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11代目の彼は12月6日の誕生日をどんな気持ちで迎えるのだろうか

彼(1977年12月6日、東京生まれ)の父(1946年-)は僕と同い年ということもあって、昭和44(1969)年の10代目市川海老蔵襲名の前後ごろから、名前ぐらいは知っていた。10代目海老蔵(海老さま)はほぼ順調に成長し1985年には晴れて12代目市川團十郎を襲名。12代目市川團十郎が歌舞伎界の人気安定に貢献するところ大でしょうね。
歴史的に見て歌舞伎役者は「役者馬鹿」「河原乞食」「男芸者」なんでしょうね。酒色と無縁じゃないし、時には権力にも立ち向かった。「役者馬鹿」「河原乞食」は時には自尊名称であり他者からの褒め言葉でもある。
女遊び(「隠し子」騒動もあった)・酒乱の11代目の彼-さすがの父親も今回ばかりはキレたでしょうね。おそらく2007年の「風呂場」に次ぐ激怒、父64歳・子32歳。父の怒りの要因は2つあるでしょうね。
①女癖の悪いのも酒癖が悪いのもまだ許せる。お前は大切な発表の場をすっぽかし、夜は酒を飲んで遊んだというではないか。
②けんかも暴走族相手の立ち回りもまだなんとか許せるが、お前は役者の命というべきに傷をつけたではないか。
彼の嫁さんが警察に通報したことは大きな問題じゃないでしょうね。
12代目市川團十郎はしかし「勘当」までに踏み込めるか。白血病によって血液型まで変わった12代目。息子には何としても次世代の歌舞伎界・成田屋を背負ってもらいたいという一念は死ぬまで変わらないでしょうね。「」というものはそういうものだと思う。

堀越孝俊クンは12月6日の己の誕生日をどんな気持ちで迎えるんでしょうね。歌舞伎役者たる者、大事な要素は「声・顔・姿」である。NHK大河ドラマで(1・2回しか見てないが)彼(「宮本武蔵」役)の、僕はいいと思った。姿も、父に厳しくしこまれたからでしょうね(体力トレーニングも一部分に寄与してるんでしょうね)、大スターの素質がある。も、目鼻立ち整い遠くからも「彼だ」と判別できる役者顔。大切な顔、今回の事件で「ぷち整形」程度の怪我じゃったらいいのですけど。

11代目海老さま。あなたは父の苦悩を真摯に受け止め、2度と今回のような「失態」をせぬように。父の怒り・興行主の失望がいかばかりかは他人の僕の計り知れるところではない。キミ自身が一番よくわかっているはず。
20世紀以前の歌舞伎界を取り巻く環境と今世紀のそれとは様変わりしている部分が多い。役者として期待される能力の持ち主でも、あっさり歌舞伎界から追放もあり得る。11代目海老さまにおかれましては、「期待される能力」と「実現できた能力」とには雲泥の差があることを、よくよく心に刻まれますように。

)「事件」の全貌がイマイチわからない点もありますが、12月2日現在までの報道を参考にこの記事をものしました。事実関係に誤認があった場合はご容赦を。
# by tiaokumura | 2010-12-02 19:15 | このブログのこと | Comments(0)

観世流華川会・年忘れの会@太平橋

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(11月29日夜・記)
 暑かった夏が懐かしく感じる時節となり、冬ごもりの準備に必死になっている熊の出没情報に神経をとがらせる今日この頃です。
 少し早いですが、今年1年を振り返り、新しい年を迎える宴を下記の通り行いたいと存じます。ご参加のほどをよろしく申し上げます。


観世流華川会・川田有紀子先生から「年忘れの会」のご案内をいただく。ボク、お稽古はサボりっぱなしで、こういうのだけ出るのは気が引けるのですが、「参加」のお返事をハガキで出しました。

11月27日(土)、午後5時前、湊入船町の「太平橋」の引き戸を開ける。僕はここ、これで3回目になる。これまでに華川会で1回、富山国際学院での同僚粕谷さんと1回昼食。2F和室へ(1Fはカウンター)。もう既に10人くらいお見え。
僕にはは何と言っても観世流ですが、富山は加賀前田藩の影響でしょうね、宝生流が盛ん。とりわけ高岡はそうです。2年ほど前になるか、地元紙の北日本新聞で観世流を習える記事を読み申し込んだ。小西弘通先生「富山観世塾」がそれ。その後、川田先生の華川会@サンフォルテにも少し参加。入門者の習う『鶴亀』が約1年半かかってようやく最後まで行きました。『橋弁慶』に入って、華川会は挫折(泣)。今は毎回は無理ですが富山能楽堂での小西先生の塾に通っています。

