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2月28日(土)午後、観世塾を受講

先週土曜日の午後、このブログ2月6日投稿記事にある観世塾に行って来ました。
自宅から車で約40分、富山空港近くにある富山能楽堂が会場。富山能楽堂に入るのはナナオサカキさんの詩の朗読会以来約2年ぶり。ナナオサカキさんとのツーショット^^は、このブログ2006年3月26日の記事に載っています。残念ながらナナオサカキさんは昨年12月21日にご逝去。ナナオさんの場合、「星になられた」というほうが的確かもしれません。あと3週間ほどで86歳でした。
ここに謹んでナナオサカキさんのご冥福をお祈り申し上げます。

能楽堂内の一室。部屋に入ると右手垂直方向横2列に10脚ほどの書見台(専門用語がわからないのですが)。後列中央の方が先生だと思われたので入室後正座しお辞儀する。受付で2000円支払い、住所など書く。
部屋は先生と向かい合う形で左右に3人用の長机が6つくらいずつ並ぶ。既に30名くらいがご着席。右手最後部の机の端に座る。「心細きこと限りなし」なもんで^^、お隣の男性に話しかける。あれやこれや親切に教えてくださる。名刺交換したら、その方がこのブログのことを話されたのでビックリ。その男性、富﨑茂樹さんとおっしゃる方で、「観世塾」で検索したらこのブログがヒットしたそうです。「世間は狭い」なのかもしれませんね。
富﨑茂樹さん、2月28日はありがとうございました。これからもいろいろご教示ください。

富﨑さんたちは今日の出題曲の本をご用意なさっているのですが、僕は持っていない。それを話していたら、親切な女性がご自分のなのでしょう、謡本を貸してくださった。「田村(たむら)」が入った合本と「弱法師(よろぼし)」・「船弁慶(ふなべんけい)」の計3冊。謡本を手に取るのは何十年ぶりだろう。


小西弘通先生(観世流シテ方。能楽協会大阪支部評議員。富山松友会顧問)が講師の「富山“観世塾”」。
各曲の前に小西師の解説(内容・情景・テンポなど)があり、そして地謡(ギリシャ悲劇のコロスみたいな役割と言えばおわかりになるでしょうか)・ワキ・ツレ・子方の希望者を募る。小西先生はシテと地頭(地謡グループのリードヴォーカルと言えばおわかりになるでしょうか)。全体の進行構成はそんな感じでした。
出題1曲目は「田村」。初心者なのでと言うと、「じゃぁ、地謡をやったらいい」ということで前に進み、先生のすぐ前に座った。が、座ったはいいが、何もわからず、足はしびれ、散々だった。2・3曲目は元の座席でひたすら拝聴するだけにしました(汗)。

田村
「田村」は坂上田村麻呂。彼は清水寺を創建したんですよね。
東国から人が都にやってくる。時は「弥生なかば」。彼らが清水寺に詣でると少年が庭掃除をしている。少年に問うと彼は「清水寺の地主権現」に仕える者で、「花守とや申さん又宮つことや申すべき。いづれによしある者」だと答える。そこから更に少年は清水寺縁起・名所案内を修辞技巧(縁語・掛詞・対句など)を凝らして語る。「春宵一刻値千金」なんてのも「田村」には出てきます。不思議な少年(実は彼は坂上田村麻呂の幽霊なんですね)が去りワキが「御経を読誦する」と後シテが登場。彼は何を隠そう我こそは「人皇五十一代平城天皇の御宇に有りし坂上の田村丸」だと名乗る。この辺り、中世の観客だったら「待ってました!」ドッと沸くところでしょうね。いや、違うかも(汗)。田村丸は彼の武勇伝を語り、敵を滅ぼせたのは「これ観音の仏力なり」と断言する。清水寺のご本尊は千手観音。
夢幻の中に、坂上田村麻呂と清水寺の関係がよく理解できる能でもあります。

弱法師
河内の国の高安通俊(みちとし)は、他人の讒言を信じて息子俊徳丸を追放する。このあたりのモチーフ、ギリシャ悲劇に通じるかも。その後息子が無実だったことを知った通俊は、前非を悔い行方知れずの俊徳丸のために摂津天王寺で7日間の施行。そこへ弱法師(よろぼし)という視力・歩行が困難な若い物乞いが登場する。弱法師が日想観(じっかんそう)を行うと、あら不思議や、「見えたり見えたり。満目青山は心に在り」-つまりかつて自分が父の許にあったときの光景が眼前に現れる。しかしそんな弱法師を群集は残酷にも突き飛ばす。所詮自分は物乞いの弱法師、今見えたと思った光景は幻想、「思えば恥づかしやな」「今は狂ひ候はじ」「今よりは更に狂はじ」と自分を責める。それを物陰から見て実子俊徳丸だと知る通俊。その夜、闇に紛れて弱法師=俊徳丸を河内に連れ帰る。
追放した息子を無事に連れ帰られた父ってことでハッピーエンドなんでしょうが、うまく言えませんがなんだか後味の悪い感じの話でもある。

船弁慶
前半。源義経は兄頼朝の怒りを買い追われる身に。武蔵坊弁慶静御前らとともに摂津国大物浦にたどり着く。ここから船出しようと言うのである。弁慶は義経に、静御前をこれ以上は連れて行けないのではないかと進言する。義経は苦衷の末、弁慶の意見を受け入れる。弁慶は静御前の宿を訪い、静に向い義経の命としてここから都へ引き返すように言う。静はその提言を受け入れず、逆にその提言は弁慶が義経と自分を引き裂くためのたくらみではないかと疑う。弁慶は静を義経の許に同行する。義経からじかに命を聞き、やむなく別離の道を選ぶ静。
後半。義経主従は海の上。そこへ暴風が襲う。これは実は、義経のために海の藻屑と消えた平家一門の恨みがなせる業だった。中でも平家一門きっての武将平知盛の幽霊は難敵中の難敵。知盛、入水時の「見るべきほどのことは見つ」で有名ですよね。しかしながら義経は、知盛の幽霊(悪霊・怨霊)にもなんら臆することなく(「その時義経少しも騒がず」)雄雄しく立ち向かう。弁慶は数珠で祈りに祈る。かくしてさしもの難敵も無事退散(「・・・なお怨霊は慕い来たるを、追っ払い祈り退けまた引く汐に揺られ流れまた引く汐に揺られ流れて、跡白波とぞなりにける」)。
今回の3曲中では一番スケールが大きい曲でしょうね。地謡も大迫力で、三連符(能ではそうは言わないのでしょうが^^)のリズムが何度も繰り返され心地よい。10年ほど前だったか、能ではなく天台宗声明を富山能楽堂で聴いたことがあるのですが、その時のことを思い出しました。

11:45頃3曲終了。その後全員で「千秋楽」(全員っても僕は入ってません。謡えませんもん^^)。
更に時間があると言うことで、先生が能舞台について説明してくださるとのこと。能楽堂の中に入って、小西弘通先生のご説明を拝聴しました。いくつか質問(アホな質問ばかりでしたが^^)もできました。

この「観世塾」、僕のようなド素人にはレベルが高すぎる。富﨑茂樹さんクラス以上じゃないと無理でしょうね。僕は発声法・リズムの刻み方・音階など、初歩の初歩からしてわからない。でも、3月(「嵐山」「羽衣」「藤戸」)も受講しようと思っています。無知ではあるけれど、お能の雰囲気だけでも味わいたい。発声法などは別のところで習おうと思う。
by tiaokumura | 2009-03-07 21:53 | 謡を習う | Comments(0)


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