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川田有紀子先生に仕舞『高砂 キリ』を習う

今、川田有紀子先生(観世流華川会)仕舞『高砂 キリ』を習っています。今日で4回目くらいになるでしょうか。

仕舞」と言えば皆さまたぶん織田信長でしょうね。『信長公記』に出てくる幸若舞『敦盛』。『信長公記』はかつて角川源義の頃の角川文庫に入っていましたが、今はどうなんだろう。
ネットで調べたら、幸若舞『敦盛』、「たそがれきんのすけ」という方のサイトに引用されていました。
思へばこの世は常の住み家にあらず/草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし/金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる/南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり/人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり/一度生を享け、滅せぬものあるべきか/これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
「たそがれきんのすけ」2010年1月21日より引用)
同じく「たそがれきんのすけ」に『信長公記』も引用されていました。孫引きさせていただく。
此の時、信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながらに御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる。
「たそがれきんのすけ」2010年1月21日より引用)
桶狭間の出陣にあたって、織田信長公は幸若舞の「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」を舞われた。それから家臣の者に武具を持って来させてそれらを身につけ、立ったままで食事をなさい、甲をかぶり出陣なさったことである。(奥村仮口語訳)

仕舞でもう一つ僕が思い浮かべるのは、先年放映された白洲次郎のTVドラマでの白洲正子。中谷美紀とかいう女優が演じていた。あのTVドラマの中で正子が仕舞を演じる場面がありました。戦中の暗い時代でのことであったか。

川田有紀子先生はすばらしい先生なのですが、やっぱ自分、不肖の弟子なんでしょうね。今日やっと『高砂 キリ』の
げにさまざまの舞姫の 声も澄むなり 住吉の 松影も映るなる 青海波とは これやらん(原曲を奥村の恣意によって改めた)
が約4割できるところまで来ました。
「仕舞=能-面」なんですね。川田師がおっしゃるように「緊張して舞わなければならない」。シテとして舞うんですもんね。
僕、『高砂 キリ』が入っているDVDも買いました。野村四郎師が演じてらっしゃいます。

僕がなんで『高砂』かと言うと、自分の仕事から来ている。勤務先の富山国際学院の卒業式の後、いつも卒業生・教師全員が車座になって順に一言ずつ述べる。教師がお互いを「~先生」ではなく「~さん」と呼ぶ富山国際学院の伝統と並んで、僕が学院が好きである理由の一つが卒業式後の全員「一言」。で自分、数年前まではまぁあれやこれや述べていたのですが、いつしか卒業クラスを担当せんようになったもんで、実感を持って「一言」が言えんようになった。その内に自分、卒業式の式辞のプレッシャーも加わって・・・。今から5年前になるかなぁ、初めて「一言」の代わりに森山直太朗の『さくら』を歌った。翌年、ネットで調べて詩吟『送元ニ 王維』をやった。次の年もそれ。昨年は『惜別の唄』替え歌を作って歌った。
昨年、ロシアの子どもたちが学院で日本語を勉強してた時、課外活動で松下覚さん(松友会会長)にお願いして「謡体験」もプログラムに入れた。学院近くの地区センター和室で松下先生「謡教室」開講。その折に松下先生が仕舞『高砂』をなさったんですね。「あ、これ、卒業式でやりたい!」と思った。実は仕舞『高砂 キリ』はきわめて難しい仕舞なんですね。当時僕はそんなこと露知らなかった(大汗)。
説明が長くなりましたが、僕の『高砂』仕舞は、いつか卒業式の後で演じたいというのが動機です。

次回のお稽古は2月19日。「げに~これやらん」が8割方できるようになって、
神と君との道すぐに 都の春に行くべくは それぞ還城楽の舞 さて万歳の 小忌衣(原曲を奥村の恣意によって改めた)
に進めたら、と思っています。そうやって少しずつ舞えるようになって、2012年3月15日の富山国際学院卒業式の後に演じられたら、ってぇのが今の僕の夢です。
それにしても難しい。扇ができたかと思えば、左手がお留守。足に気を配れば顔の向きが違ってる。少しできたかなと思った時は、進行方向がずれている。なんとか舞ってる内に、謡を忘れる。謡を謡っていて、ふと気づけば猫背になっている。仕舞って総合パフォーマンスなんですね。難しい。『高砂 キリ』よりもっと初心者向けの仕舞から始めればよかったとちょっぴり思うこともありますが、まぁでも『高砂 キリ』ができるようになれば、自分のレパートリーが増えるのだから楽しみでもあります。