富山国際学院の卒業式の後の卒業生・教師スピーチで、ぼくはどうも涙脆くなって来とるんで(照)、数年前からスピーチはやめ「隠し芸」^^にしてます。森山の『さくら』を歌ったり、『安ニの~』の詩吟(自己流です)をやったり・・・昨年は『惜別の歌』の替え歌、評判はイマイチじゃったけんど(大汗)。で、来年か再来年には『高砂』の仕舞をやりたい。ま、これ、僕が謡を習い始めてからの「」ですが、ぜひ実現したいものです。来月12月からの華川会川田有紀子先生にしっかり習いたいです。

年忘れ会」、初対面の方もいらっしゃいましたが、皆さん余裕のある方々・教養あふれる方々なので、ゆったりと過ごせました。会話にもまぁまぁ参加できた。全部で13人だったでしょうか、松友会(富山観世流の集まり)会長・松下覚さんはあいにくご欠席。鍋物・お造り・カニなどおいしくいただく。ただボク、ビール(ビン)・焼酎・三笑楽(日本酒)を調子に乗って飲みすぎて、トイレで久々の小間物屋の醜態も(大汗)。
当夜のボク、酔っ払ってカウンターに突っ伏してて「太平橋」のご主人から冷水をいただきました。酒飲みの扱いをよくご存知な方なんでしょうね。「太平橋」のご主人は、五箇山にご縁のある方のようです。三笑楽は五箇山ですし、太平橋は加賀藩から罪人が五箇山に流刑された時に渡る橋で、橋を渡ると流刑小屋。人里離れた地で怨みを残して没した「罪人」も数多かったことでしょうね。

アップした写真、太平橋のご主人・参加者皆さんにブログに載せる許可を得て、ご主人に撮っていただきました。皆さん和やかな表情をお見せですが、ワシだけが顔引きつっとるかも(激爆)。
会の終わりには、若干1名を除く^^全員で『高砂』より「千秋楽は民を撫で・・・」。川田有紀子先生のダンナ様の発声で万歳三唱も。

11月に「忘年会」なんて人生初体験でしたが、楽しい一夕でした。

川田有紀子先生・皆様、ありがとうございました。
# by tiaokumura | 2010-11-27 20:08 | 謡を習う | Comments(0)

カトマンズ(3)

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(11月28日夜・記)
今回の出張目的を全て終わり、ちょっと観光時間がとれる。ニマさんに「猿寺」に案内していただく。
位置から言うとパリのサクレ・クールみたいな感じでしょうか。文殊菩薩の登場する開基伝説があるネパール仏教の聖地。5世紀に建てられたスワヤンブナート(Swayambhunath)はユネスコ世界遺産に登録。拝観料200NPR(ネパール人は無料)。灯りが乏しい中、365段の石段(しんどかった!)を上ってようやくてっぺんに着く。the Monkey Templeの別称は猿が多いことから。確かに寺院内には猿が多く、母猿の背中に子猿も。wikipedia英語版より引用-
The Swayambhunath complex consists of a stupa, a variety of shrines and temples, …
アップした写真がstupa、日本の卒塔婆とはずいぶん違いますね。で、写真じゃよく見えませんが、塔の中ほどに世界四方を見渡すブッダの眼(Buddha’s eyes)が描かれている。因みにルンビニがあるのはネパールです。Swayambhunathにはstupaの他にBuddhist gompaなど。寺院群を巡っているとちょうど手を伸ばしたあたりにニマ車がずらり並ぶ。サンスクリット?でしょうか、経文?が書いてある。ニマさんによると、お年寄が散歩がてらこれを回しながらお参りするとか。

猿寺から歩いてニマさんのアパートへ。少し休憩。
Thamel地区で4000JPYをNPRに両替。レートは0.85NPRで、3400NPRだった。Tamel、何回来てもいつも人通りが多い。しかもタクシー(SUZUKIがタクシーの代名詞になっている。確かSUZUKIはインドに工場ある)・リキシャ・自転車も行き交う。とてもじゃないですが、僕、こういう地区を車でなんて走れない。
夕食はTHAKALI BHANCHHAで。ここ、昨年も食べました。タカリ料理。富山県利賀村とネパールツクチェ村は蕎麦・曼荼羅が取り持つ友好関係にあるのですが、ツクチェ村はタカリ族の村だそうです。ニマさんはネパーリ・ターリ、右手で上手に召し上がる。観光ガイドに載ってるんでしょうね、欧米人もちらほらで中には右手で食べている人も。僕はあまり食欲がなく、チキン・トゥクパ(Chi thukpa。95NPR)。タンメンみたいな感じ。Everest Beer、225NPR(ずいぶん高い?)。

