築地・井上でラーメン

f0030155_640396.jpg(4月2日午後・記)
7歳違いの長姉は1962年に結婚。僕は16歳の多感な^^時代だった。横浜に嫁ぐ姉に、あれはお小遣いを貯めて買ったのか、『智恵子抄』を贈った。姉夫婦には大学受験で上京した折にお世話になり、茗荷谷での合格発表を見に行った時(あの頃は周遊券とかがあって、安く行けたか)も姉夫婦の住む横浜に泊まっているかもしれない。大学に合格できて東京生活が始まる。田舎者には見るもの聞くものすべて刺激的で珍しかったでしょうね。やがて道を踏み外し(照)大学卒業はできなかったが、姉夫婦には在京中ずいぶんお世話になった。姉夫婦は横浜から二子玉川、そして相模原と転居。ご飯を食べさせてもらったりお小遣いをもらったり・・・。
義兄が月曜日早朝に逝去。最初北陸新幹線で上京をと思ったが、あれやこれやあり、結局、木曜日の夜行高速バスで上京することにした。木曜、夕食後に富山国際学院に行き、仕事を片付ける。学院に車を置き、富山駅まで歩く。午後10:50発バス乗車。早朝5:20、池袋着。池袋から丸ノ内線で銀座、銀座から日比谷線で築地。築地から歩いて場外市場へ。もんぜき通りに面した井上で朝食のラーメン。せっかくの築地だからお寿司か海鮮丼もと思ったが、この後井上で食べられるのも(年齢&食欲の関係で)ほとんどないと思い、今回の朝食に。

大学にはまだ籍があったころのこと。西武池袋線の練馬にアパートを借り、池袋西口のロサ会館(今もあるみたい)の中にあった成吉思汗の店で働いていた。SYって娘と付き合ってた。僕は大学生時代に所属するサークルでサマースクール、スプリングスクールってのをやってて、そこの中学生だったIさんと成吉思汗のお店で会った。彼女は豊島区の中学校出身だった。で、彼女の恋人のOさん(のちに二人は結婚、その後離婚)を紹介された。人の縁って不思議なもんです。Oさんの紹介で僕は間もなく、日本橋三越近くの古河ビル内のスナック「パルム」で働き始めてた。
パルムでは、若かったので買い出しも担当。アメ横にピーナツを買いに、合羽橋には調理器具関係購入、そして築地では合挽肉を買ってた。築地の楽しみは井上でのラーメン。薄給の身^^、寿司なんてとんでもなかったんでしょうね。回転寿しなんてなかった時代。
井上は今も当時のおやじさんのお店。僕と同じくらいの年齢かなあ、彼。若い衆が二人手伝ってた。アップした写真、ラーメン。700円。昔ながらの東京ラーメン。缶ビールは自前です(激爆)。ラーメン、ゆっくり味わいつつ完食。食べてる間にお客さん、2回転くらい。今も人気店な井上。次回、食べることはあるのかなあ。

築地から新宿まで地下鉄。新宿から小田急で町田。町田からタクシーで斎場へ。

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# by tiaokumura | 2017-03-31 06:40 | 美味録2017 | Comments(0)

癌日記:3月23日(木)、病院で『騎士団長殺し』読了

f0030155_946248.jpg(4月2日午前・記)
今朝の朝日新聞に、村上春樹のインタビュー。単独ではないみたいですが、作品刊行後のずいぶん早いインタビューです。以下、春樹の言葉から3か所引用。
僕はこれまで、家族を書いてこなかった。でも今回は、一種の家族という機能がここで始まる
僕自身が年をとってきたからかもしれないけど、何かを引き継いでほしいという気持ちがあるんです。それが何なのか、自分でもよくわからないけれど
物語は即効力を持たないけれど、時間を味方にして必ず人に力を与えると、僕は信じている。そして、できればよい力を与えられたらいいなと希望しています
村上春樹さんインタビュー『騎士団長殺し』の執筆語る
『騎士団長殺し』、僕は癌のかかりつけの病院で3月23日に読み終えました。刊行から割と早く読み終えた読者でしょうか。「まりえ」と「室(むろ)」の続編物語、春樹の中で成熟して、やがて2021年(東日本大震災から10年後)に出版されるかも。
村上春樹のノーベル文学賞、たぶん、ないでしょうね。ファンや期待する人に怒られそうだけど^^

