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ひもはやくれ われにがうりき めうがあり

朝6時半。自室から庭に降り立ち、みょうがが植わっている一画に向かう。腰をかがめ、食べ頃のみょうがを5つ6つと摘む。隣家からラジオ体操が流れる。
台所の流し台でみょうがの泥土を丁寧に落す。小皿に盛りラップをかけ、食せられるまでの半日間、冷蔵庫でお休みいただく。午後5時半、おもむろにグラスを取り出し冷凍庫に収める。夕食前は、ちょっと忙しい。みょうがを冷蔵庫から取り出し、柳刃で縦4つに切り分ける。切れ味が鈍い包丁だとみょうがの細胞がぐにゃぐにゃになる懼れあり。二皿に取り分けて食卓自席右手に。一皿には味噌を添え、一皿には鰹節をかける。程よく冷えたグラスを冷凍庫から取り出し、食卓の自席左手に置く。
わが家の夕食は午後6時過ぎ。口をあけてから冷蔵庫で保管している『強力』(ごうりき。鳥取県琴浦町の地酒。畏友宮崎健二君からいただく)を、グラスにとくとくと注ぐ。今宵の酒の肴はみょうが(とブリかま塩焼き)。味噌で食べ、あるいは鰹節・醤油で食べる。さくさくとした食感、口中に広がる爽やかさ、かすかに鼻孔をくすぐる芳香。このようにみょうががいただけるのは、そのような年齢に達したという証しならん。

富山県大山町にはみょうが寿しという佳品がありますが、みょうがは脇役食材でしょうね。みそ汁の具、薬味、味噌漬け、天ぷらなど。みょうがもそうですが、いちじく・なつめ・ぐみ・うど・ざくろ・くり・たらのめなども、加齢とともにおいしくいただける里の幸・山の幸。舌も「本卦還り」するものなのかもしれません。
大学のキャンパスの最寄り駅は地下鉄茗荷谷駅でした。何年間も利用してたのですが、あの当時はみょうがのことなんかほとんど連想しなかった。若かったんでしょうね。茗荷「谷」とは大仰なと思うが^^、かつてあの一帯は茗荷の群生地だったのかもしれない。近くに小石川植物園がありました(今もあるはず)。

みょうがって「食べると馬鹿になる」とかいう俗説のせいか、あるいは音の響きが悪いのか、詩歌類に取り上げられることがほとんどないですよね。こういうときに頼りになる林望『旬菜膳語』(2008年10月。岩波書店)にも見当たらないようです。同書で発見(僕が知らなかっただけかもしれない)。「芭蕉が元禄七年八月十五夜の折に、伊賀の庵で振舞をした時の、芭蕉自筆の献立が残って」(同書p.195)いて、同書に引用されている。それを見ると、吸物の中に「めうが」が出てきます(吸物のメインは「しめじ」)。芭蕉は同年10月12日(1694年11月28日)に没していますから、林が書くように「このキノコ尽しの献立(木くらげ・しめじ・松茸など-奥村)の風流は、なにやら物悲しく身に染みるよう」(p.197)です。芭蕉翁を想う時、富山県民としては少々胸が痛む。元禄二年七月中旬(西暦1689年8月下旬)に担籠(たご)の藤波を観に行こうとした芭蕉(46歳)なのですが、「一夜の宿かすものあるまじ」と越中人某に言い脅されたのですね。奈古・二上山・岩瀬野は訪れたのですが(『曽良随行日記』)、「翁、気色不勝」(同)はあながち暑さのせいばかりではなかったのかもしれない。まあ翁の急逝までそれから5年3か月ありますから、越中人某には何の罪もありませんが。「早稲の香や分け入る右は有磯海(わせのかやわけいるみぎはありそうみ)」。有磯海も万葉以来の歌枕です。

ひょっとして芭蕉にみょうがの句がないかネットで調べてみましたが、見つかりませんでした。ご存知の方、ご教示を。
芭蕉翁になり代わって(嘘爆)、駄1句。
ひもはやくれわれにがうりきめうがあり(日もはや暮れ われに「強力」「みょうが」あり)
調子に乗って^^もう駄1句。
あきのよひひんやりとろりいなたひめ(秋の宵 ひんやりとろり 稲田姫)
稲田姫(いなたひめ)』は鳥取県米子市の地酒。『強力』と同じく宮崎健二君よりいただいた。「あきのゑひ」(秋の酔い)でもいいかも(激爆)。

