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福原義春『変化の時代と人間の力』・辻井喬『叙情と闘争』

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福原義春
『変化の時代と人間の力
 福原義春講演集』

2007年10月31日第1刷
ウエッジ文庫(ウエッジ)
743円+税
辻井喬
『叙情と闘争
 辻井喬+堤清二回顧録』

2009年5月25日初版
中央公論新社
1800円+税

モノづくり(あるいは商人道)の原点を見失い目先の利益にとらわれマネーゲームに走ってしまったのか、あるいは、政官界との癒着にのめり込み視野狭窄に陥り企業人としての誇りを見失ってしまったのか-素人の僕には分析できないが、とりわけ80年代以降の財界のていたらくは見苦しい。かつて企業は戦後の焼け跡から(朝鮮戦争や日米安保条約やヴェトナム戦争などのおかげもあったにせよ)雄雄しく立ち上がり、あるいは高度成長がもたらした「公害」にも(不十分だったにしても)それ相応の社会的倫理的対応ができたのではなかっただろうか。「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」という(良くも悪くも)「三種の神器」が粉々にくだけた00年代の最後の年にあって、しかし私たちは例えば、「利益と人件費の合計を最大にすることが経営者の務めである」と言いきれる、志ある企業人を持っている。彼の名は中尾哲雄、富山県財界の重鎮である。引用発言は朝日新聞記事。今あいにく手元にないので正確な引用ではないのだが、趣旨は外れていない。中尾は富山大学経済学部卒、現在インテックHDのCEO(Chief Executive Officer)。

大相撲にしても歌舞伎にしても茶の湯にしても小唄端唄にしても美術・音楽にしても民俗学にしても・・・日本の伝統文化・学問・スポーツを育て興隆させる「パトロン」として、室町・安土桃山・江戸時代以降、商人・企業人の果たした役割は大きい。歌謡曲業界や映画産業に大きな役割を果たした山口組三代目田岡一雄のような逸材が、いつの時代にも企業人には何十人・何百人といたのである。そんな企業人に列するのが福原義春・堤清二(辻井喬)である。お二人についてご存じない方は、ウィキペディアなどでお調べください。なお、このブログの以前の記事でお二方は既に登場しています。

福原『変化の時代と~』(新刊ではありません。僕が入手したのが今日)は講演集。11編所収。その中の「文化資本の経済学」より。
福原が社外スピーカーとして須田寛に依頼したときのエピソードが出てくる。福原は知らなかったのだが、資生堂と須田とは実は深い関係があった。
・・・つまり、私の十代前の社長のやったことが、十代あとの社長に感動という名の見返りで戻ってきたわけです。(p.244)
そして福原は講演の最後を以下のように結ぶ。
 もはや経済価値だけが支配する社会ではありません。経済価値と文化価値、人間の価値、生活価値、そのほか諸々の価値が同列に並んで、同列に助け合い補完し合って、お互いの価値を減少させたり滅ぼしたりしてしまわないような社会を築き、会社をつくるというのが、私の理想であり願いです。(p.245)

辻井(堤)『叙情と闘争』は讀賣新聞に連載(08年1月26日~09年1月24日)。僕は土曜日に何回か金沢通いをし、その特急車中で連載中の何篇かを読んだ。「森有正のヨーロッパ」は次のように始まる。
 僕は森有正に誘われて、教会で彼が弾くバッハのオルガン曲を聴きにいった。(p.206)
後半は安東仁兵衛や大平正芳や松前重義が出てきて、堤のソ連での交渉話。ピョートル・イリイチの「わが国で役人を勤めあげる3つの方法」に触れたあと、同章を以下のように締めくくる。
 述懐を終えたイリイチのグラスに、僕は携行してきたウィスキーを注ぎながら、思想を持つこと、思想について考えること、それらはとても人間的なことなのだと、森有正のどちらかと言えば暗い、しかし瞳は澄んで光っていた顔を思い浮かべていた。(p.211)
本書、「人名索引」「主要人名録」があるのは重宝。辻井(堤)の活動の広さを物語るのでしょうね、そこには、渡辺一夫・三島由紀夫・武満徹・伊達得夫ら、小林一三・本田宗一郎・盛田昭夫・井深大・藤田田ら、石橋湛山・池田勇人・佐藤栄作らの名が挙がる。

若い頃に資本主義を否定し資本主義社会に組み込まれまいとした自分だが、こうして福原や堤の本を読んでいると、「資本主義」は「現時点での」という留保付きで最高のシステムなのかなぁと思う。資本主義の論理には与したくない青臭い自分は依然としているのだけれど(照)。

トヨタが今回言わば「大政奉還」となった。福原も堤も言わば「オーナー社長」「創業者一族」の類になり、彼らの対極にある「雇われ社長」(目先の利益を上げないとクビになる?)や「乗っ取り社長」(自社の株価があがったら売り抜ける?)たちは、「ワシには福原や堤のような真似はできん」とのたまうかもしれない。真似はできなくてもいいから、企業人トップとしての社会的使命(ミッション)は果たしてほしい。
by tiaokumura | 2009-06-18 21:31 | | Comments(0)


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