3月23日(木)、今年2回目の予約診療。受付。中央処置室でビタミンB12の注射。『騎士団長殺し』読むうちに、主治医の診療開始。その前に血圧・体重測定。血圧123-82、体重56.2kg(微増か)。
主治医のTドク、「治癒」という言葉も使う。「寛解」とか癌では言いますが、僕はどうなんでしょうね。彼、2回目の手術(2012年2月29日。この年は閏年だった)のことも述懐。1回目は胃癌・肝臓癌などの手術で、2回目は腸閉塞・大腸癌の手術だったんですが、抗癌剤TS-1とシスプラチンの効果で、大腸の癌細胞が死滅していたそうです。「奇跡」、ではないでしょうが、僕は運よく抗癌剤が効果を発揮したガン・サヴァイバーなんでしょうね。生存率って、結局0か100%しかないんだろうけど、5年生存率1ケタの身だから、幸運者だ。近藤誠の例外かも、自分。
癌と闘う、ってタイプじゃなかった、自分(過去形にするにはまだ早いけんど^^)。癌を生きる、癌と生きる、って感じの生活。「ガンサヴァイバー」って言葉から連想して「ガンファイター(癌と闘う人)」って言葉を思ったが、これって、銃を撃つ人、銃で戦う人、って意味になるかも(激爆)。でも、癌と闘って壮絶な人生の方々も多数おられるでしょうね。
Tドクとは、免疫療法のことも話題に。あと彼は例の「オプジーボ」のことも。あれって2割くらいの成果だそうです。
会計。520円。院内のレストランで昼食、とろろそば。完食。薬局。薬6種、3,440円。
次回の診療予約は5月25日(木)。CT検査あり。

中抜けしていた富山国際学院に戻り、あれこれ仕事。

(4月2日午後・追記)
村上春樹のインタビュー、北日本新聞(富山の地元紙)・読売新聞にも載ってました。日経はなかった。毎日や産経、東京新聞はどうなんだろう。
おもしろいのは、3紙、微妙に違うこと。日本語授業で新聞記事読み比べってしますが、これ、好材料かも^^。

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# by tiaokumura | 2017-03-26 09:46 | 癌日記 | Comments(0)

にぎやか20周年

f0030155_137824.jpg(3月26日午前・記)
NPO法人にぎやか 20周年記念セミナー
富山の女が始めた現代の世直し
米騒動から富山型ケアへ
2017年3月19日(日)
とやま自遊館

惣万佳代子さんのナイチンゲール記章受賞で初めて知った方もおられるかもしれませんが、わが富山県は^^「富山型ケア」の発祥地。これ、今では皆さんの地域にもあるかも。
21世紀になろうとする頃かなあ、「男女共同参画社会」関連のボランティアをした。当ブログにそのあたりのこと、書いてあるはず。で、その時にパネリストに惣万佳代子さんを呼ぼうと思った僕が他のボランティア委員から告げられた名前が阪井由佳子さん。阪井さんとは後日、不思議なご縁で出会い、今では会うとハグできる仲です^^。惣万さんの「このゆびとーまれ」の影響で阪井さんは「にぎやか」を立ち上げた。それから20年。今回、20周年記念イベントがとやま自遊館で。参加してきました。大勢の人々でにぎわってた。400人以上は参加でしょうか。
イベント、「阪井由佳子あいさつ(アップした写真)」「~ゆかりと過ごした13年~にぎやか活動紹介」と続き、ハプニングみたいな「かっちゃん登場」があり、これぞ「にぎやか」って感動が会場内に広がる。
金澤敏子「米騒動と富山の女」、上野千鶴子「おひとりさまの最期」を支える富山型ケア、の講演。上野の「家族」って介護のキーワードに対する違和感、確かにそうだと思った。
講演の後の鼎談は欠席した。上野・惣万・金澤で、司会が阪井。
「にぎやか」は、「ありのままを受け入れます」「いいかげんですんません」「死ぬまで面倒みます」が理念。看取りの施設「かっぱ庵」もある。
富山県のNPO第1号が「このゆびと~まれ」。「にぎやか」も早くにNPOに。富山国際学院もNPO組織になっている。僕は新年度、理事長退任。もっと何かできればという思いは残る。