トリビュバン空港(TRIBHUVAN INTERNATIONAL AIRPORT)までニマさんと一緒。空港前で別れる。去年もあったのかなぁ、SAMSUNの広告が目立つ。Cathay Pacificのカウンターの列、遅々として進まず。ようやく搭乗券入手。香港-名古屋の搭乗券ももらえて一安心。前回だったか、乗り継ぎをくれるくれないでカウンターで押し問答^^経験。しかもその年の出張では関空に荷物届いとらんだ(大汗)。空港の出国チェックでライターを取り上げられる。とほほ。名古屋も香港もパスだったんにぃ。待合室で『ポケット数独2 上級編』。その内ついうとうとしてたら周りが騒がしい。搭乗が始まったんですね。危ないところでした。中に入ろうとして、女性係員に足止め。半券がちぎれてたのを咎められる。しょうがないですよね、ちぎれた半券。同じく足止めを食らったニュージーランド人?と「I’m not a terrorist」などとジョーク^^。しばしあって、ようやく空港バスで飛行機内に。
30分ほど遅れてCX6730、カトマンズ離陸。座席は64Kで窓側でした。行きと同じくCathay PacificとDragon Airの共同運航らしく、10:45頃台北でいったん着陸。台北空港で休憩する人も多かったのですが、僕は機内で休息。客室乗務員(女性)に「降りないんですか」と言われる。ちと風邪気味でしんどかった、自分。
香港空港。年長者は「長者」、非常口は「太平門」なんですね。空港内のPCでこのブログにアクセス。15分無料とか。

香港-名古屋。今回は本は『数独』の他に、堺利彦『堺利彦伝』(解説・黒岩比佐子。中公文庫)、今井むつみ『ことばと思考』(岩波新書)、森毅・安野光雅対談『数学大明神』(解説・河合雅雄、エッセイ・亀井哲治郎。ちくま学芸文庫)を持参。
森毅は本年7月24日ご逝去。「エッセイ」に拠れば2008年の春に入院生活を送られた森さんが退院され、野崎昭弘・小沢健一・内村直之(朝日新聞)・亀井哲治郎らが京都のお宅訪問。森さんを囲んでの「勉強会」の話に。その後回復され「勉強会のリハーサルのような集いが開かれた」(p.477)。だが森さんは2009年2月に大やけど、闘病の後、不帰の客に。森・安野による「数楽的センスの大饗宴」(帯より)である『数学大明神』は、日本対談文学にいつまでも残る名作。森・安野お2人の向こうところ敵なし(激爆)。森さんのご発言
選挙で、政治の腐敗が焦点になることがあるでしょう。(中略)しかし、実際に選挙してみると,腐敗してると称される政治家は、それなりに地盤があるから生き残ってしまって、腐敗を叫んだという事実だけが政治史として残る。それがまた、右側からの清潔派が出てくるもとにならないか、という気がするんです。(p.048)
(前略)ある程度ハト的状況が続くと、同時にだんだん腐敗的現象が出てくるね。そういう状況にだんだん耐えられなくなってくるんです、神経的にね。そのとき、左へ移るか、右へ移るか、というと、右へ移る可能性が大きい。それがどうもファシズムの心理的基盤みたいな感じがする。(p.048)
「予言」(対談は1980年夏@奥湯河原)ではないのでしょうが、僕、「清潔派」が民主党にオーヴァーラップしました。尖閣・北方領土・竹島などや北朝鮮から日本人が「強力なリーダー」を待望し、やがて21世紀版ヒットラーが日本に現出するかも・・・。

CX530便、午後3時半頃、セントレア着。両替、176USD=14182JPYでした。レートは1USD=80.58JPY。両替レートでいけば、行きは円安(1USD=86.06JPY)でした。
昨年のカトマンズ出張で「イマドキ、スカイプやってないなんて」と言われた。その後富山国際学院、skype導入(11月27日付朝日新聞にスカイプのことが載ってます)。今回の出張、日本での事前のアポなど、skypeを大いに利用しました。英語になると沈黙時間多かったけんど(恥)。
夜行バス1泊、ホテル2泊、カトマンズ滞在約48時間、飛行機1泊-64歳のジジイ(照)にはしんどい海外出張じゃったかも。