こんな「弟子」にも根気よく教えてくださる川田有紀子先生には感謝の限りです。
# by tiaokumura | 2011-02-05 20:07 | 謡を習う | Comments(0)

佐藤優・伊藤潤二・長崎尚志『憂国のラスプーチン 1』(ビッグ コミックス)

佐藤優・伊藤潤二・長崎尚志『憂国のラスプーチン 1』(ビッグ コミックス)_f0030155_20592190.jpg
原作・佐藤優(さとう・まさる1960-)
作画・伊藤潤二(いとう・じゅんじ1963-)
脚本・長崎尚志(ながさき・たかし1956-)
『憂国のラスプーチン 1』
2010年12月30日初版第1刷
小学館(ビッグ コミックス)
524円+税

不思議なご縁で北方領土における日本語教育にほんのちょっとだけ関わった。昨夏はそのポスター発表で台北にも行った。台北-食の都でしょうね。「食在台北」かも。とりわけ食材が吟味されジューシーな味わいの小籠包xiǎolóngbāo@DINGTAIFUNGは印象深い。
北方領土-尖閣・竹島と並んで難しい局面にある。外交は国益にストレートにリンクしているわけだが、日本の外交能力欠如は顕著。自民党がどう、民主党がどうとかではなく、日本は全くの外交下手なんでしょうね。今の日本の外交布陣に「佐藤優」はいるのでしょうか。菅内閣は国内問題対処で精一杯。危機管理も官僚の使い方も未熟。とは言っても自民党政権が復活しても期待薄。膠着状態の今、やがて戦前の大政翼賛会を待望する声が起こってくるのかもしれない。

皆さんから「国賊」と非難されるかもしれませんが、僕は「二島返還論」の頃(ロシアにまだ余裕がなかった頃)がチャンスだったんだと思う。今のロシアは既成事実を次々と打ち立てている。ロシア人島民も、ロシアがここまで力を注いでくれるなら、先行き不透明な「日本」に頼るよりは完全にロシア領土になって子々孫々まで安心して暮らしたいという気持ちでしょうね。
ロシアという国は、ロシア正教にしてもツァーにしてもレーニンやスターリンにしても「父なる絶対者」でないと統べることができないのでしょうね。それは、ロシアに西欧型民主主義や自由なジャーナリズムなどを望んでも甚だ困難な、歴史・風土から来る必然なんでしょうね。ロシアはこの後、今の双頭体制から2人のいずれかが勝って絶対権力者になるのでしょうね。ロシアのそういった現状を考えると、日本に対する外交戦略は自ずから明らか。ロシアは国民から「弱腰になっている」と思われてはならない状況にある。
日本人の「北方領土『ビザなし』訪問」も危機に瀕している。ロシアのビザを取って「北方領土」に入る日本人が徐々に増えているんですね。「ビザなし」のような一時しのぎの玉虫色の解決は解決じゃなかったってことでしょうね。
北方領土-鳩山由紀夫が祖父一郎(はとやま・いちろう1883-1959)の遺志を継いで困難に立ち向かうかに見えた時期もありましたが、結局メルト・ダウンなんでしょうね。

本書、原作者の佐藤優の視点で描かれていく。
2002年5月14日、憂木衛(ゆうき・まもる)は背任罪で逮捕される(pp16-)。その前に憂木は都築峰雄(つづき・みねお)代議士からの電話で「君には迷惑をかけたね。」「俺のことはどうでもいいから、自分のことだけを考えてくれ。」(p.11)と言われる。逮捕後、東京拘置所での高村検事の取り調べ(pp91-)。2002年夏、彼は偽計業務妨害で再逮捕(p222)。『憂国のラスプーチン』第1集はそこで終わる。
佐藤に対する僕の疑問は、皆さんもそうでしょうが、「佐藤がなぜ鈴木宗男と」です。佐藤のここ数年の精力的な活動(岩波書店から著書など)を知り彼の生き方に思いを馳せる時、「なぜ鈴木宗男と」という疑問が生じる。本書を読んでもまだその疑問は氷解しませんが、例えば憂木は高村検事に
「都築先生は押しが強くて敵を作ってしまう人だが、悪徳政治家なんかじゃない。」「愛国者だ。」(p109)
と主張する。あるいは赤川弁護士との接見で
「僕は何より国益を優先する外交官で、先生は国益をかなえられる人物だからです。」(p170)
とも。
本コミックは逮捕・取調べといった時系列の中に、過去が入っている。憂木と都築の出会いのきっかけは、1991年夏の例のクーデタ事件の際に憂木がゴルバチョフ生存の情報を得たことにある。同年に都築はそのインテリジェンスを齎した「三等書記官」の名を外務省政務次官室で知る(p77)。本書ではその後の都築と憂木の関係もいくつか紹介されている。「ラスプーチン」と名付けたのは都築だったんですね(p122)。都築「彼(ラスプーチン)は世界情勢を見事に分析し、預言に近い超能力を発揮した人物だ。」「胡散臭さも君(憂木)に似てるしね。」。