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# by tiaokumura | 2017-03-19 13:07 | 富山 | Comments(0)

『死ぬまでに見ておきたい日本の文化 春画傑作選』(宝島社)

f0030155_8373484.jpg(3月26日午前・記)
春画 傑作選
死ぬまでに見ておきたい日本の文化
2017年3月24日 第1刷発行
宝島社
980円+税

細川のお殿様・元総理大臣のおかげでしょうね、「春画展」、永青文庫であった。引き受け手がなかったそうです、同展。イギリスでできるんに、なんで本国ではあかんの、って、僕なんかは思いますが、タブーはタブーだったんでしょうね。永青文庫での春画展、もちろん行きました。その後、細見美術館(ここ、若冲のコレクションも)に巡回した折にも京都に行って観てきました。どちらの春画展もカップル・若い方々(ただし18歳未満は禁)も鑑賞。
本書、師宣・清長・春信・歌麿はもとより、鳥高斎栄昌、磯田湖龍斎など僕の知らない画家も。付属のDVDには名作約200点が収録。
春画の男根を見て、日本男児はこうだと思われると困る(激爆)。自分、ここんところご無沙汰ですが(大汗)、インポ・短小・包茎・早漏、の四冠王っす(大恥)。
宝島社、幻冬舎などと並んで、今一番の出版社でしょうね。ヤクザ関係のムック?も出しています。

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# by tiaokumura | 2017-03-19 08:37 | 美術 | Comments(0)

♪東京へは もう何度も行きましたね♪♪♪

f0030155_8444634.jpg(3月26日午前・記)
Hanako no.1129
くせになるよね、吉祥寺
3月9日発売 第30巻5号
マガジンハウス
特別定価 ¥600
*東京時代の最後、中央線の国分寺のアパートに住んだ。高田馬場・上板橋・常盤台・練馬・中村橋などにも住んだかなあ。友人の宮崎君が中央線沿線に住んでいて、彼の住まいを訪ねたことがあるかもしれない。好きだった^^MYさんと最後に別れたのは、西荻の喫茶店だった。なぜか、彼女の妹さんも一緒だった。思い出って都合がいいように再構成されて脳にインプットされるのかも。
本書、「住みたいところ」とかでよく上位に来る吉祥寺。白馬時代の友人・ポパイが、ここでフレンチレストランをやっている。あと、パルム時代にちらっと出会った上山さんがここで喫茶店をやっていて、又吉の直木賞のあと、又吉が通った上山さんのお店もBS番組で紹介されてた。イマドキの言葉で言えば「聖地」なんかも。
本書では「朝ごはんを食べよう。」に注目。僕は京都祇園で朝ご飯を食べたことがあるが、いつか吉祥寺の「栄久」でも朝食タイムを過ごしたい。8時から。夕方早めに開店する「PEP」も行ってみたいお店。

