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映画『パキスタン ストリート Pakistan Street』試写会のご案内

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僕が深川良美さんと出会ったのは1988年頃になるかなぁ。
1985年頃、僕はまだ^^40才前(今風に言えば「アラフォー」。「アホー」じゃないっすよ^^)。奥村学習塾を開いて数年、塾生も順調に集まり教材作りも楽しかった。でも何かが自分に欠けているように思った。「何だろう」。人生としては実に遅い「自分探し」だったんでしょうね。当時の僕が話をするといえば、家族や塾生や塾生のお母さん(稀にお父さん・おばあさん)。塾が月~土の4時半から9時頃までだったので、夜、中学や高校のときの友達と会って酒を飲むってこともできない。僕は高校生時代に田山花袋『田舎教師』を読み、「このまま一介の田舎教師で終わるのもいいかなぁ」と思いつつも、やはり「何か別のこともしたい」という思いが募った。大学も卒業していない自分が塾主宰者になれていたのだから、それで満足すべきだったのでしょうが、何かやりたかったんですね、1985年頃、悶々としてた。当時、午後のヒマな時間はワイドショーばっか見てた。ちょうどその頃は「グリコ森永事件」(江崎グリコ社長誘拐事件は1984年3月)・「ロス疑惑」(『週刊文春』の「疑惑の銃弾」は1984年に連載開始)がワイドショーを賑わしていたと思う。「劇場型犯罪」なんて言葉もその頃に生まれたか。で、妻から「あんたって、子ども・女性には強いみたいだけど、ちゃんとした男の大人と立ち回れるの」とか「TVばっかり見てないで」としばしば言われていた。
で、そんなボク、何を血迷ったか(激爆)、「よし、じゃ、英語を習おう」と思った。なんで「英語」だったんでしょうね、よう覚えとりません、記憶アホ^^なボクは。で、どうせ習うならまるっきり最初っから習おうと思った。お金の余裕がない自分^^(当時も今もそのことは変わらんかも^^)、タダか安いお金で英語を習おうとした。今はどうか、当時のYMCAでちょこっとだけならタダで習えた。「体験入学」だったんでしょうね、そのシステム。それから富山市立外国語専門学校が開講している市民向け英語教室が、確か当時は年間3000円だった。1987年4月「英語入門講座」とかの名称の講座を受講。戦時中英語を習えなかった初老の女性がいたり、娘の英語の学習に付き合いたいというお母さんがいたり-そんなクラスでした。ご担当の先生がよかった。どこかの高校の先生で、英語を初めて学ぶ人にもわかりやすく・楽しく教えていらっしゃった。歌とかゲームなどがあった。2年目、「英語初級」受講。これが運命の出会いになるでしょうね。ご担当の太田英一先生がすばらしい先生だった。太田先生は受講生に3分間スピーチを課せられた。「よし!」とボクは決心して、別に毎週やらんでもよかったのですが、太田先生にお願いして毎回three-minute-speechをやらせていただくことにした。わが人生であんなに英語を一生懸命勉強した時はないでしょうね。The Daily Yomiuriがあの当時月1900円くらいで購読できたので新聞販売店に注文。富山駅で英字紙、ときどき購入。本屋さんでTIMEなど立ち読み^^。当時金沢にあった丸善でボブ・グリーンやサリンジャーなど購入。NHKラジオの大杉正明「英会話」を聞く。その他いろんな情報収集で3分間スピーチのネタや話し方をゲット^^。太田先生のおかげで英語の話し方、ずいぶん勉強できました。当時の蓄積がその後役立っている。富山大学の編入試験科目に英語があったんですが、大学受験用の英文解釈の参考書をちょこっと読むだけで入試が突破できたのもその成果だし、今の仕事で英語を話したり書いたり(output)聴いたり読んだり(input)できるのも太田先生のおかげです。語学学習によって、いい意味でも悪い意味でも「思考パターン」に変革を及ぼすのだということも、あの当時、はっきり知った。
世の中に「日本語教育」「日本語教師」なるものがあることもまだ知らず、「阪神大震災」や「日本海原油流出」もまだ後で「ボランティア」という生き方もまだ知らなかった。僕の人生において、太田先生との出会いは絶妙のタイミングだったんでしょうね。
僕の3分間スピーチは”Thus Spake a Middle-aged-man”とかってタイトル(ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』のパクり^^です、『中年男かく語りき』)で冊子にまとめました。友人たちに配り、今も本棚のどこかに1冊くらい残っているはず。
太田英一先生、その節はありがとうございました!

前置きが長くなりすぎました(大汗)。
深川良美さんとは太田英一先生のクラスで初めて出会ったのだと思う。その後、ずーっとお会いしてなかったのですが、数年前、僕の勤務先の富山国際学院に深川さんがいらっしゃった。学院のコピーの会社にお勤めなんですね、深川さんは。人生って不思議な巡り合わせがあるもんですねぇ。そしてある日深川さんが学院にお見えになって「映画を作っている」とのこと。「へ~」と思った。それから何ヶ月か経って学院にお見えになり「完成した」という告知。
今日、深川良美さんが当記事にアップした写真のリーフレットを富山国際学院にご持参。僕、前回深川さんにお会いした時「完成した映画、『フォルツァ総曲輪』で試写会をやったら」ってアイディアを深川さんに出したみたい。記憶アホなんですっかり忘れてました(大汗)が、対応した学院スタッフ増山満美子さんの話では(僕は授業中だったんで、深川さんとはほんの1分くらいしか話せなかった)そういうことらしい。

以下、リーフレットより引用
映画パキスタン ストリート
試写会 フォルツァ総曲輪
6月13日(日) 14:00~16:00
後援 富山市
制作 R&M・パキスタンストリート実行委員会
プロデューサー 深川 良美
pakistanstreet@hotmail.co.jp
撮影 金沢科学技術専門学校(KIST)
編集 大谷内 真郷
2010/カラー/90分

どんな映画か、簡単にご紹介。
富山に富山湾から少し入ったところを東西に走る「8号線」というのがあります。パキスタン青年サリムは2001年初夏、8号線沿いにある中古車販売店で働くために富山を訪れる。当時、「小杉から富山にかけての8号線沿いは中古車輸出量日本一といわれる150もの中古車販売店があった」(リーフレットより引用)。ここは、「コーラン事件」(コーランが路上に破り捨てられていた。それをやった人物には、結局、宗教的背景はなかったのですが)があったところでもある。今はそこはロシア政府の輸入関税の大幅引揚げにより中古車市場は壊滅的状態。たぶん往時の1割(1割減じゃありませんよ、最盛期の市場規模の1割になったってことです)。
サリム青年が「国境、人種、宗教を超えて」(リーフレットより)富山で得たものは・・・。国境・人種・宗教の壁で得られなかったものもきっとあったでしょうね。映画をまだ見ていないのにこう言うのもなんですが、映画を通じて問われているのは「私たち日本人」でしょうね、きっと。

試写会は無料です。ご関心のある方は、ぜひ試写会に足をお運びください。
by tiaokumura | 2010-06-02 18:32 | 富山 | Comments(0)


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