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こんな授業・あんな授業(16)夏休みの宿題

ここ数年の日本語教育を自分なりに総括すると以下のようになろうか。背景には「日本語学習者の多様化」「学習者の地位向上」があります。「学習者」ってのはlearner(s)の日本語訳で僕は好きではないのですが、今は慣用に従う。
(1)学習者中心からの発展として、自律学習・ピアラーニングの重視。
(2)教師が権威者・権力者として到達目標を独占するのでなく、CDSや日本語スタンダードやポートフォリオなど学習者に学習言語の目標を明示する/意識化させる動き。
(3)野田先生や庵先生に代表される「日本語教育」文法の追求。日本語学の記述文法から発想したシラバスではなく、多様化する学習者個々のニーズに合ったシラバスのための文法の整理・追求。
(4)(1)の自律学習とも深く関わるwebサイト・web教材・webリソースの充実。
(5)上述すべてに関わって、対学習者における日本語教師像の組み換え。

夏休みの宿題」も上述の大きな流れに位置づけなければならないでしょうね。皆さんの中には、およそ宿題なんて教師の勝手な振舞いだとか宿題はペナルティ的な印象が強いとか宿題にいい思い出はほとんどないとか読書感想文や自由研究がいやだった、って方もおありでしょうね。日本語教師としては宿題もよくよく考えて出さなければならない。出さないって選択肢も無論あります(奥村学習塾をやってた頃は、宿題は原則なしだった)。僕は、いろんな日本語教師の方々の話を聞いてみると、相対的にふだんから宿題を多く出すタイプの教師みたい。なぜ宿題を多く出すかは今は省略しますが、間もなくやってくる夏休み、その夏休みのF組の宿題、決定しました。

僕が尊敬する「国語教育の神様」大村はま(1906-2005)に以下の名言がある。岩波書店編集部編『これからどうなる 日本・世界・21世紀』(1983年5月)に所収の「これからの国語教育」(pp116-117)より引用(原文縦書き)。
(三)「この問題ができると、国語のどういう力があることになるのですか」という問いに答えられないようなテスト問題が出なくなるであろう。漠然と、国語ができるできないという言い方は認められず、国語のどういう力がどういう状態になっているか、精しく、確かに、師弟ともに知って、それぞれに何かの指針を得ることになり、テストが一種の楽しみにされるであろう。
「テスト問題」を「宿題」に、「国語」を「日本語」に置き換えれば、僕に限らず日本語教師のほぼすべての道しるべになる名言じゃないでしょうか。27年前の発言でも全然古びていない(ってことは国語教師の怠慢?)。「宿題が一種の楽しみ」って、実現したい理想ですね。

富山国際学院の夏休みは8月7日(土)~22日(日)、休業日でいけば10日間。1か月くらい夏休みがある日本語学校もあるでしょうから、うちはずいぶん少ないほうでしょうね。
今年度担当しているF組、担任の佐野久美子さんとも相談して、夏休みの宿題の奥村担当分は以下のようにしました。8月4日に学生に宿題を発表します。なお、佐野さんはF組の夏休みの宿題は「読解」担当です。
漢字プリント7枚(8月23日提出)
今回F組で使っている『Write Now!』に準拠した自作教材。その「第13課(1)」~「第12~14課」。
漢字フィールドワーク2枚(8月23日提出)
F組の漢字は今200字くらいまで来ているのですが、「まだ習っていない漢字」を町やネットで見つける。プリントには「見つけた漢字」「いつ?どこで?」「文脈は?」「どう思った?調べてわかったことは?etc」などの項目が入れてある。
日本語絵日記5日分(8月23日提出)
残暑見舞はがき1枚(8月20日富山国際学院必着)

8月4日、「先生、宿題多すぎる~難しすぎる~」って言われるかどうか。ちゃんと説明して学生が納得した上で宿題を出したいと思っています。
by tiaokumura | 2010-07-28 19:56 | 日本語教育 | Comments(0)


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