本書は原作・作画・脚本の3者による。僕はコミック情報に疎いのですが、こういう3者協働、コミック界の常態なんでしょうか。佐藤優はもちろん前から知っていましたが、伊藤潤二(『富江』など)・長崎尚志(『21世紀少年』など)も有名な方のようです。

本コミック、第2集以降も購入します。
# by tiaokumura | 2011-02-04 20:59 | | Comments(0)

岡林信康『山谷ブルース』(YouTube)


今夜の夕食中にNHK第1ラジオ「地球ラジオ」を聞いていたら、日本でセカンドハーベスト運動に携わっていらっしゃるアメリカ人の方がゲストだった。
セカンドハーベスト」、ご存知ですか。賞味期限が切れたり流通経路に乗らなかったりして廃棄処分になりそうな食品を無償で譲り受け、必要な人々に届ける-僕の理解ではそういう運動です。食べ物にとっても食品企業にとっても日々の糧さえ得られない方々にとっても、実に有意義な運動でしょうね。Wikipedia日本語版に拠ると、セカンドハーベストジャパンは「日経スペシャル ガイアの夜明け」(テレビ東京系)でも取り上げられたそうです。

アップしたYouTube、「地球ラジオ」ゲストのアメリカ人が好きな曲とのこと。彼は山谷でも活動なさっていたそうです。
山谷-「さんや」も「かまがさき」も「ひのでちょう」も、もう地名抹消になってるんでしょうね。
岡林信康(1946-)は僕より2か月半ほど年上。同志社大学神学部で佐藤優の15年ほど先輩になる。ただし、岡林は中退し佐藤は神学修士までに。
「フォークの神様」岡林信康。『くそくらえ節』『がいこつの唄』『手紙』『友よ』『チューリップのアップリケ』『私たちの望むものは』『俺らいちぬけた』(順不同)なども。美空ひばりに楽曲を提供も。毀誉褒貶さまざまな岡林ですが、こうして若い頃の彼の歌を聞いていると、同世代としてはさまざまな感慨に浸ってしまう。ノスタルジーと弾劾するなかれ(照)。この歌に想像力が持てた僕は「今いずこ」なんでしょうね。焼酎も今やすっかり様変わりした感がある。
この歌の出た頃(1968年)は、家永教科書検定裁判も進行中だった。僕、大学時代に家永三郎(1913-2002)先生の授業も取っていました。「太平洋戦争史論」が講義題名だったか、大教室満員の講義でした。岡林の歌を聞きながらそんなことも思い出した。家永先生が教科書裁判のどの判決を聞かれたときのメディアインタビューであったか、山中鹿之助の
憂きことのなほこの上に積もれかし 限りある身の力試さん
を引歌されていた。家永先生も岡林同様に毀誉褒貶が激しい方だった。批判者は家永三郎の戦前を問題にしていたのでしょうね。今「家永三郎」の評価はどうなってるんでしょうね。それはともかく、僕は今の人生において「限りある身の力」を試しているのでしょうか、疑問でしょうね。

明日も富山、雪かきでしょうね。富山市はもとより県内多くの自治体の除雪費は底をつき先が見えぬまま追加中。富山の雪は確かにこの地に豊饒を齎す源泉なのでしょうが、もうそろそろ「憂き雪よ もうこの土地に 積もるなかれ」なんて愚痴りたくなります。
雪に悩まされていらっしゃる各地の皆様。止まない雪はない。もうひとがんばり・ふたがんばり・みがんばり、致しましょうゾ。

2011年1月、当ブログのこれがやっと12本目の投稿です。1か月12本の投稿なんて2009年2月以来です。ちなみに最小は「2008年7月・11本」です。
当ブログの今月の記事は「これにて打ち止め」です^^。
当ブログ愛読?諸兄姉殿、また2月にお会いいたしましょうゾ。
# by tiaokumura | 2011-01-30 19:00 | 音楽 | Comments(0)

2次関数から生まれたドレス????

