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楽しみな「若冲ミラクルワールド」(NHKBSプレミアム)

今夜から4回にわたって、NHK・BSプレミアムで「若冲ミラクルワールド」放送。
25日「色と光の魔術師 奇跡の黄金の秘密
26日「命のクリエイター 超細密画の謎
27日「千年先を見つめた絵師 ボーダーレスJAKUCHU
28日「黒の革命 水墨画の挑戦者
(午後9:00~10:29。28日のみ午後8:00~9:29)
ナビゲーターは松本潤大野智。皆さんは「」ってわかりますか? ワシ、ほとんどわからん(恥)。僕が、「嵐」のメンバー中で唯一名前と顔が一致するのは、10年ほど前に「金田一少年の事件簿」(古すぎ^^)で覚えた松本潤。Wikipediaによると松潤(って略すそうです)は最年少メンバーだそうで(それでももう27歳)、身長・体重は僕とほぼ同じ(←松潤ファン、怒らんといてね^^)。
自分、20年以上人気No.1の××××だってメンバー中2人の区別が長い間ようつかんで^^、「全裸酔っ払い@公園」でやっと区別がつくようになった(激爆)。「そんなんでよう日本語教師やれるもんじゃね」って言われそうですが、そこはよくしたもので、わからんときは学生に教えてもらう。学生の日本語発話の練習にもなって一石二鳥なんです。宇多田ヒカルだって、そのデビュー時に、台湾人女子学生に教えてもらいました。藤圭子の娘だと知ってビックリ。

伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう1716?-1800)を『大日本人名辭書(一)』(講談社学術文庫版。昭和55年8月)より引いておく。原文縦書き、漢字・句読点など奥村の恣意による。
京師の画家。初めの名は春教、後汝釣、字は景和、若冲は其の号、又斗米庵と号す。青物問屋の主なり。幼より画を好み、初め狩野家に学び、後元明の古蹟を模修し、又光琳の筆意を混じて一流の画風を出せり。人物、山水、草花、鳥獣等を能くす。殊に鶏画に巧みなり。家に鶏数頭を養ひ、数日其の形状を黙視して後揮毫す。故に筆意其の真に入る。恰も静動鳴啄を為すが如し。然れども、形似を事とせず、専ら写意を主とせり。世人大に感賞して、其の名一時に伝播す。後京師の深草石峯寺の側に閑居して、黄檗派の和尚伝玽に附属す。偶々鶏の画を請求する人は、必ず米一斗を以て謝礼とす。故に斗米庵の号あり。寛政十二年九月十日歿す。年八十五(p264下段-p265上段)

去年だったか、僕、石峯寺に行って来ました。
富山、4月も下旬だというのに気温上がらない。自分、まだこたつしています。今夜はこたつに入ってのTV鑑賞です。

(4月26日朝・訂正)
昨夜から始まった「若冲ミラクルワールド」のナビゲーターは松本潤ではなく大野智です。お詫びして訂正いたします。「おおの・さとし」って読むのでしょうか。蜷川作品でデビューした藤原を丸っこくしたような感じのタレントです。
# by tiaokumura | 2011-04-25 19:43 | 美術 | Comments(0)

2011年4月の読書

2011年4月の読書_f0030155_1910432.jpg
藤岡靖洋(ふじおか・やすひろ1953-。ジョン・コルトレーン研究家、呉服店経営)
コルトレーン ジャズの殉教者
2011年3月18日 第1刷
岩波書店(岩波新書) 800円+税
自分、ジャズはド素人ですが、「ジャズ史上ビッグ3をあげよ」と言われれば、「チャーリー・パーカー、マイルズ・デイヴィス、ジョン・コルトレーン」にするでしょうね。3人の選択、人によってルイ・アームストロングだったりカウント・ベーシーだったりセロニアス・モンクだったりビリー・ホリディだったり・・・でしょうが、10人中7人はジョン・コルトレーン(John Coltrane1926-67)をビッグ3の一人にあげるような気がする。
本書、「ジャズの可能性を極限まで追求した男の全生涯を描く」。藤岡靖洋は僕は初めて知った名前ですが、すっごい人みたい。コルトレーン関係の英文著書もあります(英米で受賞歴もあり)。肩書がカッコいい。「ジョン・コルトレーン研究家、呉服店経営」ですもんね。
本書、ザ・タイガース(沢田研二ら)から筆を起こしコルトレーンの1966年来日につなげる。コルトレーン・クインテット(ジョン以外のメンバーは、ファラオ・サンダーズ、アリス・マクロード、ジミー・ギャリソン、ラシード・アリ)はこのとき、東京・大阪はもとより広島・長崎でもコンサートを行っている。ただこのツアー、きつかったんでしょうね(16日間で8都市15回の公演)、翌年7月17日、40歳という若さで亡くなる。
マイルズ・デイヴィズは「第2章 三人の友」(あとの2人はセロニアス・モンクとソニー・ロリンズ)、『至上の愛』は「第5章 決意」で詳しく取り上げられています。ラヴィ・シャンカルは「終章 昇天」などで。
本書、まさにコルトレーンの「決定版評伝」でしょうね。瑕疵ですが、人名索引・曲名索引があったら、ボクのようなド素人には大助かりだったでしょうね。