帰国後の2010年11月27日付朝日新聞「境界」は「革命忘れた『発火点』」。ナクサルバリの反乱やチャル・マジュンダルやマオイストのことが載ってました。
同じ日の日経「春秋」は黒岩比佐子さん追悼コラムでした。今朝の朝日には『パンとペン』の書評も。
# by tiaokumura | 2010-11-22 08:57 | 海外出張10余録 | Comments(0)

カトマンズ(2)

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(11月28日午後・記)
11月21日(日)KathmanduのKalimatiにあるGrand Hotelで5時半起床。カトマンズ(「カトマンドゥ」とも)ではこれまでに、Annnapuruna(Durbar Marg地区)、Everest(New Baneswar地区)に宿泊した。両ホテル(『地球の歩き方’09~’10ネパール』p.79に載ってます)と比べるとGrand Hotelは1、2ランク下になるのでしょうね。エアコンやアメニティがイマイチ。それでも小さいプールもある。パリがそうでしたが、日本の1Fは0F。そこのRendez-Vousで朝食。potage表記になってましたが中華粥がおいしかった。ミルク・ジュースもおいしい。ネパールは果物も豊富なようですが、朝食のフルーツはあまり・・・。
ホテルの前で行き交う人をぼんやり見ていたら、小学生の集団登校。どこの国も子どもっていいもんですね。両手を合わせて「ナマステ」の後、英語でちょっとおしゃべり。ネパール、学校ずいぶん早くに始まるみたい。
部屋に戻り荷造りなど。そうじの女性にこないだ築地で買った羽子板のポチ袋をチップ代わりにあげる。海外ではこういうの喜ばれるかと。
今回の通訳をお願いしているニマさん富山国際学院卒業生)が部屋に。7時45分頃、チェックアウト。ニマさんのバイクの後ろに乗り彼のアパートへ。荷物を置かせてもらう。午前中、仕事。
昼食は、ファボーレみたいな(ただしシネコンじゃなくワンスクリーン。インド映画を上映中。僕はインド映画は『踊るマハラジャ』を金沢で観たことがある)CICビル内で、水牛餃子など。
午後、仕事。仕事先でおもしろいことを聞いた。アナログ時計で日本時間だったとして、それを左に90度回転すると、ネパール時間になるとのこと。なるほど。例えば日本時間14:30→ネパール時間11:15。反対にネパール時間→日本時間に換算なら、右に90度回転。ネパール時間14:30→日本時間17:45。おもしろいですね。もっと早くに知っとったら、両手に腕時計なんて不要だった。
ネパールは多民族・多宗教の国。そして民族・宗教間のいさかいはほとんどなく共生。世界でも珍しいでしょうね、こういう国は。生物(植生)も実に多様性に富みそこでも共生が見られる。日中牛が往来を歩いているなんて当たり前の光景。ヒンドゥー教では犬もバイラ(破壊の神)のお供として崇拝されているようで、野良犬もずいぶん多い。ネパールの大きなお祭りダサインのあとには、犬や烏などの動物の日も続くとか。

アップした写真Thamel(土産物店などが軒を連ねる地区)で「リキシャ」に乗っているところ。「リキシャ」、そうです日本語の「人力車」からです。東南アジアでも「リキシャ」って聞きますが、ここカトマンズでもけっこう流している。京都や鎌倉の人力車と違って、カトマンズのリキシャは自転車改造タイプ。今回初めて乗りました。Tamelは人も多く坂もありますから、リキシャ曳きってハードワークでしょうね。100NPRってことですが、nihonnチップを10NPR差し上げました。
# by tiaokumura | 2010-11-22 08:54 | 海外出張10余録 | Comments(0)

カトマンズ(1)