東京散歩
下町と山の手歩きの決定版!
2017年3月25日発行
成美堂出版
900円+税
*4月9日(日)に「さくらウォーク」ってぇのが富山市であり、参加しようかと思ってる。「歩く」ってほとんどやってませんもんねぇ。本書、東京歩きのガイド本。浅草・東京スカイツリー・谷中・本郷、小石川・神楽坂・池袋・巣鴨、皇居周辺・赤坂・新宿御苑・明治神宮、銀座・築地・月島・深川、浜離宮・東京タワー・麻布十番・お台場の、「東京散歩45コース」。あれは誰の発案だったのだろうか、1回目の大学生時代^^、サークル仲間と東京の公園などを散策したことがある。まだ都電が走ってた頃。あれから半世紀ほどが経った。東京は僕の好きな場所です。本書、「東京近郊路線図」も便利。大学生時代、地下鉄は丸ノ内線・日比谷線・銀座線で、東西線がやっとできた頃だったか。今は都営4路線、メトロ9路線ですもんね、わからんはずです、東京の鉄道事情は。お上りさんっす(激爆)。

本記事タイトルは古いフォークソングから借用。彼女が東京にいる地方住み男子の思いを歌ってたか。

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# by tiaokumura | 2017-03-18 08:44 | | Comments(2)

卒業式2日後の昼飲み@三代目 魚鮮水産

f0030155_1435413.jpg(3月19日午前・記)
2月・3月とちょー忙しい^^。この間、担当授業を計算して慄然とした(嘘爆)。ある週のオクムラくん、45分授業=1コマで記載。月曜=午前・補習2コマ、午後・F組4コマ。火曜=午後・F組4コマ。水曜=外部、午前・2コマ、午後・4コマ。木曜=午前・C組4コマ。金曜=外部、午前・2コマ、午後・4コマ。私の計算が正しければ^^合計26コマ。日本語教育振興協会の基準では専任は週20コマまでだったような気がするから、これって労働基準法違反かもしれん(嘘爆)。これじゃ荒れた授業、学院長業務怠慢、になっちゃうかも、ですよね。新年度4月は、とりあえず、内部2日間8コマ、外部1日4コマ、にしようと思います。
3月10日(金)卒業式。この日の夜は、酒を呷りケータイを止めて過ごしました。365日酒飲み続け、365日24時間ケータイオンじゃった、今年度は。夜中に救急隊からケータイ着信したり、朝早くにショートメール鳴ったり。とほほ。学院長じゃから、しょうがないんでしょうね。
アップした写真3月12日(日)、映画『エゴン・シーレ』を見た後、富山国際学院同僚の粕谷謙治さんと富山大和デパート前で待ち合わせ。初めての店ですが、昼飲みできるってことでネットで探した店「三代目網元 魚鮮水産」で昼食。総曲輪を出てすぐ左前方にありました。入店、入口で10分ほど待たされた。店内を見渡すとテーブル空いてたから、人手不足で接客できなかったのかも。
店内、けっこう混んでた。介護施設?の入所者・スタッフと思しき人たちも。
粕谷さんと2人、かなり飲み食いした。
北陸3種盛り 幻魚炙り焼き 白えびの唐揚げ しらす海鮮丼 氷下魚の一夜干し 彩にぎり7貫盛り あさりの味噌汁
スーパードライ生中
2人で7992円でした。ぷち、ならぬ、ぐらんゼータク、じゃったかも(激爆)。

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# by tiaokumura | 2017-03-12 14:03 | 美味録2017 | Comments(0)

『エゴン・シーレ』

f0030155_14374156.jpg(3月19日午前・記)
エゴン・シーレ』(原題EGON SCHIELE)
2016年 オーストリア・ルクセンブルク ドイツ語 109分
監督・脚本:ディーター・ベルナー
脚本・原作:ヒルデ・ベルガー
美術:ゲッツ・ワイドナー
キャスト:
ノア・サーベトラ(エゴン・シーレ) マレシ・リーグナー(妹ゲルティ) ヴァレリー・ノイツェル(モデル・恋人) モア・エメ・ブライトバッハ(踊り子) 他