井上ひさし(いのうえ・ひさし1934-2010)
日本語教室
2011年4月10日 2刷
新潮社(新潮選書) 680円+税
昨年4月9日に亡くなった井上の言葉で最も人口に膾炙しているのは
むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことはあくまでもゆかいに
でしょうね。
僕は理由が3つ(非公開^^)あって井上はほとんど読んでいません。へそまがりなんでしょうね、自分。「ひょっこりひょうたん島」は高三・大一の時に放映。
中学3年の国語教科書(光村図書)に井上『握手』が採択。すっかり教科書定番になっている作品でしょうね。「わたし」が戦中のルロイ修道士への扱いを悲憤慷慨すると、ルロイ修道士は言う、「総理大臣のようなことを言ってはいけませんよ。だいたい、日本人を代表してものを言ったりするのは傲慢です。それに、日本人とかカナダ人とかアメリカ人といったようなものがあると信じてはなりません。一人一人の人間がいる、それだけのことですから。」。また、「わたし」が「本当に天国がありますか。」と聞くと、ルロイ修道士は「あると信じるほうが楽しいでしょうが。死ねば、何もないただむやみに寂しいところへ行くと思うよりも、にぎゃかな天国へ行くと思うほうがよほど楽しい。そのために、この何十年間、神様を信じてきたのです。」と答える。
本書は、「母校・上智大学で行われた伝説の連続講義を完全再現」だそうです。2001年10月から毎月1回で、「日本語はいまどうなっているか」「日本語はどうつくられたのか」「日本語はどのように話されるのか」「日本語はどのように表現されるのか」の4講義。

横溝邦彦・加藤礼次朗・根本哲也・山下京子
コミック 帝国ホテル物語 120年の最高
2011年2月28日 第1刷
発行所・ホーム社 発売元・集英社 1200円+税
村上信夫(1921-2005)は私が尊敬する日本人百人の一人(っても百人リストアップしたわけじゃありませんが^^)。村上信夫『帝国ホテル厨房物語 私の履歴書』(2002年4月。日本経済新聞社)は僕の愛読書の1冊。鍋屋時代・シベリア抑留時代・犬丸徹三帝国ホテル社長からフランス行きを打診されたときのこと・東京オリンピック・バイキングなどなど、もう内容はわかっていても何回読んでもスリリング。
本書、村上信夫は「第三章 伝説の料理人 村上信夫 田中健一郎」(原作・横溝邦彦 漫画・根本哲也)に。フランク・ロイド・ライトは「第二章」、小池幸子は「第四章」です。
帝国ホテルにはたぶん1回も入ったことがありません。上京の折、チャンスがあったら寄ってみようかしらん。追い出されたりせんじゃろね^^。

馬場雄二(ばば・ゆうじ1938-。東北芸術工科大学名誉教授)
この字 なんの字 不思議な漢字
2011年4月1日 初版第1刷
大修館書店 1200円+税
馬場を知ったのは30年ほど前になるでしょうか、富山にUターンして勤め始めた会社で数学担当のYさん(彼女は富山市の老舗菓子店のお嬢さんだった)に教えてもらった漢字ゲーム「漢字博士」で。その後馬場の著書などは奥村学習塾や日本語教育などで参考にさせていただいています。非漢字圏の漢字指導に生かせる教材・ヒントがいくつもあります。
馬場は著書多数。最近では『漢字のサーカス』シリーズ(岩波ジュニア新書。全3冊)も。

