんな中、松村は5回にわたって中国を訪問。周恩来らと日中のあるべき姿を模索した。政経分離の粘り強い交渉。TV番組中で紹介されていたが松村は交渉の場で「私は日本人だ。従って私の目の前で日本の首相をあしざまに言われるのは我慢できない」と言った。言うべきことはきちんと主張する-外交とはそういうものだろう。土下座外交とかおべんちゃらとかは外交ではない。やがて松村らの努力が実り、1962年、LT貿易開始。Lは中国側の廖承志、Tは日本側の高碕達之助の頭文字である。
5回目の訪中は老齢の松村には堪(こた)えたでしょうね。日中の不幸な関係を打破したいという使命感が松村を奮い立たせていたのでしょうね。松村は志半ばにして1971年8月21日逝去。築地本願寺での葬儀には周恩来からの花輪も飾られた。翌1972年9月25日、田中角栄が訪中。田中・周の両国首相の下で日中の国交が樹立した。周恩来の言った「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れてはならない」の「井戸を掘った人」には、宇都宮徳馬や西園寺公一らと共にもちろん松村謙三も含まれる。

今日、野田佳彦が民主党代表に。明日、首相に指名されるんでしょうね。海江田・小沢傀儡政権よりはマシなのでしょうが、また1年前後の短命なんでしょうかねぇ。トリビアねた^^ですが、野田の父親は富山県八尾(やつお)町の出身だそうです。
松村は「古き良き時代」の政治家といえばそれまでだが、昨今の政治家にかつて松村謙三という政治家がいたことを学習させたい。

参考:富山社会科教育研究会編『富山県を築いた人びと』(1985年11月初版 旺文社)

(8月30日・訂正)
記事中の「また広辞苑が間違っているわけではありませんが、松村の大臣歴は厚生大臣→農林大臣→文部大臣の順です。」は私の間違いでした。松村の大臣歴は、東久邇宮内閣で厚生大臣兼文部大臣、幣原内閣で農林大臣、第2次鳩山内閣で文部大臣。広辞苑の記述で正しい。ここにお詫びして訂正しておきます。
by tiaokumura | 2011-08-29 16:29 | 富山 | Comments(2)
Commented by かぐら川 at 2011-08-29 22:27 x
“松村謙三”の名前に、思わず1年前に書いた記事を思い出して、トラックバックさせていただきました。
 それにしても、旧福光町の松村への思慕の思いには打たれるものがあります。
 私も「けんそはん 松村謙三 没後40年の残光」をすっかり忘れていて見ませんでした。結局、この1年間“けんそはん”のこと、なにも勉強しないまま過ぎてしまいました・・・。
Commented by tiaokumura at 2011-09-04 10:59
かぐら川さま、コメント並びにトラックバック、ありがとうございます。
子どもの頃の郷土の政治家と言うと、松村のほかに正力松太郎・佐伯宗義が思い出されます。知事の吉田実も。なんでも昔がよかったわけじゃないのでしょうが、今の政治家より構想力や政治力があったんでしょうね。


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