「金のクリムト」「銀のシーレ」。皆さんはどうでしょうか、僕はクリムトを先に知りました。師弟。ギュスターヴ・モローとマテイス、ルオーもそうですが、グスタフ・クリムトとエゴン・シーレもいい師弟関係にあったんでしょうね。師は弟子の才能を見抜き育てた。弟子は自信を持って我が道を切り開けた。
この映画、時系列じゃないので、時々混乱しますが、「シーレ、きっとかくあったのだろう」「クリムトもこうだったんだろう、シーレに」って感じの伝記映画。映画の中の『死と乙女』(1915年 油彩・カンバス ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館蔵)は本物だったんでしょうかねえ。そんなはずないか。
画家の伝記映画ではジャック・ベッケル監督『モンパルナスの灯』(1958年 ジェラール・フィリップがモディリアーニ)が出色でしょうね。画家・音楽家の映画、本作を含め他に何作か見てますが、どうしても「虚実皮膜」になってしまう。
フォルツァ総曲輪がなくなってしょんぼり^^してましたが、3月12日(日)、「ほとり座」、初体験。上映時間ぎりぎりまで場所がわからず焦りました。富山国際学院の同僚の徳橋陽子さんにケータイして、ようやく見っけ^^。シニア1300円で飲み物ワンチョイス。これから時々ここに来そうです。ジャニス・ジョプリンの映画(僕は刈谷市で見た)、ここでやってた。金沢シネモンドで「日活ロマンポルノ・リブート」やるので、ここでもやらないかとスタッフに聞いたのですが、どうもやらないみたいです。残念。金沢シネモンド、上映時間が合わないので、見に行けません(泣)。

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# by tiaokumura | 2017-03-12 12:37 | 映画 | Comments(0)

ブログ内ランキング:2017年2月

当ブログ、2017年2月は12本の投稿記事でした。月に15本以上の投稿は、なかなか難しい。「訪問者」は1日平均109.82人でした。前月比、微増。「リンク元URL」は、100以上だけ挙げると、1位「http://search.yahoo.co.jp/」530アクセス(以下同じ)、2位「https://www.google.co.jp/」373、3位「http://search.yahoo.co.jp」202、4位「http://www.google.co.jp/url?sa...」100でした。

2月の「記事ランキング」は、
第1位<2017年1月29日付>癌日記:2017年最初の予約診療(1月26日)(67アクセス。以下同じ)
第2位<2017年1月29日付>あの夏 準々決勝 徳島商vs魚津(朝日新聞連載)(42)
第3位<2011年4月2日付>佐藤浩市:谷川俊太郎『生きる』(kizuna311)(40)
第4位<2017年2月12日付>富山のイベント4つをご紹介(31)
第5位<2006年2月10日付>こんな授業・あんな授業(2)日本(語)の歌(30)
第5位<2006年5月7日付>こんな授業・あんな授業(5)漢字の読み方のルール(30)
第7位<2009年6月16日付>富山県思考大会問題作成委員会『思考大会問題集 思考力の開発』小学生用・中学生用(29)
第7位<2013年6月7日付>癌日記:6月7日(金)、抗癌剤TS-1,19クール目開始(29)
第7位<2017年2月19日付>久々に母校^^の富山大学に(29)
第10位<2007年6月1日付>富山市教委の愚策「中学校選択制」に反対する(28)
でした。
久々に癌記事がトップに。ここ、日本語教育・癌・富山あたりで読まれることが多いブログかも。僕の1回目の癌手術は2011年6月27日の胃全摘・肝臓3分の1切除・脾臓膵臓切除、だったか。2回目は2012年2月29日(あの年は二・二六事件と同じく閏年だった)大腸など。こないだ10年生存率ってぇのが新聞に出てましたが、自分、ようここまで生き延びているのかも。胃癌Ⅳ期・5年生存率のマイノリティです、自分(照)。7%弱くらいか、10年生存率は。癌、抗癌剤TS-1記事もランクイン。僕の抗癌剤はもう一つ、シスプラチンでした。
第3位、今日が6年目。この詩、富山国際学院の学習発表会の群読でかつて使ったことがある。東日本大震災のずっとずっと前です。
古い日本語教育ネタが2つ、ランクイン。一方、常連の「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどと・・・」(ポール・ニザン)がランク外に。

