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平内好子さんを悼む

3月6日午後9時(現地時間)、平内好子さんのご家族(おそらくご主人と娘さんでしょうね)がニュージーランド警察に呼ばれ、好子さんの身元が判明したことを告げられた。歯型が一致したそうです。「不明日本人 初の身元確認」(朝日新聞)です。
多くの人々の祈りは届かなかった。

今回のニュージーランド地震、発生のその日私はたまたま魚津(うおづ)に用事があって出かけており、仕事前に夕食で入った魚津市内のとんかつ屋さんで知りました。TVニュース、初めは何が何だかわからず、「富山」がさかんに出てくるのでローカルニュースかと思いました。でもその後すぐに、富山市立外国語専門学校の生徒が被災したということがわかった。その日の夜から、ふだんあまりTVを見ない私ですが、よく見るようになりました。
平内好子さんは、こういうときだからしかたがないのでしょうが、地震発生当初は救助されたと報道されました。ところがどこの病院にも搬送されていないことがわかり行方不明者に。
TVニュースや新聞記事を読むうちに平内さんが私の高校の後輩だということを知りました。今手元に「會員名簿 2007」があるのですが、p.276にお名前があります(私は77期、平内さんは79期)。実は僕は高3のとき2コ下のMKさんが好きになって交際を申し込んだ。幸いOKがもらえて在学中にデイトも。私の卒業後、彼女とは東京―富山と遠距離になって、それだけが原因でもないのでしょうが、その内終わってしまった。そのMKさんと平内さんは同じページに名前があります。旧姓の50音順なんでしょうね(因みに僕の出身校は男女混合名簿です)。昭和39(1964)年度(東京オリンピックは昭和39年10月)、私は平内さんと同じ太郎丸で高校生活を送ったことになります。
名簿の年の時点で平内さんの勤務先は新川みどりの高校。高校長だったのかもしれない。今回の被災者の中に平内さんと高校同期の佐藤博子さんがいらっしゃいます。佐藤さんは幸いなことに救助されました。平内さんと佐藤さんはともに理系だったんでしょうか、あるいはクラブ活動が同じ。お2人は高校時代仲よしだった。一緒に富山大学に進学され、卒業後は平内さんは教職、佐藤さんは県警に。そんなお2人はときどき会ってらっしゃったんでしょうね。恋愛・学業・就職・結婚・子育て・仕事などあれこれ語らい合われたでしょうね。やがて団塊の世代のお2人にも「退職」が近付く。そしてお二人がセカンドライフとして選ばれた道-それが、富山市立外国語専門学校(TCFL。私たちは「外専」と略称してます)進学。私も59~61歳に富山大学で2年間学びましたが、20歳前後の学生たちの中にあってとまどいも多かった。でも平内さんの場合(佐藤さんもそうでしょうが)、年齢を感じさせない向学心と前向きな姿勢で、親子以上に違う若者たちの良き刺激になったことでしょうね。外専での一年間(外専実務科は2年で卒業)、平内さんは人生の先輩としてもさまざまなアドバイスをなさったことでしょう。若者たち(とりわけ女子生徒)には平内さんはロールモデル・理想像だったでしょうね。
TVニュースで生前の平内さんの映像を何度か見た。笑顔がすてきで探究心旺盛、生徒想いな印象です。外専に入ったのは英語で論文発表のためとか。あるいは生物がご専門なので、フィールドワークで英語を使う必要性からかもしれない。
今年3月上旬の滑川(なめりかわ)高校卒業式。平内さんは教員生活の最後が滑川高校長。クライストチャーチに語学留学されるので(卒業式の時点では日本にいない)、メッセージを残していかれた。卒業生への思いやりにあふれたメッセージです。

今回のCTVビル、欠陥ビルだったとも。同ビルに限らずまだら模様の被災状況を見るにつけ、人災とも思う。ニュージーランドも日本と同じ地震大国なのに「なんてひどい!」といたたまれない気持ちである。
日本人27名を含む、韓国・中国・台湾・フィリピンの語学留学生たちが未だ行方不明である。救助された方々も心と体の後遺症で苦しんでおられる。助かったからそれでいい、ってものではないのですね。

高校の2年下の平内好子さん。お互い還暦過ぎ、一度くらいはお会いしていろんなことを話したかった。還暦過ぎての新しい夢の実現が潰えてご無念でしょう。サードライフ・フォースライフも可能なあなただった。でもあなたが教職時代・外専時代に蒔かれた種は豊かな実りとなります。今は後に残った者たちの人生を温かく見守ってあげていてください。
ここに謹んで平内好子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

救助された皆様。「自分が助かった」ことに自責の念を抱かれませんように。あなたには何の罪もないのです。亡くなられた方々の分もこの後ぜひ生き抜かれて、道半ばで生を絶たれた方々の志や夢を何らかの形で引き継いでいかれますように。
by tiaokumura | 2011-03-07 20:02 | 追悼 | Comments(0)


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