編者・講談社
バカ田大学 入学試験問題 馬科
2011年1月11日 第1刷
講談社 952円+税
新聞紹介で知って注文。「買わなきゃよかった」本です(ごめんなさい、出版にあたられた皆さま)。要は、アナグラムや昔の駄洒落やパズルや寒いギャグなどを集めただけのこと。浅野忠信・松尾スズキ・みうらじゅん・坂本龍一ら「卒業生からのメッセージ」もつまらない。赤塚不二夫(1935-2008)が関わらないとこういう本になっちゃうんでしょうね。
でも、こういう本が好きって方もおありでしょうから、ここで紹介するのだ。これでいいのか!? これでいいのだ!!
# by tiaokumura | 2011-04-24 19:10 | | Comments(0)

オクムラくん、前立腺肥大症と診断されるの巻

ここんところ悩まされている夜間頻尿^^、1回医者に行こうと思った。ひどい時は夜中に5回くらいおしっこに行き、しかも尿意だけかと思いきや、けっこうな量がその時々に出るんですね。放尿の快感はまあありますが(照)、どうやら睡眠不足気味に。勤務先の富山国際学院での今年度は、担当授業が全部午前なんで、さすがに授業中に眠くなるってぇことはありませんが(たまにあくびが出る)、午後になると執務中に眠気に襲われ、ふと気づくと夢路を辿っとったり(←企業秘密^^)。
このままじゃあかんと思った。幸い今年度は、仕事するばかりが能じゃないと専任が週1日休みを取ろうって理想を掲げ(嘘爆)、まあまだ新年度始まったばかりなんですぐには平日1日休みは無理で、とりあえずボクの場合は第2・4金曜日に半休にした。だけど「4月第2金曜午後」はまだ決定前じゃったので休み損ねたけんど(泣)。で、今日(第4金曜日)、引継ぎや国際電話を済ませて1時半過ぎに富山国際学院を出て帰宅。家人、ちとビックリ。事前に言っとらんだ。
Googleで「泌尿器科 富山」で検索したらよさそうな医院が3件見つかり、2時頃そのうちのX医院に向かう。X医院は2時半が午後の診察開始で、その前に受付を済ませる。自分、病院ってあんまし来んので受付にちととまどう。藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』(岩波新書)を持っていっとったんですが、睡魔に勝てず待合室でうとうと。来てから50分ほど待ったでしょうか、受付番号17を呼ばれる。
診察室に。おしっこを取るように言われる。出んのじゃないだろうかと心配しましたが、自分、パブロフの犬なんでしょうね^^、トイレに入ったら尿意を催し無事コップに8分目の適量を放尿。
再び待合室で待ち、再び診察室に。ここで「衝撃の初体験」が! ベッドに仰向けになる。指示に従ってズボンとパンツをずり降ろし、膝を抱える姿勢をとる。医者(40代くらいの男性)が「痛いかもしれませんが、肛門に云々」とのたまう。5秒ほどおいて男性医師の、どの指でしょうか、肛門にめり込んでいく。激痛×∞! ワシ、坐薬は入れたことはあるけんど、64年間アナルヴァージン守ってきたんですもんね。痛いのなんのって、ガマンできない。これがビスチェ&ガードルのうら若きフランス人女性にピンヒール突っ込まれるなら、「カイカ~ン♪」なんでしょうけどね(激爆)。医者も難儀な職業なんですねぇ。ジジイの肛門に己の指押し込まんならんなんて全く因果な商売。医者=金持ちですが、世の中、カンタンに金儲けできん仕組みになっとる。ま、それはともかく、患者としてはいやはや実に痛かった。痛みのせいでウンコが出そうになって焦った(爆)。お医者さんは肛門から何か入れて検査したかったようですが、それはあきらめる。腹部に何か塗ってそれで検査しました。
再び待合室に。しばらくして3度目の診察室。コンピューターで画像を見せてくれる。「前立腺ってわかりますか?」と聞かれるので「よく知りません」と答える。医師から前立腺の説明。画像を見ると膀胱の下にある。その前立腺が僕は31.68(単位は何じゃろう)ある。通常は15~20だそうです。「前立腺肥大症」の診断がくだる。
受付で4660円を支払い、セルニトン錠(1日3回毎食後服用)・ステープラOD錠(1日1回夕食後服用)をもらう。前者は排尿障害を治し、後者は夜中の尿回数をセーブしてくれるそうです。
X医院を出て車で家に向かう途中、突然「大福」が食べたくなった。通勤路にお餅屋さんがあるのでそこに立寄って大福・柏餅各1個買う。4時半過ぎ帰宅。