検索キーワードランキング」のほうは4以上なしなので、省略します。
検索がきっかけで当ブログに入って来るって方、激減なんでしょうかねぇ。

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# by tiaokumura | 2017-03-11 13:50 | このブログのこと | Comments(0)

東北AID 8

f0030155_10503778.jpg(3月19日午前・記)
僕が川渕映子さん(NGOアジア子どもの夢 東北AID)と初めて会ったのは、20年ほど前になるだろうか。妻がこども劇場の活動に熱心で、当時、こども劇場の会長はTさんだった。Tさんはベトナム支援にも関わっていた方で、Tさん・川渕さんと、あれはどういうことでだったのだろうか、富山大学構内のカフェでしばし語らった。Tさんは娘さんがベトナム人(富山国際学院の卒業生のお兄さん)と結婚、ベトナム人のために家を提供したりベトナムで支援活動を行ったりされたが、その後、どうされているのだろうか。噂では、ベトナムのことで失望されたとかだが、真相はどうなんだろう。川渕さんとはそういうきっかけで出会い、スリランカ学生のことで相談したりはあったが、あまり会うことはなかった。アジア子どもの夢のコンサートでぷちボラしたくらいか。
東日本大震災。あの後数日して高さん(富山国際学院のパンフレットを作ってもらった。現在、新しいパンフを、スタッフの柳川さん・粕谷さんが作成準備中。僕はお任せしてる)から、川渕さんたちが被災地にバスで行ってボランティア活動をしている、という案内をもらった。あれは何便になるのだろうか、割と初期の支援バスに僕も乗せていだいて石巻などで炊き出しなどをした。あの時見た光景、人々の表情、忘れがたいもの。その後も行こうと思ったが、同じ年の6月に胃癌Ⅳ期が見つかり、再び乗ることはなかった。3年ほど前に別の形でバスがスタートし、こちらのほうは毎年参加している。
川渕さんは「東北AID」を立ち上げた。アップした写真は、東北AIDのチャリティーイベント@アピアショッピングセンター。越中家漫欽丹(えっちゅうや・まんきんたん。本名・桶屋欽一郎)さんがトーク中。桶屋さん、御年80歳。富山弁の絶妙の語り口です。今回は、落語ではなく「被災地では、まだ先も見えないような人もいる。これからも現地に足を運び、支援を続けていきたい」(読売新聞)といったお話。僕はこの日、谷中仁美さんに命じられて^^ご主人のお手伝い、ちょっと。「ばみり」、経験者です、自分(激爆)。
僕は午前中の2時間ほどの参加でしたが、この日、500人を超える人々がイベント参加だったそうです。
昨年も支援バスで南三陸町に行きました。あと高橋司さんのところの海産物など買っています。今年もちょっとは「何か」ができればと思っています。
東北AIDの活動は、同会HPやブログで。皆様もぜひ同会の活動にご参加を。
いつだったか、川渕映子さんは地元の1時間ほどのTV番組で紹介されていました。確か「ボランティア・ウーマン」とかだったか。

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# by tiaokumura | 2017-03-11 10:50 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

