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日本社会から「性善説」が消えていく

45年以上前、高校生だった僕は京都大学か早稲田大学に行きたかった。
京都大学は、各受験科目にかなりの実力がないと合格不可能。つまりハイレベルのオールラウンド高校生じゃないと合格は無理。理科は2科目必要だったか。僕は英数も人並だったし中学時代から理科が苦手だったので、京都大学突破は無理だった。ただ、中学時代の友人の山澤君が法学部に進学したので、彼の下宿に遊びにいって何泊かさせてもらったことがある。百万遍あたりの雀荘で彼らとマージャンを打ったがコテンパンにやられた。山澤君は僕が見るところ接待マージャンや修羅場マージャンができる腕の持ち主で、京大生ってすごいなぁと恐れ入った。
早稲田大学は英語とあと社会か数学か選ぶ受験科目だったか。とにかくその2科目(3科目?)に特化して高校3年間(あるいは高2・高3)で受験対策すれば「ひょっとして」も可能だったかもしれない。でも、僕の場合、やはり家の経済状態(ふつうのサラリーマン家庭だった)を考えるととてもじゃないけど「私立に行きたい」なんて言えない。高校在学中に進学大学で育英・県・町と奨学金がもらえそうだったけど(あの頃は-本当はいけないことなんでしょうが-育英+1の奨学金がもらえた)、授業料の工面は難しかった。バイトしまくれば可能だったんかなぁ。ま、どっちみち早稲田受験しても不合格だっただろうけど。ただ、こちらも高校同窓のU君やN君が早稲田に進学し、高田馬場に下宿した僕はルームメートのH君を誘って、U君たちのアパートにマージャンを打ちに行った。ここでも自分がいかにマージャンが弱いか打ちのめされるだけだったけど^^。
僕の大学受験、結局1期校1つ・2期校1つ(当時は国立大学は1期・2期に分かれていた。共通1次もセンター試験もない時代)を受けることにした。1965(昭和40)年2月か3月、1期校受験で上京。受験教室、縦1列に10数人いたでしょうか。倍率を考えるとその中で合格は1人か2人。でも運がよかったんでしょうね、1期校合格できました。高校時代の大学受験経験はその1回だけでした。でも後に還暦近くになって富山大学人文学部の編入試験を受けることになるんだけど^^。

京都大学で入試問題の数学・英語がネットにリアルタイムで流れた。ケータイカメラで撮って外部に流しそこから投稿したのでしょうね。単独犯はありえない(と僕は思う)。早稲田や立教や同志社でも似たような手口があったそうだから、web上にそういうネットワーキングがいくつかできているのかもしれない。主犯は天才的ハッカーで愉快犯なのかもしれない。その周りに役割分担ができている。お互いに面識はないか薄い。その連中、ITや会場周辺の電波状況もよく調べているのでしょうね。そのあたり、僕のようなメカ音痴には想像を超えます。あるいは韓国や中国の例から「学習」しとるんかもしれん。
これからは、たとえ人権侵害と言われようとも(そんなことはないと僕は思うけど)、ケータイやその類を全て一時預かりにしボディチェックもして、という対策を取らなければならないのでしょうね。ごく一部の輩のせいで、従来不要だった人手・設備投資が必要になる。

僕も大学受験時、妄想した。「過去問じゃなくって、今年の試験問題、わからんかなぁ」「前の席の受験生が天才で彼/彼女の肩越しに解答、見えんかなぁ」「採点官、たまたまその朝に夫婦喧嘩してて心乱れてる。僕の受験番号1271を1273と間違えて採点し、合格答案にしてくれんかなぁ」「発表前の合格発表会場に忍び込んで、番号こっそり書き直せんかなあ」などなど。まぁ悪ガキだったかも(激爆)。でもそれらは「妄想」のレベルに留まっていた。皆さんも、似たような妄想なさったんじゃないでしょうか^^。

「大学受験生は不正行為はしない」という性善説の上で試験は成り立っている。受験中に不正行為をした者は即排除。それでもいろんな不正はあったんでしょうね。でも、まさか京都大学で今回のような不正が生じるとは、ほとんどの人が思ってもみなかった。監督官の怠慢も厳しく問われるのでしょうが、たとえそうであっても一概に監督官を責められない。おそらく時給800円くらいかあるいはボランティアで監督やってたんじゃないでしょうか。
IT技術の進化はさまざまな弊害ももたらす。今回のこと、予測してた人もいるでしょうが、「まさか」ってのが僕たち「性善説論者」一般の感想でしょうね。

ホームで列に並んで電車を待つあなた。後を見ると母子、その筋っぽい男性、草食系男子、ビジネスマンなどなど。でも、まさかその中に突然突進してあなたをホームに突き落とそうとする人物がいるなんて、思いもしませんよね。ホームであなたは性善説
買い物に行ったショッピングモール。映画のポスター見たり本屋を覗いたり健康食品チェックしたりジムのパンフ手に取ったり。でも、まさかそうしている間に刃物を持った人物が無差別に襲い掛かるなんて、思いもしませんよね。ショッピングモールであなたは性善説
露天風呂であなたはいい気分。「いっいゆっだっなー」なんて歌っている。仕事のことも忘れしばし癒しの時間。風呂の中には数人。でも、まさかその中の一人があなたの頭を押さえつけ浴槽に沈めようとするなんて、思いもしませんよね。露天風呂であなたは性善説

国際社会で日本人は「お人好し」なのかもしれないけど、ビジネスパートナーとしてあるいは上司としてあるいは同級生としてあるいは技術指導者としてあるいは・・・さまざまな場面で、某国人や某国人や某国人etc.と比べて日本人は好かれている。それはあなたも私も「性善説」を信じているからじゃないでしょうか。日本人のこれまでの蓄積が、国際社会での日本人の評判を呼んでいる/いた。「だますよりだまされたほうがいい」という日本人の心性も同じルーツでしょうね。
でも今や私たちは「性善説」に拠って立つことが困難になっている。「性悪説」に立ったほうがいい社会現象が数限りなく起きている。
日本社会はどうなっていくんでしょうね。でもまぁ僕は性善説を基本にして残りの人生を生きていきたい。難しいことなんでしょうけど、あきらめない。
by tiaokumura | 2011-02-28 20:20 | 言の葉つれづれ | Comments(0)


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