Wikipediaに「前立腺肥大症」ありました。「前立腺から分泌される前立腺液は精液の構成部分」だそうです。そんなことこの年まで全く知らずに×××も××××もしてきとった(恥)。「年齢とともに生殖能力が必要でなくなるために、前立腺は萎縮するか肥大するかの二者択一の道を選ぶ」んですって。確かに加齢と生殖能力ってそうなんかもしれん。人間の男だってオスですもんね。そういえば自分、ネットで××も××も××に××る××を見てても、全く××せんよーになっとるかなあ。
Wikipediaにおもしろい記述。かつての日本人男性は二者択一の道のうち「萎縮」だったのが、「食生活の向上・欧米化により、現在では80歳までに日本人男性の80%が前立腺肥大症になるといわれている」そうです。僕は和食派のつもりですが、それでも「肥大」のほうなんですね。

今回とは別なんですが、先日勤務先の富山国際学院に健康診断の案内が来てたので、5月14日(土)に家の近くの総合病院で検査してもらいます。こういう健康診断なんて人生初。いろんな病気見つかるんだろうなあ。子宮ガン・乳ガン以外のあらゆるガンが可能性あるかも。

脳動脈瘤+前立腺肥大症、これで自分も晴れて高齢者のお仲間入りができるかも^^。同世代での病気の話題にもこれである程度ついていけるかな。男同士で前立腺の肥大具合を張り合ったりして(嘘爆)。
# by tiaokumura | 2011-04-22 21:42 | このブログのこと | Comments(8)

「稲むらの火」

今回、津波では「稲むらの火」、Fukushima50では「グスコーブドリ」、復興計画では「後藤新平」を見聞きしますね。「賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ」(Otto Eduard Leopold von Bismarck-SchönhausenのNur ein Idiot glaubt,aus den eigenen Erfahrungen zu lernen. Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.から生まれた名言-誤訳とも言えるか)とか。21世紀の今にあっても、否今だからこそ、先人の遺賢に学ぶべきことは多いのでしょうね。

今年度はどうやら無理ですが来年度以降の取組みの準備として、先日、小中学校の教科書を買いに行きました。富山市内では北日本新聞社本社の横の道を入ったところに教科書供給会社があります。塾をやっていたころは教科書改訂になるたびに通ったものです。小学校5・6年の算数(上)(「下」は9月にならないと買えない)・国語、中学校5教科の教科書を購入。大震災で一般人の購入は難しいかと思いましたが、被災地の教科書、順調に供給できたんでしょうね、希望教科書全部変えました。
今年度は小学校の改訂の年(中学校は来年改訂。教科書改訂、新聞でも話題にしてましたね)。前回の改訂時は知らないのですが、「国語」(富山市内は「光村図書」版)は上下2分冊じゃなく合冊になったんですね。5年の「大造じいさんとガン」「わらぐつの中の神様」、6年の「やまなし」「海の命」「生きる」は定番でしょうね。新美南吉は「あめ玉」(5年)。5年で本川達雄「生き物は円柱形」、6年で中村桂子「生き物はつながりの中に」。お二人は科学者にして名文家でもあるので、小学生のうちから読めるっていいことでしょうね。「朝読」や「声に出して読みたい日本語」やNHKの子供向け番組の影響もあるんでしょうね、日本古典が重視され、5年で「今は昔、竹取の」「春はあけぼの」「祇園精舎の」「子曰く」「高名の木登り」、6年で「柿山伏」「天地の文(福澤諭吉)」など掲載。せっかくの名作も教科書に載るととたんに色あせてつまんなくなる^^ってことが多いのですが(たぶんそれは先生・授業・宿題・テストのせい?)、子どもたちが教科書の作品中から1編でも1行でも片言隻語からでもイラスト1つからでも何かを掴んでもらえたら嬉しいですね。