学院長式辞@富山国際学院2016年度卒業式

富山国際学院は1993年4月に開校し、1995年3月に第1回卒業式を行いました。今回が23回目の卒業式ということになります。第23回卒業式にあたり、一言式辞を述べさせていただきます。
ただ今卒業証書をお渡ししました卒業生の皆様、ご卒業、おめでとうございます。
私は皆様のような留学経験がありませんので、偉そうなことは言えませんが、皆様の富山国際学院での留学生活は決して楽ではなかったと思います。日本語がわからなくて悔し涙を流したこと、アルバイト先でいわれのない叱責を受けて怒りを禁じえなかったこと、あるいは故郷の家族の病気を耳にしながら帰るに帰れなかったこと、2年前にはネパールから日本に来たばかりなのに母国で大きい地震が起きたなど、さまざまなご苦労があったことでしょう。
一方で、母国にいたときは料理も洗濯も掃除もお金の管理も、ひょっとして自転車にすら乗れなかったような若者が、今はこうして誰の助けも借りずに、すなわち自分の力で生きる、自立した生活が送れるまでに成長しています。
私は日本語はもちろんネイティブでペラペラですが、恥ずかしながら日本語以外の語学は全くできません。しかるに皆様は、上級学校に進学できる日本語力、自分の率直な思いが伝えられる日本語力を、2年ないしは1年半という短い期間で習得されました。まことにすばらしいことであります。皆様を受け入れた日本語学校の責任者として、皆様を誇りに思いこの日を喜ばしい気持ちで迎えております。
(中略)
ところで、皆さんの先輩にあたるネパール人女性にラズバハク・ホシナさんがいます。本学院の卒業生でこの春富山県内の大学を卒業されます。先日、日本で一番読まれている読売新聞の「気流」という欄に彼女の投書が掲載されていました。ちょっと長くなりますが、その一部をここで紹介させてください。
留学するなら都会にすべきだ、という意見がある。だが、私の場合、地方に留学したおかげで、やりたいことを納得できるまで挑戦する余裕を得て、成長につながった。学問と語学だけでなく、文化を学び、地域の視点からも日本を理解した。本来の日本の姿に接することができたと考える。/地方の温かさを感じながら地元の人々と交流する機会もあり、安心して楽しめる地方への留学を、私はすすめたい。
このような投書です。皆様はホシナさんに全く同感ではないかもしれませんが、皆様もここ富山でここ富山国際学院で学ばれて、同じような感想を持たれるのではないでしょうか。
さて、こういう卒業式の場では何か皆様へたむけの言葉というものを述べるのが慣例です。昨年は、トランプ大統領やAIやリオリンピックやらいろいろ話題になりましたが、日本の場合、SMAPの解散も大きなニュースでした。私は恥ずかしながら木村拓哉以外は名前や顔がよくわからないのですが、彼らの歌で「世界に一つだけの花」というのがあります。好きな人が多い楽曲でしょうね。この曲を作ったのは槇原敬之というシンガーソングライターです。その歌のさわりに
小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one
があります。金子みすゞという詩人に「みんなちがって、みんないい。」という一節があります。私もそう思います。この歌はそこと似ていますが、私が疑問に思うのは「もともと特別なonly oneなのだからNO.1にならなくていい」という考え方です。私の解釈が間違っているかもしれませんが、私にはそう聞こえます。「私は私で誰でもない、私の代わりは誰もできない。私はonly one。」 確かにそうかもしれません。だからといって、only oneにとどまっていていいのでしょうか。そういうのは誰でもなれます。
私は皆さんに言いたい。皆さんはすでにしてonly oneであるのだから、それがどこの世界であれ、その世界のNO.1を目指してほしい。それでたとえNO.1になれなくても(なれないことが多いかもしれません)、「努力は裏切らない」と言います。必ずあなたは一歩ずつ一歩ずつ前進しています。
(中略)
こうしてみんなが一同に会するのももうあと数時間です。このあと富山を離れる人・富山に残る人、大学に進学する人・専門学校に進学する人など、それぞれの道を歩んでいかれます。
本日、ベトナム社会主義共和国・中華人民共和国・ネパール連邦民主共和国・大韓民国・フィリピン共和国出身の36名の若者が富山国際学院というステージから旅立ちます。
皆様が次のステージでも大いに活躍され、豊かで明るい未来を切り開かれることを願って、学院長式辞とさせていただきます。
2017年3月10日
特定非営利活動法人 富山国際学院
学院長 奥村隆信
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# by tiaokumura | 2017-03-11 08:30 | 僕は学院長8年生 | Comments(2)