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上田秋成展

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(8月26日夜・記)
8月21日(土)、JRの何線になるのでしょうか、舞子から京都へ。大阪までは割りと近く感じたのですが、大阪―京都がずいぶん長かった(と感じた)。京都市外を走るのでしょうか、高山線の市街地みたいな所を通り抜けてJR京都駅到着。
京都駅地下街ポルタ。僕は京都にはそんなに来ないのですが、京都に来るとたいがいポルタに寄ってます。ここは、食事ができてお土産も買えて座るところもあって便利。京都人に言わせると「あんなとこ行くもんやおまへん(←京都弁のつもり^^)」かもしれぬが、僕のような田舎者にはありがたい。ポルタ内の「田ごと」(「ご」は「古」の変体仮名に濁点)で、にしんそば+アルファ。僕、京都はにしんそばと湯豆腐です。鱧もおいしいのでしょうが、ボクのような田舎者には、どんな調理法をもってしても鱧は口に合いません(ごめんなさい)。きっと食材自体が「上品すぎる」んでしょうね。死ぬまでに1回くらい「そっか、これがあの鱧なんだな」と感動したい。祗園辺りの「一見さん、お断わり」じゃったらそんな味にお目にかかれるのかしらん。

京都駅前からバスに乗って京都国立博物館
上田秋成展
を観る。上田秋成(1738-1809。去年が没後200年だった)、中学はともかく高校では読んだでしょうね。僕は1回目^^の大学の専攻が「国文学」だったんで、秋成はそこそこ読みました。大学2年のときだったか学園祭(「桐葉祭」とか言った)で専攻で出し物をすることになった。ちょうどその頃は、唐木順三『無用者の系譜』(筑摩書房からだったと思う。書名、違ったかも)とかコリン・ウイルソン『アウトサイダー』とかがはやり?で、まぁ簡単に言うと「異端」「周辺」を切り口に文学を分析してみるって発表を、当時の教育大・国語国文学専攻で企画した。各自(クラスは30人くらい)分担して、僕は記憶が定かではないが上田秋成もその時にかじったような気がする。『雨月物語』も『春雨物語』もすばらしいが、秋成の人生(文学との関わり)を知るには『癇癖談』『膽大小心録』が欠かせない(と思う)。
田口卯吉(鼎軒。1855-1905。『日本開化小史』など)の『大日本人名辭書』は、大槻文彦『大言海』・吉田東伍『大日本地名辭書』と並ぶ「辞書」の白眉でしょうね。僕は講談社学術文庫版(例えば「(一)」は昭和55年8月10日・第1刷)で持っていて、重宝してます。文庫版なので活字が小さいのと、版型の関係なんでしょうね、購入後30年を経て字が薄くなってきているのが難点。でも買い換えるってぇも今じゃ揃いでン万円でしょうから、今持っている文庫本を使い続けます。同辞書の「ウヘダ アキナリ」、過不足なくまとまった名文。P383、3段組の3段にわたって記述。一部引用すると、
名大に聞ゆ然れども性狷介にして交遊少なく事毎に拗戻なること多し
確かに秋成にはそういう面があるのでしょうが、しかし今回の秋成展でもわかるように、秋成は当時の京阪の言ってみれば「サロン」で多くの人々と交わっている。関わり方はさまざまなれど、秋成を巡る人物の名を挙げれば、木村兼葭堂・加藤宇万伎(賀茂真淵の弟子)・呉春(画家)・池大雅・円山応挙・伊藤若冲・田能村竹田ら。
『大日本人名辭書』「ウヘダ アキナリ」には太田南畝の漢詩も載っています(p383中段)。秋成が無腸名で詠んだ「津の國のなにはにつけてにくまるるあしまの蟹のよこばしる身は」も掲載。参考文献に『膽大小心録』が挙げられていないのは田口の罪ではありません。
秋成と本居宣長との論争は、秋成の完敗なのでしょうが、ちょっと卑怯な見方をすれば、宣長がやがて軍国主義に悪用されたのに対して秋成は三島や春樹にも愛されて今日まで生き残っているのだから、歴史の目で見れば「引き分け」とも言えるのかもしれない。
今回の展覧会、土曜日というのに客は少なかった。残念。新発見資料を含め、めったに観ることができない出品の数々。会期は8月29日(日)までと残りわずかなので、ぜひ多くの人々にご訪問いただきたい。
by tiaokumura | 2010-08-21 15:55 | 美術 | Comments(0)


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