「国語五年・銀河」(光村図書)に、河田惠昭「百年後のふるさとを守る」(pp60-71)が載っている。「伝記」単元で、以前だったら田中正造だったところでしょうか。同作品、冒頭20行が引用で続きに
これは、1937年(昭和12年)から約十年間、小学校の教科書にのっていた「稲むらの火」の始まりの部分である。
とある。実は僕は小学校高学年の時に「稲むらの火」を読んでいるんです。河田の記述の年代からいけば、僕の場合は「国語教科書作品」ではなく、副読本か道徳かあるいは当時のご担任の城野義雄先生(故人)が何かから出してこられたのか。記憶アホのボクが、そんな50年以上前の読書体験をなぜ覚えているかというと、僕は「稲むらの火」を読んで感想文を書いていて、そしてその書き出しの
五兵衛はえらいなあ。
をこの年になっても^^覚えているからなのである。僕はこれまでの長い人生(?)で書いたあれこれの中で、たった3回だけですが「これはよくできた!」ってのがある。その栄えある(嘘爆)1回目が小学生時代の「稲むらの火」感想文。小学生の感想文ってぇものはふつう、まずあらすじを書いて(字数を稼ぎ^^)、それから主人公の気持ちになって、最後に小学生なりの教訓や決意を書くってなのが定番でしょうが(イマドキは違うか)、10歳ころのタカノブ少年はいきなり「五兵衛はえらいなあ。」って書いたんですね。いや~。我ながら「アッパレ!」っす(嘘爆)。あの時、神が舞い降りたのかも(嘘爆)。

ネットは便利ですね。ちょっとあれこれ調べてみました。時系列で整理すると
小泉八雲(こいずみ・やくもPatrick Lafcadio Hearn1850-1904)が濱口儀兵衛(1820-86)の史実を基にA LIVING GOD(Ⅰ~Ⅲの構成)を発表。作中ではHamaguchi Gohei。
中井常蔵(1908-1994)が旧制中学(濱口儀兵衛らが創建)時代に八雲の作品を読み感銘を受ける。昭和6年、文部省が小学校の教材を全国公募したとき、八雲のⅢを基に小学生向けの作品を書き応募、入選。
③中井「稲むらの火」が昭和12年から22年まで国定教科書・尋常小学校五年生用「小学国語読本巻十」「初等科国語六」に掲載される。

今回稲むらの火A Living Godもネット上で読めました。「稲むらの火」はこちら、"A Living God"はこちらです。「稲むら(稲叢)」と言っても都会育ちの若い方にはわからないでしょうね。「刈り取った稲を積み重ねたもの」(『大辞林 第三版』p167・3段)です。
A LIVING GODのⅠで八雲は神道について述べる。続くⅡでは神社と村民の関係。Ⅱでいくつかの例を引いて八雲は言う。
A curious fact is that this obligation of mutual help extended to religious matters: everybody was expected to invoke the help of the gods for the sick or the unfortunate, whenever asked to do so.
今回の大震災での日本人の秩序ある行動、その後の支え合い・助け合いは、各国の驚嘆を呼んだようですが、我々日本人のそのような態度は昨日今日に始まったことではなく、長い歴史の中でDNAのようになっている。無縁社会と言われる今日、そのDNAは死滅していなかった。「お互い様」精神は脈々と受け継がれてきたのである。
Ⅲの冒頭で八雲は1896年の三陸大津波に触れています。the evening of June 17, 1896, when a wave nearly two hundred miles long struck the northeastern provinces of Miyagi, Iwate, and Aomori。ついで1654年の紀州藩広村のHamaguchi Gohei。史実と異なる箇所も何箇所かありますが、それは単に八雲の誤解だったのか文学的真実のために事実を改変したのか、僕はわからない。秋祭りの夜、高台にある家から海を見ていたGoheiは
looked at the sea. It had darkened quite suddenly, and it was acting strangely. It seemed to be moving against the wind. It was running away from the land.
引き潮。この後に何が平地の村を襲うのか。
Hamaguchi Gohei himself had never seen such a thing before; but he remembered things told him in his childfood by his father’s father, and he knew all the traditions of the coast.
Goheiには津波の襲来を村人たちに告げるには時間がない。そこで孫のTadaにpine-torches(松明)を持ってこさせ
the old man hurried with it to the fields, where hundreds of rice-stacks, representing most of his invested capital, stood awaiting transportation.
貴重な稲むらに火を放つ五兵衛。火事を知らせる山寺の鐘。「すわ一大事!」と村人たちは次々と五兵衛の家に集まる。五兵衛の所業に「発狂したのか」といぶかる村人たち。なんとか全員が集まったところで
“Kita!” shouted the old man at the top of his voice, pointing to the open. “say now if I be mud!”
Through the twilight eastward all looked, and saw at the edge of the dusky horizon a long, lean, dim line like the shadowing of a coast where no coast ever was, - a line that thickened as they gazed, that broadened as a coast-line broadens to the eyes of one approaching it, yet incomparably more quickly. For that long darkness was the returning sea, towering like a cliff, and coursing more swiftly than the kite flied.
今回の津波を知らなければ八雲のこういう文章も「へぇ、そうなんだ」くらいで読み過ごしていたことでしょうね。
He, their Choja, now stood among them almost as poor as the poorest; for his wealth was gone-but he had saved four hundred lives by the sacrifice.

