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イムジン河(フォーク・クルセイダーズ)


小学生の頃、苗字に*が入っているクラスメートが「ザイニチ」というマイノリティ(当時は「マイノリティ」などという言葉を知らなかったが)だということを、大人の態度からなんとなく薄々と知った。でもそんなことは関係なく/それがなんだかよく分からず、*○君たちと遊んでいた。後に別の漢字の*や*も「在日」だと知った。
中学になって富山にも「部落」があることを知った。浄土真宗も部落差別に加担していたことを知ったのはもう少し後になるだろうか。
高校生の時、僕は吉永小百合ファンで何本も彼女の出演する映画を観た。浦山桐郎監督『キューポラのある街』(1962年。原作・早船ちよ。東野英治郎・浜田光夫・市川好郎らが出演)に「北」に帰るシーンがある。映画中のクライマックスの一つだったでしょうね。あの頃、朝鮮総連はもとより日本国政府も社会党も日本赤十字もマスコミも知識人も「北へ帰ること」が幸せであると確信してたんでしょうね。日本での極貧生活・南の独裁政治を考えると、北はまさに「楽園」であった。「どうもおかしい」と考えた人もいただろうが、自民党政府には「厄介払い」だと考えた人もいたし、昔も今も図式化が得意なマスコミは本心から「人道事業」「地上の楽園」を信じてたんでしょうね。現在から過去(歴史)を糾弾することは誰にでもできる。
フォーク・クルセイダーズ『イムジン河』に出会ったのは大学生の時。「きれいなメロディーで覚えやすい詞だなぁ」と思った記憶がある。今の大学生はどうだろう、あの頃はギターや歌がうまい学生がずいぶんいて(「哲ちゃん」もそうだったし、他に「伊藤氏」や「なべちゃん」)、あるいは彼らの弾き語りで一緒に歌ったこともあるかもしれない。若いときに覚えた歌はいつまでも覚えているものである。「作詞・朴世永、作曲・高宗漢」を入れろ入れないによる発売中止については、あの当時「ふ~ん」くらいにしか思わなかった。
井筒和幸監督『パッチギ』(2005年。原案・松山猛、音楽・加藤和彦。塩谷瞬・李安成・江尻エリカらが出演)は僕の好きな映画の一つ。残念ながらTVでしか観てないが、名シーン満載。松山猛をモデルにした少年なんでしょうね、彼がスタジオで『イムジン河』をギターの弾き語りで日本語・原語で歌うシーンも秀逸。康介少年と一緒になってボクも泣いてしまうシーンです(照)。

イムジン河( 임진강。림진강「リムジン江」とも。漢字表記は「臨津江」)は漢江の支流。朝鮮民主主義人民共和国(조선민주주의인민공화국。日本では「北朝鮮」と略称されることが多い)と大韓民国(대한민국。日本では「韓国」と略称されることが多い)の軍事境界線の大韓民国側を流れる。

今朝の朝日新聞「うたの旅人」は「イムジン河」(文・保科龍朗、写真・諌山卓弥)。
YouTubeからフォーク・クルセイダーズ『イムジン河』をアップしました。TV映像なんでしょうね。YouTubeには、映画『パッチギ』の松山康介少年が『イムジン河』を歌うシーンやキム・ヨンジャ『リムジン河』や京都朝鮮高級学校の女生徒たち『リムジン江(림진강)』(ドキュメンタリー番組なんでしょうか、松山猛も出てくる)やフォーシュリーク『リムジン江』(朝日記事中にも出てくる早大生バンドヴァージョン)など多彩。

この後僕は何年生きられるか知らない。相変わらず安全地帯にいて能書きを垂れテキトーに世渡りしていくんでしょうね。権威や権力におべんちゃらを使い、不正義や不平等や不誠実に見て見ぬふりをし、見果てぬ夢を追い続ける。でも、エラソーに日本語教師をやっていても、自分自身が偏見・差別の温床であることだけはいつまでも自覚していたい-そんな気持ちにさせてくれるフォーク・クルセイダーズ『イムジン河』です。
金王朝」が2年後か5年後か9年後か、いつ崩壊するのか僕にはわからない。朝日新聞記事「イムジン河」中の松山猛の、
「・・・歌い継がれてきたのは、じつは不幸なことです。僕はこの曲が歌われなくなる日をひたすら待ち望んで生きてきたのに
の「この曲が歌われなくなる日」は永遠に来ないような気もする。なぜなら、ノスタルジックかもしれぬが、この曲は(発売中止騒動やフォークル解散や加藤和彦の自死や金王朝崩壊や韓半島統一などなどを乗り越えて)永遠に残る価値のある名曲であるからだ。加藤和彦が言った「・・・いまや『イムジン河』はどこにでもある『分断』を表す、匿名性を帯びた記号・・・」(朝日同記事)は、そういうことでもあるのだろう。歌の力は偉大である。

(追記)
ネットはすごいですね。この曲の原詞もweb上で知ることができます。
by tiaokumura | 2010-02-20 09:33 | 音楽 | Comments(4)
Commented by 平名 at 2010-02-20 17:07 x
 大学時代を思い出します。 大阪は朝鮮の人が多く成人に成ったら北か南か選べるとか 彼等は部落民より酷い目に遭ったとか、、
 でも話が変わるけど学生時代移転反対って声 我学部では「綺麗なとこへ行ける」って全く無かったけどー内心では阪急東通りの飲み屋に往きにくく成るって反対した人もいたけどー 今は一緒に成った外大では反対運動激しかった、、 「イムジン河」は何処へ行くのでしょう
Commented by tiaokumura at 2010-02-20 18:55
平名氏、お久しぶり。こないだT総裁って来ていったん? 君が挨拶とか案内とかしたんだろうか。新聞の写真にはうつっとらんだような気がするけど。
大阪は在日・京都は部落だろうね。両方あるだろうし。スポーツ界・芸能人にも在日・部落出身は何人もいるでしょうね。21世紀の今も差別や偏見は、表面上は薄れても、陰湿な形で残っているんでしょうね。
在日外国人も似たような境遇かもしれません。
Commented by 平名 at 2010-02-22 18:28 x
T総裁には会ってませんが、 彼は病院に往って近くの関係者に挨拶されたのではと想います。 「地球の歩き方」こんな本有ることも知らずに西欧を歩いたな ー歩いた時に訊きましたがー 昔は
Commented by tiaokumura at 2010-02-23 21:51
平名氏は、そう言えば海外旅行経験が豊富なんでしたよね。お医者さんは大名旅行なんかもしれませんね、うちらビンボー人と比べると。
T総裁、なるほどそうですか。病院と施設とはまた別なんかな。
富山もそろそろ春。季節の変わり目、ご自愛のほどを。


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