残業せん男なんで(恥)、いつもはだいたい5時半前には勤務先の富山国際学院を後にする。でも今週はちょっと忙しい週で、明日木曜日は久しぶりに午前・午後と通しての授業担当日になり明日出勤してから準備するわけにもいかないので、明日の午前クラス・午後クラスの授業準備をあらあら済ませて学院を後にした。帰宅したのは6時10分頃(勤務先から自宅までは、他の先生方には申し訳ないくらい非常に近い)。
わが家は元・農家なので冬の夕食は午後6時開始。サラリーマン家庭には信じられない夕食時間でしょうね^^。奥村学習塾をやっていた頃は、従って僕は9時過ぎに「孤食」でした。で、今夜の場合、帰宅して着替え→仏壇→入浴。それから夕食の場に。夕食の部屋にTVはない。自然にラジオ(NHK第1が多い。稀にKNBラジオ)を聞くようになる。NHK第1土・日の「地球ラジオ」、好きな番組です。

今夜、NHKラジオ第1をなんとなく聞いてたら、東大の数学の先生が話してた。2次関数の話。難しいことはよう聞き取れなかったんですが、代数学や線形・非線形なども出てた。専門的なことは全くわからないのですが、聞いててビックリしたのは、2次関数(一般式はy=ax・+bx+cですよね。「2乗」ってPCでどう出すんだろう)を使ってドレスを作ったって話。その先生、高校時代に2次関数と解に関する試験問題で、解が2コ(2点で交わる)、解が1コ(1点で接する)以外に、解がゼロも答案に書いたんですって。高校の数学の先生も偉かったんでしょうね。彼に102点をあげた。でも教育現場でそういうのは許されなんだみたいで、先生は結局彼を100点にして、他の生徒の点数を-2点したとか。でもそれが彼の原体験になったんでしょうね、やがて彼は数学の道に。虚数の世界を研究されたのかもしれない。
2次関数を使ったドレス」って見てみたい。ラジオ番組のゲストの先生は、ボクなんかにはとうてい無理なんですが、数学に「美」を感じられる。彼によれば、文学が文字によって「美」を表現できるように、数学は数式によって「美」を表現できるということだそうです。
ドレス、確かに作れるでしょうね。型紙(ラインが2次関数? イマドキだからCGで?)さえあれば、素材を用意してお針子さんがカッティング・ソーイングして・・・。ファッションショーにも出られるでしょうね。
ネットではまだ調べていませんが、「2次関数から生まれたドレス」、ちょっと探ってみます。

こういう時に教えてもらえるのが大学時代以来の友人の哲ちゃん。つい思わず食事中に彼のケータイ・自宅にTELしたんですが、つながりませんでした。残念。彼なら今回のこと、いろいろ知っていそうです。また折を見て連絡してみます。

明日、富山、雪はどうなんかなぁ。

(1月28日夜・追記
ネットで探したら「解説委員室ブログ:NHKブログ」に行き当たり、
視点・論点「数学モデルが拓く新世界」
という文章が読めました。上述の「東大の数学の先生」の合原一幸という方の文章です。文章中にはドレス・ハイブリッドカー・癌治療の例が出てきます。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/60017.html
で読めると思います。
# by tiaokumura | 2011-01-26 19:42 | このブログのこと | Comments(2)

ワールド・カフェ初体験

ワールド・カフェ初体験_f0030155_12591265.jpg
(1月23日夜・記)
昨日1月22日(土)、ワールド・カフェ初体験。
会場は「とやまスローライフ・フィールド」の一画。自分、カーナビなんてしゃれたものは装備しとらん軽なんで^^、マップ本やネットで自宅から行き先までの道を調べる。運転下手+雪模様+初めて+方向音痴(四冠王!)なんで1時間半かかると見込んで、受付9時から逆算して7時半過ぎに自宅を出る。家から8号線に出て高岡方面へまっしぐら。本郷西を左折して41号線を走る。東老田、古沢、北押川と過ぎ、平岡を右折。途中迷ったところもあるが、方向音痴のボクにしては順調なドライブで、8時過ぎには会場近くに到着。ただ場所がようわからん。雪かきしてらっしゃる方に尋ねる。その方、「とやまスローライフ・フィールド」のスタッフでした。8時過ぎ駐車場に車を入れる。9時の受付開始までにずいぶん時間があるので、車の中で新聞や本を読んでいようかなと思ってたら、定村誠さんの車がパークイン。定村さんは今回の「ワールド・カフェはいかが?」の仕掛け人。定村さんは僕が2008年11月の「ファシリテーター入門講座」を受講したときの先生です。「会場で待ってもいい」とのことで、駐車場から少し歩いたところにある会場に入る。
会場は民家風の建物。柱はどこかから移築したんでしょうね。床暖房。部屋の隅に妻がお気に入りだった作家の人形が飾ってあった。朝比奈さんと約2年3か月ぶりの再会。定村さん・朝比奈さんはご夫婦。夫婦別姓です。