今回、自衛隊員・自治体職員・警察・消防・東電及び下請け孫請け会社社員たちに私たちが抱く賞賛尊敬は彼ら彼女らのsacrificeによる。一方で東電上層部・菅内閣構成員・評論家専門家・ジャーナリストらに感じる不信感は、sacrificeは問わぬにしても、その社会的地位に見合った貢献ができていない点(白洲次郎の言うnobilityに通じるか)であろう。
私は無名である。濱口のような行為もできないし濱口の精神の高みにも達し得ないで生を終える。私は無名である、だが無力ではない。微力ではあるが、限りある余命の中で岩手・宮城・福島の被災地を支援し続け、かの地から元気・勇気をもらいたい。私が逝くまでに被災地全ての再生・新生は不可能かもしれない。だが私(たち)は末永くかの地の人たちを想い、かの地の人々を支えていきたい。「これこそ日本・日本人なのだ」と言うと、偏狭なナショナリストと笑われるだろうか。

「百年後のふるさとを守る」はその後の五兵衛について半分以上を割いている。「しかし、浜口儀兵衛の本当の物語は、実は、この後始まる。」(p64)。
河田惠昭「百年後のふるさとを守る」は小学5年の夏休み前後に習うんでしょうか。岩手・宮城・福島の小学5年生たち、異境の地の被災小学5年生たちが、この作品を読んでより一層の東北魂を発揮してくれたら嬉しい。

気になる方もおられるでしょうから^^付記しますが、僕の人生TOP3作品は年代順に「小学生時代の『五兵衛はえらいなあ』の感想文」「40年ほど前、大学生時代の詩『ありばいのためのこらあじゅ』」「富山国際学院が2005年にNPOになるにあたって書いたカタカナ語抜きの『NPO設立趣旨書』」です。
このブログ、これで1657件目の記事投稿なんですが、これら3つに及ぶ「作品」はまだありません。
# by tiaokumura | 2011-04-21 21:55 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

再会

再会_f0030155_1201391.jpg
(4月17日午後・記)
4月15日(金)、前夜就寝前にセットした脳内目覚まし時計通りに5時半起床。コーヒーを飲みながらPCに向かい「富山国際学院2011年度4月生入学式・学院長式辞」を作る。まっさらで作る余裕がなく(汗)昨年度10月生入学式の式辞をアレンジ(恥)。出勤して今回通訳してくれる中国・ネパール・ロシアの学生に原稿を渡す。午前、C組授業。最近の僕は、卒業式は紋付羽織袴、入学式は礼服にしとるんですが、礼服で授業なんて初体験です^^。12時半授業終了、大急ぎで昼食を食べて、1時からの入学式に備える。
入学式&ガイダンス。僕は学院長式辞とガイダンスを担当。ま、うちみたいな日本一小さい日本語学校は、こういうのもみ~んなスタッフの手作りで、ある意味お気楽なもんです。ガイダンスの前に原発・地震・津波のことを話しておきました。新入生の不安解消になっていればいいのですが。「日本人なんかの言うことより母国のニュースのほうが信頼できる」ってあるでしょうね。折に触れ根気よく説明していかなければならないでしょうね。ガイダンスでは留学生活で気をつけることあれこれ話す。
4時半過ぎ、翌日の「日本留学試験・全国チャレンジ模試」の準備を高木けい子さんと。自分、「9時5時男^^」なんで、準備が終わってそろそろ帰ろうかなあと思ってたらケータイが鳴った。仙台にある日本語学校からうちの学生の劉君を頼って3月16日に富山に避難して来ていた李君からだった。李君は富山に2週間ほど滞在し、3月30日に富山空港から大連便で一時帰国してたのですが、仙台の日本語学校の4月18日再開に間に合うべく、大連→富山に。16日の富山発夜行バスで仙台に戻るとのこと。16日に昼食を一緒に、と約す。

