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2000年夏・パリ日記(9)

Jeudi, 17 Aout 2000
パリ最後の日。起床。朝食。新聞。最後の朝食。マダム(ここの責任者、たぶん)にお礼。初めは怖い感じだったが、こうして6回の朝食をしてみて、彼女の人となりの良さを充分味わえた。中庭で垣間見たスタッフミーティング。初めの頃の朝食の相客と今朝のそれとでは、だいぶ顔ぶれが変わった。日本人と思しき2組(OL,夫婦)あり。
チェックアウト。73F。"Is this all and only what I should pay?"と思わず聞く^^。PAY TV(FILM POUR ADULTS)の料金分(恥)。それにしてもすごかった(核爆)。anal, lez, orgy。一晩で飽きてしまったが^^。一般TVでは、Putin(ロシア原潜沈没)、民主党全国大会(ゴア、ケネディ娘?)、サッカー(FIFA WORLD STARSvsFrance。Zidan、中田。フランスの一方的な展開だった)、モンローやアラン・ドロンの映画、視聴者参加番組、そっくりさん番組、懐メロ番組、そして天気予報など。
予定時刻になってもJTBの橋本さん来ず。フロントに少し遅れるとのTEL入る。出発。車に乗ってから亀井氏へのポスター(ジャコメッティ)をロビーに置き忘れたのに気づく。Alas! 時間が無いのでもう戻れない。車中しょんぼり。どうしようと怒りと哀しみで思案。妻にも感染して夫婦そろって落ち込む。
CDG空港着。橋本さんに「今回のパリの一番大切なものの一つ」と頼み込んで、彼女(このあとヴァカンス)も友人にケータイしたりして、最後、親切にも後日郵送してくれることになった。200F渡し、住所氏名、メルアド教える。空港内で買い物。ブランド好きの女性ならチョー大喜びする店だらけなのだろうが、我ら夫婦、無縁の衆^^。チョコ(一応ゴディバ^^)、財布、クッキーなど。他の観光客はでっかいスーツケースをいくつもだが、僕たち夫婦はバッグ2つのみ(照)。これでいいのだ(核爆)。
パリ発13:15、AF276。一路、成田へ。
(完結)

(2006年3月25日)
「春なのになぜ夏のパリ日記?」と思われる方もあるかもしれない。以下に事情説明。
1999年に妻が1回目の入院。1回目の手術の後、主治医から「余命3ヶ月」と僕に告知。わがままでぐうたらな亭主は茫然自失、もちろん妻には告げられない。その後、通院しながらの治療が効いてか、小康状態に。主治医に「2人で念願のパリ旅行がしたい」と申し出て許可が下りる。パリ旅行が効を奏したのだと思いたいが、主治医の予測を遥かに超えて延命。だが2002年11月に最後の入院。この頃には本人も病状についてわかってきたようだ。11月29日には緩和ケア病棟に移ることを自ら申し出る。元気だった頃に2人でNHKTVで見た徳永健一郎さん(N響チェリスト。最期をピースハウスホスピスで)の影響もあったのかもしれない。妻が「怖い」と言うので彼女の横に簡易ベッドを作り、その夜から寝泊りした。そして、117の夜のあとの、2003年3月25日の朝だった。
妻孝行ができない男だったが、パリ旅行と117の夜・朝は、この2つくらいは、彼女へのせめてものプレゼントになったかなと思う。
僕は人間は死んだら「無」になるだけだと思っている。だが、彼女は自分は星になると言っていた。3年前と同じく今日は残酷なまでに晴れ渡っている。今夜は星が見られそうだ。
by tiaokumura | 2006-03-25 14:08 | 追悼 | Comments(0)


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