「ワールド・カフェはいかが?」の講師は西村勇也さん。参加者24名。「チェック・イン」「ホスト」などの説明。「チェック・イン」はアイスブレークになるのでしょうが、ワークショップとはずいぶん異なる。西村さんから今日のワールド・カフェの5つのルール
4~5人で1組、時間を区切ってグループを変える、グループ移動の際に1人は必ず残る、各ラウンドは1つのテーマ、発言者はトーキング・オブジェクト(今回は石)を持つ
の説明。次いで3つのエチケット
今考えついたこと・思いついたことを話す、発言者の言うことを理解しながら聴く、模造紙にメモや絵をかく
の説明。ワールドカフェって言うと「相手の発言を否定しない」ってのがルールのように思っていましたが、そうでもないのですね。

午前3ラウンド。「テーブルの話し合いで心に残ったこと」と「西村さんへの質問」をメモパッドに書いて窓に貼り終了。
昼食は「オーガニックな昼食」ってことで、山の幸・里の幸のご馳走。昼食時、西村先生・太田さん(行政書士。ビザのことなどで僕がしばしばお知恵をお借りしている方)・寺尾さん(高校教諭)とご一緒で、あれこれ話す。西村さんとワールド・カフェとの出逢いについてもお話が聞けた。

アップした写真、昼休みに会場の玄関前で撮りました。僕の勤務先の富山国際学院の同僚(&先輩)の宮田妙子さんも今回の「ワールド・カフェはいかが?」を受講してて、宮田さんに撮っていただきました。

午後1:20再開。まず西村さんが「質問」に答える。「石を使うのはなぜか」「グループを変えるのはなぜか」「1人残るのはなぜか」「テーマはどんなものがいいか」などなどの質問に答える。
3:20、ハーベストへ。ハーベストってのは議論が拡散し収束へ向かったあとの「収穫」ってことでしょうか。受講生から5つの議題を募集。5グループに別れて3ラウンド。議題発題者はラウンドを通じて「話し合いから自分とプロジェクトに対して何を学びましたか?」「あと他にまだ何が足りないでしょう?」「次にどのようなステップが取れるでしょう?」のステップを踏む。このことによって、ロードマップ・アクションプランができていくのでしょうね。
午後のラウンドで坂本由美子さんと同じテーブルになった。坂本さんは北陸にワールド・カフェを広めたいと思ってらっしゃる。今日1月23日、坂本さんは西村さんを講師に招いて「百万石ワールドカフェ」近江町いちば館交流プラザで開催。坂本さんが富山でもワールド・カフェを開けるよう、可能な限りお手伝いしたい。坂本さんの「百万石ワールドカフェ研究会」のサイトはこちらです。

ワールド・カフェはそれ自体が目的ではなく、ツール・手法になるんでしょうね。教員会議・授業・ボランティア活動などで「ワールド・カフェ」が活用できたらと思っている。
にしても、ワークショップもそうですが、カタカナ語多すぎて、英語苦手なボクには居心地が悪い時も^^。World Caféは1995年にJuanita BrownとDavid Isaaccによって開発されたそうですから、英語多いのはしょうがないんでしょうね。でも、概念を明示できる・世界でおそらく唯一の文字である「漢字」、もっと使えんもんなんでしょうかねぇ。ワールド・カフェ=お茶場なんて・・・やっぱ無理っぽい^^。でも「振り返り」「協働」なんて語もあるんだから、ワークショップにしてもワールド・カフェにしてももっと和語・漢字語、使えそうな気がします。

人見知り激しいボク(恥)としてはこういうのに参加するのは勇気がいるのですが(受講料の4000円は今の自分にもなんとか工面できる額だった)、定村さん・朝比奈さん・太田さん他3分の1くらいの方が既に1回以上会っている方だった。ここ数年、自分なりのネットワーク、できつつあるんでしょうね。この日、今回初めて出逢った方数名と名刺交換もできました。

西村勇也先生、皆さま、1月22日はありがとうございました!
またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。

(1月24日夜・追記
ネットサーフィンしてたら「ワールド・カフェはいかが?」講師の西村勇也さんのブログがありました。1月22日の「ワールド・カフェはいかが?@富山」、23日の「百万石ワールドカフェ@金沢」も写真付きで紹介されています。写真、よくよく見ると「これ、ワシじゃないか」なんてちょー恥ずかし画像もあり(激爆)。西村勇也さんのブログ「ダイアログBar-対話の場から生まれる創造-」こちらです。
# by tiaokumura | 2011-01-22 12:59 | 富山 | Comments(2)