4月16日(土)午前、チャレンジ模試・試験監督。午前の日本語試験(午後は理系・文系科目)が終わって教室を出ると、李君・劉君がいた。李君とは約2週間ぶりの再会なのだが、なんだかずいぶん時間が経ったような気がする。彼、ヘアスタイルが中国風^^になっていた。午後の試験監督担当の高木さんに引き継いで土曜出勤お役御免。李君に「ラーメン、好き?」って聞いたら「好き」とのことだったので富山ブラックをご馳走することに。
富山国際学院から車で約5分、「大喜」がある。本店は富山大和デパート(現在は移転)横にある。そこでは子どもの頃からときどき食べてる。本店はうなぎの寝床みたいな店で壁には錦絵など。先々代になるのでしょうか、戦後まもなく開業。濃いしょうゆ味でヴォリュームたっぷり、ごはんのおかずにもなり富山で1・2を争うラーメン店に。ここ数年でしょうか、大喜系のラーメン店が富山県内あちこちにでき「富山ブラック」と称せられるようになる。東京でのご当地ラーメン大会では「富山ブラック」が1位になったとか。大喜、かつては大和横だけだったんですが、今は市内に4店舗のようです。
「富山ブラック」、李君と劉君は大、僕は並。アップした写真(中央が李君)、ラーメンが運ばれてきたところ。大喜のラーメン、年のせいでしょうね、そんなにうまいと思わなかった。やったら味が濃いだけに堕したような気も。でも人気あるんでしょうね。
李君によると、大連―富山便、搭乗客は60%くらいだそうです。中国に限らず多くの外国人が日本を脱出してる。李君には「戻って来てくれてありがとう」と言った。彼のご家族は引き止めたようだが、「大丈夫」と説得しての来日-まことにありがたいことである。僕も彼の再来日に少しは役立てたかな。
お別れに魯迅『藤野先生』をプレゼント。仙台は魯迅が留学し医学から文芸に転向(転回)した土地。『吶喊』の「日本のある田舎の医学専門学校」は現在の東北大学です。
李君はハルビン出身(劉君も)。李君が3月17日に初めて富山国際学院に来た時、たまたま宮明さん(恵雅堂出版)から「哈爾濱学院」の会報誌が学院に届いていて彼に見せた。掲載写真に興味深く見入ってたようです。彼の世代もおそらく母国では「反日教育」を受けていることでしょうね。それでも日本留学を決意し、大震災にも日本を見捨てることなく復学し、僕のような者にもこうして会いにきてくれた。李君の留学生活・未来が輝かしいものでありますようにと願ってやまない。
先週のぶちボラ@石巻で、石巻の人と話してて「僕たち、こういうことでもなかったらお互い会うことなかったんですよね。ほんとは僕たち、会わずに済んでたら幸せだったんだよね」などと言って泣き笑いした。李君ともそうなんでしょうね。一期一会

李君・劉君と別れ、帰宅。
同日午後5時前、アーバンプレイス14Fの「連山 岩くら」に。今月は飲み会が2回あるのですが、その内の1回がこの日の「観世流華川会・葉桜会」。5時開始ってことで10分前にお店に着いたらまだだれも見えてなかった^^。この企画、16日はもう葉桜だろうってことだったんですが、寒さもあったからでしょうか、観世流華川会(川田有紀子先生)のサンフォルテでのお稽古(ボクはサボった^^)の後、皆さんで観桜@環水公園だったみたい。環水公園にはフレンチの鉄人・坂井宏行のお店がオープンしました。
5時開始。ここ数か月、酒も食も細くなった。この夜の僕、酒はキリンラガービールをグラスで2杯がやっと、お料理は先付けからデザートまで残さずいただけた。観世流のお稽古は出とらんで飲み会のみの参加は恥ずかしいものなのですが^^、皆さんそんなことは気にされない。話題豊富な皆さん、そして利害関係ないというかフラットな集まりで、人付き合いが苦手な僕も楽しい春宵を過ごさせていただいた。8時過ぎ終了。皆さんは2次会のカラオケってことですが、お暇してポートラムで帰宅。
# by tiaokumura | 2011-04-16 12:00 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(2)