凹むな、わが友akira!

akiraと初めて会ったのは2006年4月、富山大学人文学部棟7Fの言語学コースの溜まり場?だった。59歳で(照)そのコースに編入学したボクにとって、その溜まり場は必ずしも居心地のいい場所ではなかった。二十歳前後の若者に囲まれてあれやこれや過ごす喜びと苦痛はたぶん同じ経験をした人にしかわからないでしょうね(激爆)。10人ほどいた同期生の一人であるakiraを何度か見ていて森田童子を思い浮かべた。
akiraは現在社会人2年生で、akiraのブログを訪問したらずいぶん落ち込んでいた。akiraの性格から言って、2年目も3年目も4年目も・・・何年目もakiraにはつらいような気がする。僕と同じくある意味では「生きるのが下手」なのかもしれない。でもそのような人生も与えられた人生だと開き直ればいい。「ここがロドス島だ、ここで跳べ」なのだ、akira。
森田童子(1952-)『ぼくたちの失敗』(1976)をakiraに捧ぐ。キミたちが生まれる10年ほど前の曲だ。この曲聞いて、キミはよけい落ち込むかもしれないけど、僕はakiraを信じている。それが「ともだち」ってもんじゃないのカナ。
byひげっち

春のこもれ陽の中で君のやさしさに
うもれていたぼくは弱虫だったんだヨネ

君と話し疲れていつか黙りこんだ
ストーブ代わりの電熱器赤く燃えていた

地下のジャズ喫茶変われないぼくたちがいた
悪い夢のように時がなぜてゆく

ぼくがひとりになった部屋に君の好きな
チャーリー・パーカー見つけたヨぼくを忘れたカナ

だめになったぼくを見て君もびっくりしただろう
あの子はまだ元気かい昔の話ダネ

春のこもれ陽の中で君のやさしさに
うもれていたぼくは弱虫だったんだヨネ
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by tiaokumura | 2009-04-11 20:34 | 音楽 | Comments(2)
Commented by かねごん at 2009-04-12 20:30 x
高校時代私も落ち込んだ時期があって、この曲の詩のようにジャズ喫茶に行きチャーリー・パーカーを聴いていた時がありました。
若さというのはちょうど桜が咲く春の季節と同じで、華やぎがあるのだけれど、その華やぎゆえの孤独感と言うものはありますよね。
私もいい年をして青春論を高校生に語ることがあるのですが、幾つになっても若い頃の錯綜した感情や思いは、心の中にとどまっていて離れていこうとはしません。誰もが幾つになっても青春の光と闇を抱え込んでいるような気がします。
この歌を久しぶりに聴いてこんなことを考えておりました。
Commented by tiaokumura at 2009-04-13 20:15
かねごん様、そうですか、『ぼくたちの失敗』にも思い出がおありなのですね。TVドラマ「高校教師」でもこの曲使われていました。名曲、なんでしょうね。
若さの華やぎゆえの孤独感、幾つになっても青春の光と夢を抱え込んでいる-全くその通りでしょうね。でも、かねごんさんや僕たちの「青春時代」ってまだよかったのかもしれない。就活に追われる大学生、しょっちゅうケータイをチェックしていなければならない高校生、親の経済状態で進路が決まる中学生-青春の光と闇はすっかり変質してしまっている。孤独感に耐性もできぬまま、KYにならぬよう必死。華やぎを偽装しなければならない。
-なんてぇこと書くとジジィって言われちゃうかもね(激爆)。
30年後・40年後・・・彼ら・彼女らはかねごんさん(やボク)みたいな心境になれるんでしょうかねぇ。


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