庭のみょうが、今日の午後刈り取りました。来夏にまたみょうがが食せるまでの辛抱です。おいしいものをいただくには「待つ」ってのも義務です。旬あってこその食ですよね。
夕食を終え、再び庭に降り立つ。虫の音、風のそよぎ-富山もすっかり秋の風情。今週土曜日は伊賀も東京(江戸)も平泉も大垣も大阪(大坂)も、そして富山も十五夜。
by tiaokumura | 2009-09-27 19:51 | 美味録09年 | Comments(6)
Commented by 横井  at 2009-09-27 21:06 x
みょうがおいしいですね~。
夏の野菜でしょうか~糠漬けも最高ですね。
したたみ という貝をしっていますか?
(宿かりの貝に実がはいっているんです。)
幼い頃、よく塩ゆでしてちいさな、貝のふた針でを取って食べたものです、
最近その貝は見当たらなくなっていました、でも本日、釣りに行っている弟に差し入れに行き、岩場にその小さな貝がたくさんいるのがみえました。
白い革靴をはいていたからとれなかったんですが、
幼い頃の思い出がよみがえりました。
今度の休みには、長靴をはいて、取りに行って食べるぞ!!
今日は、烏賊取り用の豆鯵を釣り、その豆鯵のから揚げを食べました、豆鯵は面白いほど釣れました、烏賊は逃げられっぱなしでした。
茗荷の話から貝の話になっていますね、
茗荷のてんぷらもおいしいですね~
また料理のレシピー教えてください。
Commented by tiaokumura at 2009-09-27 21:18
横井さま、初コメントありがとうございます。「したたみ」、全く存じません。富山では食す機会のない貝です(たぶん)。
広辞苑にある「しただみ」の転訛でしょうか。「きさご」のことだと出ていました。コメントに烏賊や豆鯵が出てきますから、横井さまはひょっとして日本海沿岸ご在住でしょうか。
レシピってもんじゃありません(汗)。地産地消-ほとんど、生か生に近い形で食せます。「富山料理」と呼べるものがあまり多くないのも、富山は食材が新鮮すぎるからでしょうね。腕によりをかけなくても、簡単に食べられる。レシピ不要地帯かも、郷土富山は(爆)。
Commented by 横井 at 2009-09-27 23:32 x
PCで、したたみ貝(小さな巻き貝)ででています。
私は福井県敦賀市です。
Commented by tiaokumura at 2009-09-29 21:29
横井さま、「したたみ貝」、折を見て調べてみます。富山にはバイ貝があるのですが、食べ方似ているかも。つまようじでふたを取って食べます。
敦賀っていい街だそうです。京阪神や名古屋に行く時通過します。いつか機会があったら、途中下車してみます。
Commented by のぶ at 2009-09-29 22:37 x
 我が家でも子供の頃に、みょうがのお寿しを作った記憶があります。
 桶に竹の皮を敷いて寿し飯を拡げ、みょうがと梅干しにつけ込んだ紫蘇を散らしたと思います。仕上げに竹で鱒寿しのように包み込みました。暫くの間、鱒寿しのように重しを置いていたかも?みょうがも梅の味がしていたかも知れません。
 渋柿を焼酎と一緒に入れて床下に置き、甘くなるのを待ったこともありましたね。
 遠い昔、家で味噌を作ったこともありましたね。
Commented by tiaokumura at 2009-10-03 21:28
のぶ様、その通りですよね、みょうがのお寿し、あれは絶品でした。味が記憶と結びついている例ですよね。他のみょうが寿しを試しに食べてみることがあるのですが、おいしいと思うことはない。渋柿もそうですよね、さわし柿とか言ったか。味噌、ゆでたばかりの味噌豆もうまかったし、手回しでにゅるにゅると出てくるのも奇妙でおもしろかった。
日本の今の食を考えると、今回のプロジェクト登場は必然なのでしょうね。


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