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(11月27日午後・記)
11月19日(金)、17:25香港発。飛行機に乗り込んで右手の腕時計をネパール時間に合わせる。ネパールは対日本-3時間15分。日本との時差、インドが確か3時間半で、その-15分。世界広しと言えども「15分」なんて僕が知る限りない。こういうところもネパールって毅然としとるような気がしますが、どうなんだろう。
座席のTV表示見てて「?」。目的地の時間表示、ネパール時間じゃないんですね。「目的地」まで距離2427km・飛行時間3時間40分の表示。少しして事情が飲み込めた。僕は今回Cathay Pacific利用なんですが、この飛行機Dragon Airでもあり別便名もついてる。で、KATHMANDUの前にDHAKAに降りるんですね。この飛行機には、KATHMANDUとDHAKA、目的地が2種類の乗客が乗り合わせている。でDHAKAが先だから、香港発の時点ではBangladesh時間表示でDHAKAまでの距離・飛行時間ということです。僕たちの年代にダッカは、1977年9月28日のダッカ事件でしょうね。パリ行きの日航機が経由地のボンベイ(現在はムンバイ)空港離陸後、赤軍派によってハイジャックされた。福田赳夫首相の「超法規的措置」により「解決」。
隣りの座席の方はRATNAさんと言い、タイの托鉢僧みたいな形の服。お互い自己紹介。monkの方でした。Ratnaさんと少しおしゃべり。彼は海外での布教活動からの帰り。Myohosanとかって言葉出てきたので「南無妙法蓮華経」ですね、って聞いたらその通りだった。ネパールにヒロサワと言う高名な僧がおられるそうで、Ratnaさんはそのお弟子さん。今回僕が利用するホテルはGrand Hotelなんですが、Ratnaさんはその近くのSWAYAMBHUにあるお寺で起居されているとのこと。僕が持参した「数独」をやってたら、彼ご存じみたく「sudoku」っておっしゃいました。今やsudoku、インターナショナルなんでしょうね。
日本時間10:50pm、ダッカ着。同11:50ダッカ発。飛行機は加德滿都へ。富山国際学院スタッフの「とくはし」さんの「とく」の字がこの漢字「德」です。ダッカ-カトマンズ、663km・1時間7分。飛行機内でEntry・Without Visa、2枚のカード入手。
22:15、カトマンズ着。急いでWithout Visaカウンターに並ぶ。2年前初めてカトマンズを訪問する際、知人にアドバイスされた。カトマンズ空港に着いたら何よりも先にWithout Visaのところに行きなさい、と。ここでけっこう時間を食うのですね。で、前回は列の10番目くらいでしたが、今回はもう30人くらい先客。観光やトレッキング目的でしょうか、日本人もちらほら。25USD、写真1枚などで15日間のビザ取得。
空港で迎えのニマ・ドルジェ・ラマさん富山国際学院卒業生。中央大学を卒業し、現在はカトマンズ在住)の顔を見つけ、一安心。
タクシーでホテルへ。深夜料金なんでしょうね、800NPR。
Grand Hotelにチェックイン。711室。

11月20日(土)、Grand Hotel。早朝6時半、ベッドサイドの電話が鳴ってビックリ。この日の予定相手からだった。そのまま起きて準備など。朝食(バイキングスタイル)。午前、仕事。
昼頃、ニマさん、ホテルに。Durbar Marg(宮殿通り)にあるDELICATESSEN CENTERで昼食。NEPALI THALI SETで、Served in Nepal style with rice, dalfried, chicken/mutton curry, Mixed veg., saag, pickle, papad and fruit salad。僕はmuttonのほうを選びました。250NPR。デンマークのTarlsbergも^^。
カトマンズ、僕はこれで3回目なんですが、まだ日本大使館に行ったことがない。仕事の合間を縫って大使館へ。日本に合わせて営業(大使館は「営業」でいいんでしょうか^^)でしょうから、土日は休み。受付にご挨拶。写真を撮りたいと申し出たら、銃を持った兵士?がNo。そこを何とかってことで^^、アップした写真を撮らせてもらう。

夕食はThamel地区にあるDechhenling Gardenでギャヨック料理(チベット料理)。隣りのテーブルに、旅行社のネパール人男性と客の日本人女性。
鍋料理に入るんでしょうね、ギャヨック。水牛・にんじん・カリフラワー・たまご・春雨・キャベツ・とうふなど。他にチベットブレッド、ぎょうざ、ミートボール、ほうれんそう、やきそば、チキンマスルム、やさいボールなど。ビールはEverest。ボク、年のせいでしょうか、最近たくさんは食べられんようになっていて、だいぶ残す。日本人の感覚では水牛は牛の仲間ですが、ネパール語では牛は「ガイ」、水牛は「ブフィン」で別種。ですから水牛は食べていいのでしょうね。

ホテルに戻って711室でTV。100チャンネルくらいあるみたい、すごいですね。「ちびまる子ちゃん」や「ドラゴンボール」も放映してた(ネパール語吹き替え)。
# by tiaokumura | 2010-11-22 08:19 | 海外出張10余録 | Comments(0)